【完結済】おいでよ魔界ワークへ
おもちさん
プロローグ 完全週休2日制です
止めときゃ良かった。こんな怪しい求人に応募しなきゃ良かった。急な派遣切りだからって、後先考えずに飛びつくべきじゃなかったんだ。受付っぽい美人さんに見惚れてないで、サッサと逃げ帰っておけば今頃は安全圏にまで逃げ切れたのに。
「では、そこに座ってくれ」
ごく自然に語りかける大男。ヤギだかトカゲみたいに突き出た口元、黄色のビー玉を詰め込んだような瞳。頭には図太い角が生え、全身は赤黒く筋骨隆々で威圧感が凄まじい。
「こんな見た目なのに、ワイシャツとスラックスを着てるのか……丁度良いサイズがよく見つかったなぁ」
「うむ? 何か言ったか?」
「す、すみません! 独り言です!」
最初は被り物か何かだと思ってた。面接の緊張をほぐすとか、そんな気遣いの現れかなと。我ながらノンキ過ぎる思考回路だ。
このヌルヌルと滑らかに動く皮膚や筋肉を見るうちに、印象はジワジワと変わっていく。装着したにしてはフィット感が抜群すぎるコスプレアイテムの品々が、段々と別物に見えてきた。その結果、一番あり得ない結論に着地してしまった。
(この人は、本物の悪魔なんじゃないか)
そんな馬鹿な。何度も何度も打ち消してはみたものの、彼が身じろぎする度に強く感じる。マジリアルなのではと。
「さてマジマ君、経歴を拝見したが申し分なく思う。ぜひ我が『ワクワク魔界ワーク』でその能力を発揮してもらいたい」
人か獣かも分からない面接官は、そう言って瞳を細くした。笑顔のつもりだろうか。
それにしてもだ。僕の何が気に入られたんだろう。大学を一浪一留して、どうにか卒業に漕ぎ着けた後も芳しくない。派遣社員で食いつなぐ日々だ。目まぐるしく変わる契約相手に業務内容。正直言ってどんなスキルが備わっているのか、僕自身ですら理解していない。
もしかして趣味欄に食いついたのか、いやまさか。小さな賞すら取ったことのない素人作家だし。
(いろいろ怪しいな。どうにかして断ろう)
安請け合いするなと本能が警告する。僕はあらん限りの勇気を奮い立たせて、目の前の怪物と向き合った。
しかし相手の方が素早く、むざむざと先手を譲ってしまう。
「ちなみに時給は2千円。残業代および休出手当はもちろん、交通費も別途つけよう。望むのなら昼食もだ」
「ありがとうございます。すぐにでも働きたいです」
しまった。あまりの好条件に釣られて、色良い返事をするとは。脳内では『今からでも断れ』とガンガンに警鐘が鳴りまくる。
しかし人ならざる何かは手慣れており、僕の浅知恵を凌駕するほどに周到だった。
「ではサインをここに」
卓上伝いに手渡されたのは、丸みを帯びた羊皮紙、そして羽ペン。尖った爪先が紙の端をコンコンと突つく。この余白に書けということだ。
ここが最後の選択肢。逃げたい、逃げよう。でもこの流れで断ったら怒らせるだろうし、勢い余って食われてしまうかもしれない。頭からパックリか、指先からポリポリいかれるのか。もしかすると腰で真っ二つにへし折って、上下半身を交互に美味しく食べられるのかも。
いずれにせよ詰みの状態だった。
「どうした。何か不都合でも?」
「いえ! 今書きますのでッ!」
真島徹志。ルビが要るならマジマテツシ。20年以上親しんできた名前が、いかにも怪しげな書類に書き込まれてしまった。
すると不思議なことに、黒インクで書かれた文字が一瞬のうちに赤く染まっていく。そして、その一文字一文字がゆっくりと宙に浮かび上がった瞬間、甲高く響いた音と共に消えてしまった。
理屈なんか知らない。何がどうなったのかすら分からない。それでも、非科学的な何かが起きてしまったんだと、感覚的に理解した。
「よろしい。契約成立だ」
面接官の顔がグニャアと歪み、僕の後悔は最高潮になる。悪魔っぽい契約だなんて身の破滅じゃないか。もう簡単には逃がしてくれないだろうし、そして、悔やむにしても遅すぎたとも理解した。
「では、週明けから宜しく頼む」
今日は金曜日。土日はしっかり休ませてくれるようだ。見た目と違って、案外優しい人なのかもしれない。別れ際に、割とどうでも良い事が心に残った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます