四十七話 綱渡り

「ならんぞ、ジアン!」


エルガは大きく、否やを叫んだ。


獣人エルミールに姫の護衛役を務めさせるなど!」


ジアンは澄ました顔で、主の顔を見返していた。焚火が、秀麗な顔に落ちる影を揺らす。

ここで、「歌を覚えさせるなど」とは言わないのが主らしいところだ。で、あるからこそこの話の終局は見えている。


「何も、護衛にするとはいっておりませぬ。武奏曲を覚えてもらうだけです」


「手はいくらあっても足りませぬゆえ」と、付け足されたジアンの言葉に、エルガは「ううむ」と唸った。

主もまた、その言葉に納得するところがあったらしい。


「この地で魔生シャイダールが出るなど、常ならぬことにございます」


ドルミール領は、のどかな地である。ドミナンからアテルラまでの道で、魔生が出るなど滅多にない。

事実、エルガがドミナンへ赴いた時はのどかそのものであったし、隊を分けていたグルジオからも、魔生の報告は受けていない。

どうにも、不穏な気配がする。そして、それは終わってはいない――むしろ、始まった、そのような感覚だった。

皆がどこか落ち着かぬ顔で野営をするには、それが大きな理由だった。


「うむ。たしかにそうだ」

「あの者らは、獣人なれど姫様の世話係。自ずから側にいるときもありましょう――覚えさせておいて、損はないかと」


ジアンはつらつらとたたみかけた。エルガは腕組みをし、真剣な顔で火を見つめる。


「そうだな……軍としては情けなきことではあるが、姫の御為だ」


うんとエルガがはっきりと頷く。

ジアンは、その様子に微笑した。

わが主は、姫のことを守ろうと、まことに心を砕かれている。


「よきようにはからってくれ、ジアン」

「かしこまりました」

「して。姫のご様子はどうだ?」

「穏やかにございますよ」

「そうか……」

「魔生には、少し驚かれたようですが。武奏曲のことも、熱心にお聞きになっておりました」

「そうか……気丈なお方だからな」


エルガが、目蓋の裏に至上の美の姿を描いているのが、ジアンにはわかった。


「ご苦労、ジアン」


ジアンは目を伏せる。


「引き続き頼む」

「万事よきようにはからいます」


エルガの言葉に、ジアンは心得顔で、一礼する。

姫の世話役としてだけではない。

――出発の前に、姫を襲った不幸。姫は、気丈に振る舞われているが……兵士を見るとわずかに身構えるようになった。

それに対し、主は酷く憤り――心を痛めていた。

「二度とあのようなことがないようにしたい」との主の言葉に――ジアンは兵の配置などにたいそう気を配っていた。


(主は、たいそうもどかしい思いだろう)


ジアンは、歯がゆくなる。

しかし、はやってはならない。綱渡りをしている――その自覚を持ち続けなければ。

ただでさえ、この道中は、信用ならぬ者ばかりなのだ。


(今、他の者に出し抜かれるわけにはいかぬ)


この旅はきっと、主にとっても深い意味を持つ。その道ゆきを、何びとたりとも邪魔させはしない。

主のための手駒を増やさねばならない。

今、主に頭をたれ従っている兵士たちも、皆ドルミール卿の配下だ。

この際、種族はかまわない。

誰の息のかからぬものが必要だ。


(そして、大切なのは姫のお心だ)


ジアンは、空を仰ぐ。

そう――何より姫が、たいそうあの獣人たちを大切に扱っている。

姫に、獣人への嫌悪はない。

それはまだ、外の世界のことを知らないゆえととることもできるが……

あの魂問いの光景がよみがえる。


カルニ王もまた、獣人の始祖と共に旅をしたという。

その結末は、皆の預かり知るところであるが――カルニ王は終生、獣人を愛していたと聞く。

ならば、カルニ王の子孫たる姫が、獣人を厚遇することに、何か意味があるのかもしれない。


(はやるなといっている!)


ジアンは己を叱咤する。なにもかも、伝承に照らし合わせるのは、危険だ。


(そう。いまは姫の心穏やかにあるように、はからう)


姫の周囲を、姫の信をおくもので固める。

ひいては、それが主のためとなるだろう。


「ジアンよ、喉がかわいた。お前も飲め」

「すぐに」


息をつくと、ジアンは水に糸をたらした。

糸の色の変化がないと見るや、主へと運ぶ。


(もとより、獣道。私のなすことはどこでも変わらない)


さて、これからどうするか……ジアンは思案を巡らせた。



獣人エルミールたちが、武奏曲ディオ・フーガを!

そのうわさは、隊をかけめぐった。


「まさか」

「嘘だろう……獣人だぞ」


兵士たちは目を泳がせる。

――信じられない。

誰の彼の目も、そう言っていた。


「ジアン殿の指示だと……」

「何だと……」


誰かが口火を切ったと見るや、どよめきは形を持った。


「何の酔狂だ」

「われらは獣人以下だというのか?」

「出過ぎではないのか……」


皆の目が、どう猛に光りだす。彼らは今、エルガ卿の配下とはいえ、もともとはドルミール伯のお抱えの兵士たちだ。


(真に頭を垂れたわけではない……というところか)


ぴりぴりと殺気立つ兵士たちを尻目に、エレンヒルは闊歩していた。

ジアンもまた、強引な手に出たものだ。ただでさえ、兵の配置などをジアンが一手に担うことに、反発を覚えるものも多かったというのに……不満は高まるだろう。

これしき、予測できない男でもないだろうに。


(よほど手勢がほしいと見えるな)


エレンヒルは、眉一つ動かさず、此度の沙汰を皮肉る。

無理もない。あの戦だけが取り柄の第三令息だ。あれを押し上げようと必死というわけだ。

此度の旅は、それほどに意味を持つ。


(しかし)


これは、こちらにとっても吉兆かもしれない。皆が己のために動き出している。

その隙ほど、甘いものはない。


(焦るな)


エレンヒルは、心の底が熱く焦がれるのを、静かに静かに飼い慣らした。

まずは、この波をどう使うか……手並の拝見というところだ。

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姫君は、鳥籠の色を問う 小槻みしろ/白崎ぼたん @tsuki_towa

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