第2話 笑いの絶えない職場です

 時刻は10時15分。定時は1時間以上過ぎているのだが、業務らしいものは何もなく、せいぜい餌やりの最中に腕を食われたくらい。もう既に2千円稼いだのかと思うと信じられない気分になる。


「前の職場とは比較にならないな、あそこは秒単位で急かされたのに」


 時給制なら1分1秒無駄にするなと、以前の職場では強烈な思想を叩き込まれたものだ。それが今はやるべき事すら教えられず、ボンヤリと窓の向こうを眺めているだけだ。


 こんな勤務態度で良いのか。そして僕の業務内容は何なのか。漠然とした不安を抱えつつ、ただ時が過ぎるのを待っていると、見知らぬ誰かが入室した。 


「うぅ、頭が割れるようだぜ……」


 現れた男は高身長の細身、ボサボサで寝癖だらけの赤髪、大きなサングラスに、ポツポツと伸びたヒゲの跡。黒地に白ストライプのスーツをだらしなく着ているあたり、ちょっと怖い人かなと思う。


 更に背中に生えるコウモリの羽が、想像したものより更に怖い人だと確信させた。


「おはようモーリアス。また二日酔い?」


「おっすエレン。目覚めのキス代わりに冷えっ冷えの水をくれ」


「それくらい自分で用意しなさいよね」


 エレンさんは口では反発しつつも、氷入りのグラスを彼の席に置いた。優しい。面倒見が良い。少し怒った顔も可愛い。ちょっとした手違いで叱られてみたくなる。


「おや? アネッサはまだなのか?」


「製作中でしょ。部屋の前から煙が漏れてたもの」


「またサボる気だなアイツめ、羨ましいポジションだよ」


「夢中になると飲まず食わずだからね。いつもの事じゃないの」


「オレも私室に戻っていいか? 眠気が快速急行で爆走中なんだが」


「あらそう。でも残念ね、時間切れよ」


 その言葉とともに、部屋の一角に黒い渦が浮かび上がった。竜巻のようにも見えたのに、辺りに風は一切吹いておらず、紙ぺらの一枚さえ飛ばされなかった。超常現象だ。しかも何となくラスボスっぽい人が現れそう。


 どこか他人事に考えていると、それらしい人が渦から姿を見せた。僕の面接を受け持ってくれた悪魔っぽい人だ。


「魔王様、おはよ〜〜」


「おはようエレン。今日はモーリアスも出ているのか」


「エレンが騒ぐもんだからね、モテる男ってのは我慢を求められるらしい」


「そしてマジマ君も居るのだな、結構結構」


「は、はい! おはようございます!」


「てっきり逃げられるかと思ったが杞憂だったようだ。まぁどこに隠れようとも、問答無用で引きずりだしたがな、グフフフ」


「やだぁ魔王様ったら。マジマ君が怖がっちゃうじゃない、アハハッ」


「ハハハ、ハァ……」


 今のは彼らなりの冗談なんだろうか。物騒すぎて全然笑えないけど。


「さて、そろそろ始めるとしよう。マジマ君は横で見ているように」


「はい。わかりました」


「では参る」


 そこで魔王様は深く息を吐き出し、口を噤んで押し黙った。他の皆もそれに倣う。静けさはいつまでも続くように感じ、刻一刻と緊張感が高まっていく。まるで揺らぐ水面がなだらかになり、澄みきった鏡へと生まれ変わる事により、傍観者に静寂を言外に強いるような感覚がある。


 これは何らかの儀式なのか。人ならざる者が集まって一体どうするつもりだろう。込み上げる不安と微かな期待が胸の中でせめぎ合い、やがて呼吸すら重苦しくなった。


 緊張はまだまだ色濃くなる。迫りくる重圧に堪えきれず、思わず口呼吸に切り替えた頃だ。ついに魔王様は眼光を鋭くし、快活な口調で叫びだした。


「はいそれでは、おはよーさん!」


「おはよーさん!」


「元気足りない、おはよーさんッ!」


「おはよーさんッ!!」


「今日の天気は?」


「快晴です!」


「朝のご飯は?」


「腹八分目!」


「電車の中でおじいさん」


「優先席です、さぁどうぞ!」


「おっと隣の奥様方」


「何かお悩みないですか!」


「あら不思議、その角やらハネはどうしたの?」


「ハロウィン衣装よステキでしょ!」


「はい、今日最高の魔族っぽい笑顔!」


「エヒ、イェヒヒヒ」


「クケケケ、クケッーーケッケ!」


「では解散。通常業務に加え新人研修を行う、宜しく頼む」


「お願いしぁ〜〜す」


 そこで皆は席に座った。まるで何事も無かったように。


「さてマジマ君。さきほど触れた新人研修についてだが……」


「何だったんですか今のは!?」


「驚く事もあるまい。人間の世界では、このように朝会をやるのだろう?」


「いや、まぁ、やる会社はありますけど……!」


 なんだろう、このムズ痒さは。こんだけ濃いメンツが全く活かされていないとは、不条理すぎやしないか。


「それはそうと研修を始めよう。テーマは君の仕事についてだ」


「僕の仕事……ですか」


「まさか、ほんわかとお喋りして終いだ、などとは思うまいな? グフフフ」


 魔王様は顔を歪めると、低い笑い声を漏らした。夢に出そう。割とおっかない顔だ。でも頻繁に笑うあたり、笑い上戸なのかもしれない。


「エレンよ。資料の準備は?」


「もうすぐ出来るわ。モーリアスとアネッサも呼ぶの?」


「無用だ。どうせ話に参加などするまい」


「はぁい。じゃあこのデータと、タブレットも忘れずにっと」


「来たまえマジマ君。これから精一杯働いてもらおう。魔王軍の一員としてな」


 やっぱりそういう感じなのか。僕は人ならざる怪しげな集団に仲間入りして、いわゆる魔王の手先として暗躍するハメになってしまうのか。


「マジマ君。入社したての君に頼む事では無いと承知の上で言おう。我が軍の人事官として活躍してもらいたい」


 エレンさんも魔王様の隣で神妙に頷く。嘘や冗談ではなく本気の打診だった。


 派遣切りにあって30手前で無職になった僕が、魔王軍の人事官。軽くはない肩書なんだろう。しかしそれはアルバイトなのか、それとも正社員か。割とどうでも良さそうな点が気になってしまった。


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