四十六話 武奏曲

 武奏曲ディオ・フーガ……ジェイミは、いま一度その言葉を口中に繰り返した。

 

「うた?」

 

 姫は、問う。ジアンは淀みなく返した。

 

「声の音に節をつけたもの……姫様が魔法をお唱えになるときに口ずさまれるものです」

「……まほう?」

 

 姫は首を傾げた。

 そのことに、ジアンは瞠目する。そして、内心はげしく毒づいた――奸賊め、姫からどこまで奪いおるか――

 

「ジアン?」

「――失礼いたしました」

 

 姫がいぶかしげに、ジアンをのぞく。ジアンは、既に平静を取り戻していた。

 

「魔法とは、彼方と此方を――あるいは、われと彼をつなぐものです」

 

 ジアンは両手を広げ、それから組み合わせた。

 

「魔法にも、種類がありますが、そうですね。例えば……『所有』の魔法があります。私たちは己の体を意のままに動かしますね」

 

 ジアンは、おのれの指を折り曲げ、また手を開き、握ってみせた。姫は、神妙に頷き、同じ動きを真似、くり返す。

 

「それは、私たちの意思が肉体をつなぎ、所有しているからです。所有したものは支配することができる」

 

 ジェイミは、「何もわからない」という顔をしながら、話に聞き入っていた。

 

「『所有』の魔法は、その範囲を広げるのです。われと彼をつなぎ、自らの所有にないものを、意のままに動かす――それはつまり、彼の所有を得るということ」

 

 キーズが、ぐるりと目を回した。頭が痛い、そんな顔をしている。

 

「私が、水を操るとします。その為に必要なことは、何でしょうか?」

「……水とつながること?」

「そうです……水の意思ですね。私は魔法により、水とつながり問いかけ……承認を得ます」

 

 ジアンは、空に三つの点を指さし、それから歌った。かすかな詠唱だった。

 ジェイミたちは息を飲んだ。

 三つの点の中心に、水が集まった。

 

「私のこれには、術式イクスペリも加わっておりますが……大体はこのように」

「いくすぺり?」

「前もって魔法を用意したものです」

 

 ジアンは、姫を見た。姫はその様子を見つめていたが、「うん」と頷いた。

 そうして、手をさしだす。ジアンの起こした水は、姫の手のもとへ送られた。

 

「……シルヴァスが」

 

 水を見やりながら、姫は呟く。

 

「“ただ息を吹くだけでは叶わないよ”って言ってた。意味がわかった」

 

 姫は水の玉に、ふっと息を吹きかけた。

 水は光の粒となり、あたりに四散した。

 

「お見事にございます」

 

 ジアンは、微笑する。

 ジェイミは、その光景に目を奪われ――同時に、ふたりのやりとりと、先の説明に違和感を覚えていた。そして、その違和感をつらまえる前に、もう一つのことが気にかかった。

 ――シルヴァスとは何だ?

 その言葉を聞いたときの、ジアンの気配が気になった。意図して、気配を凪がせていた。

 ……詮索は命取りだ。ジェイミは思案を捨てる。

 

「続けて」

「はい。魔法は、彼とつなぐもの――そして、それを成すのにもっとも有効なのが『歌』なのです」

 

 ジェイミは、どうしようもなく胸がわきたつのを感じた。話が、己の興味の中枢へ爪をかけたのがわかった。

 

「歌は、彼とつながることを容易にします。独特の節と音が、彼の魂へと直接響くからです」

 

 姫が頷く。ジアンもまた肯いた。

 姫は、言葉にならずとも、本質を理解しているようだった。表情は確認の――自らのすでにある感覚に言葉をあてはめている――様子が見えた。

 

「彼――世界との繋がりが弱くとも、歌を用いれば彼とつながることもできます」

 

 キーズは、もはや意識をつなぎ止めるのに必死という様子だった。

 アイゼは、わからないなりに、素晴らしい話を聞いている――そんな顔だった。

 そして、ジェイミは焦れていた。早く続きを聞きたい。

 

「世界と――彼とつながる……そのために歌は大切……」

 

 姫はくり返す。そして続けた。

 

「でぃおふーがは? 何とつながる?」

「エークス――フロル神の使いです」

 

 風が吹く。焚火のはぜる音が響いた。

 

「『所有』の魔法ではないのね?」

「はい。『協力』と呼びます」

 

 すでに姫の表情は明瞭だった。心のうちで、何かがはまっているようだった。

 

魔生シャイダールには、実体がありません」

 

 ジアンは、枝を手に取り――火につきいれた。火は枝に移り……燃え広がる。

 

「このように、実体あるものには、火は点きましょう。されど、実体なきものには、いかがいたしましょう」

 

 ――実体なきものに頼る? 実体を作る……? つまり……

 

「歌?」

 

 姫の声と、ジェイミの心中の声が重なった。ジアンは肯き、枝を火に投げこむ。

 姫はいたましげに目を細めた。

 

「そう、歌です。歌によりわれらはエークスとつながり、『協力』を求めるのです」

 

 ジアンは手を天にかざした。

 

「『このものを討つ許可を与え給え……』と。エークスがそれを承認したとき、『協力』がなり……エークスは魔生を捕捉します」

 

 先の光が、ジェイミの脳裏によみがえる。

 

「魔生をこの世につなぎ……実体を与えます」

 

 ――捉えた!

 確かにあの兵士は言った。かわすばかりだった爪を、小剣ははじいた――

 そして、魔生の姿があらわになったのだ。

 

「そうなれば、しめたもの。われらはエークスのもとに、魔生を討つのです」

 

 火がごうと揺れた。

 それは、高揚か――非難か? ジェイミにはどちらにも感じられた。

 辺りは静まり返っている――いや、違う。そう感じるだけだ。ジェイミは自分が、この話の中に没入しているのを感じていた。

 なるほど、武奏曲……あれは、そういうものか。

 姫はというと、なにやら釈然としない様子だった。

 

「魔生は、それでいいの?」

 

 ぽつりともらされた呟きだった。

 

「なんだか、かわいそう。二つの力に囲まれて……」

 

 ジアンはわずかに目を見張り……それから恭しく頭を下げた。

 

「慈悲深きお言葉、感服いたします――なれど、魔生はこの世のものを害します。魔生に実体なき以上、われらはなすすべがありません」

 

 姫は、眉をさげた。ジアンは言葉を続ける。

 

「それゆえ、われらはエークスに力をお借りします。残酷であっても、此方のものを守るために必要なことなのです」

 

 ジェイミは、動揺した。

 ジアンの言葉は、自分たちの非力を全面に押し出したものだった。

 この話を聞いていていいのか? 身構えそうになるのを抑え――ジェイミは、察せぬふりを続けた。

 

「わかった」

 

 姫は、心の内で、ひとつ区切りをつけたようだ。顔を伏せるように肯いた。

 憂い顔は、この世のものでないように美しかった。

 

「ありがとう、ジアン。教えてくれて」

 

 姫は、火による。燃えさかる火を、どこか不思議そうに見つめた。

 

「魔法……」

 

 そして、夜の空を見上げる。

 

「歌」

 

 唇から、かすかに光がこぼれる。

 天にのぼり、星の瞬きの中に溶けていった。

 

 姫は、天幕の内に入っていった。

 ――話は終わった。

 ジェイミは、この状況を整理していた。

 

(さて、何故俺たちがここに呼ばれた?)

 

 顔に出さず、意図を探った。

 

獣人エルミール

 

 戻ってきたジアンが、低い声で声をかけた。

 ジェイミたちは、さらに深く頭をさげた。

 

「お前たちにこの話を、聞かせた理由はわかるか」

 

 ジアンは、三人を見回した――その視線は顔をあげずともわかった。アイゼとキーズの気配が、自分の方へ向いているのがわかる。

 ジェイミは苦い気持ちになりながらも、口を開いた。

 ――おおよそ、わかったら邪魔をするな、というところだろう。

 しかし……

 

「私には、わかりません。どうかお許し下さい」

 

 頭を深く、深く下げる。

 アイゼが驚いたのがわかった。やめろ、顔に出すな。

 

「えっと! えっと……」

 

 アイゼが、助け舟を出そうとして、口ごもった。馬鹿――そう思うが、一度呆けた手前、もう自分からは何も言うことがない。

 

「おれたちも、できるってことですか!」

 

 キーズの言葉に、ジェイミはひっくり返りたくなった。

 キーズとしては、他意はなく……ただすこし野心が口をついて出た、そんな様子だった。

 しかし、ジアンの空気が固くなったことで――己の失言を悟ったらしい。

 

「出過ぎたことを申しました! お許しください!」

 

 と、地にめり込むほどの平伏をした。

 

「申し訳ありません」

 

 ジェイミもまた、アイゼと共に平伏する。

 

「――そうだ」

 

 ジアンは低い声で頷いた。

 

「えっ?」

 

 アイゼが、思わず顔を上げそうになり、慌てて平伏しなおした。

 ジェイミとキーズもまた、疑問符が頭に浮かべた。

 

「武奏曲は、覚えれば誰でも使える。獣人とて、例外ではない――顔をあげよ」

 

 三人は、顔を上げた。まだ、状況についていけていない。ジアンは淡々とした様子で続ける。

 

「姫の御為。お前たちにも覚えてもらう」

「……!」

 

 信じられぬ言葉だった。アイゼが目を瞬かせ、キーズが浮き足立つのがわかった。

 

「黒髪の――ジェイミといったな」

「は」

「お前が歌え」

 

 二人が息をのんだ。ジェイミは、目を見開く――おさえられなかった。

 

「お前が要だ」

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