第13話 業務を通じて悩みが解決することも

 エミさんは追跡から逃れた後は、社屋の傍でへたり込んでいた。うつろな瞳のままで荒い息をついている。まず謝罪から始めるべきだろう。


「ごめんねエミさん、まさかこんな事になるとは知らなくて」


「先輩は悪くないです。気にしないでください」


「ずっと走って逃げてきたのかな。じゃあ疲れたよね、しばらく休んでも……」


「いえ、もう大丈夫なんで」


 エミさんは1度大きく深呼吸すると、素早く立ち上がった。華奢な見かけに似合わず頼もしい振る舞いだった。


「じゃあ中を案内しようか。突き当りが仕事場、右奥が倉庫部屋で、その1つ手前がアネッサさんの作業場だよ」


「何だか焦げ臭いんですけど。煙も出てるし……」


「まぁ、いつもの事だから。火事じゃないから安心して。左手前は応接室で、1つ奥がお手洗いだね」


「お手洗いの隣にある部屋は何ですか?」


「ここはねぇ、僕も詳しくないんだ」


 僕も入ったことのない場所だ。定時を迎えると、モーリアスさんとかが入る部屋だけど、寮みたいなものだろうか。それにしては生活感の感じられないドアなんだが。


「気になりますね。誰も居ないっぽいですし、ちょっとだけ失礼を」


「待って、無断で開けるのは……!」


 半開きになったドアの向こうには、この世のものとは思えない光景が広がっていた。空間を切り取ったかのような漆黒の闇、そして正面には、様々な色をした球体が宙に浮いており、列を為しつつ円の軌跡を描いている。まるで公転する天体だ。


 極めつけは謎の呻き声。苦しんでいるような、誘っているかのような響きが寒気をもよおす。そんな未知なる体験をしたところでドアを閉めた。


「ほら、何ていうか、勝手に入るのは良くないから」


「そうですよね、ごめんなさい」


 見てはいけないものを見てしまった。そんな罪悪感を抱きつつ、仕事場へとやってきた。


 時刻は9時前。そこにはエレンさんが居るのみで、モーリアスさんはもちろん、魔王様も来ていない様子だった。


「エレンさん、オルトロスの餌やり行ってきますね」


「だったら私も行こうかしら?」


「大丈夫ですよ、任せてください!」


 ここは数少ないエレンさんへのアピールシーンだ。それがワンコの世話というのが、何とも情けないような。


 それでも貢献は貢献だ。倉庫に向かい、手桶に餌を敷き詰めて運ぼうとした。しかし、そこでエミさんが横から取っ手を握りしめた。


「私がやりますよ、代わってください」


 なぜか既視感。思い返せば、僕も同じ態度だったか。


「凄く重たいんだよ。たぶん、持ち上げるのも大変じゃないかな」


「これくらい平気……ふぬぬ! ふんぬぬぬッ!」


 顔が赤くなるばかりで桶は1ミリも浮かび上がらない。そして彼女が困惑の表情に変わった事も、懐かしく感じられる。


「何でこんなに重いんですか、おかしいですよね?」


「それに関しては同意するよ」


 結局は2人で運ぶ事に。エミさんは分担してどうにか、という有様なので、今後も僕が餌やりを担当すべきだろう。


「オルトロスに餌をやる時はコツが要るんだ」


「そういうのが必要なんですね」


「アイツはどでかい図体で飛びかかってくるから、呼んだら横に避ける」


「避ける、どんな風に?」


「左右の空いてる方にスッと飛ぶ。一回試しに、せーーので飛んでみようか」


「せーーのの、のですか? それとものっですか?」


「どっちでも良いけど、のっの方で」


「分かりました、お願いします」


 左は社屋だ。今回は右の方へススッ、と飛んでみる。エミさんの動きは悪くない。そう判断した上でいつもの様に呼び声をあげた。


「おぉいオルトロス、ご飯だぞーー」


「ここで、せーーのッ!」


「待って早い早い!」


「えっごめんなさい!」


 僕達は折り重なってその場に転がった。これだと下手すれば前足で踏まれかねない。背筋が凍る思いで身を起こしてみれば、オルトロスは普段と違う顔を見せていた。


 手桶の前で静かに佇み、ゆっくりとした足取りで歩み寄ってくる。そしてエミさんの傍で頭を垂れた。首元を見せつけている事から、撫でろというゼスチャーのように思えた。


「えっと、触って平気ですか?」


「たぶん、大丈夫……かな」


「よしよし。いい子ね、優しい眼をしてる」


 オルトロスは初対面でも構わず、首筋に触れる手を受け入れた。そうか、お前は女好きか。僕と打ち解けないのは平気だけど、露骨な贔屓には腹立たしくなる。


「ところでエミさん。怖くないのかい?」


「えぇ、別に。大きなワンちゃん」


「顔が2つ付いてるけども」


「便利そうですよね、お肉を食べる時とか」


「……そういう解釈もあるのか」


 僕はふと、頭が2つに増殖したエミさんを想像した。ニコヤカな笑顔で「骨付き肉食べる時に手が汚れないんですぅ」とか言うイメージを。にわかの妄想だ。余計なものを振り払ってから社屋へと戻った。


 それから午前中は雑用に終止した。山のように積まれた紙をファイリング、あるいは穴あけパンチと紐でまとめる。2人がかりで臨んだけども、半日で終わる量ではなかった。当面はルーティンに組み込む必要がありそうだ。


 やがて柱時計がキェーーッと正午を告げた。昼食の用意をしなくてはならない。


「エミさん、お昼はアネッサさんが作ってくれるから。これから一緒に取りに行こう」


「え、えぇ。そうですか」


 彼女は時計のネズミが気になったようで、チラチラと視線を送っている。その反応もかつての自分と重なるようで面白い。分かる、分かるよその気持ち。全然可愛くないよね、あの仕掛け。


「アネッサさんはいつもココに居るよ。倉庫部屋の隣ね」


「あの煙の出てた部屋ですね?」


「まぁ、そんなに危なくないよ、たぶん。それに彼女は理知的というか、見かけの割にしっかりしてるから」


 そこでドアを開けようとしたところ、かつて聞いた事のない笑い声が伝わってきた。


「イィーーヒッヒ、イェーーッヒッヒ!」 


 声は1つ。1人だけの大爆笑。本当にアネッサさんなのか疑いたくなる奇行だった。


「理知的、なんですよね?」


「もちろんもちろん、今のは何かの手違いだろうさ」


 ノックとともに押し開けると、やはりそこにはアネッサさんが居るだけだ。出迎えは胡乱(うろん)な瞳、アゴを大壺の縁に乗せ、声も気だるげだ。


「おうマジマか。何の用じゃ」


「要件は2つ。お昼を貰いに来ました。それと新人が入ったので紹介します」


「エミです、よろしくお願いします……」


「フン。誰が出入りしようとどうでも良いわ。それと料理なら出来ておる、勝手に持って行け」


 部屋の隅に寄せた机に、サンドイッチで彩られた大皿がある。整った形はあまりにも美しく、ここまで魔法で出来るものかと感心した。


「ボヤボヤするでない。さっさと持っていけ」


「ところでアネッサさん。さっき凄く笑ってましたけど、何かあったんですか?」


「またか貴様。要件が増えておるぞ」


「まぁまぁ、そこを教えてくれたら帰りますから」


「……ニンゲンごときに理解できるとは思えんが」


 口でそう言いながら、アネッサさんは羊皮紙を広げた。魔界の知人から届いた手紙との事で、文面を読み上げてくれた。


「さる名高き名将の息子がグウタラ者でな、勉学も剣術も疎かにし、怠惰を貪る日々を送っていたそうじゃ。その結果、しびれを切らした父親に追い出されてしもうた。僅かな金だけ持たされてな」


「へぇ、魔界にもそういうエピソードがあるんですね」


「真面目に働くことを期待したそうじゃが、そうまでしても倅のグウタラ癖は治らん。楽して稼げる手段を求めて旅に出た。飢えや寒さに散々苦しめられつつも、ついにクロコガネの巣を見つけたかと思いきやブフッ、なんと!」


「なんと……?」


「そこはクロコダヨネの巣だったではないか、イェーーッヒッヒ! 欲をかいた結果じゃ、やはり一攫千金を目論むとロクな目に遭わんものよなぁ!」


 床を叩いてまで笑い転げるアネッサさんだが、僕には全くもって分からない。エミさんも僕と大差ない反応だ。


「アネッサさん、それの何が面白いんです?」


「なっ!? この抱腹絶倒の小話が気に入らんのか!」


「気に入らんっつうか意味が分からなくてですね」


「だから初めに言ったろうが! もう良い、早う消え失せろ!」


「はいすみません、また来ます〜〜」


 掻っ攫うように持ち出したサンドイッチはやはり絶品だった。特にツナが堪らなく美味で、新鮮な魔グロを加工したものなんだとか。話を聞いてみればマグロとは別物のようだけど、その辺はどうでも良い。美味いものは美味いんだから。


 午後はエレンさんのお手伝いで、書類の照合を任された。踊り狂う細かな数字を、端から端まで1つひとつ確認していく。そうして3時のキェェーーを迎えると、次のお仕事が待っていた。


「マジマくん、エミちゃん、キリの良い所で終りにして良いから」


「そうですね、分かりました」


「私も付いていこうか? 2人だけで大変じゃない?」


 僕一人では手に余るかも知れないが、今回は問題ないだろう。エミさんが居ることだし。あの女好きなケモノは従順になってくれるに違いない。


「僕達だけでやってみますよ。エミさん、次の仕事に行こうか」


「はい、今度は何をするんです?」


「オルトロスの散歩だよ。結構歩くけど、まぁ運動だと思ってさ」


「ということは、外へ出るんですよね?」


「そうだけども……」


 エミさんは顔を曇らせつつも、一応は僕に付いてきてくれた。それから倉庫部屋へと足を運び、準備を進めた段階でようやく気付いた。自分の鈍感さにはたびたび驚かされる。


「もしかして、朝の件?」


 エミさんが無言で頷いた。早くも忘れかけていたけど、とんでもなくしつこい連中に追い回されたんだっけ。


 僕がつい黙っていると、彼女は重い口を開いてくれた。語られたのは心の傷の断片だ。華奢な肩で背負うには辛すぎる程の過去が。


「中学に入ったくらいだと思います。校門で知らない人が待ち伏せしてたり、町中で突然腕を掴まれて拐われそうになったり。見ず知らずの先輩や同級生から『私の彼氏を返してよ』と迫られた事も何度か。その奪った彼氏なんて会ったこともないのに……」


「そんな事があったとは。壮絶だな……」


「そのせいか、色んな人に汚い女だと言われました。SNSとか学校のあちこちで。当時の私はよく分からなくて、お風呂で丹念に頭洗ったりしましたけど、きっと違う意味ですよね」


「物理的な意味合いじゃないと思うよ」


「だからこうして、普通に話してくれる人が居るだけで嬉しいです。初日から馴れ馴れしくてスミマセン。先輩もイジメられてたって言ってたから、つい……」


「いや、僕なんて君の苦労に比べたら」


 彼女が浮かべた笑顔に力はなかった。これまで苦痛の連続だった事は想像に難くない。何かと理不尽だし、誘拐されかけた経験なんてあるなら、道行く人が怖くなっても不思議じゃない。


 そんな事も知らずに僕は、酷く無責任な言葉を吐いたもんだ。


「ごめんよ。まさかそんな切実な悩みがあるとは知らず、素顔で出社しろとか言っちゃって」


「いえ、私もどこかで変わりたかったんです。人目を気にしてコソコソする人生にはウンザリですから」


「今後はどうしよう。たまにで良ければ、行き帰りくらい僕が付き添ってあげようか? 多少はマシじゃないかな」


「良いんですか? 迷惑じゃありません?」


「別に、同じバスに乗ったり歩くくらいでしょ。話し相手だと思えば、面倒とは思わないよ」


「凄く心強いです。たまにで良いので、お願いできますか」


「じゃあ今日の帰りから。それと脱線しちゃったけど、早く散歩に行こうか」


 僕はいつものカボチャメットを被り、エミさんの分も見繕った。あんまり変なものを渡したら可哀想だし、パワハラだと問題になるかもしれない。


 だから天使の輪がついたカチューシャと、概形がコミカルな白い羽を手渡した。


「はいこれ。僕達は年中ハロウィンを祝ってるという建前があるからね」


「だから仮装をするんですね」


「うん。そうでもしなきゃ、皆に角や翼が生えてる事に説明つかないからね」


「それで街を歩いても平気なんですね?」


「まぁいくらか注目を浴びるけどね、割と普通の反応だったよ」


「マジマさん、これですよ!」


「えっ、何が!?」


 興奮したエミさんは僕の両手を握りしめ、ズイと身体を寄せてきた。彼女のアゴ先まで数センチ。愛らしく整った笑顔が迫りくるのは、かなりの圧迫感があった。


 この熱量は何なのか。もう少し大人しい振る舞いをする子だと思っていたけど。


「これを被れば全部解決ですよ! きっとそうに違いありません!」


 彼女が手にしたのは、馬面を模した被り物だった。頭をスッポリ覆うタイプで、作り物の口先がユラユラと揺れた。何が解決なのかピンと来ないが、エミさんはやる気満々だ。


 それからはお散歩。川沿いまで降りて土手を歩き、商店街を抜けて帰社。その間で、エミさんにつきまとう様な人間は、ただの1人すらも現れなかった。


「効果絶大ですよマジマさん! ここまでノンビリと歩けたのは小学校以来かも!」


「うん、そっか。それは何より……」


 僕はこの熱意に不吉なものを感じていた。そして定時を迎えると見事に的中。夕日に焼ける帰路で、隣に馬面がへばりつく事になった。


「見てくださいマジマさん、誰一人声をかけてきません! 凄く快適です!」


「エミさん、ここはバスの中だから。もう少し静かにね」


 何の脈絡もなく馬面が歩いているんだ。街行く人々も声をかけるどころか、不審がって道を空け、遠巻きになるばかりだ。今後はこんな光景が頻繁に見られるのか。一緒に通勤するのは面倒でなくとも、居たたまれない気持ちから心苦しくなった。


 翌朝。僕は早めに出社して、会社の門付近で彼女を待った。昨日の今日だ。断りもなく先に来たことを少し後悔した。今朝くらいは時間を合わせるべきだったか、もう1日くらい様子を見るべきだったかもしれない。


 様々なケースを想定しては、人知れず一喜一憂していた。しかし、エミさんはそれらを吹き飛ばす程の上機嫌で駆け寄ってきた。


「おっはようございます! 清々しい朝ですね!」


 人気のない朝の小路を駆ける馬面娘。僕はそんな彼女を前にして、業務中は外そうねと語りかけるのが精一杯だった。


 

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