第18話 桜を染める女

 その日、僕は深夜まで続いたバイトを疲れを乗せて河川敷の道を歩いていた。

先週から急に先輩がバイトに来なくなってしまったせいで最近は忙しくて堪らない。

女癖が悪く気に喰わない先輩ではあったが仕事は出来る人だったので最近はシフトも負担も激増してしまっていた。

春先とはいえ3月の夜はまだ肌寒く、薄手のジャケットでは心許ない。

「帰ったら風呂に浸かって温まろう。」

そんな事を考えながら夜道を進む。


この河川敷は道沿いに桜が沢山植えられている、

近所でも有名なお花見スポットだ。

まだ開花には少し早いが見上げれば沢山の蕾が目にとまり、満開の並木道になるのがそう遠くない未来だと感じさせてくれる。

おそらく今週末か来週には、文字通り華やかな景色を見せ人々を楽しませてくれるのだろう。

それを見越してなのか土手下の広場には何軒かの屋台が既に設置準備がされており花見客で賑わうのを待っている。


「開花したらサークルの仲間かバイト仲間でも誘って花見もいいかもな。」


独り言を呟きながら視線を前に向けると、

あるモノに目が留まる。

100メートル程先にある一際大きな桜の木。

等間隔に植えられた並木の中でその木の周りだけ並木が途切れ、他の木とは明らかに違った雰囲気と大きさを主張する一本の桜があるのだ。

『海倉街道の古桜』

そう呼ばれるこの桜はこの辺りではちょっとした名物桜だった。


『桜並木が植えられる前から既にこの場所に生えていて、並木を植える為に切ろうとしたがこの桜だけは事故が多発して切れなかった。』


『もっと隣接した場所にも植樹をしたがこの木の近くに植えた木だけは何度植えても枯れてしまい育たなかった。』


『この桜の下には死体が埋められている。』


等々何処にでもありそうな『曰く』がある桜でもあり、令和になった現在でもまことしやかに噂が囁かれている。


並木の桜とは品種が違うのか、この古桜だけは既に満開の花を咲かせている。


その花を遠目に「綺麗だな」と眺めていると、古桜の下に何か動くモノを見つけた。

まだ距離があるのでハッキリは見えないがどうやら人の様だった。


その人は両手をなにやらぶんぶんと振り回し、まるで踊っているかの様に見えた。

「酔っ払いかなぁ。絡まれたりしたら嫌だな。」

そう考えて静かに土手を下る。

また登るのも面倒だが変な人に下手に因縁をつけられるのはもっと面倒だ。


上の道は木々の間に街灯が設置されていて明るいが土手下まではあまり光が届かないので静かに歩けばバレないだろう。

注意深く人影の動きを観察しながら、

あまり足音を立てない様に意識して早足で歩く。

人影に近づくにつれてその姿が段々と見えてくる。

白いワンピースを着た女性、桜の木の方を向いている為に後姿しか見えないが相変わらず腕をぶんぶんと振り回していて気味が悪い。

そして、どうやら何かを叫んでいるみたいだ。

人影の真下あたりまで距離が縮まると叫んでいる内容も聞こえてきた。

その内容に思わず足が止まる。


「この桜の下には死体が埋まってるの!だから赤く染まらなきゃいけないの!」


そう繰り返し叫んでいた。

もう後姿もハッキリと見える。

白い服を着た黒髪の女性、その腕は肘辺りから何かの液体で紅く染まっている。

その腕を古桜に向かって振り回し、液体を桜の木に

飛ばしていたのだった。

どれ程の時間その行為を続けていたのか、古桜の幹や下側に咲いている花は確かに赤黒く斑に染まっていた。

「酔っ払いどころじゃない、ガチで頭のオカシイ人じゃないか。」

そう思い、早く立ち去ろうと決めた瞬間だった。

カラーン!カラカラカラ、、、

足元に落ちていた缶チューハイの空き缶を蹴り飛ばしてしまった。

昼間に一足早く花見でもしていた奴のゴミだろう。

深夜の河川敷に一際甲高い音が響く。

「ゴミはちゃんと持って帰れよな!」

心の中で毒づいてハッとして土手を見上げる。

声はもう聞こえていなかった。

街灯の灯りに照らされた女が、こちらを向いて立っていた。

ワンピースの前面は赤く染まり、同じ様に赤く染まった両腕からは止めどなく血が流れポタリポタリと滴が落ちている。

血色の悪い顔はワンピースの白と比べても更に青白く、ゲッソリとした頬の上の落ち窪んだ目が確かに自分を見つめていた。

「、、、のよ、、、」

女の口元が動く。

「え?」

思わず疑問符が口から出た途端。

「死体が!埋まってるのよぉぉぉ!!」

女が絶叫し腕を振り回しながら土手を物凄い速さで駆け下りてきた。

「うわぁぁぁあ!!」

女に負けないくらいの絶叫をあげ、僕は全力疾走で逃げ出した。

土手を斜めに駆け上がり、反対側の住宅地がある方へ転がり落ちる様に下ると無我夢中で走った。

何処をどう走ったのか記憶が曖昧だったが気がついたら自宅アパートの近くで半泣きになりながら塀にもたれ掛かる様に手をついて肩で息をしていた。


慌てて振り向いて周囲を確認するが誰もいない。

遠くで車の走行音が聞こえるくらいの静かないつもの自宅付近の風景だった。


フラフラになりながら自宅アパートへ戻り、玄関に鞄を投げ置いてベッドに倒れ込む。


おそらくそのまま寝てしまったのだろう。

次に気がついた時には朝になっていた。


身体を起こしてまだ上手く働かない頭で昨夜の事を思い出す。

アレはいったい何だったのだろう。

疲れから来る幻覚か夢だったのかもしれない。

でも、最後の逃げ出す直前までの記憶はハッキリしている。

バイト中の会話や帰り道の風景なんかも鮮明に思い出せる。

それではやはり昨夜のアレも現実だったのだろうか?

考えがまとまらない。

ふと昨夜は結局風呂に入って居なかった事を思い出した。今からお湯を張る気にはならないがシャワーくらいは浴びてこよう。

そう考えて洗面所へ向かう。

昨夜から着たままだった薄手のジャケットを脱いで洗濯機に投げ込む。


やはり昨夜の出来事は現実だったのだろうか?


いや、きっと夢だ。もしくは幻覚だ。


あの女の言っていた事も。


あの古桜の下に死体が埋まっているのも。


きっとただの戯言だ。

わからない、わかりたくない。


最後のあの女の絶叫に混じって聞こえた、

『オマエガ、ウメタンダロ。』

という低い男の声も。


きっと僕の幻覚なんだ。


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