第11話 ご質問はお気軽に

 来ている、メールが。来ている、フォルダに。本当に来ている問い合わせが。


 幾日も延々と待ちわびたものが、とうとう僕の元へと訪れたのだ。自宅アパートの105号。手洗いうがいを済ませ、軽くストレッチを実施。そしていざ、開封。


――ご担当者様 貴社ホームページを拝見した者ですが、いくつかご質問を宜しいでしょうか。


 そんな文面から始まったまともな文章。まずは冷やかしじゃない事に胸を撫で下ろし、読み進めていけば、「貴社の業種をお教えください」とあった。


「ぎょ、業種……」


 言われてみれば考える事を避けていたように思う。これは困った、迂闊に返答するのはマズイだろう。逸る気持ちをなだめすかし、ひとまずは出社まで塩漬けにする事を決めた。誰かとの相談なしに迂闊な回答は出来ない。


「業種って、何かしら?」


 朝イチにエレンさんに相談してみたところ、明快な返答があった。指先を頬に当てて小首をかしげる様は、一枚絵に残したいくらい愛くるしい。


「魔王様、業種って知ってる?」


「ムム……悪いが見聞きした覚えがないな」


「問い合わせで尋ねられたんですよ、どうしましょうか」


「うぅん。ニンゲン世界で似たようなお仕事ってないの?」


 そう言われて思いついたのはガードマンか。脅威から誰かしら守るあたりが一致している。自衛隊のほうがニュアンスが近いとも思うけど、僕らは民間なので謳う事は不可能だろう。


「ほ、保安って所でしょうか」


「じゃあそれで」


「そんなアッサリ決めちゃって良いんですか!?」


「大丈夫でしょ。どうせ私達の仕事なんて、ニンゲン世界で一致しないんだから」


「まぁ詳しくは、面接の時に詰めて貰えればと……」


 とりあえず返信だ。趣旨としては「保安にまつわる業務、あるいは準ずるもの」と、軽くボカシておく。何だよ準ずるって、などという気持ちは重たいけど、これが今の精一杯だ。


「あれ。もう返事が……」


 リアクションは早い。やる気の現れなのか、5分と待たずに反応があった。担当者として嬉しい反面、質問が増えた事には困らされた。この頃にはエレンさん達も関心を強めており、今や話題の中心だ。


「具体的な役職や業務内容を教えてください……か」


「随分とまぁ、早い返事ね。ずっとパソコンの前に居るのかしら」


「大変結構ではないか。よほどに興味津々なのだろう」


「そこは良いんですがね、何て返したら良いですか」


「まぁ、一番欲しいのは前線の兵士よね。己の腕に物言わせて勝負していくっていう」


「適性があるなら指揮官も任せたい所だ。兵卒や下士官で経験を積み、ゆくゆくは方面軍の総司令官の席も用意できる」


「とりあえず……現場作業員としておきますね。経験次第では現場監督にもなれますと」


 再び婉曲しての返信。答える度に嘘を上塗りしている様な感覚は何だろうか。いっその事、事実をありのままに教えたいとも考えたが、今更だ。今回はこのまま推し進めていくしかなさそうだ。


 ちなみにそれからも質問は何度も何度も続いた。「業務の主目的は?」と聞かれれば「担当区域のインフラ保全や安定化」と答え、「給与イメージは」という質問には「モデルケースとして時給2千円に諸手当、部署によっては危険手当も」と回答した。


「長すぎるよ、質問のやりとりが……」


 早く納得してくれと、メールの応答だけで疲労が見え始めた。そして何度目かの質問に「アットホームな職場環境です」と答えた後、予想だにしない形で決着した。


――設定クソ盛ってんな、マジで笑う。


 相手からはそんな文面が送り付けられ、思わず眼を見開いてしまう。そして画面をスクロールさせ、無駄な余白を跨いでみると、最後にはどこかのURLが貼り付けてあった。アドレスは匿名掲示板のもの。ズキリと差し込む胸の痛みに堪えつつ、そのページを開いてみた。


 するとそこは、罵詈雑言と嘲笑の踊り狂う、地獄のような場所だった。


――マジでやべぇコイツの頭おかしすぎ。

――返事は超絶丁寧じゃん。逆に狂気が感じられるな。

――真っ当な社会人ぶってるだけじゃねぇの。

――アットホームな職場ですとか、誰が応募すんの。地雷過ぎんだろ。


 その言葉のひとつひとつが突き刺さる。頭を鈍器で殴られた衝撃を感じ、思わず両手を放り投げた。


 そうして見上げた天井には、いくつものシミがあった。ここは新築じゃない。中古物件かなと、どうでも良い事が脳裏を過ぎった。


「マジマくん、どうかしたの……?」


 エレンさんが席から静かに尋ねた。魔王様もその隣で、訝しむような顔になっている。


「何でもないですよ、すっごく順調みたいで!」


「そう。もし上手くいかなくても自分を責めないでね」


「エレンの言う通りだ。今は問い合わせが来た事だけでも良しとするべきだ」


「ありがとうございます……アハハ」


 言えるわけがない。心無い連中のオモチャにされましたとか、口が裂けても言えない。ほとぼりが冷めた頃、結局は逃げられましたと報告するしかなかった。


 そう思って不毛なメールアプリを閉じようとした、まさにその時だ。受信ボックスに新着のバッジが突いた。僕は顔と心を鬼にして開いた。文句のひとつでも言ってやろうと。


 しかし、送信者の文字列を見たとたんに心の怒りが緩んでしまう。


「もしかして、さっきとは別のヤツ……?」


 使い捨てのメールアドレスで、表題は無く、簡潔な本文は「はじめまして、雇ってください」とだけあった。


 思わず飛び跳ねそうになったが、慌てて首を横に振った。これもどうせイタズラだ。例の掲示板の連中がネタを求めて、わざわざメールを寄越してきたに違いない。


 そうと気付けば、やることは1つだ。


「スケジュールの都合より、面接は明日でも宜しいでしょうか。ご質問がありましたら、当日にお尋ねください……っと」


 最後に会社所在地と電話番号を貼付け。さすがにイタズラ目的で面接までは来ないだろう、ざまぁみろ。一矢報いたような気分が、傷心を僅かばかり慰めてくれた。


 それからはアネッサさんの仕事を手伝うなどして、その日の業務を終えた。気分を重くしたままで帰宅。少し豪華な惣菜やデザートまで買ってみたけど、食べ終えても溜息が漏れるばかり。


 窓の外に眼をやれば、スーツ姿の男が数人、住宅街の路地を歩いていた。同僚ってヤツだろうか。


「さすがに無音ってのは寂しいな」


 床に転がるリモコンを這って手に取り、電源を入れた。目当ての番組も無いので選局ボタンを弄んでみれば、とある情報番組に行き着いた。何かの特集で、邁進する情報社会、とあった。いかにも事情通そうな老紳士が、アナウンサー相手に見解を述べている。


――我々人類はですね、かつてない速度で、そして広範囲に情報を伝達できるようになりました。これほど目覚ましい発展を目の当たりに出来たのですから、心から歓迎すべき事であります。


 良いことばかりじゃないよ。昼間の一件を思い浮かべれば、弊害があるのは明らかだ。悪意や攻撃性まで伝達してしまうという側面が、間違いなく存在するんだ。


 テレビには嫌気が差したのでネット動画に切り替えた。そこで目に付いたのは『こんな求人には気をつけろ』だとか『悪い求人の見分け方』などの解説モノだった。さすがに今は学ぶ気になんかなれない。


「もういいや。シャワーでも浴びれば多少は……」


 二畳にも満たない風呂場でシャワーを浴び、パジャマ姿でお気に入りの一杯を愉しんだ。『あんまソーダ』というお気に入りのジュースは、慈しむかのように甘みが濃い。


 多少は気持ちを持ち直した。しかし気分の切り替えと同時に疲労感が押し寄せ、夜は早々と就寝した。明日はもう少し良い日でありますように。 


 迎えた次の日。心機一転、最高のホームページをと勤しむ朝10時過ぎ。エレンさんが信じられない言葉を口にした。


「マジマくん、お客さんが来てるわよ」


「僕にですか? そんな予定無いんですけど」


「その人、凄く小声で喋るから聞き取れなかったけど、面接を受けに来たみたいよ」


「面接……嘘でしょ!?」


 イタズラの為にそこまでやるか。僕は怒りを通り越して呆れてしまった。


「とりあえず応接室に通しておいたから」


 エレンさんは真面目な顔つきだ。それからは玄関まで肩を並べて向かい、謎の人物が待つ部屋へ。途中ついつい足早になりつつ、エレンさんを追い越しては窓辺に張り付いた。


 まずは情報収集。慎重に覗き込んだ窓の向こう側に、その人物はたしかに居た。紺ジャケットに白ブラウス、そしてタイトスカートと、よく見かけるリクルートスーツ姿だ。華奢な体つきからも女性だと思えた。しかし外見から得られた情報はそれくらいだ。


 幅広の帽子にサングラス、そしてマスク。それらが個人を特定できそうな諸々をシャットダウンしているのだ。


「面接希望者、なんですよね? イタズラとかじゃなく」


「確かにそう言ってたわ。たぶん」


 エレンさんが僕に覆いかぶさる様にして、同じく中を覗き込んだ。背中にプニッと柔らかな感触が走り、とっさに声を上げそうになるが、頑張った。気合一発で魅惑の接触に堪えきったけど今はそれどころじゃない。


「まぁ不安になる相手だけど、まずは話し合ってみたら?」


 至極真っ当な意見が提示された。確かに面接を受けに来てくれたのだから、門前払いにする訳にもいかないし、そもそも選り好みできる立場じゃない。相手に求めるのはやる気と、桁外れの柔軟さがあれば十分なのだ。


 それにしても、とは思う。こっちが謎求人を出した因縁か、初の面接相手が謎の人とは。この世の中、意外とバランスを取ってくるもんだと、何となく思い知った。

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