三十五話 ラルフィールの歌

 天を仰いだ。そよ風がぬれた頬を撫ぜていく。風の音に、アイゼの命の余韻が溶けていく。

 アイゼは体を捨てる。

 魂となる――


『還してあげなさい』


 ――いつものように。

 ――うん。

 ラルの世界は広く、遠く、無音となった。

 体の重心が上がっていく。同時に、天上からラルの体に力が降り積もっていく。

 それは光だった。

 ラルは目を開いた。あたりに光が浮き、散っている。地面からたえず光は上がり、天上からは降り注いだ。そうして彼らは、一面、一枚の光となる。そうして光はラルとアイゼを包んだ。

 光に何もかもが、のまれていく。その中で、ただひとつ、ゆれるもの――ひときわ明るい小さな光の玉が、点となり、跳ね合い、やがて線となった。

 揺れ、波となる光の線を追うように、ラルは口を開いた。

 ラルの唇から音がこぼれ落ちる。

 天に点が打たれるとき、舌を動かす。生まれた音は、光の内に溶け、より大きな波となり、反響し、ラルの元へ返ってくる。何度も反響する音を、今なお打たれる点を追い御ながら、心のどこかでつかまえる。

 それは、何度も繰り返してきた響きだった。ウォーロウ、ワーフ、ルス、デァ――森の生き物達に――ラルがそれを悟ったとき、光の点は消えた。ラルにはもう、わかっていた。


「魂送りだ」


 つぶやいたのは誰の声だろう。おそらく知っているのに、ラルの中にその答えはとどまらなかった。ラルは舌をふるわせ、節にのせ、音を発し続けた。

 ラルが音を発するたびに、ラルの唇から、地面から、光があふれる。それは、絡み合い、のぼり、光の束となり、はじけて天に散っていく。それを何度も繰り返し、空の彼方上へと続く光が、天と地をつなぐ頃、アイゼの体が光り出す。

 それは優しく、あたたかな光だった。体からあふれ出て、胸の中心へと集まり、山なりになる。山はどんどん高くなり、上へと上がっていく。次第に、足もとと頭から、光が引いていき、光は胸元へ集まりきる。

 すると、大きな光の山がくびれ、ふわふわと胸の上でゆれ――

 途切れる――それは、魂の離脱だった。

 アイゼの体から離れ、光の玉となり、ゆっくりと天上へと昇りだした。光の道を昇るように、ゆっくり、ゆっくりと。

 何度も見た光景。この瞬間は、ラルの目からひとりでに涙がこぼれる。しかし、ラルは音を発し続けた。

 アイゼ、ありがとう――

 アイゼへの言葉があふれた。言葉は薄紅色の細い光となり、アイゼの魂を慰撫し、消えていった。アイゼの魂は、上がっていく。

 涙はずっと止まらない。それでも、音は止めない。アイゼの魂が、天に昇れるように――

 止まるわけにはいかない。これが、唯一、ラルに出来ることだから。誰の力でもなく、ラルに出来ること、ラルの責任と――ただ一つの自由だから。

 あたりの光が、ひときわ強くなった。魂の上昇が、速まったのだ。力を得て、魂は天に向かいひたすらに上がっていく。皆、何も言わなかった――言えなかった。

 ラルの音は高く上がり、息もつかぬ速さへと引っ張り上げられていった――どこまでその音が進むか、自分でもわからない状態になり、ラルの世界はだんだんと白くなっていく。

 あと少し、あとすこしで、アイゼの魂は天に昇る――

 ――その時だった。

 音が鳴る。それは、無数の銀の輪を打ち鳴らしたような音だった。

 次いで降ってきたのは、ラルの出す音と違う節の音。それが、波となり、渦を巻くように、天上よりたえず降ってくる。

 その声を、ラルは知っていた。ひかれるように、ラルの音は知らず、その音に重なり出していた。

 彼の音が、ラルの音となる。

 音はまた新たな光の波となり、帯となり、天上から降りてくる。ラルの光の中を周り、重なり、組まれ、とけ込んでいく。そうして、アイゼの魂を、そっとすくい上げる。ラルは音を出し続ける。おそれはなかった。

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