第17話 あなたの知識を活かせます

 アネッサさんが僕をジッと注視している。より正確に言えば、僕の手元を。手のひらには虫除けスプレーがあり、彼女の興味を惹いたのだ。


「これが、抗虫の秘薬を凌ぐと言われる代物であると?」


「凌ぐかは知りませんが、虫除けの効果はありますよ」


「ムムム。一吹きで半日も機能するとは、にわかに信じがたいのじゃが……」


「それよりも、僕はお昼ごはんを貰いに来たんですけど。そこの料理を持っていって良いですか?」


「野暮な事を申すな。少しくらい妾に付き合え」


 そう言うなり僕の手元からスプレーを引ったくると、使用方法を尋ねてきた。特に難しい事のないワンプッシュ。実際に使ってみせ、今度はアネッサさんに促した。


「魔力無しに使えるとな。しかも燃費も良いときたか。ならば幼子でも扱えよう。この発明は魔界に激震をもたらす事確実じゃ」


「ハァ……。そこまで絶賛してくれたら、開発者も喜ぶんじゃないですか」


「いや、称賛するには時期尚早。効果の程を確かめなくては」


「確かめるって、具体的には?」


「知れたこと。虫を呼べば良い」


 アネッサさんは不穏な言葉を告げたかと思えば、何らかの詠唱を唱えた。


 すると次の瞬間、黒い粒のような集団が羽音を響かせながら出現してしまった。


「おぉ素晴らしい! 見よ、虫どもが面白いくらいに腕を避けよるわ!」


「何やってんですか! こういうのは密閉されたブースとかでやるもんでしょ!」


「エヒヒ、エヒッーヒッヒ! これは最高じゃぞ魔界の民もたちどころに救われよう!」


 聞いちゃいない。僕は逃げ惑う羽虫を振り払いつつ、昼食を確保した後、調合部屋から飛び出した。食べ物が無傷なのは幸いだが、僕の食欲は大打撃を受けてしまった。


 そうして去りゆくこの背中を、高らかな笑い声が見送ってくれた。何がそんなに嬉しいのか。コンビニや薬局でお手軽に買える製品なのに。


「マジマよ。貴様の隠している事、洗いざらい喋ってもらおうか」


 昼休憩の終わった午後の業務中、珍しくもアネッサさんがデスクまでやって来た。そして威圧しながら凄むのだが、着席している僕と目線の高さが同じだ。そのサイズ感が微笑ましく、迫力なんか微塵も感じられない。


「先輩。アネッサさんと何かあったんですか?」


「いや、実はね……」


 エミさんに説明してみた所、彼女も頬をほころばせた。視線もどこか、近所の子供でも眺めるように優しい。


「つまりはアレですか、アネッサさんは人間世界の発明や工夫が知りたいと。だから先輩に張り付いてると」


「そのようだね。どうしたもんか」


「マジマよ、出し惜しみなど考えるな。全力でかかってくるのじゃ!」


「この剣幕だもんなぁ」


 仕方ないので午後に1時間だけ、アネッサさんの為に予定を空けた。やりたい事はあるけど、普段からお世話になっているので無下には出来ない。


「マジマよ。どこへ向かうつもりじゃ?」


「薬局ですよ。行ったことあります?」


「フン。ニンゲン共の巣窟など、一歩すらも踏み込んだ事はないわ」


「じゃあ問題ないですね」


 並んで歩く道の上、ふとシャツを引っ張られる感覚がある。アネッサさんが指先で摘まんでいるようだった。


「どうしました。不安ですか?」


「ばっ、馬鹿を申せ! 妾は魔界でも指折りの魔術師じゃぞ、ニンゲンどもが怖いとか、ある訳なかろうが!」


「まぁ、別にどうでも良いですがね」


 何だろう、歳の離れた姪でも連れ歩いている気分だ。僕の場合、甥しか居ないから新鮮には感じるけども、歩幅の差が歩きにくい。


 そんな想いをブラ下げつつ、やって来たのは大型店舗のチェーン店。広々とした店内には数え切れない程の商品と、買い求める客で賑わいを見せていた。


「さぁ着きましたよ。ここなら興味のあるものも見つかるんじゃないですか」


「ふおぉ……。これ全てが売り物なのか!?」


「そうですよ。だから手荒に扱っちゃぁ……」


 もはや彼女は話など聞いて居なかった。足取りを怪しく揺らしながら、一歩一歩と商品棚へ。縋りつくように突き出された両手が、大特価サービス品を掴むなり、小刻みに震え始めた。


 もちろん人々には奇異な姿として映る。昼休憩中のお姉さんやらスーツを着込んだオジさんが、怪訝な顔をしながら避けていく。うちの子がスミマセン。


「マジマよ、これは何じゃ! 拷問器具か!?」


 アネッサさんは、商品を手にしながら驚愕の声をあげた。この人達は驚いたら白目を剥くというルールでもあるんだろうか。


 ちなみにパッケージを覗いてみると、見開かれた瞳に雫が垂れるデザインだと分かる。


「違いますよ。それは目薬です。かすみ目とか眼精疲労に効くみたいですよ」


「薬がこんなにも山のように……! ならばニンゲン世界は目医者が不要か?」


「それはそれで居ますって。ここにあるのは、いわゆる常備薬ですから」


「ぬおっ! これは何じゃ、肩防具か?」


「それは健康器具です。首とか肩がこった時に使うんですよ」


「そうか、変なの。ムォォーーッあっちにあるのは何じゃあーー!?」


「アネッサさん、店内では走らないで!」


 やっぱり聞いちゃいない。それからもアネッサさんは息を切らしつつも、店内を縦横無尽に駆け抜けた。瞳を輝かせる姿には、見た目相応の年齢が感じられる。


 もしかすると彼女は外の世界に興味があるのでは。漫画片手に演技までするくらいだ。長寿な種族だから僕よりも遥かに年上なのだが、同族からするとまだまだ幼いのかもしれない。


「少しくらいは思うようにさせてやるか」


 そんな仏心が顔を見せた頃、アネッサさんが大声をあげた。


「マジマよ、ここは凄いぞ! 一面がおっぱいだらけじゃ、貴様の大好きなおっぱいが!」


 前言撤回。僕は放たれた矢のように駆け出し、肌着コーナーに向かった。そこは考えるまでもなく女性向けの商品が並んでいた。


「見よ、眼福じゃろうが喜べ。貴様は時折エレンの乳を弄んでおるが、ここならいくらでも眺め放題じゃ」


「弄んでませんから! 人聞きの悪い事言わないでください!」


 撤収。色んな視線が痛いほどに刺さる。しばらくは通えないなと思いつつ、帰路についた。


「もう終いか。随分と淡白な男よのう」


「アナタが変な事を叫ぶからでしょうが」


「まぁ良いわ。貴様は今後、妾の供となる事を許してやろう」


「それは今後も色んな所へ連れて行けという話ですか?」


「無論じゃ。もしや、不服か……?」


 背中のシャツが強く握りしめられた感覚がある。見た目が幼いってのはズルイ。断れば、子供相手にイジワルしてるような気分になるだろうから。


「分かりました。たまになら良いですよ。でも頻繁には無理ですからね、僕にも仕事があるんですから」


「それは真か!?」


「まぁ、外に出るくらいですからね」


「よかろう。ならば契りを結べ」


 アネッサさんはシャツを強く引くと、小指を突き立ててきた。これは指切りげんまんか。懐かしさのあまりに笑みが溢れてしまい、僕も同じく小指を立てた。


「良いですよ、いつでもどうぞ」


「では始めるぞ」


 てっきり互いの指を絡めるのかと思いきや、様相はだいぶ違った。アネッサさんは聞き慣れない歌を歌いつつ、指先で虚空に円を描いた。


「交わせ交わせ密約を、守れ守れ互いの言。破らば生涯……。おいマジマ、なぜ一緒にやらんのじゃ!」


「知りませんよそんな前口上!」


「世話の焼ける奴よ。教えてやるから真似をせい」


 作法としてはこうだ。突き立てた小指を向けあって、時計回りに腕ごとグルグル回す。その際に、お互いが円周の反対側あるよう気をつける。そして先程の歌をリズミカルに口ずさむのだ。


「交わせ交わせ密約を。守れ守れ互いの言。破らば生涯祟られよ!」


 割と怖い台詞だが、針千本を飲ませるのと大差ないか。


「これでお終いですか?」


「まだじゃ。最後に互いの指の腹を合わせる」


「じゃあこれで……痛っ!?」


 アネッサさんの指に触れた途端、チクリとした刺激が走った。


「何だぁ……今のは」


「おい貴様。もしかして妾の魔力に感応したのか!?」


「マリョクにかんのぉ?」


「互いの魔力が干渉しあう事じゃ。本来であれば、同クラスの魔力を持つ者としか発生せぬ。それが何故貴様と!」


「えぇ……? 僕ら地球人にも魔力があるって事ですか?」


「ほぼ皆無じゃ、あっても微々たるもの。少なくとも、妾に匹敵するなど有りえぬわ!」


 だったら話は簡単だ。そもそも僕は、魔力云々よりも現実的で科学的で的確な答えを持っていた。


「アネッサさん。今のは静電気のせいですよ」


「セーデンキ?」


「たまに指先がパチンってなるでしょ、あれですよ。いやそれよりも早く戻りましょう。オルトロスの散歩に間に合わない!」


 散歩は今や、エミさんとの交代制になっており、今日は僕の当番だった。


「なんじゃ貴様。妾を走らせようと? そんな無礼はポロンにすら許しておらぬぞ」


「だったらさっきの約束事に追加です。外では僕の意見に従ってくださいね」


「貴様ァ! 後出しで上乗せする癖を改めんか!」


「ゴチャゴチャ言わない、たまには運動してくださいよ!」


 僕達は満足な速さとまではいかないが、駆け足の姿勢を貫いた。結局は間に合わず、エミさんが代理で請け負ってくれたので事なきを得た。


 ちなみに今日の出来事は、比較的平凡なものに感じられたせいか、翌朝にはほぼ忘れていた。しかしアネッサさんにとっては違ったらしい。顔を合わせる度にどこそこへ連れて行けとせがまれるようになった。


 情にほだされるべきじゃなかったと悔やんでも、後の祭りというヤツだ。

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