第22話 ベテランの予想を超えてください

 部屋の入口付近、そこは病院とは思えないほどに騒がしくなった。原因はやはりウチの人達で、エミさんが困惑するエレンさんを引き連れてやって来た。


 エレンさんは買い出しか。両手には1本ずつペットボトル飲料がある。瀕死だった僕の分が無いのは、まぁ当然か。


「ほんとだ……マジマくんッ!」


 少し湿った笑みを浮かべたエレンさんが飛んだ。そして僕の胸元に頬を寄せながら、歓喜の声をあげた。


「もうダメかと思った! でも何で、凄い元気じゃない!」


「あぁ、僕もよく分からないんですけど。多分治りましたよ」


「いったいどうして……。あら? 何か硬いものが」


「エレンさん、先輩のどこが硬いんです?」


「ちょうど、おへその下辺りなんだけど……」


 首を傾げたエレンさんが僕の下腹部を確かめようとした。慌てて寝返りを打って転がり、隠れながら自分でチェックする事に。


 下世話な事ではない。赤みを帯びた包帯をコッソリ外して傷口を見たかったのだ。


「なんだ……これ?」


 皮膚を割かれた後があるのは分かる。しかし、その内側にあるのは筋肉ではない。まるで壁でも自生したかのように、無機質なものが傷口を塞いでいた。触れてみるとむず痒い。質感は岩に似ていて、表面は滑らか、とかいう考察はノンキすぎるか。


 僕の身体に何が起きてるのだろう。何も分からないが、少なくとも人間の範疇に無いことは明らかだった。


「大丈夫? やっぱり傷が……」


「いえ! 痛くは無いんですがね、触るのは良くないから控えて欲しいかなぁなんて!」


「そうよね、ごめんなさい。軽率だったわ」


 エレンさんは肩を落として、桃色の髪が垂れた。憂いを滲ませて伏せた瞳も美しい。口先だけじゃなくて本当に反省してションボリする顔は、愛おしいなんてもんじゃない。


 そうだ、見惚れてる場合じゃない。彼女に伝えなくては。心に浮かぶ言葉は何にも憚(はばか)る事無く、すんなりと素直に飛び出した。


「ねぇエレンさん」


「何かしら?」


「好きですよ、あなたの事が。出会った日からずっと」


「それって、どういう……?」


「もちろん1人の女性として、好きです」


 その台詞が世界を止めた。隣のエミさんは笑顔のままで硬直し、ペットボトルの蓋に添えた手を止めている。


 そしてエレンさん。まず驚きに見開いた眼が、徐々に細められていく。眉間に微かなシワが刻みつけられ、口角も徐々に下がった。笑顔と呼ぶには程遠い表情。それが答えの半分だった。


 残り半分は、去りゆく背中とともに知ることになる。


「ごめんなさい。その気持ちには応えられないの!」


 エレンさんは叫んだ途端、どこかへと走り去ってしまった。


 これはフラれたのか。聞き間違い、勘違いの可能性を探ってみた所、望みはゼロ。拒絶以外の何物でもない。


「ダメだった……かぁ」


「先輩、そりゃそうですって。さっきまで死にかけたかと思えば、いきなり愛の告白だなんて。エレンさんは、私もですけど、付きっきりで看病してたんですよ? 困惑するに決まってるじゃないですか」


「いや、なぜか、伝えなきゃいけない気がして……」


「もしかして恋愛下手なタイプですか? もう少し場所を考えて、ムードを高めないと。せめて屋上に移動するとか」


 僕はどうして焦りを覚えたんだろう。出来るだけ早くみたいな、強迫観念に突き動かされた感覚がある。


「恋愛に慣れてないんなら、私が練習相手になっても良いですよ?」


 確かに強引すぎた気もする。エレンさんの心境も考えるべきだった。


「例えばですね、壁際で迫られると、結構ドキドキしますよ。壁に手を着かれでもしたら最高です」


 謝るべきか。いや、それは違うか。僕は本心を語ったのだから、もっと別の手段を取るべきだ。


「ああっ。私としたことが、何て事! 手頃な壁を背にして立ってしまうだなんて!」


 ともかく何か対策を考えよう。関係がこじれたままは辛いし、何よりもエレンさんと疎遠になるのは堪えられない。


 ちなみに程なくして、僕は退院した。夜のうちには傷口どころか、皮膚までもが塞がって、キレイさっぱり完治してしまったからだ。


 それを目の当たりにした医者は眼を白黒させた。そして両腕を開いたかと思うと、飛行機の真似をしながらどこかへと立ち去ってしまった。お医者さんも大変だ。こんな事を切っ掛けに我を失ってしまうくらいに。


 退院翌日の木曜日。僕はスーツを着込むと、取り繕いについて決めた。


「よし。あの言葉は、ちょっと冗談でした、でいこう!」


 本当は誤魔化したくない。でもそれ以上に、エレンさんとの不和は辛い、と言うか堪えられない。おどける事で互いの溝を緩和出来るなら、今はそれでも良い。


 電車とバスで揺られる間も頻繁にシミュレート。より効果的な言い方、身振り手振りは何か。探求心は尽きない。


 しかし、そうまでして考え続けたのだが、出社して間もなく肩透かしを食らってしまう。


「あれ? アネッサさん……」


 玄関の内鍵を外してくれたのはエレンさんでは無かった。


「おうマジマか。半日かそこらで病院から舞い戻るとは。お陰で特製の傷薬が無駄になったわ。大急ぎで作りはしたものだが」


「ええと、エレンさんは?」


「あやつなら休みだと聞いておる」


「そっか。お休みかぁ……」


 これは僕のせいか。いよいよ罪悪感がこみ上げてくる。あんな風に、向こう見ずに言うべきじゃなかったと。


 仕事はあまり身が入らなかった。しかもエレンさんだけでなく、魔王様やモーリアスさんの姿さえ見かけなかった。業務そのものは回るけども、寂しさは強烈だった。


「先輩。何だか部屋が、広く感じちゃいますね……」


「ほんとだよ。普段は手狭に感じてたのに」


 昼ごはん、何を食べたか覚えてない。たまに柱時計が鳴いて、やがて定時を迎えた。見送りはアネッサさん。エミさんと並んで帰る間、やはり会話は弾まないままに帰宅した。


 翌日の金曜日。今日こそは会えるかと期待したけど、出迎えからして昨日と同じ。エレンさんは居ないようだ。


「ここまで避けられるだなんて、よっぽど嫌われちゃったかな……」


 両足を引きずる思いでデスクへ。昨日をトレースかたかのように無人だ。しかしパソコンに1枚の紙が挟み込まれている事に気づき、真っ先に飛びついた。


 ピンク色の便箋。そこには、少したどたどしい筆跡ながらも、明瞭な文章が綴られていた。


◆ ◆ ◆


マジマくんへ。

この前は急に飛び出してしまってごめんなさい。

あの時も言ったけど、その気持ちに応える事は出来ないの。

なぜならそれは偽りの想いだから。

あなたが抱いている感情は、幻だから。


まだ覚えてるかな、面接の日の事。

緊張するあなたにかけた、おまじないの事を。

あれね、実は魅了の魔法だったの。

あの頃は大勢の面接者に逃げられちゃって、どうにか捕まえなきゃって思って。

だから魔が差して、あなたを虜にできるよう、魔法をかけてしまった。


怒られて当然、恨まれても文句言えないと思う。

でも、好きだと言ってくれた事は嬉しかった。

あなたは真面目で、頑張り屋で、そしてとても優しい。

真剣に仕事に打ち込む姿を見るうちに、少しずつあなたの存在が大きくなっていった。


でも所詮、私は魔人。

人間のあなたに相応しい訳が無い。

もっとお似合いの女性が見つかるハズだから。


魔界は今、大変な事になっています。

だから私、これから前線に行きます。

もう会うことも無いでしょう。

私が居なくなった後も、魔人に力を貸してくれたら嬉しいな。


それでは、お健やかに。


エレン・マックライト


◆ ◆ ◆


 言葉はそこで終わっていた。


「何だよ、それ……!」


 指先が、声が震えているのが自分でも分かる。そして次の瞬間には椅子を蹴倒し、部屋から飛び出していた。


 この想いが偽物。魔法が魅せた幻。もう会えない。エレンさんは戦場へ。廊下を駆ける間ですら、様々な言葉が目まぐるしく踊り、消えていく。


「先輩、おはようござい……キャアッ!?」


 僕は無心に駆けた。目当てはアネッサさん。ドアを開け放ち、その姿を確認するなり吠えた。


「アネッサさん。魔界へ連れてってください!」


「やはりな。こうなると思ったわ」


 彼女は突然の申し出に、怒りも驚きもしなかった。言葉通りに想定済みの事だったらしい。


「分かってるなら話は早い。僕を魔界に……」


「それよりも、まずは事実確認からじゃ。エミも、そこに突っ立っとらんで近う寄れ。大事な話をするからの」


 通路から不安げな顔を覗かせたエミさんは、やがて僕の隣まで歩み寄った。


 それよりも事実確認とは。尋ねようとする前に、アネッサさんは手のひらを掲げ、楕円を描いた。すると虚空に蒼い鏡のようなものが出現し、どこかの風景を映し出した。見切れてはいるが、魔王様の顔も見える。


「ポロンよ、聞こえるか。お主らは何を始める気じゃ?」


「アネッサか。今は取り込み中だ。話なら後日にせよ」


「では簡潔に聞こう。エレンは今どこに居る」


 その言葉に魔王様は口ごもったが、押し殺したような声で答えた。


「ここ数日、魔獣の攻勢が急激に強まった。所々で戦線が半壊する程に。エレンには東部方面を委ねる事にした」


「東部、ならば敵は巨獣種か。あやつの手に余るのでは?」


「ワシも止めた。しかし彼女は頑なだった。罪滅ぼしだとしか聞いておらんが、何か覚悟を決めた顔をしていた」


「ポロンよ。このままではエレンが危うい。そなたが助けてはやれんか?」


「ワシとモーリアスは北部に居るが、こことて危険だ。ひとたび戦線が崩れれば10万の民が襲われてしまう」


 余裕の感じられない声。それに被せるようにして、遠くから悲鳴混じりの叫びが響いた。


「魔王様、間もなく右陣が破られます! 持ちこたえられません!」


「モーリアス隊を救援に向かわせる、それまで凌げ! ここが正念場だと心得よ!」

 

 ここで鏡らしきものは消えた。通信が途切れた感じだろうか。


「マジマよ。魔界は今、危機に瀕しておる。ゆえに貴様を連れて行くわけにはいかぬ」


「どうしてですか! エレンさんに会わせてくださいよ、しかもピンチなんでしょう!?」


「たわけが。ピクニックに行くのとは訳が違う。獰猛な獣相手に命のやりとりじゃ。ひ弱で

、平和ボケしたニンゲンなど足手まといにしかならんわ」


「だったら行き方だけ教えてくださいよ。後は自分で何とかします」


「ハァ……。ここまで予想通りとは」


 アネッサさんは人差し指を突き立て、先端を輝かせた。次の瞬間、僕の視界はグニャリと歪みだした。意識がうねりに飲まれるような感覚が、少しずつ思考を濁らせていく。


「いったい、何を……」


「先輩、大丈夫ですか!?」


「安心せい、ただの精神魔法じゃ。しばらく眠っておれ。やかましくて敵わん」


「クソッ。こんな所で……!」


 うねりは時間を追うごとに大きくなり、意識が途切れ途切れになる。だが、僕は直感的に抗った。乱された魔力の波と同程度の魔力で反発させれば良い。


 歪む視界に惑わされずに、精神を集中させた。それほど待つ事もなく魔法は効力を失った。


「まさか……妾の魔法に対抗したと!?」


「アネッサさん。お願いします、僕は魔界に行きたいんです」


「フフッ。さすがに予想できなんだわ。その力はもしかすると……」


「もしかすると、何ですか?」


「いや、今は言及するには時期尚早。じゃが魔界には招待してやる喜べ」


「本当ですか!?」


「よかろう。してエミよ、貴様はどうするのじゃ?」


 僕から外れた視線が隣へ飛ぶ。エミさんは困惑しきりの顔色だが、すぐに引き締まる。


「私も連れて行ってください。1人残されるなんて嫌です」


「身の安全を保証できんが、良いのか?」


「エミさん、君はここで待っていなよ。危ないから」


「いえ、私もここの社員です。困ってるなら助けに行かなきゃ! それに……」


「それに?」


「先輩って意外と抜けてるから、私がサポートしてあげないと」


 その言葉で話は決まった。


「まぁエミも魔法の才があると聞く、大きな問題は無かろう。3人で向かうのじゃ」


「どうやって魔界に行くんですか?」


「反対側の部屋にワープゾーンがある。それを使えば……」


「分かりました、急ぎましょう!」


「ま、待て! 準備くらいさせんか!」


 僕はアネッサさんの腕を掴み、アネッサさんは革袋を掴み、向かい部屋へと駆けた。ここはいつぞやの宇宙空間らしき場所。魔界に繋がっていたのか。どうりで皆は仕事上がりにここへ来るはずだ。


「エレンさん、今行きますから!」


「だから準備をさせよと言っとるじゃろうがぁぁーーッ!」


 漆黒の闇に飛び込む3つの影。援軍と呼ぶには小規模すぎる僕達は、今、現世から飛び立った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る