四十二話 出立

 心地よい風が吹いている。

 気持ちのいい快晴であった。出立日和だと、エルガは空に向け大きく胸を張った。


「エルガ卿、万事整いましてございます」

「おお、ご苦労。ジアン」


 ジアンの報告に、答える声もはつらつと風にのる。


「姫様を頼んだぞ」

「かしこまりました」


 ジアンが一礼し、姫を迎える為、その場を去る。

 その背を見送ると、エルガは前に向き直った。槍を一振りし、どんと地面をたたいた。

 眼前には、見事に整列した兵士達が居並んでいる。エルガは彼らの顔を見渡し、声をあげた。


「我らはこれより、王都へ向かう。長く、尊き旅となるであろう。姫様のお供をつとめるということは、大いなる誉れである。諸君等はこれを常に胸におき、相応の振る舞いをするよう心がけよ」


 朗々とした声であった。ここで一度、エルガは言葉を切ると、念を押すように彼らの目を見た。皆、まっすぐした目で、エルガに応えた。


「われら、力を合わせ、この務めを全うせん!」


 槍を掲げてのエルガの声に、兵士たちが一斉に礼をとった。一部の乱れもない、美しい動きの余韻が、風となり、周囲を揺らした。


 ジアンが部屋にやってきたとき、ラルはちょうど、遠出用のドレスに着替え終わったところであった。

 ジアンは跪き礼をとる。


「おはよう、ジアン」

「ご機嫌麗しゅうございます」

「顔を上げて。――いよいよね?」


 ラルが間をおいて尋ねた。ジアンは顔を上げ、頷いた。


「はい。いよいよ出立の日とあいなりました。皆、姫様のお供を務めさせていただく、この上なき喜びにわいております」

「ありがとう」

「旅の間、僭越ながらこのジアンが、姫様のお側に控えさせていただくこととなります。何なりとお申し付けくださいませ」


 エルガは、前で皆を率いる事となっている。その為、ジアンがラルの側にいることとなったのだ。そうして旅の間、ラルはジアンから国のことなど、森の外の世界のいろんな事を教えてもらう予定だった。


「うん、ありがとう。よろしく、ジアン」

「心より務めさせていただきます」


 意気込みも新たに、ラルはジアンに頷いた。ジアンは恭しく一礼する。

 しばしの沈黙が降りる。それは窮屈ではなく、予定されたものに感じた。二拍ほど置いて、ジアンが部屋の外に向かって「入れ」と言った。


「失礼いたします」


 ジェイミとアイゼが入ってきた。後ろに、もう一人控えている。見たことのない顔――ひどくけがをしていて、顔があまりわからないにしても――だった。

 三人は、ジアンの後ろに控え、平伏した。


「此度の旅に、同行させる獣人達です」

「うん。ありがとう」


 ジアンから先に聞いていたので、ラルは驚かなかった。その時、ジアンが「人手不足でこのような差配となったこと、お許しくださいませ」と言ったことはよくわからなかったが、ラルはジェイミとアイゼといられるのは嬉しかった。


「ジェイミと、アイゼ――あなたは?」


 ラルの言葉に、ジアンが「挨拶せよ」と促した。


「お初にお目にかかります。キーズともうします。心より仕えさせていただきます」


 けがをしているにもかかわらず、はきはきと話した。キーズ――ラルが、口の中で、小さく名前を確認していると、キーズが「ははあ」と返事をした。


「顔を上げて」

「はっ」


 キーズは顔をいきおいよくあげた。やはり、ひどいけがをしている。ラルは心配になり、尋ねた。


「けが、平気? 痛いでしょう」


 キーズはというと、ラルを見たっきり、口を開けたまま固まっていた。隣のアイゼが、慌ててキーズをそっと小突くと、はっと我に返った。息を止めていたようだった。


「とんでもございません!」

「そう?」

「はいっ」


 大きくてよく通る声で、キーズが答えた。なんだか、音の調子が変わった、ラルはそう感じた。何というか、うきうきとしている。ラルは首を傾げたが、キーズがうれしそうなので、それ以上聞かなかった。


 ジアンの「下がれ」との言葉に、三人は部屋を後にした。

 そうして人気のないところまでくると、キーズは垂直に飛び上がった。


「めっちゃかわいい!」


 己の身をしっかと抱き、くるくるくるりと回った。


「身分の高ぇ人はあぁんなにかわいいのか! ああ決めたぜ! 俺ぁ姫様にかけるっ!」

「えっ!? キーズ、ちょ、ちょっとそれはどういう――」

「どこまでもお供しまーす!」


 小躍りしながら走り回るキーズを、アイゼが焦ったように追いかける。

 その光景を見ながら、ジェイミは頭を抱え、長い長いため息をついた。

 味方が消えた。

 いや、ひょっとすると、最初からいなかったのかもしれないが。


「姫様ぁー!」

「わー! やめろぉ!」


 さわぐ二人をよそに、ジェイミはがくりと肩を落とした。


「出立だ。出ろ」


 エレンヒルの言葉に、アーグゥイッシュは身を起こした。準備は終えていたようで、ゆったりと部屋の外へと歩み出す。


「少しの跡くらいは残しておけ」


 アーグゥイッシュの顔を見て、エレンヒルは眉をひそめる。殴られてついた傷が、跡形もなく消え去っていた。


「体を整えとけったのは、お前だろ」

「上役の顔を立ててやれ」


 はっと、アーグゥイッシュが、鼻で笑う。エレンヒルはため息をついたが、言うほど気にしてはいないのか、それ以上何も言わなかった。


「ようやく王都にお戻りってわけか」

「思いの外時間をとられた故な」


 エレンヒルの皮肉に、アーグゥイッシュが顔をしかめた。少しはバツが悪いらしい。その様子にエレンヒルは笑うと、歩調を速めた。


「行くぞ」


 エレンヒルの顔はもう、ふざけた空気をまとってはいなかった。かたどられたような笑みに、不敵ささえ漂わせて、悠然と歩く。アーグゥイッシュは、けだるげに、それでも遅れることなく、続いた。

 ここから、ようやく始まるのだ。


 邸の外にて、エルガは村長のゼムナに、向き直った。


「世話になったな、ゼムナ」

「お気をつけて。道行きに、ご多幸をお祈りいたします」

「ありがとう。お主も息災で」


 ゼムナは執事長らを後ろに控えさせ、エルガに礼をとった。


「出立だ!」


 エルガがホロスにまたがり、腕を振り上げた。

 ホロスはゆっくりと歩を進め出す。乱れない兵士の列と、ホロスに引かれた車がそれに続いた。そして車の後に、また兵士たちの列が続く。

 進み出した隊列に、わあっと歓声が上がる。ゼムナや執事長達人間、召使いなどの獣人達が、旅の無事を祈る歌を歌いだしたのだ。明るくのどかな歌が、一行をあたたかに送り出した。

 一行は、緩やかにさえ見える乱れない動きで、ゆっくりと邸から遠ざかっていった。

 ラルは車の中から、そっと邸をかえりみた。ラルは歩かないで、この車というこの箱に乗って、移動するようにと言われていた。

 邸や送り出してくれた生き物達は、影になってかろうじて見えた。

 ラルの目には、目隠しがつけられていた。

 目元と頬を覆う形のそれは、暗緑色のなめらかな布に、銀色の繊細な刺繍が施されているものだった。ラルがまだ光に慣れぬことを考慮して、ジアンが急ぎあつらえさせたのであった。

 薄い布なのに、光をよく遮ってくれるため、ラルは部屋の外でも、目をあけていられた。ただ、視界はいつもより利かないので、歩くときは手をひいてもらう必要があった。


「不自由な思いをさせて申し訳ありませぬ」


 とはジアンの言葉だが、ラルはありがたかった。影の姿でも、朝と昼に、相手やものを見ることができるのだから。

 見られてよかったと、ラルは思う。

 シルヴァスが、見せたあの映像がよみがえる。やはりここではない、でもどこか似ている、固そうな棲み家――。

 いったいどこなんだろう?

 ラルは車に揺られながら、空を見上げた。暗緑色に隠されて、まだ見えない、朝と昼の空。けれど、いずれ必ずこの目に映すのだ。

 ラルはそっと身を抱いた。ドレスという衣は、未だ慣れない。

 車がラルの体を揺らす。不思議なものだ。自分じゃない。誰かの力で、自分が進んでいくなんて。

 ――でも、望まない方向じゃない。ラルはそう信じている。

 ラルは、出立前の、ジェイミとのやりとりを思い出した。


「――姫様がお召しになられていたものです」


 ジェイミが渡して見せてくれたのは、ラルが森でいたときに着ていた衣だった。きれいに洗われ畳まれていた。ずっと気になっていたものだった。ラルが、森にいたことを、示してくれるひとつのもの。


「私が持って行くことになっています」


 その言葉が、ラルはひどくうれしかった。また、この衣に身を包む日が来るのだろうか? ――シルヴァスの隣で。


「ありがとう」


 ラルはジェイミに衣を託した。ジェイミは、衣を丁寧に受け取ると、頭を下げた。


(シルヴァス、待っていてね)


 決意を新たに、ラルは車の揺れに、身を任せた。


「姫様ー!」

「ばか、やめろ!」


 キーズとジェイミの声が聞こえる。三人は、車の横を併走していた。共に車に乗っているジアンが、渋い顔をして、ラルに謝った。


「ううん」


 ラルは笑い、車の外の、彼らを見た。

 風が吹く。

 邸はすでに遠く、坂の影の下に見えなくなっていた。

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