第15話 野次馬地蔵

 仕事で知り合ったおじいさんのTさんから聞いた話。

Tさんはとある山のロープウェイの職員さんをやっている。

彼の仕事はシフト制で夜番の時は夕方にロープウェイで山頂側へ登り、施設の清掃や点検等を行ったりする。その後、山頂側の職員用の施設に泊まり、朝にロープウェイの設備や周辺の展望公園の掃除等をしてロープウェイが動くと麓に降りてきて帰る。

そんなルーティンらしい。

この山頂の展望公園、麓を一望できる所の隅に小さなお地蔵様がひっそりと置いてある。

本当に隠れる様に置いてあるので観光客も気が付かない人が殆どで職員さんや登山なんかで良く来る常連さんくらいしか存在を知らない位だそうだ。

その地蔵は「野次馬地蔵」と呼ばれている。

何故そんな呼び名になったかというと、この地蔵はたまに向きが変わるんだそうだ。

そして向きが変わるのは山で遭難者が出た時。

そう、その視線の先には何故かいつも遭難者の遺体があるのだ。

ベテランの登山家でもあるTさんも実際に地蔵の向きが変わっており、その視線を頼りに山に入り遭難者の遺体を発見した事もあるそうだ。

そんな事からこの地蔵は「見つけ地蔵」や「野次馬地蔵」と呼ばれ、

山で死んだ奴を眺める地蔵と言われあまり好まれてはいなかった。

だがTさんは、

「遺体であっても見つかるなら良いじゃないか」と、自分の仕事の日はいつもワンカップ酒をお供えして綺麗に掃除をしてあげたりしていた。


 そんなある日、Tさんの奥さんが山へ山菜を採りに行って戻らなかった。

夜になっても戻らない母を心配したTさんの娘

さんが通報して、仕事中だったTさんにも連絡が入った。

連絡を受けたTさんはすぐに山に入ろうとしたが夜の山は慣れていても危険だと、同僚に止められてしまった。

確かに捜索隊も今は入れず捜索は夜が明けてからになるのは連絡を受けていたしTさん自身も解っている事だった。ましてやTさんがいるのは山頂であり、山を降るのは登るより危険なのだ。


 何も出来ない無力感と焦燥に駆られ眠れぬ夜をTさんは過ごした。

今の季節は春先で日中は暖かいとはいえ夜の山はまだまだ凍てつく様に寒い。マトモな装備も無いままで夜を明かすのは難しい事であった。

夜中に何度も施設から出て山頂公園をうろうろと歩き山を見下ろすが見えるのは遠くに輝く夜景と足元の広大な闇だけでその度にうなだれては妻の名を呼び続けた。


やがて東の空が暁に染まり出した頃、いつのまにか寝ていたTさんは声を聞いた。

「は、、く、、、早く、、、」

同僚のものではない、性別はわからないが子供の様な声が耳元で呟いている。


 Tさんは身を起こすと直ぐに外へ駆け出した。

根拠は無いが確信があった。

見慣れた山頂公園の道を走り抜けて地蔵の元へ向う。

麓の街並みの奥に広がる海、その水平線に太陽はまだ隠れており薄暗い紫の空の下、朝露に身を濡らした「見つけ地蔵」が向きを変えていた。

そしてその視線が一点を見つめているのがTさんにはわかった。


「見つけ地蔵」が眺めるのは遺体だ。

妻はもうダメかもしれない。

しかし、Tさんは確かに聞いた。


「早く」と。


だったら急ぐしかない。

Tさんは素早く準備を整えると同僚に位置を告げて山道を分け入っていく。

日は登り出したものの未だ闇深い山中だったがまるで導く様に木漏れ日が、虫の音が、鳥の囀りがTさんの足を滔々と動かした。


 どれ程走っただろうか?

朝靄で視界が狭まる中でTさんは妻の名を呼び続けた。頬は枝で傷だらけになり体力も無くなりかけていたが、目に止まった一際おおきな木の根元でうずくまる妻の姿を見つけた。

ピクリとも動かない身体に嫌な汗が背筋を流れる。

恐る恐る近づき肩を揺すると意識は無く呼吸も脈も弱々しかったがまだ息があった。

Tさんは持ってきた毛布で妻をくるむと無線で連絡を入れ、発煙筒を炊いて合図を送った。

そして暫くして捜索隊が到着するまで絶えず妻に声をかけ続けた。

2人は無事に救助された。

奥さんは所々凍傷になりかけていたが命に関わる程では無く、数日入院しただけで済んだ。

Tさんも今でもロープウェイの職員をやりながら以前と変わらぬ生活をしている。


「いや、変わった事はひとつあったな。」

ここまで話をしてTさんが呟く。


「あの時、聞こえた声が子供みたいだったからよ、ワンカップ酒はやめてジュースやお菓子を供える様にしてるんだ。」


そう言ってTさんは優しく笑いながら山頂を見つめていた。


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