第19話 辛い時は皆で支え合います

 エレンさんの席で電話が鳴った。ここで唯一の固定電話で、基本的に応答するのも彼女だ。


「はい、ワクワク魔界ワークです」


 朗らかな声とともに笑みを浮かべるのだが、瞬く間に曇っていく。


「いえ、そんな人は居ませんよ」


 そして強めのガチャ切り。溜息を重たく漏らす様は何とも不穏だ。


「エレンさん、どうかしました?」


「イタズラ電話よ。この前の祭り以来、変なのが増えちゃって」


「変なのとは、具体的に言うと?」


「2パターンあるかな。店番してた美女は誰だとか、店の裏手にいた美少女について教えろとか、もうウンザリ」


「前者はエレンさんでしょうが、後者はエミさんかな。でも被り物してたよね?」


「スミマセン。暑かったんで、人気のないとこで脱いじゃいました。顔拭いたりするのに」


「あぁ、あれだけ忙しかったし。当然だよ」


 その結果がイタズラ電話の増加で済んだことはマシな方だろう。ただし10分に一度はかかる呼び出し音に、エレンさんの疲労は積み重なっていく。


 電話番を代わりましょうかと声をかけようとした矢先、再び電子音が鳴り響き、応答の声が続いた。


「はい、ワクワク魔王ワーク」


 態度も既に雑なものだ。いよいよ限界かと思うと、今度ばかりは様子が違った。これまでのイタズラ電話とは異質なものだったようだ。


「オレじゃ分かんないわよ。もしかして、マジマくん?」


 何のやりとりだ。目線を向けてみれば、驚愕の表情のエレンさんと目が合った。やがてその顔は緩み、机を飛び越して僕の方へ迫ってきた。


「凄いじゃない、いつの間に分身魔法なんて覚えたの! こんな憎らしい演出までしちゃって!」


「待って待って訳わかんない!」


 どう考えても原因はこれだ。コードレス受話器を受け取って耳に当ててみると、既に切られた後だ。無機質な音に微かな脱力を覚えてしまう。


「エレンさん。今のはオレオレ詐欺っていうヤツです」


「何、それもイタズラ電話だっていうの?」


「そんな可愛いもんじゃないです。立派な詐欺行為、犯罪ですよ」


 こうまで言ってもピンときてないご様子。仕方ない。現代社会における処世術と言うには大げさだが、レクチャーしなくてはなるまい。


「はい。良い子の為のオレオレ詐欺対策こうざぁ〜〜」


「わぁぁ、よろしくねマジマくん」


 講師として僕はホワイトボードの傍に立ち、聴講席にはエレンさん。その隣にエミさんが座ってるのはなぜか、君はこっち側じゃないのか。


「モーリアスさん。大事な話をしますから、こっち来てくださいよ」


「オレぁ電話なんか出ねぇからな。お前らで楽しくやってろよ」


 背を向けて返答するあたり、全く興味が無いのだろう。彼については無視するしかない。


「まずね、僕が説明するのは一般論です。仕掛ける側は先鋭化を続けており、どうにかして騙そうと新しい手法を編み出してきます。定期的に関係省庁や警察署の発信に眼を通すのが良いと思います」


 エレンさんが食い入るような眼とともに、ウンウンと頷く。本当に分かっているのか一抹の不安が過る。


「理屈としてはこうです。電話越しで顔が見えない事を利用して近親者だと偽り、成りすまします。名乗らずにオレだオレと切り出す事から、そんな名称が付けられました」


「じゃあやっぱり、さっきの電話は悪いヤツだったの? マジマくんが分身したんじゃなくて」


「はい。僕がそんなもの習得する可能性はゼロなので」


「そう……残念だわ」


「話を戻します。連中がつけ込むのは焦燥感や不安です。早くお金を振り込んでくれないと大変だと泣きつき、大金をせしめるという手法で、被害額は相当なまでに及んでいます。だから焦りのまま動くのではなく、本人に確認するだとか、冷静な第三者に相談する事が良いとされています」


「マジマくん。それなら、電話に遠視魔法を組み込めば防げるんじゃないの?」


「人間世界にありませんから、そんな超技術……」


 エレンさんは、この手の犯罪にピンと来ていないらしい。しかし理解そのものは早く、ポイントごとに覚えてくれた。


「つまりは、偽物である確信が持てれば良いって事ね」


「それが出来れば完璧ですね。だから合言葉を事前に用意する人も居るみたいです」


「へぇ、面白そうね」


「もっとも、生年月日や家族構成くらい簡単なものだと厳しいです。向こうに個人情報が知られてる場合、突破される可能性が高いので」


「だったら人間が知らない言葉なら平気よね。丁度良いのがあるわよ」


 イタズラっぽく笑うエレンさんに不吉なものを感じた。


 その予感は見事的中。合言葉による弊害が、早くも翌日には直撃してしまうのだった。


「うぇぇ……38℃超えてんじゃん」


 翌日、朝から全力で体調を崩した僕は、ベッドから起き上がる事すら出来なかった。まさか夏風邪にやられるだなんて。特に心当たりは無いけど、体温計が現実を見事に突きつけてくる。


「そうだ、電話しないと」


 グラグラ揺れる世界に堪え、とりあえず電話。


 2コール目には柔らかな声。ほんと良い声。心が安堵に似た気分で満たされていく。


「はい、ワクワク魔界ワークです」


「エレンさん、僕です。マジマです。今日は体調不良のため……」


「アナタ本当にマジマくん? だったら合言葉を言えるわよね?」


 僕はドキリとした。昨日に決めたそれを、こんなコンディションで伝えられるのか。しかし考える間にも不信感は募る。やらない事には始まらなかった。


「もしかして知らないと? だったらアナタは詐欺師……」


「待って言いますから。いきますよ」


 大きく息を吸って臨む。保ってくれよ僕の滑舌力。


「ズレるズレる怒涛の擦り抜け。買い出し水魚の水槽待つ、来週待つ。うん、だいぶ待つ。食う寝る所は住みやすし。やぶれかぶれのブラック王子。配布財布サイズの不倫型、不倫サイドの無理難題。無理難題の本舗コピーの本場困難の長寿種名の超スゲェ」


 どうだ、伝わったか。重たい無言を挟みつつ結果を待つことにした。


「違うわね。マジマくんだと認められないわ」


 非情過ぎる現実。ただでさえ長文なのに、こっちの世界にも似た言葉があるのがややこしい。


 こうなればメールで伝えるしかない。かすむ瞳をこじ開けて、どうにか要件を伝えてみた。しかし、エレンさんが生真面目である事が今回ばかりは災いした。


――本当にマジマくん? 合言葉を言えるわよね?


 やはりそう来たか。僕は揺れる視界に抗って打ち込んでいった。誤字は激しく、誤変換や脱字に悪戦苦闘。やっとの思いで送信してみたけれど、結果は変わらず非情だった。


――間違ってるわね。アナタをマジマくんとは認められないわ。


 なんて鉄壁な防御。認証の厳しい最新のセキュリティのようだ。こんな事なら原文をテキストで送ってもらうべきだった。まさか昨日の今日で必要になるとも思えず、油断した結果の自業自得なピンチに、後悔が一層募る。


 仕方なくエミさんに病欠のメッセージを送り、そこで力尽きた。世界がグルグルと回っている。瞳を閉じて耐え忍んでいるうちに、いつしか意識は遠ざかっていった。


 再び目覚めたのは冷えを感じたからだ。額に感じる冷たさは心地よく、熱が和らいでいくようだ。


「マジマくん、起きた?」


 眼を開けば、そこにはエレンさんの姿があった。曇り気味の微笑みが、心細い心境に温かなものを与えてくれた。


「エレンさん。どうしてここに……?」


「エミちゃんから聞いて飛んできたのよ。ごめんなさい。朝の連絡はアナタだったのね」


「いえ、僕も間違ってましたし」


「ちなみに正解は『水槽待つ』じゃなくて『遂行待つ』だから」


「次からはもう少し簡潔な言葉にしましょうか」


 苦笑を浮かべる僕の枕元にビニール袋が置かれた。透けた中身からは、薬品などの箱が見て取れた。


「これ、お見舞い品ね。何が使えるか分からなかったから、色々と買ってきたわ」


「ビタミンゼリーだ。助かりますよ、お腹も空いてたし……」


 品はそれだけでは無かった。袋の底では強壮剤と思しき強烈なパッケージが並んでいる。


「絶倫界の富士山、夜の魔王錠剤……。これ違いますよ」


「えっ、そうなの!? だって元気になるって書いてあるから」


「意味合いがだいぶ違います。とりあえずゼリーはいただきますね」


「まぁ、心配しないで。後でアネッサちゃんが薬を持ってきてくれるから。道案内はエミちゃんね」


「そうなんですか。エレンさんの魔法で治せたりは?」


「残念だけど、病気に効く魔法は凄く高レベルだから無理ね。魔界の治療院にでも行かないと」


「そうですか。まぁ風邪だと思いますから、そのうち治りますよ」


 ここで体温を計ってみよう。そう思って見渡したが見つからない。気だるい頭を持ち上げてみた所、枕元の遠くまで転がっているのが見えた。


「あんな所に……ダメだ、届かない」


「安静にしてて。私が取ってあげるから」


 エレンさんが僕の頭越しに手を延ばした。片手を着いて、姿勢を低くして。


 その結果どうなったか。視界は2つの膨らみによって占領されてしまった。服で締め付けられる事によって形を維持したままで。そして締め付けられるがゆえに服の端から谷間が溢れ、僕の眼前で挑発するように揺れ動く。


「あの、エレンさん。1回離れてもらえますか!」


「ちょっと待って。もう少しで届きそうなの」


 そのちょっとの間にも、膨らみは更に迫っていた。このままではマズイ。至高の楽園に鼻先でも着いてしまえば、僕は冷静さの全てを奪い去られるだろう。強壮剤など要らない。純粋なる激情が、どこまでもどこまでも猛り狂う事に疑いはないのだ。


 だがその刹那、玄関口がにわかに騒がしくなった。


「マジマよ、風邪をひくとはだらしない。妾が薬を調合してやったぞ喜べ」


「先輩、大丈夫ですか? 今アネッサさんが……」


 そこで空気は変わった。どちらかと言えば悪い方へ。


「あぁーー! ここぞとばかりにエロい事やってる! 病欠だって聞いてたのにーーッ!」


「なんじゃマジマ。隙あらばエレンの乳を堪能しおって。やはりおっぱい好きではないか」


「しかもガッツリ効きそうな薬まで買い込んで、何を始めようってんですか!」


「いや、全部、不可抗力……」


 ツッコミが追いつかない。そしてここからの記憶はだいぶ曖昧だ。詰問の言葉があったり、液状の薬を飲まされたり、代わる代わる顔を覗かれたような気がする。


 そして迎えた翌朝。昨日の出来事が嘘のように復調し、そして独りきりだった。しかし夢や幻でない事は、手つかずの強壮剤からも明らかだ。


 本日は金曜日。出社すると同時にお礼を伝える事にした。


「エレンさん、昨日はありがとうございました」


「おはよう。もう起きて平気なの? アネッサちゃんの薬が効いたのね」


「ゼリーの差し入れも嬉しかったですよ」


「そう言えば、合言葉は短くしておくから。後でメールを確認しておいて」


 あの面倒なやりとりが軽減されるのは助かる。風邪で休んでる間に好転したのは朗報と言うしかない。


「あっ、先輩……」


「エミさんおはよう。昨日はありがとうね」


「やっぱり。そうだったんですね」


「何の話をしてるの?」


「アネッサさんが言ってました。先輩の風邪なら巨乳が吹き飛ばしてくれるだろうと……」


「安静にしてたからじゃないかなぁ! 変な事言うのは止めてよね!」


 それからは、乳で風邪を治した男という不名誉な呼ばれ方をした。面倒さは形を変えて僕の心を悩ませるのだった。



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