第15話 社内イベントは大盛りあがり!

 時刻は15時過ぎの小腹が空いた頃、オフィスは緩んだ空気に支配されていた。本日の空模様は曇天。今年はいわゆる空梅雨で傘の出番は少なく、重たげな雲を眺める日が続いた。


「外の匂いが少し夏っぽくなってきたなぁ」


 開け放たれた窓からは、草木の薫りと湿気を織り交ぜた風が吹き込んできた。袖まくりの肌に心地よい。これが温風に変わるまで後1ヶ月といったところか。


 そんな季節の便りに紛れて1羽の蝶が舞い込んできた。それ自体が珍しいのに、見た目は輪をかけて異様だ。輝かしい七色の羽で優雅に宙を漂いだす。それからは眠りこけるモーリアスさんの頬を掠め、液晶画面と向き合うエレンさんの頭上を通り過ぎ、最後に魔王様の肩に止まった。


「これはドリアンナの使い魔……そうか、いよいよ出来たのか!」


 そんな歓喜の声と共に魔王様は立ち上がり、高らかに宣言した。


「皆の者、即刻作業の手を止めるのだ。宴を始めるぞ」


「宴って……何のですか?」


「知れたことよ。アンドリュー君の歓迎会に決まっているだろう」


「あぁ、私のですか」


 確かに、入社して1週間ほど経つのに飲み会は開かれなかった。やらないパターンもあるのかと思ったけど、単なる遅延だったようだ。


「遅くなって済まなかったな。場を整えるのに手間取ってしまった」


「もしかして、どこか貸し切ったんですか?」


「行けば分かる。付いてきてくれ」


 魔王様に連れられるまま向かったのは倉庫部屋。そこは経由地点で、裏庭にて足を止めた。眼前にはいつもと変わりなく、雑木林が点在するだけの空き地が広がっている。もちろん見て分かる事など何もない。


「どこに向かってるんですか?」


 僕がそう尋ねた瞬間、唐突に魔王様の背中が消えた。飛んだとか駆けたのではなく、忽然と居なくなったのだ。


「えっ、なんで!?」


「マジマくん、心配しないで。大丈夫だから」


「だって魔王様が……!」


「はいはい。すぐ分かるからね」


 エレンさんに腕を引かれて更に歩んでいけば、視界は前振りなく暗転してしまう。そしてザッザッという機械音を耳にするなり、眩い光景を取り戻した。


「これは……どこなんだ?」


 面食らってるのは僕だけじゃない。後ろのエミさんも負けず劣らず慌てていた。


 それも当然というもの。先程までの雑然とした光景は微塵もない。曇天は晴れ渡り、白い絵の具でひと撫でした様な薄雲が舞う。足元は足元で、背丈の揃った芝生が果てまで続くようだ。色とりどりの花もそよ風に揺れており、甘い匂いを優しく振りまいてくれる。


 誘われてやって来たのはモンシロチョウとミツバチ。この世の春だと言わんばかりに飛び回り、花だ蜜だと舞い上がっている様子だ。


「先輩、ここって現実なんですか?」


 やはりエミさんも困惑しきりだ。


「いやぁ……僕に聞かれてもな」


 遠くでは季節外れの桜が満開で、吹いた風に乗って空を桃色に染めた。その間にも金色の穂を実らせた稲が揺れて鳴り、アブラゼミとヒグラシが声を競わせ鳴いている。


 ひとつひとつは日本でもよく見かける光景だが、オールインワンの一緒くたになった事が異常だ。桜と稲の全盛期が重なるなんてあり得るのか。モンシロチョウとヒグラシの同席なんて可能なのか。


 この光景の違和感は僕の無知から来ている可能性もある。しかしエミさんの様子からして、そうとは言い切れないと感じられた。


「2人とも、いつまでもボヤッとしてないで。こっちに座って」


 エレンさんが促したのは、草で編まれた椅子だ。椅子の素材と足の長さに反して頑丈で、ギシリと茎のこすれる音がしただけ。安定感は十分だ。


 そこで僕達が座るのを見計らったように、正面の空きスペースに木の根っこが盛り上がり、先端まで現れた。それは幾本も集まって伸び、やがて螺旋の軌跡を描き出す。眺めているうちに丸いテーブルの形になって止まった。


「先輩……これって」


「エミさん。ここではね、無闇に考えたりせず、ありのままを受け入れるべきなんだ。その方が気持ちが楽になるから」


「なるほど。勉強になります……」


 天然素材によるテーブルセットに腰を降ろしていると、どこからともなく1人の女声が現れた。


 フワリと浮き上がる長い髪はエメラルドグリーン色。純白のワンピースは裾が足首まで伸びる一方で、肩はノースリーブ。同じく白のロンググローブは、随所をレースで彩りつつ肘まで覆う。そんな容姿を祝福するかのように、手足から七色の粒子が煌めいては消えていく。


 この女性、数える程度ではあるにせよ、一応は面識があった。


「貴女はたしか、ドリアンナさんでしたっけ?」


「ごぶさたですマジマさん。歓迎会以来ですねぇ」


「はい、たぶんそうだと思います」


 それほど印象の強い相手ではない。覚えている事といえば、水と炒り豆を無心になって頬張っていた姿くらいか。


「魔王様。言いつけの通り整えました。いかがですぅ?」


「うむ。期待以上の仕上がりだ。そなたの働きに感謝する」


「ではでは。酒食をお持ちして宜しいですねぇ」


「そうだな。頼むとしよう」


 ドリアンナさんは深々と一礼すると、その場で振り返った。そして素肌を晒す肩周りから何本もの触手を生やし、地面に突き立てた。彼女の足元が浮かぶ程に長い。


 それからは蜘蛛さながらに、長い器官を駆使して立ち去っていく。僕はその背中を無言のままで見送った。自分の足で歩かないのかと思いつつ。


 そんなささやかな気付きはさておいて。魔王様が皆に向かって音頭を取り始めた。


「先刻伝えたように歓迎会を始める。アンドリュー君、入社日に間に合わなかった事、ここで詫びよう」


「いえ、とんでもないです。開いてくれただけで十分ですから」


「そしてマジマ君。君の時よりも豪勢になりそうだ。しかしそれは機会の問題であり、贔屓する意図は無いと伝えておく」


「いえ、とんでもないです。僕も、飲み会があっただけで十分ですから」


 僕もエミさんも完全に度肝を抜かれている。こんな心境で微々たる不満なんか浮かびようもなかった。


 短い挨拶が終わった頃に酒が来た。ドリアンナさんが給仕したのではない。そこらに自生する芝や草花が、バケツリレーにて運んだのだ。最初は風でも吹いたのかと思ったが、実は無風で、なびく草に人数分のグラスが乗せられていた。


「よし、皆に行き渡ったな。ドリアンナも手を休めて来るがいい。乾杯を始める」


「はぁい、ただいまぁ〜〜」


 そんな言葉とともに、ドリアンナさんが風を切って現れた。触手を目まぐるしく走らせる疾走法は、本人自体は不動である点に謎の不気味さがある。


「では、仲間となったアンドリュー君と、我が軍の栄光を願って……乾杯」


「乾パァーーイ!」


 グラスを掲げてから口を付けた。程よく冷えた清酒だ。雑味がなく、米らしき甘さを楽しめる風味は、下戸の僕でも歓迎したくなるほど美味だった。


「良いお酒だなぁ。これならいくらでも飲みたいよ」


 僕の言葉が合図になったのか、芝がまたざわめきだした。程なくして、背後で樽が重たげな音を出して鎮座した。飲めってのか。さすがにこの量は無茶で、結局はモーリアスさん専用サーバと化した。


「マジマくん、料理も来たわよ。食べられそう?」


 各人のテーブルには所狭しと料理が並べられた。それぞれの品が以前より控えめな量であるのは、間食時だと考慮したせいか。


「もちろんですよエレンさん。お腹も割と空いてます」


「なんこつ揚げ、好きだったものね」


 これも美味しいヤツだ。フォークを構えて突撃。しかし突き刺したい所をコロリンコロリン。何度トライしても1つすら取れない事がなぜか妙に面白くて、思わず笑ってしまった。


「あれ? 取れないぞ。あれ? 全然取れないぞアハハッ」


「こぉら。食べ物で遊ばないの」


「コイツ割とすばしっこくて、すいまっせぇん〜〜」


「口開けて、食べさせてあげるから」


「えぇ〜〜皆の前なのに、恥ずかしいですってぇ」


「はいアーーン」


「あぁ〜〜ん」


「美味しいでしょ?」


「うん! おいちいです!」


 そもそもが美味いのだ。そこへ更にエレンさんの一手間が加わるのだから、最上の至高の一品になる事は明らかだ。


 明らかなのである!!


「そうなんだよ。疑いようのない事実さエヘへ、エヒッヒッヒッ」


「先輩、こっちのジュリアスサラダも美味しいですよ」


「えぇ〜〜草なんか人間の食い物じゃないっしょ」


「じゃあ今度は私が食べさせてあげま……」


「まぁいいや。いただきまっすぅ!」


 サラダの歯触りは良し、風味は青臭い。舌に絡みつくような濃厚ソース、しかし味は分からない。見た目に反して薄味なのか、あるいは意外にも早く酒が回ってきたのか。


 そういった考察も、エミさんが投げつけるジト目の前に吹き飛んでしまった。


「あれ、どうかした?」


「先輩。露骨な贔屓(ひいき)ってどうかと思いますよ」


「それってどういう意味?」


「何でも無いですぅ〜〜」


 エミさんはそう言うなり、手元のグラスを一気に呷った。そして深い深い息を吐く。よく分からんけど、何でも無いなら良いか。


 ふと周りを見れば、魔王様とモーリアスさんが肩を組んで歌を歌っていた。聞き慣れない歌詞なのは、彼らの母国語だからだろうか。


 エレンさんもアネッサさんと席を並べて、会話に花を咲かせているようだ。離れているせいで内容までは聞こえないが、随分と楽しそうだ。


「最初は面食らったもんだけど、最高のロケーションじゃないか」


 そんな光景を豊かな緑が、桜などの花木が、虫たちが見守っていてくれた。世界のどこよりも平和で優しい空間を。


「これなら毎月でもやりたいくらいだよ」


 しかし楽しい時間というのは、いつだってまたたく間。最高のひとときは魔王様の合図によって空気を変えてゆく。


「もうじき定時だ。ドリアンナ、シメの品を頼む」


 もう2時間近く経つのか。驚きとともに成り行きを見守っていると、ドリアンナさんはおもむろに両腕をあげ、露わになった脇を見せつけてきた。煽情的な仕草には思わず視線を反らしたが、本題は別にあった。


 彼女の脇からポンッと景気の良い音とともに、大振りな果実が実ったのだ。焦げ茶の卵型。ちょうどヤシの実が成るのに似ていた。


「それでは皆さん。本日のデザートをご用意しますねぇ」


 魔族の皆さんからは歓声があがる。そんなにも美味いのかと期待する一方、人型の生物から出たもんを食っても平気かと、心は狭間で揺れ動いた。


 各テーブルに乗せられたデザート皿。その上には2切れほどの果肉がある。白く、油分の豊かのせいかテラテラと輝いている。


 生々しい。とりあえずそう感じた。


「あらマジマくん。食べないの?」


「ええと、食っても平気ですか?」


「魔界ではお祝いの時にしか出ない希少品よ。せっかくだから一口だけでも食べてみて」


 まぁ一口くらいなら。そう思って端っこだけを齧りとってみると、すかさず衝撃に見舞われた。


「何ですかこれ……美味いなんてもんじゃないですよ!」


「でしょでしょ? 魔界人の私達も年に数回しか食べられないの。たっぷり味わってね」


 とにかく甘みが濃くて滑らかな舌触り。風味が強すぎて鼻は利かないものの、十分すぎるほどの舌福がとめどなく押し寄せてくる。そしてこんなにも濃い味わいであるのに、食後感はスッキリさわやか。次も、そのまた次も食べたくなり、遂には完食してしまった。


 他の皆も食が進んでおり、空いた皿を置く時なんか名残惜しそうにすら見えた。最後にアネッサさんが食べ終わるのを切っ掛けに、宴は終わった。


「よし、本日はこれまで。皆も気をつけて帰るように」


「飲み会最ッ高ーー!」


「クフフ。マジマ君は相当に気に入ってくれたようだな」


「もちろんですよ、これなら毎週やっても良いくらいです!」


「ならばそうだな。手柄を立てた暁には」


「よっしゃあ! 頑張るぞ!」


 こうして僕達は帰路についた。酔いはまだ残されており、たまに足元を怪しくしてしまう。そのせいだろうか。バスも電車も道を歩く最中も、通行人にジロジロと見られたのは。


 酔っ払いなんて珍しくないだろうに。そんな想いのまま帰宅、早々と眠ってしまった。そして翌朝を迎えた事でやっと、自身に起きていた異変に気づく。


「クッサ! 僕の口クッサ!!」


 悪臭なんてもんじゃない。あまりの臭いに鼻呼吸すら堪えられず、口で息をするのがやっとだ。歯磨きしても、うがいを繰り返しても無駄。1時間以上が経過した今も和らぐ気配をみせなかった。


「何だろこれ。前の飲み会の時は平気だったのになぁ……」


 ミント系のガムをガリガリ噛んでもダメなものはダメ。甘みを感じるばかりで、悪臭はミント臭すらも駆逐して、王座から動こうとはしなかった。


 バスを降りてから10数分の道のりが遠く感じられる。いつもなら苦にならない距離を必死こいて歩くあたり、既に酷く消耗していると分かった。


「先輩、おはよう、ございます」


 背後から声がかけられた。馬面を被った女性、エミさんだ。ただし口元は外気に晒し、息も絶え絶えといった様子。


「おはよう。もしかして君も?」


「口がビックリするくらい臭くって。いつもみたいに被れません」


「そっか。災難だったね。まぁ時間が解決してくれると思うよ」


「そうだと良いですけど」


 どうにかして会社まで辿り着き、自分のデスクに向かった。そして作業場のドアを開けたところ、更に強い臭いが押し寄せてきた。


「おはようマジマくん、エミちゃん」


「お、おはようございます……」


「エレンさん、この臭いって」


「あぁ、昨日ドリアンナちゃんの果実を食べたでしょ。あれって臭いが残るのよねぇ」


「残るなんてもんじゃないです! 強烈すぎやしませんか!?」


「その代わり味が絶品なの。臭いもそのうち治まるから、心配しないで」


 そう言ってくれたが、中々消えなかった。昼食も鼻を摘みながら食べ、15時に柱時計が奇声をあげた頃になって、ようやく落ち着きを見せ始めた。


 飲み会最高だとか、毎週でもやりたいと公言してしまったが、今はもう遠い気分。たまに、年一回くらいが丁度良いと感じていた。


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