第14話 弊社の愉快なスタッフをご紹介します
新人のエミさんは期待以上の人材だった。どんな雑用も嫌な顔せずに応じ、誰よりも早く率先して動こうとする。ここ最近は愛想も格段に良くなった。面接の時を思えば別人のようだ。
「先輩、今日は何をしましょうか!」
僕の隣で満面の笑顔が咲く。そこまでの期待に応えられる業務は、今の所持ち合わせていない。
「ほうほう、メールチェックですな。社会人のタシナミっていう」
「まぁ僕の場合、来る方が稀なんだけどね」
「そうなんですか?」
「社内メールなんてほとんど無いから、求人用にしか活用してないんだ。やっぱり何も無いや」
そう、あの面接以降の反響は皆無。冷やかしのメールすら事欠く有りさまで、例の掲示板も更新がない。つまりは飽きられた、という事だ。
「参ったなぁ。もう1人2人くらい集まるかと思ったけど」
「私以外に無かったんですか?」
「まぁね。結局イジられてお終いかぁ」
「先輩、諦める前に考えましょうよ。2人で手を合わせれば、きっと名案が浮かびますって!」
「う、うん」
思わず怯むほどのポジティブ。やはり彼女は、気兼ねなく出歩けるようになってから変わったのだろう。たぶん良い事だ。
「目的は単純でさ、大勢の人を雇いたいんだ」
「なるほど。大量採用ってやつですね」
「でもウチって特殊過ぎるじゃん。募集要項に本当の事は書きづらいし、書いても信じて貰えない」
「まぁ確かに、独特な事やってますよね」
「ちなみにだけど、エミさんはホームページ経由で応募してくれたんだよね。あれを見てどう思った?」
「ええと、私みたいなのでも雇ってくれそう……とか」
「つまりは敷居の低さを感じたのかな」
「いえ、敷居はメチャクチャ高いですよ。でも何て言えば……高いのに緩そうな感じ?」
さっぱり分からん。エミさんもむず痒い表情を浮かべた後、最後はペカァと微笑んだ。説明を諦めたらしい。
「敷居が高いってのは少し心外だなぁ。ここの人達は基本的に良い人ばかりなのに」
「じゃあ、それを発信してみませんか? 皆さんの素顔ってのを」
「一体どうやって?」
「スタッフブログとかあるじゃないですか。そこで皆さんの日常を書いてみましょうよ」
確かに良い案かもしれない。トップページには既に皆の写真を載せているし、画像はイメージっていう予防線も張っている。ブログの掲載も問題ないだろう、たぶん。
そうと決まれば早速撮影だ。スマホを手にして席を立った所、ちょうど魔王様の楽しげな声が聞こえた。
「裏庭に居るみたいだ、行ってみよう」
「そうですね。今なら良い写真が撮れそうです」
足早になって倉庫の裏口から向かってみれば、ドアを開けた途端に突風が吹き込んできた。頬を打つ砂や小砂利に堪えていると、耳にやかましい程の盛大な声を聞いた。魔王様の愉快そうな声が。
「グワーーッハッハ、どうしたオルトロスよ。全力で来ても構わんのだぞ!」
裏庭では飼い主とペットが激しい戦闘を繰り広げていた。いや、これはもしかすると遊んでいるのかもしれない。一般家庭でもペットとジャレつく光景は珍しくない。
しかし眼前の光景の違いと言えば、両者ともに黒い何かを身にまといながら駆け回っている事か。それっぽく言えば漆黒のオーラとか、そんな単語が似合う姿で。
「オルちゃん楽しそうですね。尻尾がブンブンですもん」
「まぁ、微笑ましい光景……なのかな?」
「どうします。1枚貰っときます?」
「いや、止めておくよ。これじゃあ特撮映画のワンシーンにしか見えないし」
今も魔王様はオルトロスと正面からぶつかりあっている。相撲だかプロレスのような動きは、もはや遊びの域を越えた大スペクタクルだ。悪魔の頂上決戦みたいなタイトルがお似合いで、ブログの素材には不向き過ぎた。
「中へ戻ろう。ここに居たら巻き添えを食うだろうし」
「分かりました、そうしましょう」
仕事場に戻れば、立ち位置の関係から真っ先にモーリアスさんの姿が見える。ソファでごろりと横になり、呑気にも眠りこける姿が。
「いっつも寝てるよなぁこの人は」
「先輩。とりあえず撮っちゃいます?」
「こんなシーンなんて使い所がない……」
その時、身も凍るような体験をした。モーリアスさんのだらしない寝顔が、徐々に歪んでいき、やがてコウモリのそれになった。そこで終わらず、今度は逆再生したように、人の顔に戻っていく。
「ひぃ、何だよコレ!?」
「マジマくん、どうしたの? 大きな声だしちゃって」
「エレンさんん! モーリアスさんがヤバイんですってぇ!」
「ヤバイって、いつも通り寝てるだけじゃない?」
「そうじゃなくって顔、顔! なんかグニャグニャしてて気持ち悪いですよ!」
「アハハ。これは寝ぼけて変身を繰り返してるだけよ。別に大した事じゃないわ」
エレンさんは笑って告げると、手にした紙束をデスクに置いた。ドスンと音が響く程度には大量だ。仕事で使うにしては妙に彩り豊かで、別の用途にしか見えない。
「その紙は何ですか?」
「これ? 近い内に町内会でイベントがあるんだけど、そのポスター製作を任されたの。魔界の制作部に見せたらすぐに対応してくれてね、雨風でも発色が落ちない品質なんですって」
「へぇ、そうなんですか。そして、町内会の仕事が回ってきたんですね」
「人間世界に溶け込むには、色々とサービスしなきゃね」
「それはそれとして、エレンさん。求人絡みで写真が必要なんですよ。仕事風景を1枚だけ撮らせてもらえますか?」
「構わないわ。その代わり、ちゃんとキレイに撮ってくれる?」
「もちろんですよ、エヘへ……」
エレンさんをキレイに撮るだなんて、この世界で、いや人類史上において最も容易なミッションだ。この完璧過ぎる美女はどんな角度からでも美しくなってしまう。それこそ、鼻の穴を覗き込むようなアングルであってもだ。
鼻毛や汚れなんぞ写るものか。仮に写り込んだとしても、同時に天使がヒョッコリ顔を見せるような、不浄には程遠い光景を眼にするだろう。
ひとまずスマホを構えて失礼を。液晶越しに見た彼女の顔は曇っていた。憂いの強い表情。これはこれで素晴らしく、額縁に飾って毎朝毎晩眺めていたい気分になるが、あくまでもブログ素材だ。ここは1つステキ笑顔を披露していただきたい所。
「どうしたんですエレンさん。何か問題でも?」
「このポスターなんだけどね、ちょっと手違いがあったみたいなの」
「手違いですか、困りましたね」
「ほら、人間の言葉って、特に日本語って難しいでしょ? ひらがなカタカナに漢字まであって。私もあまり詳しくはないんだけど、コレは間違いだと思うの」
「ちょっと見せて貰って良いですか?」
「もちろん。ちなみにイベント名は『世にも珍しい新種のチンアナゴを見に行こう』なんだけどね」
僕は覗き込んだ瞬間に戦慄した。何せゴからは濁点が消え、しかも位置まで変わっていたのだから。
「私も日本語には自信がないけど。コレだと、世にも珍しい新種の、チンコア……」
「わぁぁ! そんなもの読み上げちゃダメですって!」
卑猥ダメ、絶対に。麗しき瞳から汚物を遠ざけるべく、印刷物の全てを抱えて回収だ。
「この案件は僕に任せてください。こっちのは使えないんで捨てちゃいますね」
「あらほんと? じゃあお願いしようかしら」
「僕達は別件あるんで、失礼しまぁす!」
転がるようにして廊下へと飛び出した。謎の汗がスゴイ、夏本場でもないのに。
「先輩、それどうするんです?」
「今日はゴミの日でも無いしな。倉庫の隅にでも置いておくよ」
「じゃあ置いてきましょうか?」
「ありがとう助かるよ」
「えっ。私の眼には触れて良いんですか?」
「それは何のこと?」
「別に。何でもないですぅ」
エミさんは僕から紙束を引ったくると、力強く倉庫のドアを開けて、中に消えた。急激に機嫌が悪くなったみたいだけど、なぜかは分からない。
それから戻った時はもう普段どおりだったので、僕の気のせいだったと確信する。
「先輩、結局まだ写真撮れてませんけど」
「じゃあエレンさんにもう1度お願いして……」
その時背後のドアが開き、そのエレンさんが通路を駆けていった。そして宇宙空間を思わせる部屋の中へ入り、出てくる気配を見られなかった。
「ええと、アネッサさんの所へ。あの人も見た目は可愛らしいし」
「そうですね。行ってみましょう」
そうして部屋の前までやって来ると、珍しくも煙が収まっていた。不在かなとも思ったけど、人の気配は感じられた。何やら話し声がする。
来客中かな。とりあえず控えめにノックをして入室した。するとそこでは、アネッサさん独りきりで、感動的と思しき舞台を演出していた。
「あぁダメオ、あなたはどうしてダメオなの」
「黙って、このまま言いたい放題させてやろうか。それとも他の連中のように……」
一人二役の芝居がここで止まる。世界が静止したのは、僕たち来訪者を見て演者が凍りついたからだ。
「あっ、どうも。お取り込み中すみません」
「なっ、ななっ、なんじゃ貴様らぁ!」
アネッサさんは壺に隠れつつ叫んだ。近くの床に読みかけの漫画が落ちており、何となく経緯について想像が出来た。
もちろん真相を尋ねる勇気は無く、しかも向こうから先に話し込んできたので、追求の道は自然と閉じてしまう。
「良いか、今見たことは決して他言するな、即刻忘れよ! 仮に漏らしたとしても、軽口のモーリアスにだけは口を滑らせるなよ分かったか!」
「えぇ、分かりまし……」
「その変わりに妾の魔力を特別に、ほんの少しばかり分けてやる。何百年にも渡って練りに練った極上級の魔力じゃ、光栄じゃろうが喜べ!」
「いや、魔力なんて貰ってもなぁ。使い方わかんないですし」
「ならば我が一族秘伝の術式を教えてやる。これはスゴイぞ、頑張り次第では貴様好みの合成獣やら使い魔を作り放題じゃ喜べ!」
「いや、それも要らないですって」
「じゃあ何を条件にしろと申すのじゃ!」
「えぇ……? 別にそんなもの要らないですよ、ちゃんと秘密にしますって」
「信用できるか、見返りもなしに約束など守られるはずがないわ!」
これは僕の信頼度が低すぎるのか、それとも彼女の性格によるものなのか。真偽のほどはさておき、ちょうど良い条件がある事に気付いた。
「じゃあ写真を撮らせてくださいよ。お仕事中のを1枚だけ」
「写真じゃと……!」
「普段どおりで結構です。調合とかやってるシーンのどこかで撮影させてもらえれば」
「嫌じゃああ! それだけは嫌じゃああッ!」
「どうしてですか! 魔力とか秘伝よりずっとお手軽でしょ!」
「何を申すか、魂を抜かれるからに決まっておろうが!」
何て前時代的で非科学的な事を言うのか。でも考えてみれば、アネッサさんは長寿のようだし、そもそも存在からして科学の枠から飛び出している。有りもしない迷信に従うのも仕方のない事なのか。
しかし彼女には撮影した実績がある。タブレットには確かに何枚か残されているのだ。その事実を根拠にお願いしても、アレはエレンが上手いことやったのだと言って譲らない。
どうしようかと途方に暮れる気持ちになるも、こちらとて後が無い。その結果考えだしたのは共同作業パターンだ。
「分かりました。僕も一緒に写りますから。それで安心でしょ?」
「貴様とぉ? 大丈夫かのぉ?」
「心配いりませんって。ほら、壺の前に立って」
「ムムム……何かあれば承知せぬぞ」
「じゃあ今日一番の笑顔で」
「こんな状況で笑えるか!」
「エミさん、撮影お願い」
そうしてやっと1枚パシャリ。仕上がりを確認してみれば、歯を見せて笑う僕の隣で、目つきを鋭くするアネッサさんが写されていた。これは職場風景というより、嫌がる姪と記念撮影に踏み切った叔父の様に見える。
「どうだろ、これ」
「うぅん。微妙ですが、アネッサさんは可愛らしいので、見栄えは悪くないかなと」
「でもさ、もっと良いの撮れるんじゃないかな。角度を変えてもう1度……」
「1枚だけという約束じゃろうが、出て失せよ!」
部屋を追い出された僕達は、仕方なく1枚だけの成果で臨む事にした。ブログの記念すべき第一弾。反響も何もわからないので、写真とともに『職場の風景をご紹介』という見出しに始まり、当たり障りのない文面を添えての公開。
「先輩、上手くいきますかね?」
「どうだろ。注目度は下がってるから、あまり期待しない方が良いよ」
などという予測は完全に裏切られた。更新して30分もしないうちにコメントが付いたからだ。
喜び勇んで確認してみる。ウチの会社に何か興味を持ってもらえれば。そんな想いを胸に、ページに書き込まれたコメントを、理解に苦しむ文字列を凝視した。
――すっげぇ美少女じゃん! 付き合いたい!
第一号がこれか。先行きが思いやられると苦笑すれば、更なる洗礼を受ける事になる。怒涛のように押し寄せるコメントによって。
――誰これ、女優さん? 美少女すぎん?
――オレ別にロリコンじゃないけど、この子はタイプど真ん中。
――控えめに言って結婚したい。
――拙者、美しき少女大好き侍。この娘に虐げられたく候。
肌にゾワリと鳥肌がたった。送信者にすれば何気ない言葉かもしれないが、こうして一身に浴びてしまうと圧力が凄まじい。
「先輩、これ……」
「削除だ。今すぐ取り下げよう!」
取り急ぎページを非公開にして、被写体をエミさんに変更。馬面を被り、デスク傍でシャンと立つというシュールなものに。アネッサさんの噂を聞きつけてやってきたユーザー達は、お目当ての画像が無いと知るや、ささやかな罵倒を残して去っていった。
それからは当面の間、ウェブの随所を注視。どうやら迅速な対応が幸いし、アネッサさんの画像が広まる事は避けられたようだ。掲示板連中も、画像を落とすまではしておらず、無いぞ無いぞと騒ぐばかりだ。広大な電子の海に画像が流れる事態は避けられたのだ。実名を伏せたことも幸いしたかもしれない。
本当に良かったと胸を撫で下ろした。もし大事になっていたら、アネッサさんに何をされたものか。
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