第8話 盛んな交流には成長のヒントが

 来ない来ない、一件も来ない。ホームページを立ち上げ、そこそこのページビューを稼いだまでは良かったが、肝心の問い合わせが全く無い状況だ。


 仕事初めから既に1週間以上が経過。日当1万4千の週給にして7万円もかけた人件費は、成果ゼロという不名誉な実績を打ち立てるために浪費されてしまった、という事になる。


「ヤバいな、何か1つくらい手柄を立てないと……」


 広告は打てない。世間を無闇に騒がせてしまうから。ワクワク魔界ワークの平穏と、エレンさんの貞操を守る使命が、僕にはある。


 一応は友人知人に、良い仕事あるよと打診してみた。分かっていたけど全てが空振り。皆は既に仕事を持っていたし、転職を持ちかけようにも怪しすぎて受け入れてくれなかった。


 思いつく限りの事はした。自分なりに努力を重ねているのに、微塵も結果に現れてくれない。新着ゼロ件のメールフォルダが、僕の心を切り刻むかのように思えてきた。


「マジマくん、大丈夫? 顔が真っ青だけど。風邪でもひいちゃった?」


 エレンさんはこんな時でも優しい。そして魔王様も、急かしたり詰ったりする事もなく、僕に一任してくれる。いっその事、怒鳴られた方が楽なんだろうか。


「平気ですよ、ちょっと仕事に行き詰まっただけですから」


「そう。焦らなくてもいいからね。大丈夫、アナタになら出来るから!」


「えぇ、その、頑張りますよ。あはは」


 どうにかして期待に応えたいのに、足踏みを繰り返す日々がもどかしい。エレンさんも魔王様も、僕に何を見い出したんだろう。資格も経験も持たない僕の、何ら取り柄のない能力に。


 いつしか集中力が途切れた。作業の手は止まり、思考の沼へと沈み込んでいく。いつしか柱時計が12時を告げた。昼食はスライスパンと、獄炎竜のシンジャウ焼き。薄切りの肉に謎の薬味が乗せられており、味わいは生姜焼きに酷似していた。かなり美味い。


 それから午後を迎えても、やはり仕事は捗らない。モーリアスさんのイビキを聞き流しつつ、求人のコツなんてサイトをぼんやりと眺めるばかりで、無為な時間が過ぎていった。


 そして柱時計が醜い声で鳴いた時、エレンさんが立ち上がった。


「マジマくん、ちょっと付き合ってよ」


「付き合う、ですか? 一体何を……」


「良いから良いから。たまには気分を変えないとね」


 そうしてエレンさんに連れられると、備品倉庫までやって来た。手渡されたのはヘルメットで、リアルなカボチャ柄をしたものだ。変えるのは気分だけでは済まされないらしい。


「もしかしなくても、被れって事ですよね?」


「その通り。理由ならおいおい教えるから。行きましょうか」


 この段階でも何が目当てかサッパリ分からない。そのまま裏口を出てオルトロスを呼び、首輪とリードを付けて門から出た頃、何となく察しがついた。


「散歩ですかね。オルトロスの」


「ご名答。たまには連れ出してあげないと拗ねちゃうから。敷地内で駆け回っても、すぐに飽きちゃうみたいで」


 会社の敷地は相当広いけど、それはあくまでも人間目線で語ればだ。コイツくらい巨体だと狭く感じるのかもしれない。


「さてと、これからどこを回ろうかしらね」


「やっぱり人気の無い場所ですよね? 森の中とか、河川敷とか」


「ううん。まずは商店街かな」


「人混みに突撃!? 平気なんですか!」


「大丈夫よ。もう何回も通ってるから」


「えぇ……本当かなぁ?」


 実際に行ってみた。すると意外や意外、道行く人々は驚いた素振りも見せず、日常の一幕として僕らを受け入れた。すれ違う小学生の集団なんかは、オルトロスの背中を撫でて通り過ぎていく程だ。なんて勇気だろう。僕はまだ撫でた事すら無いのに。


 親しげな態度を見せるのは子供だけではない。たとえば商店街のとある店主なんかは、ほがらかな声をかけてきた。袖まくりして覗く腕は逞しく、見た目よりも若々しい印象を受けた。


「おうエレンさん、お散歩かい?」


「イェヒヒヒ、こんにちわ八百屋さん。オルちゃんのご機嫌取りよ」


「そうかい。それにしても今日も美人だね。その格好も良く似合ってるよ」


「ありがとうエヒヒィ。次は買いに来るから宜しくね」


「待ってるぜい。たんまりサービスすっからよ!」


 八百屋を後にしても似たような光景が続く。惣菜屋やら小物屋さん、果ては道行くお婆さんまで声をかけてきた。


 コスプレ好きの外国人。角だの翼だのといったエレンさんの人ならざる部位は、そのように解釈されているらしい。オルトロスの2つ首は変装の域から飛び出してると思うけど、そこは思考停止した結果だろうか。


「どう、平気だったでしょ。パーティ好きの人達って思われてるから」


「まぁ、本物の悪魔だとバレるより都合が良いですよね。だから僕にヘルメットを?」


「その通り。アナタだけ普通の姿だと不自然だもの」


 エレンさんがイタズラっぽく微笑んだ。可愛い、キレイ、本当に。来世の分まで射抜かれてしまいたい。


「見て、マジマくん。いい景色だから」


 エレンさんが足を止め、正面を見据えた。そこは真っ直ぐな下り坂で、遠くに県境となる河が見える。河川敷では今日もサッカー少年達が集まっているんだろうか。


「ここって見晴らしが良いでしょ。だからね、落ち込んだ時は足を運ぶんだ」


「エレンさん……」


 ふと風がそよぎ、桃色の髪が揺れた。フワリと舞う毛先。押さえようとする白い指先。僕は高台の光景よりも、そちらの方ばかりに気を取られた。


「大変な仕事を押し付けてごめんなさい。でもそれは、アナタへの期待の現れだと思って欲しいの」


「そこは分かります。でも全然出来なくって、早くも自信を無くしかけてますよ」


「大丈夫よ。上手くいくように【おまじない】をかけたじゃない」


「おまじないって、あぁ。アレですか」


「覚えててくれた?」


「そりゃもちろん、印象的でしたから」


 あれは忘れもしない。不安と緊張に震えながら面接に訪れた日の出来事だ。


◆ ◆ ◆


「ええと、マジマテツシさん。ご予約の方ですよね」


「は、ははは、はいぃ! マジマァ、テツシですぅぅ!」


「そんな緊張しないで。リラックスよ、リラックス」


「は、ははは、はいぃ! 申し訳ございませぇん!」


「これは重症だわ、ちょっと良いかしら?」


「ウヒッ!? な、何を?」


「肩の力が抜けるおまじない。どう、楽になった?」


「言われてみれば、何だかほぐれた気が……ありがとうございます!」


◆ ◆ ◆


 あの時、エレンさんが僕の額に触れた時、淡く発光した。気のせいだろうと感じたものだけど、今なら分かる。何かしらの魔法を使ってくれたのだと。


「これからもきっと上手くいくわ。大丈夫、自分を信じて。本当なら私も手伝ってあげたいけど、人間世界には疎いからね」


「エレンさん……1つ聞いてもいいですか?」


「もちろん。遠慮しないで」


 エレンさんの柔らかな視線が、僕の頬を撫で、瞳と重なる。それだけで僕はうつむき、身を強張らせてしまった。


 心臓が激しい鼓動で胸を叩き、荒い呼吸も手におびただしい汗を生み出してしまう。こんな醜態、どんな風に見られただろうか。シャンとしたい気持ちとは裏腹に、態度も声も消極的な気配が強かった。


「どうして、その、こんなにも親切にしてくれるんですか?」


 彼女は普段から気にかけてくれる。そして治療法も、僕に関しては妙に手厚い。聞いてしまって良かったのかは迷う。それでも、口に出さずにはいられなかった。


 ふたたび風がそよぐ。揺れた桃色の髪は、日差しを浴びて綺羅びやかに輝いた。直視を許さない程の眩しさだ。


「アナタはね、大勢の人間の中で唯一、私達に力を貸してくれた人なの。面接に来た人の大半が化物だとか叫んで逃げ帰ったのに、マジマくんだけは残ってくれた」


「まぁ、僕も最初はスゴく驚きましたけど、あはは……」


「人間のアナタが味方してくれたのは、私達にとって心強い事なの。そして、嬉しくもあった。ありのままの姿を受け入れてくれた事実が」


 言われてみれば、町の人達は本当の意味でエレンさん達を理解していない。だからこうして、コスプレ好きという皮を被る必要がある。事情まで理解した上で接する僕とは違う気がした。


「というのは、建前ね」


「た、たてまえ?」


「私がやたらと構うのは別の理由があるの」


「それは、一体……」


 その瞬間に神経はかつてない程に研ぎ澄まされた。周囲の雑音が消える。そのくせ、自分の唾を飲み込む音はうるさい。胸を叩く鼓動も足を早め、耳元で直接鳴り響くかのようにやかましく感じる。


 まさか、とは思う。僕に特別な感情を持っているのか、いや、さすがにそれは無い。こんな見た目も内面も完璧な女性に好かれる理由がどこにあるという。


 エレンさんの美貌は言わずもがな。態度は柔和で朗らか。発言には筋が通っており、それでいて強い言葉を避け、波風立てない工夫が見て取れる。真面目で仕事熱心で会計を預かるしっかり者。その一方で飲みかけのコーヒーが残るコップに野菜ジュースを注いでしまい、半泣きで飲み干すというお茶目さまで備えている。


 釣り合うものか。僕みたいな、取り立てて優れた点の無い男と。それでも、万が一、万々が一。人生を覆い尽くす暗雲に、ほんの一時だけ眩い陽射しが差し込むこともあるのでは。そう祈る気持ちが持ち上がっては、押し込む事を繰り返した。


 柔らかな唇が開く。ほんのりと赤い膨らみに、僕は視線が釘付けになった。


「私はね、アナタの事を……」


「は、はい……!」


 胸が苦しい。呼吸は止まり、首筋は大量の血液で渋滞を起こしてしまう。次の言葉、早く、次の言葉を。今ならば、溺れる人が水面を目指す気持ちが、よく理解できそうだ。


「可愛い弟みたいに思ってるの」


「おと、うと?」


「そうなの。だからついね、あれこれ世話を焼いてしまうの。たまに、構い過ぎかなと思うこともあるけどね」


「そうですか、あはは。弟かぁ〜〜」


 残念な気持ち、だけど妙に納得できた部分もある。いや、むしろ今は、それくらいのポジションの方がずっと気楽のようにも思えた。


 腹のうちが定まると、今度は強烈なやる気が燃え上がってきた。手足どころか、指先までに力が溢れるようだ。


「エレンさん、僕、がんばりますから!」


「マジマくん……」


「早く一人前になって、ジャンジャン成果積み上げて、会社の役に立ってみせます!」


「ありがとう。皆も喜ぶと思うわ」


「だから、そうなった時は、僕の事を……」


 1人の男として見てください。そう言いたかった。しかし、次の瞬間にはエレンさんの姿が忽然と消えてしまった。


「あれ! エレンさん!?」


「オルちゃん、急にどうしたの? 止まってぇ〜〜」


 犯人はオルトロス。待ちくたびれたのか、野生の本能を剥き出しにして疾走し出したのだ。リードを掴むエレンさんは、半強制的に連れ去られた格好だ。


「とにかく後を追わなきゃ!」


 全力で追いかけた。本気の、全身全霊の、掛け値なしのフルパワーを。しかし差は詰まるどころか、みるみるうちに引き離されていき、遂には姿さえも見失った。


 体も鍛えなきゃダメか。仕事を頑張るだけじゃ彼女の隣には立てないのか。アスファルトに大粒の汗を滲ませながら、僕は先程の決意を軌道修正させた。


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