四十一話 燃える

「ずいぶん派手にやられたな」


 部屋に入って顔を見るなり、エレンヒルは開口一番そう言った。相手からの返事はない。ただ仰向けになって、頭の下に、腕をしいて寝ていた。エレンヒルも求めてはいなかったので、流した。


「それにしても、いい部屋だな?」


 邸の一室に、アーグゥイッシュは閉じこめられていた。

 閉じこめられている、といっても、形式的なもので、見張りも数人しかついていない。破ろうと思えばすぐに破れるが、当人は大人しく寝ていた。

 流石に、今回の事は思うところでもあったのだろうか、エレンヒルは、アーグゥイッシュの顔を覗き込んだ。

 しかし、その表情を見て、単にその気が起きなかっただけなのだとわかった。

 アーグゥイッシュは、顔に浮かぶ無数の痣などないもののようにして、終始けだるい表情をしている。そのくせに、神経はとがっている。その為、ずっと空気はぴりぴりとしている。


「今回は、たいそうな愚考を犯したものだな? 流石にめまいがしたぞ」


 やはり返事はない。安易に怒る気分ではないらしい。しかし、その静けさが、奥にある異様な怒りを感じさせた。

 見張り役は、何度も交代しているらしい。その理由がわかった。エレンヒルは嘆息する。

 エレンヒルは持ってきた食事を、アーグゥイッシュの傍らに置いた。そしてそのまま近くに腰をおろした。アーグゥイッシュは視線一つよこさず、天井を見上げたまま


「どういう風の吹き回しだ?」


 と言った。初めての言葉だった。エレンヒルは肩をすくめて答えた。


「なんとしても食わせろ、とのお達しでな。それで、私にお鉢が回ってきたのだ」


 ため息まじりの言葉に、アーグゥイッシュは鼻を鳴らした。どうやら、まだまだ、余裕はあるらしい。

 エルガ卿らは、今日から、アーグゥイッシュに食事を用意せざるをえなくなった。


「立派な忠誠心とは、上納金と祈りには逆らえぬようだな」


 エレンヒルのややおどけた言葉に、アーグゥイッシュは、はっと笑った。皮肉な笑みだった。エレンヒルも笑う。


「わかったら、さっさと食え。私は忙しい」


 エレンヒルは器をずいとアーグゥイッシュの鼻先に差し出した。アーグゥイッシュは、眉一つ動かさない。しかし、これ以上強情をはられては困る。もう四日、何も口にしていない。はねのけられてもかまわなかった。部屋の隅には、朝の食事が手つかずのまま、置かれているのだから。

 しかし、アーグゥイッシュは身を起こすと、緩慢な様子で食事をとり始めた。エレンヒルは、その意外に目を見開いた。


「珍しい。物わかりがいいではないか」

「ここではる意地に、何か意味あんのかよ?」


 朝は気が乗らなかっただけだ。水を一口、ゆったりと口に含んだ。エレンヒルは、ひとまず楽が出来たことに息をつく。馬鹿な意地を張られたら、殴り縛ってでも食わさねばならないが、アーグゥイッシュ相手にそれはたいそう骨が折れる。


「孝行息子を持ち、メノー家は幸せだな」

「うるせェ」


 アーグゥイッシュの様子に、エレンヒルは、はは、と笑った。アーグゥイッシュは、やけになっても、浮ついてもおらず始終落ち着いていた。


「少しは大人になったようだ」

「馬鹿言ってんじゃねェよ」


 アーグゥイッシュのうんざりした調子に、エレンヒルは形のいい唇に、笑いの余韻をしばらく残していたが、ふと酔いからさめたように、平素の落ち着いた表情となった。


「明日発つ」


 アーグゥイッシュは何も言わなかった。しかし、体にまとう空気が「是」と言っていた。


「これから先、お前の力が必要になる。二度と、今回のような短慮は犯すな」


 エレンヒルの目は、冴え冴えとして、そして真剣だった。アーグゥイッシュは黙っていた。しかし、一度エレンヒルの目を見据え、それから、また食事に戻った。


「では、体を整えておけ」


 エレンヒルは立ち上がると、部屋を後にした。アーグゥイッシュは空になった器をおくと、また仰向けに寝ころんだ。


「わかってんだよ」


 天井へ、けだるげに、手を伸ばす。


「シルヴィアス」


 そして、空間を握りつぶすように、手を握り込んだ。みしりと音が立つ。


「必ず消してやる。お前も、お前の愛したものも」


 金の目は燃えるように光り、はるか遠くをにらんでいた。


 部屋を後にして、エレンヒルは本日何度目かのため息をついた。アーグゥイッシュが、思ったより落ち着いていて安心した。

 この旅は、これからの国の争いの、大きな布石となるであろう。万一の時、戦力が欠けていては困るのだ。

 此度の魂問いの件で、あの娘が、王の後継者であることは周知となるであろう。人払いはすませたが、そもそもそれをさせた兵士も信用ならないのであるから、無意味といっていい。

 それも元をたどれば、アーグゥイッシュの短慮のせいなのであるが……それについては、働いてもらうことで返してもらった方がよい。アーグゥイッシュは粗暴で短慮だが、利では動かない分、一定の信頼はおける。

 まずは、あの姫を無事に主のもとへ送り届ける。

 その道はおそらく困難になるであろうが、それを成すことはむしろ当然のことであり、言うまでもない。功績だけでは足りないのだ。


(家を再興し、奴らを一掃するには)


 より大きな力がほしい。それを得るために、どんな犠牲をはらってもかまわない。

 こちらはずっと、地に伏しながらも、この機を待ち続けていた。ほかの誰にも好きにさせるものか。


(必ずや、私がこの手で成し遂げてみせる。主の悲願――父の悲願を)


 エレンヒルは歩き続けていた。そして、明日の出立の確認へと戻った。その表情は、壁のように揺れず、奥が見通せない。その胸のやけつくような熱情をおくびにも見せなかった。

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