第21話 あなたに宿る無限の可能性を引き出します

 地響き、そして唸り声。不穏な空気に気づき、身を起こしてみれば暗闇の世界だ。所々に赤や青の光が煌めいている。ダイオードだろうか。そう思って眼を凝らせば、息を荒くする気配まで感じた。


 これは敵意じゃないか。本能から後退り、何かにぶつかって止まった。壁でも背にしていたんだろうか。


「それにしちゃ妙にフワフワ……!?」


 振り返ってみると、暗がりに羽毛に包まれた鳥の胴体が見えた。そして見上げる程に大きく、夜目に慣れたせいかワシの雄々しき顔までも映し出した。


 幸いにも襲いかかる気配はない。しかし瞳に宿る憎悪らしきものは怖気を誘う程に濃く、僕は硬直を強いられてしまう。


「何だってこんな所に」


 その時にわかに思い出した。確か僕は腹を刺されて、林の中で倒れたんだっけ。つまり、ここは死後の世界か。天国とは程遠い光景からして、自分の運命を呪いたくなった。


「僕が地獄行きだなんて……どうして」


 生来の気の小ささから慎ましく生きてきたつもりだ。外を歩く時は歩きスマホをせず、先を急ぐ人に道を譲ったり。お店で食事を終えたら、ごちそうさまと告げたり。そんな僕が罪人として地獄に堕ちるだなんて。


 いや待てよ。もしかすると、子供の時の罪が原因だろうか。


「ごめんなさい! タケトヨ君から借りたゲームのデータを上書きしちゃいました! 反省しますから許してぇ!」


「何を訳の分からんことを。見苦しい、シャンとせい」


「えっ、誰?」


「ワシの姿が見えんか。ならば明るくしてやらねば」


 暗闇が支配する世界に光が灯る。光源は一羽の鳥で、全身を炎に宿しながらも、悠然とした姿で立ち尽くしている。


「どうじゃ、見えるようになったろう」


「鳥が喋ってる……?」


「野暮な事を申すな。魔界に君臨して10万年。言葉を解するなど児戯に等しいわ」


「はぁ、そりゃまぁ、どうも」


「それはさておき、お主に危急の話があってな。こうして皆で集まった訳じゃ」


「皆って?」


「粗忽者(そこつもの)め。回りを見てみい」


 炎の鳥に気を取られすぎて、周囲の状況を把握しきれていなかった。僕を取り巻くようにして、様々な動物が集結していたのだ。


 オルトロスにも似た巨大な犬、全身を岩に覆われた巨人。魚にタコの足が生えたような海洋生物までも顔を見せていた。他にも牛だのなんだのと、数え切れない程に揃い踏みだ。


「ここに居るのはな、お主に食われた連中じゃよ」


「そうなんですか!? すみません皆さん美味しかったです!」


「食われた事に文句なぞ無い。我らも魔人を散々に食らってきた。今更、恨み言などあるものか」


「そう言ってくれると、ちょっとだけ安心します」


「じゃがのう、我らを食らった者が、ナイフ1本ごときで殺されるのはな。貧弱にも程があろう。これでは我らも浮かばれぬというもの」


「僕ってやっぱり死んじゃったんですか?」


「正確には瀕死じゃな。どれ、あちらの様子を眺めてみる事にしよう」


 宙空に青白い窓ができたかと思うと、そこには血溜まりに寝転がる僕の姿。その左右には、声をあげて泣きわめくエミさんと、懸命に治療を施すエレンさんまでも見えた。


「どうやら治癒魔法を唱え続けてるようじゃ。しかし無駄無駄。魔法で治すのなら、治癒ではなく蘇生を唱えねばな」


「あぁエレンさん。僕なんかの為にそこまで必死に……嬉しいなぁ」


「状況を理解しておるのか、お主は?」


 やがて僕の身体は、駆けつけた救急隊員に拐われてしまう。込み上げる怒りが筋違いだと分かっていても、もう少しエレンさんの顔を見たかったと、後ろ髪引かれる想いになる。


「さて本題じゃ。このままではお主、確実に死ぬぞ」


「そうでしょうね……凄い量の出血でしたし」


「早くも兆候が現れておるわい、指先にな」


 その言葉で手のひらに眼をやれば、霞んで消えかけるのが見えた。そして身体の先から溶けるような錯覚があり、慌てて首を振った。すると悪い夢だったかのように、元の姿を取り戻していく。


「魂の霧散が始まったな。かき消そうとする力は次第に強くなる。保って1日という所かの」


「そんなぁ……。ここまでだなんて」


 せめてエレンさんに想いを伝えたかった。フラれても良いから、僕の気持ちを明らかにしたい。しかしそれも後の祭りだろう。


「まだ諦めるな。手は残されておるぞ」


「本当ですか!」


「お主の心に魔法が施されておる。それを捨て去るのじゃ。術者か被術者、あの小娘かお主にしか解けぬからな」


「魔法……そんなものが掛かってるんですか?」


「心を落ち着けて、己の身体を見てみよ。自ずと明らかになるであろう」


 言われた通り、胸元に視線を落としてみた。まばたきを止め、呼吸すらも止めてただジッと。


 すると僕の身体が淡く発光した。いや、輝いてるのは僕を包むローブみたいなものか。


「これが魔法……?」


「精神魔法の一種じゃな。それを脱ぎ去れば、お主と我らを隔てるものは無くなる。同化が完了するという事じゃ」


「そうすれば助かるんですか?」


「無論。そして為さぬのなら、後はゆるやかに死へと向かうのみ。肉体は荼毘(だび)に付され、魂は無明の闇に飲まれる」


 だったら答えは1つだ。しかしどうしても気になる言葉が、最後の関門として立ちはだかる。


「今さっき同化って言いましたよね。もしかして、僕が僕じゃなくなるとか?」


「我らはお主に吸収される側じゃぞ。そんな事出来ようハズもない。もっとも、隙あらば乗っ取ってやろうと息巻くものも居るには居るが」


「……自分を見失わないよう気をつけます」


「よかろう。ならば脱ぎ捨てるのだ」


 もはや躊躇はなかった。生きていたい。生きまたエレンさんに会いたい。その一心から、光り輝くものを脱ぎ捨てた。


「フム。軟弱者かと思えば、心意気はなかなか。連中の眼に狂いは無かったのだな」


 突然視界が歪み、右へ左へと回り始めた。自分が立っているのか寝ているかすらも分からない。


「その意志の強さを忘れるでないぞ。ゆめゆめな」


 最後の言葉は妙に明瞭な響きだった。そして意識は闇に飲まれた。


 どれくらいジッとしていたのか。ようやく悪酔いが治まり、自分という存在が確たる形を得た感覚もある。すると次に感じたのは退屈さだった。続けて寂しさ、肌恋しさまでこみ上げてくる。


 誰かに会いたい。そう思って記憶が鮮明な光景を呼び覚ました。


「そうだ。エレンさんに会いに行こう」


 すると待ち受けたかのように、視界の端が白み始める。


 眼に鋭い痛み。しかし懐かしい。そして光を、色を取り戻した僕の瞳は、少しずつ眼前の光景を読み解いていった。


(一面がベージュ色。建物の天井かな)


 指先は動く。足もだ。じゃあ身体も起こせるなと、腰を折り曲げると光景が変わった。部屋を仕切るカーテン、その端から見える純白のシーツ。


 ここはきっと病院だろう。僕が横たわるのも病院のベッドに違いない。


 そして左右を見れば、憔悴しきった少女の顔がある。エレンさんじゃない。この子の名は確か……。


「エミさん。随分と疲れた顔してるね。僕の代わりにベッドで寝るかい?」


 ボンヤリとした瞳が徐々に開いて、驚愕に染まる。僕は変な事を言っただろうか。ただ休んでもらおうと思っただけなのに。


 そんな事を考えていると、エミさんは椅子から転げ落ち、出口に向かって駆け出した。今にもつまづきそうな足取りで。


「エレンさんーーッ! 先輩が眼を覚ましましましたよぉぉ!」


 先輩。それは僕の事だ。彼女は僕の面接で雇ったのだから、後輩に当たる。当たり前の事実を確認するように、いちいち思い浮かべてしまう事が妙に面白い。そして吹き出してしまう。こうして笑えるのも生きているからか。


 窓の向こうは快晴だ。セミが、自分の仕事を全うしようと、しきりに鳴き続けている。僕にも僕の役目がある。だから生き延びた。そんな想いが心の上層を支配していた。

 

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