最終話 ゆくゆくはアナタも大幹部に

 丘の上に火竜亀の群れが押し寄せた。岩をも溶かす炎を吐く強敵だ。赤黒くザラリとしたその皮膚が、爆炎の中で怪しく煌めいている。


「遊撃隊、出るぞ! 魔術師隊を守るんだ!」


 魔術師の中隊が砦の外に展開している。防護結界を構築するためで、今は詰めの作業中だ。これが完成すれば、東部地域にある村々の安全はもちろん、街道の移動も別物のように快適になる。近々の仕事で最も重要な案件だと言えた。


「隊長、ちょっと良いですか!」


「左陣は魔術師隊の前を守るんだ。右陣は僕に続け、敵を牽制するぞ!」


「マジマ隊長! 後は私に任せてください、大事な式典を控えてるんでしょう?」


「今は目の前の仕事に集中しなよ。それにキャピタルまで馬なら1日以上かかるけど、僕なら半日もかからない」


 副官の男が僕の肩を掴んだ。焦ったような気配は戦局を見ての事ではない。


「だったらもう遅刻ですって。全て引継ぎますから、一刻も早く向かってください」


「何でだよ。式典はデイズトール、明日じゃないか」


「明日はデイズタァル。トールは今日ですよ」


「へっ……?」


「とにかくキャピタルに急いで! 主役が遅刻だなんて一生モノの恥ですよ!」


「うわぁ間違えたぁぁーーッ!」


 僕はその場で飛んだ、武装もそのままに。視界一杯の青空。それはどこか祝福する様でも、人の失敗をたしなめる様でもあり、受け止め方には苦慮させられた。


 いや、今は先を急がなきゃ。眼下に砦。そこを目掛けて降り立った。見張りの兵が腰を抜かしかけるけど、気遣うだけの猶予も惜しい。


「ま、マジマ様? 一体どうなさいましたか!」


「ごめん、僕の装備を預かってくれ! それとツィーテオさんによろしく!」


 鎧をその場で脱ぎ散らかし、宝剣だけ履くと、再び空に舞い戻った。


 蒼い太陽は既に中天を過ぎている。これはギリギリで遅刻する頃合いだった。


「だからエレンは昨日の内に出立したのか。お義母さんと親子水入らずにとか、気を回さないで一緒に出ておけば!」


 後悔先に立たず。焦りで胸の内を黒く染めながら飛行を続けた。いつぞやのエレン救出戦にも匹敵する、いや、ある意味では上回る程に。


 途中で渡り鳥の群れを追い越し、あちらを騒がせてしまった。ごめんなさいという気持ちを抱きつつも、むしろ速度をあげてキャピタルを目指した。


「ハァ、ハァ、ぎりぎり間に合ったぞ……!」


 ここは都でとびきり大きなチャペルだ。来客を避け、打ち合わせ通り裏手に回り、勝手口を開けた。すると間髪入れず、タイトスーツに身を包んだ女性が現れた。


「マジマ様! お待ちしておりましたよ朝早くから!」


「いや、ほんとゴメンなさい。着替えをお願いしますよ」


「それはもちろん。超高速でやりますので!」


 会話もそこそこに腕を引かれた。腰は低いが力は強い。致命的な遅刻だった事が良く分かる。


「新婦様はもう控室でお待ちですよ。とてもお綺麗で」


「そりゃ僕の奥さんだもの。世界で一番さ」


「そこまで大事にされるなら、もう少し時間にゆとりを持っていただきたかったですね」


「うん。返す言葉も無いです」


 事前に決めたスーツに袖を通し、上から深紅のマントを羽織る。そして金造りの杖を手渡された。式典で使う重要アイテムで、最初は新郎の僕が持つという決まりだった。


「ではマジマ様。そろそろ開始しますのでご準備を」


「えっ。あいさつ回りとかしないの? お義母さんとか参列者に……」


「そのお時間なら、とうに過ぎてます」


「はい諦めます」


 渋々ながらも誓いの間へ。そこでは祭壇と向き合うように長椅子が並び、座る客人に見慣れた姿が多く見えた。


「みんな来てくれたんだ、嬉しいな」


 僕は祭壇の前に立つと照明が落ちた。暗闇の中で金色の杖だけが優しく輝く。


 そして部屋の最後尾にあるドアが開いた。淡く光るドレスに身を包んだエレンがお義母さんに連れられ、一歩ずつこちらに歩み寄った。


「あぁ、なんてキレイなんだ……」


 エレンのドレスは青系統の色味で、腰を絞り、裾は大きく広がる作りだった。人魚みたいだなと思うけど、彼女が着たなら、あらゆる生物を凌駕する美を実現してくれた。


 世界で、いや、宇宙で一番にキレイな奥さんだ。


「娘をよろしくお願いします」


 その言葉に合わせて、静かにエレンの手が僕に委ねられた。一礼して受け取り、絹のグローブ越しの手を握り締め、祭壇と向き合った。


 進行役が「これより誓いの儀に移ります」と告げたので、僕達はそれぞれの手で杖を握りしめた。そして僅かばかりの魔力を込めて掲げる。先端から一筋の光がほとばしり、天井に当たって消えた。


 すると、暗闇に包まれた2階席から1人の女性が姿を現した。ほの光るドレスに身を包むのはエミさんだった。小さな会釈の後、辺りには伸びやかな歌声が響き渡ってゆく。


――永久に、永久に、紡ぎあえ。命運の手綱


 少し見ない内に、また上達したらしい。客席からは感嘆の溜息まで聞こえてくる。もちろん僕も、彼女の美声に酔いしれる想いだ。


――朱の朝も、深き宵も、片時も離れる事無く


 歌は静かに幕を引き、余韻の尾が室内に長く残った。やがて天井で数多のロウソクが灯り、辺りは温かな光によって包まれた。祝福を受けたという演出だった。


 歌声に心を浸すのも束の間。進行役が全員にテラスへ出るよう促した。誓いの儀が終わり、会食となる事を告げたのだ。僕らはお客さんの後ろ、最後尾に並んで待つ事に。


「エレン、なんだかアッという間だったね。打ち合わせとかはスゴイ時間がかかったのに」


「一生に一度だもの。これまでの苦労も、きっと良い思い出に変わるわ」


「そうだね。あと、変な恥をかかないように気をつけなきゃ」


「クケケッ。お互いに笑われないようにしましょうね」


 テラスまでやって来ると、芝生に大きなテーブルが並べられ、その上には色とりどりの酒食が揃っていた。立食形式だ。皆は皿を片手に、各々が身内との会話に花を咲かせていた。


 そんな最中での事だ。僕を呼び止める声がかけられたのは。


「先輩、おめでとうございます!」


「エミさんありがとうね。歌、凄く良かったよ」


「エヘへ。最近は慰労の為にあちこちを回ってるんです。嫌でも上手くなりますよ」


 それからエミさんはエレンと向き合った。少しばかり無言を挟んだあたり、微かな寒気を感じさせた。


「エレン先輩、おめでとうです」


「ありがとう。歌を引き受けてくれるとは思わなかったから、嬉しいわ」


「実は直前まで悩んだんですけどね。色々と考えた結果です」


 少しばかり座が湿るのを塗り替えたのは、アネッサさんのあっけらかんとした態度だった。


「何をしみったれた声を出しておる。シャンとせんか」


「ちょっと寂しいなって感じただけですよ、もう平気ですもん」


「こんな男に未練を抱いてどうする。魔力薬を飲んでしまうようなヤツじゃぞ」


 懐かしくも、蔑ずむ視線が僕を貫いた。


「待ってアネッサさん。僕は塗り薬だなんて聞いてなかったですよ!」


「当たり前すぎて伝え漏れたのじゃ。まったく、赤ちゃんのようだのう」


「忘れてくださいよ。今はちゃんと覚えましたから」


「そんな訳じゃエミよ。こんな男なんぞ忘れてしまえ。魔界で良き男を探せば良いわ」


 しかしエミさんは首を横に振り、ほがらかな笑顔を浮かべた。なぜだろう。今日一番の寒気を感じたのは。


「いえいえ、私はやっぱり先輩と結婚するのが良いかなぁって」


「えぇ? でも僕はこうしてエレンと結ばれた訳で……」


「あぁ、そっちじゃなくて、地球での話です。エレンさんは戸籍とか持ってないでしょ? だから、アッチでの奥さんは私って事で」


「ほぅ。ボンヤリした小娘かと思いきや、意外と策士ではないか。見直したぞ」


「いやいやいや。僕は認めてないよ、そんな重婚みたいな真似だなんて」


「先輩、観念してくださいよ。お義父さんお義母さんとは、週末にお食事するくらい親密になりましたから」


「何で外堀が埋まってんの!? やめてよね!」


 にわかに窮地へと陥った僕を助けたのは、魔王様の猛々しい声だった。助かる、さすがは理想の上司。


 そう思って耳を傾けていたのだけど、結局は更なる危機を迎えてしまう事になる。


「聞け、我が同胞よ。本日めでたく婚姻の儀を終えたマジマテツシは、類まれなる勇士である。単身で戦地に向かい、エレンを守り抜いてみせた。それだけに留まらず、多数の負傷者を救出した事は記憶に新しいだろう」


 テラスのあちこちから「そうだそうだ」という声があがり、僕は面映ゆくなる。


 ちなみにその間、輪から外れるようにして遠巻きになる2つの影があった。お祝いムードなんか我関せず。大杯で酒を飲むばかりのモーリアスさんと、一心不乱に飯を食いまくるオルトロスの方は見ない事にした。


「また、昨今の戦績も目覚ましい。巨獣の侵攻を押し返したばかりか、防護陣の構築にも貢献した。この功績を称え、マジマ君をシーリス伯に任じようと思う!」


 周囲が歓声で揺れた。僕だけ理解出来ておらず、とりあえず尋ねてみる。


「ねぇエレン、シーリスハクって何?」


「シーリス地方を治める伯爵よ。つまりは貴族になったって事」


「えぇ!? 伯爵だって!」


「ワシからの御祝儀だと思って受け取ってくれ。もっとも、本人だけはピンと来てなかったようだがな」


 今度は周囲が笑い声で満ちた。恥ずかしい。これは早速、恥をかいてしまったのか。失態を奥歯で噛みしめる僕。そんな最中に歩み寄ってきたのはアネッサさんだ。


 満面の笑み。この人達はどうしてこうも、おっかない笑顔を晒すのか。


「聞いたかマジマよ。近々、正式に叙任されるじゃろう」


「はぁ、どうも」


「それにしても伯爵とは大身じゃ。役目も多岐に渡る。嫁1人では、とてもじゃないが仕事なんぞ回らんじゃろう」


「何が言いたいんですかね、アネッサさんは」


「安心せい。妾が側女として手を貸してやろう。ただし側室の筆頭として扱うようにな喜べ」


「どうしてそうなるんですか!」


「伯爵という身分にもなれば、子孫も大勢残さねばならぬ。エレン1人では辛かろう、妾も手伝ってやると言うのじゃ喜べ」


 たじろぐ僕に追撃が入った。目の色を変えたエミさんだ。


「先輩。お義父さんらに抱かせる初孫は、私に任せてください。いつでもオッケーですからね!」


 更に後ずさる僕、ジリジリと寄る2人。扱いに困り果てた結果、空を飛んだ。エレンの身体を抱きかかえながら。


「あっ、逃げた!」


「待てマジマ! 飛ぶのは卑怯じゃぞ!」


 そんな罵詈雑言はすぐに聞こえなくなる。都もみるみるウチに小さくなり、やがて視界からも消えてしまう。


「参ったな、あの2人には……」


「随分とモテるのね、テツシくんは」


「不本意だよ。僕はエレンにさえ愛されていれば最高なんだから」


「クケケェ。その言葉は嬉しいけど、アネッサちゃんも正論を言ってたのよ?」


「側室がどうのってやつ? 僕は嫌だなぁ」


「私だって寂しい気持ちはあるわ。だけど、誰も囲わないってのは難しいかしらね。領内経営とか、仕事は多いわけだし」


「君は、僕が他にも奥さんを迎えて平気なのかい?」


「そうねぇ。嫉妬して泣いちゃうかも」


「なんだよそれ」


 僕達は顔を合わせるなり、どちらからでもなく笑った。他に誰も居ない、2人だけの笑い声が周囲に響いた。


「ねぇテツシくん。そろそろ戻る? それとも、このままどこかへ行っちゃう?」


「そうだなぁ。もう少しだけ散歩をしてみようか」


 僕達は暮れゆく空を駆け回った。間もなく太陽は落ち、今度は夜空が広がるだろう。2人の前途は果たして明るいのか。答えなんか、どこかに転がってるハズもない。


 蒼く輝く月を背に受けて、星空の下をただ飛び続けるのだった。





ーおいでよ魔界ワークへ 完ー

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【完結済】おいでよ魔界ワークへ おもちさん @Omotty

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