第20話 ピンチになれば必ず手助けします
鼻歌だ。隣の席から聞こえるのは、エミさんが口ずさむ何気ないメロディ。何の曲かは知らないけど、ついつい耳を傾けたくなる響きが心地よい。
「エミさん、あのさぁ……」
「ごめんなさい。五月蝿いですよね」
「ううん、そうじゃなくてさ。君って歌を習ったりしてた?」
「いえいえ、特には。音楽が好きってだけです」
「そうなんだ。それにしちゃ上手だよね。ずっと聞いていたいくらい」
「……もしかしてブログのネタになります?」
何気ない言葉だと分かっていても、それなりに深く突き刺さった。実はたびたびブログを更新していたのだが、不評も不評、コメント欄も荒れ気味だ。
その理由は明らかで、僕自身が被写体となっているせいだ。パソコンに向かい合うシーンとか、お昼を食べる姿だの更新してみたら罵詈雑言の嵐。賛否両論にすら到達できない毎日だ。たいていは「女の子を出せ」という不届きな物ばかりなので、皆の安全の為にも改善しなかったという経緯がある。
「でもエミさんなら問題ないか。過去にも出てもらったし、その時も平気だったよね」
「そもそもお面を被りますし。大丈夫だと思いますよ」
「じゃあ今回は動画で」
スマホを構えてアカペラの録音だ。録画してみると、ろくな機器も無いのに上等な美声を収める事が出来た。さっそくブログも更新、うちのスタッフ美声過ぎて草、というタイトルと共に。
さてさて反響はいかに。僕達が成果を待ちわびていた所、エレンさんから横槍気味の声がかけられた。
「エミちゃん。あなた凄いわね、いつの間にそんな技術を?」
「えぇっ? 本当に特別な事してませんよ。普段どおり好き勝手歌っただけですから」
「2人とも悪いけど、ちょっと付き合ってくれる?」
ろくな前触れも無しに連れ出された。廊下を正面に歩き、しかし玄関から外に出る事はなく、右へ曲がる。そこは応接室があるだけだ。真面目な話し合いでもする気だろうか。
かと思いきや、エレンさんはおもむろに廊下の壁に手を触れた。すると一面コンクリートだったものが一部消失し、上り階段が姿を表した。
「えっ、ここ2階とかあるんですか!?」
「秘密にしてるからね。外から見たら、バレバレだったかも知れないけど」
言われてみれば建物自体は大きく、3階建てくらいに見える。上のフロアについては気になった頃もあったけど、仕事に慣れていく内にそれも消えていった。そういうもんなのだ、と。
「じゃあ付いてきて。別に変な所じゃないから安心して」
「お、お邪魔しまぁす」
「随分暗いわね。前に使った人がナイトモードにしたのかしら?」
確かに足元の段差が危うい程の暗さだ。窓も灯りもなく、暗夜をさまよう気分になる。あぁ、背後にある1階エリアが眩しい。浮世とあの世の境界線の様に見えてしまい、微かな寒気を覚えた。
「さぁ着いたわよ。知られざる2階へようこそ」
ドアを隔てた向こう側は別世界だった。天井に見える無数の光点は、満天に輝く星々のよう。そして大きく浮かぶ円形のものも、青白く発光する点以外は月と酷似していた。
「ここは、どこなんでしょうね。ワープでもしたのかなアハハ」
「造りとしては裏庭と似ているわね。まぁあちらは人間世界に寄せたけど、こっちは魔界を再現したという違いはあるけど」
「魔界……これが?」
「本当はもっと地形や植物も配置したかったけど、手が回っていないのよね」
「そうですか、なんか凄いですね」
「ここには幻素、魔力の源が漂っているから、アナタたちにも見えるんじゃないかしら?」
エレンさんはそう言うなり右手を掲げた。すると彼女の全身が白く輝き出し、手のひらには炎が宿った。
「もしかして、それが魔法ってヤツですか!?」
「どう、良く見えるでしょ。人間世界だとイマイチ発光しないものね」
手のひらの炎が暗い空を駆け回った。走る炎には赤い線の様なものが見え、それは手のひらに繋がっていた。リードみたいなものだろうか。そして一頻り駆けたと思えばエレンさんの元へ戻り、白煙と共に消えてしまった。
「じゃあ本題ね。エミちゃん、アナタにはもしかしたら魔奏術の才能があるかもしれないの。ちょっと歌ってみてくれる?」
「今ここで、ですよね?」
「もちろん。そのために連れてきたんだもの」
「じゃあ失礼して……」
困惑をみせつつもエミさんの独演が始まった。緊張のせいか調子外れでありはしたが、声の響きこ聴き応えは十分だ。
そして、彼女の身体もいつしか輝きだす。エレンさんよりも遥かに暗いが、確かに身体から光が出現していた。
「ウヒィッ。何ですかこれ!?」
「落ち着いてエミちゃん。それはアナタの力なのよ。精神魔法、チャームと言われるものね」
「私の力……?」
「人間にも、少ないけど魔力が宿っているの。そして極稀に魔力を活用できる人が居るそうだけど、アナタは間違いなく使える側の人よ」
「私の歌って、魔法だったんですか」
「無意識にやってるくらいだから、歌だけとは限らないわ。何気ない行動でも発動してる可能性もあるわよ」
つまりは、彼女がこれまでやたらと追い回されたのも、魔法によるものだったのか。道理で過剰な訳だと納得した。
「エレンさん、僕にも何か使えませんか!」
「どうかしら。私も人間に教えた事なんてないから、なんて言えば良いか」
「エレンさんは普段どうやってるんですか? 真似してみます」
「私の場合は詠唱術ね。胸の中で力のある言葉を浮かべて、最後に魔力を使って発動させるの」
「え、詠唱術?」
「待って。軽く説明するから」
話によると、魔法のプロセスは沢山あるらしい。詠唱以外に魔法陣を描いたり、マジックアイテムを使ったり。エミさんのように歌や楽器でというパターンも稀にあるのだとか。
「一般的なものは詠唱よ。文面を覚えるだけで良いからね」
「何か簡単なヤツは無いですか?」
「じゃあこれね。声に出してみるから真似してみて」
そうしてエレンさんは『貫け紅蓮の炎よ、ファイアボルト』と口にし、全身を輝かせた。すると虚空に掲げた手のひらから、真っ赤な光がほとばしり、夜空の果てに消えた。
「コツは魔力の注入タイミングよ。魔法名の直前で手のひらに集める感じかな」
「分かりました。全然分かりませんが、やってみます!」
同じ姿勢、同じ言葉をなぞる。ならば結果も同じであるはずなのに、無情な光景が広がるばかり。
「ダメだ……さっぱりじゃないか」
「気を落とさないでマジマくん。エミちゃんが優秀過ぎたってだけで、普通はこうだと思うわよ」
「待ってください。もう少し挑戦してみて良いですか!」
「ええ、構わないわよ」
僕はそれからも延々と魔法の真似事を繰り返した。詠唱する、魔力ってのがよく分からんので、とりあえず力を込める。しかし何も起こらないのは当然の事か。
いつしか背後から、ごゆっくりどうぞとの言葉があった。僕一人だけが残されたが止める気なんて毛頭ない。もしかすると魔法が使えるかもしれない。子供の頃から憧れ、大人になっても不便解消に使えたらと求め続けた、あの魔法がだ。
「頼むよ、僕にも魔法使いの才能があってくれ……!」
身振りを変えてみる、力をより込めてみるがダメ。じゃあ逆に力を抜く、詠唱の速度を変える、イントネーションも変える。しかし同じだ。一度さえも火の粉すら現れず、ついには膝を屈してしまった。
「やっぱり僕には才能がない。平凡なヤツなんだなぁ……」
全身は激しい疲労感に包まれた。額は汗に濡れ、腹の奥には気怠さが居座っている。
なぜだか魔法が出せそうな予感があったし、イメージも湧いた。しかしそれだけだ。単純に体力を消耗してお終い。いや、収穫はあるか。僕は向いてないと分かったのだから。
丁度その頃だ。見計らったかのようにドアが開き、こちらに声がかけられた。
「先輩、そろそろお昼なんですけど」
「もうそんな時間? 熱中しすぎたなぁ」
「お腹空いてますよね。今日は黒毛魔牛のスープで、濃厚メチャうまですよ」
「牛肉スープ、ちょっと喉を通らないよ。水とかスポーツドリンクなんかが欲しい」
「じゃあ私、コンビニで買ってきますよ」
「えっ。それは悪いから遠慮するよ、そこそこ遠いし」
「良いんです、昼休みですから。30分くらいで戻りますね」
そんな台詞を残して駆け去っていった。引き留めようと掲げた手は力なく垂れ、床に落ちた。そこからは寝転がって天井を見上げた。変わらず満天の星空、青い月。
「リゾート地みたいだ。すごいキレイ……」
人の気持ちも知らないで明るく、しかし優しく輝く天井は、僕に何を伝えようとしているのか。考えても分かるハズもなく、身体が求めるままに瞳を閉じた。今は昼休み。仮眠くらい許して貰えるだろう。
意識はやがて暗い方へと引きずり込まれ、意識も途切れ途切れになる。すると、不意に耳元で何者かの声がした。
――忌々しき防護。こんなものさえ無ければ……。
憎悪の気配から思わず飛び起きた。
「うわぁ! 誰ですか!」
「きゃあっ! どうしたの急に!?」
視線を巡らせればエレンさんの姿が見えた。悪い夢でも見てしまったのか。途端に恥ずかしさが押し寄せてきた。
「すいません。寝ぼけてました」
「それは良いんだけど、エミちゃん見なかった? 昼休みが終わったのに戻って来ないの」
「確か、コンビニに行くとか言ってましたが」
スマホの時計を確認すると、今は1時半。30分どころか1時間は経過してる事になる。道草を食うにしても遅過ぎはしないか。
「何か連絡でもあるかな……ッ!」
スマホに着信はない。代わりにメールが一通届いており、なぜか寒気にも似た震えを感じた。
すかさず開いてみる。するとそこには、短い本文とURLが貼り付けられていた。
――何だか悪い盛り上がりしてるよ。危ないんじゃないの。
添付されたページに飛んでみると、いつもの匿名掲示板だったが、書き込まれたコメントが異様だった。エミさんの素顔を晒した写真とともに『会社住所はここ。絶世の美少女に会えるチャンス』などといった文面が踊り狂っていた。
連中がどこまで本気か分からない。悪ふざけの可能性は高い。しかし、エミさんの遅刻と無関係とも思えなかった。
「何かトラブルがあったみたいです。探しに行ってきます!」
「分かったわ。私もオルちゃんを連れて行くから、手分けして探しましょう」
僕は会社を飛び出した。思い返せば余りにも迂闊だった。彼女も注目を浴びていたのだから、何かしらの危険が迫っていてもおかしくはない。
せっかく前向きになってくれたのに、年相応の明るい笑顔を見せるようになったのに。彼女の瞳を曇らせてはいけない。その一心から、僕は商店街を目指して駆け抜けた。
「馬の面を被った、あの嬢ちゃんかい? 今日はまだ見てないねぇ」
最寄りのコンビニも、慣れ親しんだ店の主人に聞いても行方は不明のままだ。あれだけ目立つ姿が、誰にも目撃されないとは考えにくい。
「もしかして、別のコンビニに行ったのかな……」
もう1軒あるにはあるが、ここから会社を挟んで逆方向だ。片道何分かかるだろう。少しだけ躊躇して、しかし心にムチを打って走り出した。
息が辛い、強烈な日差しも体力を奪っていく。やがて目眩を感じて、両手を膝について立ち止まってしまった。アスファルトに滴る汗が瞬く間に気化して消えていく。
「あとちょっとなのに、そのちょっとが遠いな……」
弱音は、照り返しで猛る地面に吐き、もう1度背筋を伸ばした。するとその拍子で、視界の端に微かな違和感を覚えた。雑木林の方へ視線を送ってみたところ、目の錯覚では無いと分かる。
「これはエミさんの被り物……どうしてこんな所に!?」
なぜ道から外れたのか。にわかに戦慄を覚えた。そして次の瞬間、何者かが言い争う声を聞きつけ走り出した。
そこは林の真ん中で、資材置場らしき場所だ。物陰に隠れるようにして停まる黒の乗用車、そして後部座席近くのドアで男女がもみ合いになっている。僕はそれを見た瞬間、全身が怒りで燃え上がるのを感じた。
「乱暴はやめろ、その手を離せ!」
男めがけて肩から体当たり。直撃。それで2人は分かれ、地面に転がる。
「エミさんしっかり、走れる?」
「先輩! 助けに来てくれたんですか!」
「ともかく安全な所へ! 近くにエレンさんも居る……」
そう言い終わる前だ。腹に何かめり込む感触があり、貫かれ、そして破けた。足元の力が抜け、膝から崩れ落ちた。眼前には空だけが見える。なぜだろう。僕はここから逃げ出したいのに。
「バカ野郎が、何で刺しやがった!」
「うっせぇ早く車を出せ、警察来る前に逃げんだよ!」
遠い。怒鳴り声も、物音も、何もかもが。
「先輩、しっかりしてください!」
エミさんが泣いている。安心した為か。そうだったなら嬉しい。
「血が……血が止まんないよぉ! 誰か救急車を呼んでください!」
救急車。そうか、怪我をしてるのか。エレンさんならすぐに治してくれる。電話をかければ飛んで来るだろう。
しかし何か言おうにも言葉にならない。胸の所で息が弾けて、発音できない感じだ。体内では破けた感覚が強まっており、全身が枠を外し、泥のように広がっていくようだ。
「え、エレンさん……」
それ以上、僕は話せたのだろうか。それきり目蓋が極限まで重たくなり、閉じた。意識が保てたのもそれまでだ。
あとはただ眠るだけ。目覚めればきっと平和な毎日に戻るだろう。皆と笑い合い、時に軽口を叩く日々が。
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