第18話 あなたの知らない世界をお見せします
魔界式の約束を交わしてから、僕の日々は少しずつ変化を見せた。ほとんどがアネッサさん関連だ。
「マジマよ、何でもヒャクエンで売る店があると聞いた。早う連れて行け」
特に珍しくもない、慣れ親しんだ店に連れて行く。100円は10ディナですよと教えてあげると、彼女はまた白目を剥いて驚いてしまう。ついには「これもヒャクエン!?」と古臭いフレーズを吐く始末。そして用途をロクに理解しないまま大量購入し、大袋を両手に抱えて帰社するハメになった。
「マジマよ、ニンゲン世界には極上庭園なるものがあると聞く。連れて行くのじゃ」
地図情報を頼りに向かってみれば、デパートの屋上だった。子供用のゲームやら乗り物がある、ファミリー層に大人気のエリア。一文字を聞き間違えただけでも大違いだ。
脱力する僕をよそにアネッサさんは大興奮だ。百円投入で動くパンダの乗り物に跨っては操作を誤り、柵に突撃。無能な使い魔めと悪態をつくと今度は矛先を変え、メダルゲーム機に突撃。不正で得たコインなんて当然受け取る事はできず、店員に頭を下げることで許しを得た。
こんな毎日だ。契約に子守りなど含まれていなかったのに、なぜこうなったのか。言われるがままの日々とは決別しなくてはならないと、強い意志とともにアネッサさんの来襲を迎え入れた。
「マジマよ。このチラシを見てみよ。何でも馬に乗れる場を提供……」
「アネッサさん。頻繁には連れて行かないと約束しましたよね? 毎日誘いに来るとか、話が違うじゃないですか」
「むむっ。しかし見てみい。牧場とやらはこんなにも楽しそうではないか」
「僕にも仕事や予定ってものがあるんです。今後は週1日だけに制限させて貰いますから」
「週に1日だけとな!? それはあまりにも身勝手ではないか!」
「とにかく、ダメなものはダメ! アネッサさんも自分の仕事に集中してください」
「ぬぅぅ。仕方ない……出直すか」
肩を落として去りゆく背中に、少なからず罪悪感を覚えた。心を鬼にしてもこの痛み。やはり子供の要求というのは不思議な効力があるのだろうか。
しかし言うべき事は言った。これでしばらくは仕事に専念出来る。人事官として、エミさんに続くスタッフを集めなくてはならない。集めなくてはならないんだが、再びアネッサさんより横槍が入った。
「ふふん、マジマよ。惨めにも時間に追われ、あくせくと働くだけ貴様に、とっておきの情報を教えてやろう」
「何なんですか。遊びに行く予定は来週までお預けですよ」
「時間とは不思議なものよな。暇な時は長々と感じるのに、多忙な時は瞬く間に過ぎていく。しかし時間を買い戻せるとしたらどうじゃ。遊びたい放題じゃぞ」
「時間を買う? 人を雇って代わりに仕事させるとか?」
「そうではない。本当に買い求めるのじゃ」
その言葉とともに見せつけられたのは惣菜屋のチラシで、本日限りでメンチカツがどうのと書かれているだけだった。
これで何を伝えたいのか。いや、ニヤリと笑われても分かりませんよ。
「お腹が空いたんですか? まだ夕飯には時間がありますよ」
「どこを見ておる。ここじゃ、ここ」
アネッサさんの細指が差すのはチラシの一部分。そこには16時よりタイムセールとある。
「良いかマジマよ。タイムとは時間、セールは売るという意味がある。すなわち、16時に行けば時間を買えるのじゃ!」
「違いますよ、ただの安売りですって。メンチ3枚で175円って書いてあるじゃないですか」
「フン、愚か者めが。妾は大金にて時間を買ってきてやる。そうすれば心ゆくまで遊び放題じゃ!」
そう言うなりエレンさんに金をせびっては、紙幣を握りしめて飛び出していった。
「エミさん。悪いけどさ、後を任せても良いかな」
「分かりました。先輩は何が食べたいです?」
「要らないけど、まぁ、唐揚げとか……」
「はぁい。行ってきますね」
エミさんも馬面を被って後を追いかけた。さて、2人の運命やいかに。
そんな事は考えるまでもない。帰社した両名は香ばしい薫りを連れてオフィスへと戻ったのだ。
「ただいまですぅ。はい先輩、塩から揚げ」
「ありがとう。代金は……」
「経費扱いになるっぽいですよ。私もチキンカツを買ってもらいましたもん」
「ではありがたく。ところで、アネッサさんの眼が赤いけど?」
「これはですね、帰り道で泣いちゃったんです。『せっかくマジマと遊べると思ったのに』って。泣き止ませる為に牛肉コロッケを1個あげときました」
「この下郎めが! 秘密にせよと申したではないか!」
「あぁ、光景が目に浮かぶよ」
成り行きで受け取った唐揚げだけど、処分には軽く困らされた。晩飯のおかずにする頃には冷めているだろうし、我が家には電子レンジがない。
いっそ今食べてしまおうか。そう思ってビニル袋を開けてみると、1枚の折込チラシが入っていた。
「何だこれ。花火大会?」
「来週に河川敷でやるんですって。先輩もどうで……」
「マジマよ! 来週じゃぞ、妾も連れて行くのじゃ!」
「まぁ、別に良いですけど。土日だし」
しかし僕が了解しても、その上から待ったがかかった。予想外にもエレンさんだ。
「皆、ちょっと待って。今度の花火は遊ぶ側じゃなくて、もてなす側だから」
「もてなす側……出店するんですか?」
「そうよ。だから準備とかお店の仕事とか手伝ってちょうだいね」
「もちろんですよエレンさん。僕ならいつでもコキ使ってくれて大丈夫です!」
「頼もしいわ。期待してるからね」
楽しみだ、今から花火の日が待ち遠しい。何となく責めるような視線を2人分ほど感じたが、気のせいだろう。あるいは空腹が見せる目の錯覚か。唐揚げのジュワリとした肉汁を堪能することで、その場をどうにか乗り切った。
やがて迎えた当日。午前中から集合との事で、僕は所定の場所へと向かった。出店場所は河川敷付近にあるドスコイ広場だ。既に人の入りは多く、あちこちで組み立てが始まっていた。
「遅いぞマジマ、早うせんか!」
一喝のした方へ歩み寄れば、見慣れたメンバーが出迎えてくれた。
「おはようございますアネッサさん。一応は約束の時間通りなんですが」
「フン。妾なぞ朝5時に起きておるのだぞ。少しは見習わぬか」
「あぁそっすか。本格的にお婆ちゃんですね」
そんな挨拶よりも気になるのは、彼女の装いだった。
「いや、なんで浴衣着てるんですか」
「どうじゃ、妾の艶姿。眼福じゃろうが喜べ」
「僕達は仕事なんですよ。動きやすい格好じゃないとダメじゃないですか、Tシャツとか」
「せっかくの晴れ着にケチをつけるきか!」
「そうじゃなくって、僕は道理の話を……」
そこで話を聞きつけたのか、エレンさんが現れた。僕はそのワンシーンを衝撃的に受け止めた。
桃色の長い髪はアップにまとめており、耳の前で微かに垂れる後れ毛が最高。紺地にアジサイ柄の浴衣、似合いすぎて最高。無地の黄色帯の上下には、彼女が誇るプロポーションが激しく主張し、悩殺的な曲線を描いている最高。
背中の翼はどうやって出しているのか。穴を開けたかと思いきやジッパーで開け閉めしてるのか、この発想は無かった最高かよ。
「マジマくん。祭の日は浴衣を着るものって聞いてたんだけど、着替えた方が良いかしら?」
「いやいやとんでもない! そのままが良いです、絶対に!」
「そう? じゃあもうしばらく、この格好で居ようかしら」
エレンさんはそんな言葉を残して、業者らしき車の方へと立ち去った。余韻を楽しむかのように背中を見送っていると、正面を誰かが塞いだ。エミさんが横から飛び込んできたみたいだ。
「先輩、私の浴衣姿はどうですか!」
白地にハナショウブ柄が眼前に現れ、クルリと回った。確かに涼しげで可愛らしい見栄えだ。首から下を見る限りは。
「どうって言われても。馬子にも衣装?」
「酷い! そんな言い方ってあんまりです!」
「いや、だってさ、馬の面を被ってるし」
「あぁ、でも、これが無いと大変な事になるんで」
「僕の言い方が悪かったね、ごめん」
「いえいえ、こちらこそ何かスミマセン」
雰囲気だけの謝罪を交換していると、アネッサさんのガナリ声が響いた。早く手伝えとか、そんな意味合いのものが。それからの僕達は、納入された景品のチェックやら屋台の組み立てに没頭した。
「フゥ……。結構整ってきたな」
うちの出し物は射的だ。コルク銃で的に当てれば景品が、というお馴染みのシステム。一応、僕らならではのオリジナル要素もあるらしいが、まだ聞けてはいない。
「何だか新鮮な気分だ。お祭りなんて客以外で来たこと無かったから」
空はまだ明るいが、太陽は西を目指して傾こうとしている。朱に染まる頃には来場者でごった返すのだろう、業者ばかりが集まるこの広場に。
どこの店も活気があり、真剣だ。遠目から見て値札の位置を調整したり、調理具を掲げて確認したり。その一方でタバコを吸いながら雑談する人の姿もあった。
「貴重な体験だなぁ。この会社に勤めてなかったら、一生縁が無かったかも」
経験できて良かったと、感慨に耽るのも束の間。日が暮れるとともに人の数は増え、夜にもなれば大混雑にまでなった。普段の商店街とか比較にもならない。文字通りに人垣が、会場の中心へ向かって流れていく。
僕の役割は、そんな人々に向けて呼び込みをかける事だった。
「射的どうですかーー! 豪華景品当たりますよーー!」
もちろん食いつく姿はない。誰もが身内同士の会話に花を咲かせ、こちらには目もくれずに去っていく。この場においても反響無しか。予想通りだけど胸に刺さるものがあった。
ちなみにエミさんも手伝ってくれたが、被り物のせいで、いかんせん声が通らない。たまに馬面を笑われるくらいだ。
「エミさん、1回戻ろう。喉も渇いたし」
「そうですね。呼び込みもあんまり効果無さそうですし、ケホッケホ」
そうして屋台に戻ると、エレンさんが店番をする姿が見えた。客らしき子供に手渡したのは「うまし某」の詰め合わせで、少年は受け取るなり、飛び跳ねながら親元へと駆けていった。
「マジマくんにエミちゃん、お疲れ様。どんな感じ?」
「イマイチですね。まぁ、多少はアピール出来たと思います」
「そう、射的って人気ないのかしら? 食べ物より、体験型の方が売れるとアネッサちゃんが言ってたけど」
「そのアネッサさんはどこに?」
「お金を持って、お菓子やら金魚やらお面やらと駆け回ってるわ」
「完全に楽しんでるじゃないですか……!」
ちなみにモーリアスさんは裏手の芝生で眠りこけていた。缶ビールとか紙コップが無数に転がるあたり、しこたま飲んだのだろう。
「どうしましょう。せっかくお店を出したのだから、ある程度はお客さんに来て欲しいわね。景品が残っても処分に困るし」
「気持ちは分かりますけど、こればっかりは運次第じゃないですかね」
「じゃあ、ちょっと早いけど、目玉商品を出しますか」
「何か秘策でもあるんですか?」
「モーリアス提案の物がね。彼は人間世界に詳しいから、期待できると思うわ」
僕は嫌な予感しかしませんが。そして人の情緒を参考にするなら僕を頼って欲しかったと思う。しかしここ最近を振り返れば、アネッサさんの子守りばかりだったと合点がいく。
そのうち、エレンさんが裏手から一抱えもある巨大な物を持ち出し、通りの傍に置いた。一体何だろうと眼を凝らせば、それは精巧な人形だという事が分かる。
エレンさんの生き写しとも言える等身大の人形だ。
「射的いかがですか? 特賞で、私を完全再現した人形をあげちゃいま〜〜す。関節も肌質もバッチリですよ〜〜」
「待って、完全再現ですか!?」
「そうなの。魔界製作所で型取りスライムを使ったりしてね。結構大変だったけど、その甲斐あって上手く造れたのよ」
つまりは、アレとかソレとかも再現しているという事か。そんなの、コレする時とかドレやる時とかに悪用し放題じゃないか。なんて卑猥なんだ。これは僕が全身全霊をもって管理する必要がある。
しかし現実は時として残酷だ。僕の介入よりも通行人が素早く反応してしまった。それは中年男性で、着崩したシャツ姿にはタチの悪さを感じさせた。
「おうネーチャン。これくれんのか?」
「はいそうですよ、特賞を当てたら」
「そうかいそうかい。じゃあサクッと貰ってくぜ。ブッ壊れるまで可愛がってやるからよ」
男が銃口にコルクを詰め、構え始めた。公言するあたり、全力で狙いにいくだろう。僕はなんて無力なんだろう。外してくれる事を、ただ祈るだけとは。
「ネーチャン。特賞の的はどこだよ?」
「壇上の一番上にあるヤツですよ」
「一番上……!?」
的は全部で五段。下から駄菓子、オモチャと徐々にグレードアップしていく。最上段の一等は話題のゲーム機で、特賞は更にその上だ。
そこで男は、そして僕も目の当たりにする事になる。壁板の穴から顔を覗かせて微笑む悪魔の姿に。
「うわぁ! 何だコイツは!」
「まお……ポロンさん、何やってんですか!?」
「何とは、見ての通りだが。特賞を出すのなら的をやらねばならん」
「いや、そうはならないでしょ……」
店の裏手を覗けば、魔王様は中腰になってまで的の役目を全うしていた。こんな涙ぐましい努力で臨む意味はあるのか。
その答えはすぐに判明した。
「ま、まぁいい。こいつにブチ当てりゃ良いんだろ」
男が銃を構えて唸った。銃口は真っ直ぐ、最上の的へ。しかしその的は飾りではなく、物を言う的だった。加えて眼光は闇夜で怪しく煌めき、挑戦者を威嚇する始末だ。
「さぁ来い人間よ。ワシを愉しませてみせよッ!」
「ヒィッ……!」
なんて迫力だ。慣れ親しんだ僕でさえ寒気がするのだから、行きずりの男からすれば恐怖そのものでしかない。コルクは全弾あらぬ方へと飛んでゲームセット。男は肩を震わせながら、残念賞の『世話焼きさん次長』を片手に、雑踏の中へと消えていった。
「凄いですよ魔王様。鉄壁の構えじゃないですか!」
「クフフ。簡単に目玉景品を持っていかれては堪らんからな」
「よぉし! じゃんじゃん呼び込みましょう!」
それからというもの、珍しい景品や的があると話題に上り、周辺でも一番の盛況になった。こうなると呼び込みに出る余裕なんか無い。
求める手に銃やコルク、お釣りを手渡し、景品と共にサヨウナラ。そんな作業が延々と続けられた。モーリアスさんのイビキを聞きつつ、あるいはアネッサさんが綿あめで顔や浴衣なんか汚すのを横目に見つつ。
この無限にも思われた忙殺も、いつしか衰えをみせ、終わりを迎えた。その頃になると人だかりは無く、帰ろうとする姿を点々と見かけるだけになっていた。
「ハァハァ、忙しかったわね……」
さすがのエレンさんも疲労の色が濃い。
「花火も終わっちゃいましたか。眺める余裕なんかありませんでした」
「そうね。残念だけど、別の機会もあるでしょ。それよりもどうしようかしら、この景品」
喜ばしい事に、菓子や小型家電のほとんどがお客さんの手に渡った。しかし、麗しきリアル人形は数々の猛攻をくぐり抜け、今もここに残されている。
「マジマくん、せっかくだから貰ってくれる?」
「えっ!? 良いんですか!」
「うん。返品できないし、アナタに丁度良いかなって」
胸を五寸釘にでも刺されたような衝撃が、僕の思考を奪い去った。自分と寸分たがわぬ造形物を譲ると言うのだから、深読みを誘っても当然だ。しかも『丁度良い』という台詞を添えて。
勘違いしちゃいますよ。全力のフルパワーで。思わずそう漏らしそうになった所、手渡されたのは箱だった。
「はいどうぞ。心ゆくまで楽しんでね。人間の若い子に人気らしいから」
「えっと、これはゲーム機?」
「はいエミちゃんもどうぞ。良かったら遊んでみてね」
「わぁぁ! これって品薄で手に入らないヤツですよ、ありがとうございます!」
「なぁんだ。てっきり人形の方を預けられるのかと思って、ビックリしちゃいましたよアハハーー!」
「あぁコレ? この人形は、実家で独り暮らししてるお母さんに送ろうと思うの。寂しさが紛れるかなって」
交渉の余地は無し。僕は包装紙とダンボール箱の軋む音を聞きながら、ひとつの言葉を絞り出した。
「お母様に、よろじぐお願いじまず……ッ!」
「先輩。箱が歪んでますけど。手荒に扱わない方が……」
「僕にはゲーム機がありますんで、こっちを楽しむんで!」
「いやいや先輩! 箱に穴空いちゃいましたけど!?」
祭りの裏方を知るというのは、思いがけない喜びだった。その一方で、エレンさんの精巧過ぎる人形がこの世に存在し、そして手の届かない場所にある事実は、苦痛そのものだった。
世の中、知らない方が良いこともあるのだ。そんな人生の味を痛感させられた夜だった。
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