第26話 いつでも手を差し伸べています

 でかい図体は良い的だった。頭上の鎌を横にいなし、ガラ空きの腹を蹴る。すると巨大なカマキリは草原の上を滑るようにして転がっていった。


 しかし、甲虫のように硬い外皮に覆われた身体を相手にしては、相応のダメージが返ってきた。


「いてて。カマキリが硬いとか、反則じゃないか。どんな進化だカブトムシかよ」


「逃げてマジマくん! あれはマンティスロードという強力な魔獣よ。鋭利な武器だけじゃなく、守りも凄く堅いの!」


「攻防どっちも強いんですか。でも安心してください、僕だって成長しましたから!」


 エレンさんに笑いかけてはみたものの、いつもの微笑みは見られなかった。そして、成長というよりは変異に近いけど気にしてはいけない。


「そこで見ててください。僕がキッチリ倒してみせますから」


 マンティスロードが重たい身体を起こした。どうやらダメージは無さそうだ。


 でかい図体に堅い外皮。だったら動きはトロくさいだろう。そんな見通しも、敵が羽を広げた後には真逆になる。


 羽音。暴風、そして衝撃。怖気から出た勘を頼りに飛んだ。頬に痛みが走り、血が滴り落ちた。


「全然見えなかった、速いなんてもんじゃないな……」


 マンティスロードは丘の上に着地し、こちらに向き直る所だった。その仕草は一転して遅い。このチャンスを逃してはならない。


「今度はこっちの番だ!」


 無防備な背中に向かって駆けた。みるみるうちに敵の身体が大きく映る。その両手、胴体も光沢を帯びた緑色に覆われており、いかにも頑丈そうだ。


 だったら狙うは顔だ。振り向きざまの頬にアツい拳を、全体重を乗せて浴びせかけた。


「これでどうだ!」


 マンティスロードは錐揉み回転しながら吹っ飛び、身体を何度も地面に打ち付けて転がった。


 地面が激しく揺さぶられる。これはさすがに効いただろう。しかし、調子を変えずに起き上がる仕草からは、余裕すら感じられた。


「今のもダメなのか、クソ……!」


 再び暴風。跳ぶ。左腕から鋭い痛み。今度は避けそこねたのか、傷口から赤い血と、それに染まった石片が零れ落ちた。


 出血はさほど。しかし、痛みから左手に不自由さが感じられた。攻撃の余波なのか、耳鳴りも激しい。


「マジマくん! ■■■!」


 エレンさんが何かを叫んだらしい。逃げろ、とでも言いたいのだろうか。そんな台詞よりも「そいつに勝てたらたくさんギュウッてしてあげる」なんてのを聞きたい所だ。


「そんな言葉を聞けるのはいつになるのかな……アハハ」


 もう1度敵と向き合う。相手は勝ちを悟ったのか、瞳が醜く歪んでいるように見える。


 はっきり言って確かに不利だ。やはり丸腰は無謀だったか。せめて武器でもあれば違ったかもしれない。


「いや、有るじゃないか。こいつらには無い、特別強力なやつが」


 それは知性、そして知識。身体能力に劣る人類が他を圧倒できたのは、思考する力のおかげじゃないか。


 何か打開策は無いか。記憶を揺さぶり、腹の奥深くから探ってみる。すると脳裏に駆け巡る閃きが、ひとつの光景を浮かび上がらせた。


◆ ◆ ◆


――あぁ、今日も暑いわねぇ。マジマくん、クリップ持ってない? 端っこ持って開け閉めするやつ。


――もしかしてダブルクリップですかね。大きさは?


――1番大きいのをお願い。


――はいどうぞ。書類でもまとめるんですか?


――ううん。暑いから髪をまとめようと思ってね。あぁスッキリした。


◆ ◆ ◆


「あれは素晴らしかった。ポニーテイル姿というか、キレイなうなじは本当に……」


「マジマくん、攻撃が来るわよ!」


「えっ……うわぁ!?」


 胸が衝撃でひしゃげ、遥か後方まで吹っ飛ばされた。今度は僕が転がる番。血飛沫を撒き散らしながら丘を滑り、最後に天を見上げた。


「血がこんなに……。クソッ、止まれ!」


 胸を引き締めると止血になり、傷口も塞がった。しかし立ち上がる瞬間に覚えた頭痛から、いよいよ後が無い事を悟る。魔力の底が見えてきたからだ。


「ヤバいな。そろそろ真剣にやらないと!」


 これがラストチャンスかもしれない。敵の背中を睨みつつ、意識を深く深く掘り下げていく。


 平々凡々な人生だ。格闘技どころか喧嘩の経験すら無い。こうなったら聞きかじりの知識でも良い。テレビや小説、いっその事マンガやらゲームだって構わない。


 すると、何かに合致した感覚とともに、ひとつの光景が浮かび上がってきた。


◆ ◆ ◆


――君子マジマよ、お主はフェンシングを存じてござるかな?


――いや、詳しくは知らないけど。急に何の話?


――あれは実に良きものでござるよ。全身鎧の隙間を付かんとする意識、刺突に特化した造りは儚くも美しい。そう感じるでござろう?


――うん、まぁ、そういうもんかな……。


――なんという生返事。平和ボケここに極まれり。もし戦国の世であったなら、笑われるだけでは済まぬでござる。


――今は平成だからね。そう言うタケトヨ君はやってみたのかい? フェンシングを習うとかさ。


――ディエッフッフ。吾は根っからのインドア派に候。外で体育会系のリア充共と絡むくらいなら、潔く切腹して果てたい所存。


――なんだよ。いつもの様に、マンガやゲームに影響されただけか。


◆ ◆ ◆


 これだ、この記憶に賭けよう。敵は向き直り、ご自慢の鎌を掲げた所だ。その懐に潜り込み、渾身の一撃を叩き込んだ。


 ただし拳ではない。外骨格の隙間を目掛けて、手刀を突いた。そこは思った通り関節だ。差し込んだ指先に生々しい質感が伝わり、同時に破ける感触もあった。


「クキェェーーッ!」


 耳障りな叫びののち、鎌が辺りに振り回される。地面に大穴が開き、岩が木っ端微塵に砕けたりするが、動くのは片手だけだ。手刀を食らわせた方はダラリと下げられたまま、動きだしそうな気配は全く無かった。


「これでトドメだ!」


 切り裂き音を掻い潜り、相手に傍に寄った。鎌を振った後だ。横に流されていく巨体。追いすがるように跳び、鎌の根本に乗る。振り上げた手刀を、肩と首骨格の隙間目掛けて叩き込んだ。


 弾力、命の手触り。傷口から濃紫の鮮血が吹き出し、空色を塗り替えた。やがて、蚊の鳴くような声が漏れたかと思うと、敵は倒れた。


「ハァ、ハァ……やった。どうにか勝てたぞ」


 辛くも勝利、いや激辛の勝利という着地点だった。締まらないものを感じつつも、負けるよりかはずっとマシだと思う。颯爽と駆けつけてやられました、では格好なんかつかない。


「エレンさん。平気ですか? どっか怪我してたりは……」


「私なら、大丈夫。魔力を切らしてるだけだから」


「立てますか?」


「ありがとう。あっ……」


 差し伸べた手にエレンさんの指先が触れようとした瞬間、離れた。彼女の視線も地面に落ちている。


 どうやら今も引っかかっているのか。悔やむ意味のない過去を、僕らの繋がりを彩る一件を。


「エレンさん。魅了の魔法だったら、僕は気にしてません」


「許される訳が無いでしょ。あなたの心を弄ぶような真似をして。こんなに強く掛けるつもりは無かったのに、まさか、魔界に呼び寄せてしまう程になるなんて……」


 エレンさんの泥に汚れた頬に、一筋の雫が流れていく。これは、単なる罪悪感だけが溢れたのではない。そう見做せば、怖いものなんか無かった。


 僕は膝を地面に着け、互いの距離を更に詰めた。


「エレンさん。確かに僕達の関係って、最初のうちは間違えてしまったのかもしれない。でもそれだけです。仕事を通して支え合い、励まし合い、正しい信頼関係を築き上げてきました。それには一切、疑いの余地がありません」


「マジマくん……」


「魔界まで来たのはあなたを助けたかったから。そして僕の窮地は、あなたと過ごした日々が、記憶が助けてくれたんです。この想いがまやかしだったとしたら、どこかで命を落としていたに違いありません」


「でも、私は……」


「でも、じゃないですよ」


 少しばかり語気を強めた。エレンさんの顔が持ち上がり、ようやく視線が重なる。きっと心の奥底も重なったハズだ。


「エレンさん。魔界では、強者が望めば手に入る、というルールがあるそうですね」


 もう1度手を差し伸べた。今度は引っ込めるつもりは無い。


「僕は強くなった。だから君は僕のものだよ、エレン」


 見つめ合う瞳。相手のものが、少しずつ湿っていく。また涙が溢れるかと思いきや、三日月眼となり、愉快そうに微笑んだ。


「何そのルール。初めて聞いたわよ」


「ええっ! そうなんですか? おかしいな、村の人がそんな台詞を言ってたような……」


「それが成り立つんなら、魔界にあるもの全てが魔王様のものになっちゃうでしょ」


「言われてみれば。でも、あれぇ? どこで勘違いしちゃったかな?」


 何て事だ、格好がつかない、そして恥ずかしい。


 それでも僕は手を引っ込めなかった。彼女の温かな指に触れるまでは、絶対に。

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