二十七話 朝

 また、鳥の鳴き声が聞こえる。スーミという鳥だと聞いた。高い音で何度も飛び跳ねるように鳴く。目に見えるもの――といってもラルは部屋の外を一度見たきりだが――すべて森と違っても、鳥が朝に鳴くことは、かわらないようだ。

 慣れない日々ながら、どうにかラルが朝と夜を分かち、それに合わせ体を動かすことが出来るのも、鳥の声がたぶんに大きかった。

 あれから、エルガはゼムナに話を通し、ジェイミを許してくれた。そしてその証として、ジェイミをラルの側に置いてくれた。あの誓いを聞いた時、ラルはエルガを信じたが、その心遣いが嬉しかった。ジェイミはやはり自分に思うところありげなようで、打ち解けるにはほど遠い。無理はないと思った。

 ――けれど。窓を閉じている板を見ながら、ラルは思う。板は、光を漏らさないように、きちんと閉じられている。


「ありがとう」


 エルガが来て二日目の日中、ラルは思い立ち、部屋の窓を塞いでいる板をずらそうとした。すると、板が思いの外重く、自分にもたれかかってきてしまった。前にも後ろにもいけず、加えて入ってきた白に目が痛くて、涙があふれる。目を閉じながらひどく困っていると、不意に、背後に気配を感じて、それからふわりと重みが消えた。驚いていると、頭上から声が降ってきた。


「危ないですよ」

「ごめんなさい。ありがとう、ジェイミ」


 ジェイミだった。ちかちかして、目が開けても、影しか確認できなかったが、ジェイミの音だった。ラルは目にあふれた涙をぬぐいながら、謝った。ジェイミは怪訝そうにした。顔は見えないが、気配でわかった。ジェイミはいつもラルの言葉に、こういう反応をする。


「暗いのが、気に障りましたか」

「ううん。ラルには今の方が落ち着く。でもラル、光の中でも、目を開けられるようになりたいの」

「目を、ですか?」


 ジェイミの影が首を傾げた。だんだんと視界が戻ってきていた。


「うん。ここは明るくて白くて、痛い。ラルは目を開けられない」


 目をぬぐって、瞬きを数度繰り返した。白い残像が重なって、ぶれる。もう一度目を閉じて、息をついた。


「それじゃだめ。ラルは光から自由になりたい」


 「光」に慣れたかった。あの一面の白い世界。ラルはたいそう不安になる。けれど、それに慣れなければ、自分はどこにもいけない。――今のところ、この部屋から、出られはしないけれど、それでも、ラルは思う。

 自由になりたかった。光に慣れれば、何か変わるはずだった。


「まず夜から、はじめては?」

「……夜?」


 黙っていたジェイミが、口にした言葉をラルは繰り返す。


「いきなり一番まぶしいもの……いわゆる、白いものを見ないで、まずは夜や夕など光が弱い時に見ることからはじめてはいかがでしょう」


 ここは、あなたには夜でも明るいんでしょう。

 ジェイミがそう確かめるように言葉にしたのを、ラルはひとつずつ聞いていた。ラルがじっと見ているのに気づくと、すっと顔を伏せた。


「出過ぎたことをもうしました」

「覚えててくれたの」


 ラルのぽつりと呟いた言葉に、ジェイミはわずかに眉をひそめた。気まずげな、そんな顔だった。ラルは口元がほころぶのを感じた。ただ嬉しかった。


「ありがとう、ジェイミ」


 ジェイミは頭を下げる。一線を引いた礼だった。ラルの心は、それでもあたたかなもので満たされていた。


「ラルは、これから、夜に慣れようと思う」


 思えばジェイミの言うとおりだった。いきなり白い世界に慣れなくてもいいのだ。まずはここの夜に明るさに慣れよう。それからだ。

 その日の夜、ジェイミは板を窓から外してくれた。そして、窓をそっと開けてくれた。部屋の外は明るい空が見える。風が吹き込んできた。外の空気は寒くて、軽く身を抱いたら、ジェイミがそっとやわらかで厚手の布をかけてくれた。「ありがとう」と言うと、ジェイミはかしこまって頭を下げ、後ろに下がった。


「すごい。ここの空は、光ってるのね」


 空に点々と穴があいて、黄色く明るい光が差している。あれは何だろう? ラルは不思議そうに見上げた。


「ジェイミ。あれは何?」


 指を指して尋ねると、ジェイミは後ろからのぞき込み、ラルの指の先にあるものを答えた。


「月です」

「つき?――あれは?」

「あれは、星と言います」

「ほし?」

「はい」


 ジェイミの言葉に耳を傾けながら、ラルは空の光を見ていた。ケラフィムの光とは違う。強い色をしている。


「なんだか、動いているみたいに見える」

「月も星もまた、生きていますから」

「そうなの?」


 振り返ると、ジェイミは頷いた。ジェイミはそっと、右手で、自分の肩に触れて目を閉じた。


「はい。神の御手の中に」


 その姿はとても清らかに澄んでおり、ラルはシルヴァスの祈りの姿を思い浮かべた。とてもかなしく、あたたかで、切ない気持ちになった。


「みてのなか」


 ラルが言葉を繰り返すと、ジェイミははっとしたように目を開けた。我に返ったと言うにふさわしく、わずかに動転していた。


「祝福ね」


 ラルもまた、目をとじて祈った。いつもシルヴァスがしていたように、石をもつふりをして、指先に祈りをこめた。


神に祝福をウィネ・リヒーティア


 その瞬間、ラルの肩越しに星が一筋流れたのを、ジェイミは見留めた。ラルは背を向けて、目を閉じていた為に、見えなかった。二人はしばらく、そうしていた。祈りの中、月は煌々と、星は強く瞬き続けていた。


「では、おやすみなさいませ」

「うん。ジェイミ、おやすみなさい」


 ジェイミが去った後も、ラルは寝台から空を見て、その光を浴びていた。


 しかし次の日の朝、目を覚ました時、ラルは白い光と痛みに苛まれることはなかった。いつの間にか、窓はまた、板で閉じられていたのだった。

 ラルが眠ってから、そっと板でふさぎにきてくれたのだ。ラルの目が覚めないように、静かに。

 それがわかった時、ラルは、やさしく、あたたかで嬉しい気持ちになった。


「ありがとう。ジェイミ」


 ラルは起き上がり、窓に近づくと、そっと板にふれる。昨日もまた、よけられていたもの――今は、ラルの目を守っているものを。

 ――ジェイミは優しい生き物だ。ずっと怒っているはずのラルにも、こんなにも優しい。はじめて会ったときから、そうだった。ジェイミの心の奥に、優しさがあるのを感じる。

 鳥の鳴く声が聞こえる。スーミという鳥だ。高く跳ねるように鳴く。周囲はもう起き出して、たくさんの生き物の気配を感じる朝の音の中、


「仲良くなりたいな」


 なれたら、いいな。

 光の差さない暗い部屋の中、――しかし、たしかな朝の気配の中――ラルの言葉は、ひたすらに、やわらかく溶けていくのだった。

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