第9話 稀に来客対応もお願いします

 とある平日。いつものように出社してみると、まず異変に気付かされた。パソコンがスリープ状態で立ち上がっていたのだ。


「おかしいな。電源を切り忘れたっけ?」


 こんな所に泥棒が入る訳でもなし。初期状態のパスワードを入力して本格的に起動させると、真っ先にブラウザのホーム画面が立ち上がった。


 何となく嫌な予感があって閲覧履歴を確認してみれば、見事に的中していた。画面は覚えのない文字列で満杯となり、細かくキーワードを変えつつ何度も何度も検索をかけていた事が確認できた。


「何だこれ、一体誰が……!?」


「あらマジマくん。会社のパソコンでエッチなサイト見てたの?」


「エレンさんんん!? 違いますよ、僕じゃありません!」


「まぁね、犯人は分かってるわ」


 隣のエレンさんが鋭い目をソファの方へ向けた。そこはあの人の定位置だ。


「モーリアス。アンタは神経がやたらと図太いのね。それとも発情期?」


「おっと。何の事か分からねぇな」


「アンタ以外に居ないでしょ。コウモリ、3百歳以下、エロ画像で検索するだなんて」


「落ち着けよエレン。ちょっとくらいお遊びしたって構わないだろ」


「金輪際マジマくんの邪魔しないで」


「カァーーッ。お前はどうしてそうも贔屓すんだか。怪しい間柄かよ?」


「彼の働きに期待してるからに決まってるでしょ! だからもう二度と……」


「アーアーやってらんねぇ。そんなチンケなガキに頼ろうなんざ、魔王軍もお終いだよ。よろしくやってろ馬鹿どもが」


「待ちなさい、モーリアス!」


 モーリアスさんは聞く気が無いらしい。窓を開け広げると、その姿をコウモリに変えて飛び立ってしまった。続けてエレンさんも黒鳥のように変身して、猛然と後を追いかけていく。


 結果、取り残された僕。今となってはパソコンの無断使用とかどうでも良い。彼女達が変身出来る事は驚いたし、同時に心細さも激しかった。


 急な来客でもあったらどうしよう、電話が鳴っても上手く対応できるのか。そんな不安が強いのだ。


「まぁ、アネッサさんが居るし。魔王様だってそのうち来るでしょ」


 気持ちを切り替えて、人事官としての仕事に取り掛かる。応募や質問は相変わらずゼロ。このまま成果無しは避けたいので、より効果的な売り文句を考える事にした。


 いや考えたかったのだが、突如現れた来客により断念させられてしまう。玄関からではない。何の脈絡もなく、オフィスに光る球が浮かび上がったのだ。それが激しい閃光を放つと、やがて1人の女性が姿を現した。


「おや。ポロンは不在ですか。予め連絡をしたというのに」


 金色の長い髪を揺らしながら、彼女は呟いた。つややかな肌、純白のドレス。そして、全身を取り巻く光の粒子らしきものが見え、人智を超えた何かであると無言で語っていた。


 とりあえず応対しなくては。幸いにも見た目は化物から遠く、むしろ女神様らしき人に見えるので、それほど怖くはない。


「あの、お客様でしょうか?」


「そんな所です。それよりも見かけない顔ですね、ニンゲン? あるいは魔族が擬態を?」


「に、人間です。28歳の男!」


「そうですか。まさかあのような醜い種族に与するとは、物好きなお方ですね」


 そう言うと、女性は口元に手を添えて嘲笑った。品がある、キレイな人だとは思う。街で見かけたら振り向いてしまう程度には。


 しかしそんな相手を前にしても、腹の奥深くで、反骨精神がカチンと音をたてた。言葉に出てしまわないよう、喉を鳴らして一呼吸挟んでおく。


「本日はどのようなご要件で?」


「ポロンに会うため、わざわざ清麗界(せいれいかい)からやって来たのですが……無駄足だったようですね」


 知らない名前だ。まだ会った事の無い人か、それとも誰かのセカンドネームなのか。


 たとえば、エレン・ポロンとか。いや、さすがにそれはマズイ。何か大事な部分がポロリと溢れて、恥じらうシーンが浮かんでしまうじゃないか。刺激的過ぎる。もし実際に彼女の名だったとしても、フルネームで呼ぶことは控えよう。


「不在ですか。折り返し連絡しますので、本日はお引取りを……!」


 そう告げようとしたのだが、居ない。窓際にあった彼女の姿は消えていた。そして次の瞬間、背後に強い気配が漂い、勢い余って椅子を引っ倒してしまった。


「い、い、いつの間に!?」


「アナタ、いささか混じってますね。先天性……いえ、後天的なものでしょうか。一体何があったのやら」


 白のレースグローブに包まれた指先が、僕の額に触れ、緩やかに降りてくる。頬をたどり、アゴ先にまで到達すると、柔らかな手付きで撫でられた。


「これは良い、貧相な見た目にそぐわない逸材。どうですか、私どもに助力してみては? 今よりも遥かに高レベルな暮らしを御約束しますよ」


「何なんですか急に! 離れてください!」


「そんな事言わずに。私に従えば、金も名声も、パートナーでさえも想いのままですよ」


「いきなり困りますよ、いいから離れて……」


「そんな事言わずに。豪邸に美女を侍らせ、大勢にかしずかれる。そんな暮らしに憧れはありませんか?」


「この人話を聞いてくんない!?」


 思わず転び、這いずって逃げる。誰か助けて。エレンさん、魔王様、アネッサさん。この際モーリアスさんだって構わない。どうにかして厄介さんを遠ざけてくれ。


 すると願いが通じたのか、視界の端に旋風の渦を見た。この気配は僕の知る限りで最強のカードだった。


「魔王様ッ!」


「やっと来たのですか。約定を違えるとは良識を疑いますよ」


「えっ。じゃあアナタが待っていたのは……」


「魔王ポロン。もしかして、本名をご存知無かったのですか?」


 初耳も初耳だ。なんだその可愛らしい名前は、おっかない見た目と真逆じゃないか。ご両親はどんな心境で名付けたんだろう。


「敵の首をポロッポロンはね飛ばせる様にと、祈りを込めて授けられた名。その結果として魔界の覇者になったのですから。願掛けというのも馬鹿には出来ませんね」


 語感に反して物騒な意味合いだった。それを知ってしまえば可愛らしさなど感じようもない。


「久しいなトルネリアよ。何十年ぶりだろうか」


「白々しい。旧交を温める気がおありなら、遅参するなどもっての外では?」


「貴様が勝手に申したのだろう。多少の遅れくらい眼をつぶれ」


「そうですか。せっかく良い話をお持ちしたのですが、後日としましょうか?」


「要件を終わらせてから帰れ。無用な手間を増やすな」


「見ものですね。その仏頂面が、懇願する顔に変わるのですから」


 不敵な笑みを浮かべたトルネリアさんは、魔王様に小さな紙を手渡した。ご丁寧なことに僕にも同じ物をくれた。それは名刺だった。


「異世界転生アウトソーシング、太陽系支社?」


「私トルネリアは、支社長を任されまして。この事業はささやかな成功を収めた為に、自社ビルを建てる事となりました。まぁ53階建てごときでは自慢にもなりませんが、本日はそのご挨拶を兼ねております」


 いちいち鼻につく物言いだ。視線を名刺の上で苦々しく走らせると、とある項目で眼が止まった。


「会社所在地が港区だ……!」


「悪くない街ですよ。道は広く、新進気鋭の店は揃い、豊かな海とも親しめる。吹き溜まり同然のニンゲン世界において、比較的まともな方ですね」


「凄いなんてもんじゃないですよ、大成功じゃないですか」


「異世界人を求める界隈は数知れず、そして転生を望む地球人は尽きる事が無い。この両者を橋渡しするだけで、巨万の富を築くことは容易です。幸いにも私は清らかで美しい容貌ですので、誰もが2つ返事で契約を結んでくれますよ」


 腹立たしい。素直にそう感じたのは、今の言葉は真実だからだろう。自慢に満ちた正論は聞くに堪えない上に、ホラだと笑えないのでタチが悪い。求職者の1人も呼び込めない僕からすると、尚さら深く刺さってしまう。


「トルネリアよ、用向きは理解した。嫌味と自慢話が目的だったのだな」


「急がぬよう。ちゃんとビジネスもご用意してますよ」


「ビジネスだと?」


「アナタの故郷が窮地に陥っていると耳にしましてね。どうでしょう、弊社より腕利きの転生者をお貸ししましょうか?」


「要らん」


「コストが気がかりですか? プランなら複数ありますよ。プラチナからチリ紙まで、用途と金額に見合ったサービスのご提案を……」


「要らん、帰れ」


「お支払いなら分割でも結構です。分割手数料もお手頃にした上でね。それも難しいようならば、魔界の領有権なり収益を一部譲渡いただく形も……」


「聞こえなかったのか、帰れと言ったのだ」


 トルネリアさんは聞こえよがしな鼻息を吐いた。それは向かい側の魔王様の顔を撫でるかのような。


「痩せ我慢はおよしなさい。おぞましき魔族にニンゲンなど集められるものですか。ボヤッとしているうちに、故郷が壊滅するかもしれませんよ?」


「余計なお世話だ」


「もしや、そこのニンゲンに賭けているのですか? 適正者であるとでも?」


「それは時間をかけて見定める」


「随分と彼に傾倒するのですね。適正者を探し出すなど、砂浜で一粒の砂金を見つける様なものなのに」


「貴様には関係の無い事だ」


「もっとも、その希望の光とやらは私がさらってしまうのですがね」


「待て、何を考えている」


 制止の声を無視したトルネリアさんが、ふわりとした足取りで寄ってきた。凶々しいものとして映ったのは、彼女という人物を理解し始めたからだろう。


「アナタ、給与はいかほど?」


「そんなの教える訳ないでしょ」


「彼には時給2千円に諸手当を付けている」


「魔王様、なんで言っちゃうんですか!?」


「オーーッホッホ、安い安い。うちならその5倍は差し上げますのに」


「ご、ご、5倍!?」


 つまりは時給1万円。実働7時間なら日給7万の、平均20日勤務として月収140万円。それを一年続けたとしたら。


「年収……せん、ろっぴゃく、はちじゅう……」


「それだけではありません。交通費や食費はもちろんの事、住宅・バカンス・アニバーサリー手当もお付けします。目標達成ごとに高配当のインセンティブ。極めつけに、諸経費の審査はザルという鉄壁の待遇でお待ちしておりますよ」


「ザル審査……ッ!」


 思わず目眩にも似た衝撃にフラつき、机に手をついた。するとその拍子で何かを床に落としてしまい、硬い音を響かせた。足元に転がるのは、エレンさんが取り寄せた鉱石だった。


 そうだ、僕は約束したじゃないか。この会社に貢献すると。そしてエレンさんに1人の男として認められようと。もはや彼女とは他人では居られないのだ。


 全身に力が駆け巡る。胸のあたりに熱いものが籠もり、堅牢な防壁が造られる感覚も覚えた。


「お引取りください。僕は新人ですけど、れっきとしたワクワク魔界ワークの一員です。どんだけ札束を積まれても鞍替えする気はありませんから!」


「そんな事言わずに。値段を見ずに買い物をする優越感をご存知? 自分好みの女を札束で買いたたき、とっかえひっかえ弄ぶ悦楽を……」


「やっぱり話を聞いてくれないぞ!?」


 狭いオフィスを逃げ回る僕と、綿毛のように浮かびながら追いすがるトルネリアさん。だけど追いかけっこは長続きしなかった。間に魔王様が割り込んでくれたからだ。


「退け、トルネリアよ。少しは彼の意思を尊重したらどうだ」


「フゥ……仕方ない。出直す事にしましょう。ですが諦めたわけではありません。ポロンが後生大事にする逸材は必ずや奪ってみせますから。ゆめゆめ、お忘れなきよう」


 その言葉とともに閃光が走り、トルネリアさんを飲み込んでしまった。視界が戻った頃には、僕と魔王様の2人だけになっていた。


「済まないなマジマ君、傍観を決め込んで。つい試すような真似をしてしまった」


「えっ、何がですか?」


「気にしていないなら構わん。それよりもな……クフフッ。ワァーーッハッハ!」


 魔王様、いきなり仁王立ちのまま高笑い。その1枚絵になりそうな姿は、稲光の激しい城塞なんかが似合いそうだ。


「入社して1か月もしないうちに、そこまでの帰属意識が培われていようとは。正直なところ驚かされたぞ」


「いや、まぁ、短いなりにも色々ありまして」


「悔やまれるのはエレンの不在か。あやつにも聞かせてやりたかったな」


 噂をすれば影。開け放たれた窓からは、いつもの柔和な声が聞こえてきた。どうやら機嫌は治ったらしい。


「あら魔王様。ごめんなさいね、野暮用で外してたの」


「構わんが、その姿はどうした。穏やかでないな」


 確かにその通りだ。彼女の透き通るような肌や、タイトなパンツスーツは朱に染まっていた。妙な光沢があるのも生々しい。そのうえ、浮かべる表情が柔らかいのだから、放たれる凄みはハンパなかった。


「ちょっとモーリアスの始末をね」


「そうか。さすがに殺してはおるまいな?」


「見ての通りよ。明日には復活するんじゃない?」


「ならば良い」


 そう語る彼女の片手には、直視したくない何かがある。その赤い塊は元モーリアスさんなのか。心の中で、そっとモザイク処理をかけておく。


「エレンよ。そなたが不在の間にマジマ君は大活躍したのだぞ」


「えっ、本当に!? 教えて教えて!」


「トルネリアが来たのだが、大金によるスカウトを見事にはねのけた。我らの一員として働きたいと言ってな」


「マジマくんが……そんな事を……!」


 エレンさんの潤んだ瞳が僕を射抜いた。嬉しくは思う。しかし、次に訪れる未来が浮かぶと、その場でたじろいでしまった。


「ありがとうマジマくん! アナタは最高よ!」


「わぁぁひっつかないで! 血が付いちゃうでしょ!」


 結果、僕までも朱に染まった。それからは汚れたスーツを脱ぎ、洗面台で汚れを落とし、魔王様のマントを借りる事になった。そしてすかさず地元の服屋に足を運んで、良くわからないシャツとジーンズを購入して帰社。


 それだけでもだいぶ時間を食ったのだが、戻ったら戻ったでエレンさんから質問の雨あられ。とてもじゃないが、この日は仕事にならなかった。


 仕事の邪魔をするなとは何だったのか。この時ばかりは珍しくも、モーリアスさんへの制裁について同情するのだった。

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