第22話 霞と影と珈琲と

 友人から

「面白い体験をしたから話を聞いてくれ。」

そう呼ばれて話を聞きにいった。

彼は大学時代の友人で当時から珈琲好きだった。

社会人になってからは色々な珈琲用品に給料を注ぎ込み、その日も自分で挽いたちょっと妙な味のオリジナル珈琲を出してきて話を始めた。


 彼は朝陽を見るのが趣味だった。

休日の前夜は早目に就寝をする様にして、

深夜の2時過ぎ頃に起き出す。

それから数時間ドライブを楽しみながら景色の良さそうなスポットを見つけては、日の出を眺めながら珈琲飲む。

要は珈琲を飲むシチュエーションにまで拘りだしたのだった。

「昇ってくる朝陽に照らされると身体の芯まで浄化される様な清々しい気分になる、そんな中で飲む珈琲の味は最高なんだ。」

爽やかな笑顔でそう語る彼だが、先日なんとも不思議な体験をしたんだと言う。


 その日も彼は仕事を終わらせると軽い食事を摂ってさっさと就寝、数時間寝た後に深夜に起き出しては愛車に乗ってドライブに繰り出した。

『朝陽を眺める』という題目上、ドライブの行き先は海側か山側のどちらかになる事が多い。

特に理由は無かったが気分でその日は山側へ向かう事にした。

麓のコンビニでパンやサンドイッチを買い、

山道へ車を走らせる。

朝陽の昇る方角を気にしながら暫く走り、山の中腹あたりまで走ったかなという頃に木々が拓けた場所にでた。


そこはどうやら寂れた温泉街の様で山の斜面にへばりつくようにいくつかの旅館やホテルが建ち並んでいる。すぐ近くには川も流れていて川に沿うように道が続いている。

車の速度を落としゆっくりと建物を眺めてみると、いくつかは今でも営業をしているみたいだったが殆どの建物が既に廃墟になってしまっていた。

しばらく廃墟群を眺めながら走っていると広めの駐車場を見つけたので、彼は車をそこに入れる事にした。

駐車場の奥、川の方には橋が架かっていてどうやら対岸にある廃ホテルの駐車場の様だ。

しかし橋には立入禁止のバリケードが置かれていて渡れなくなっていた。

バリケードは工事現場に置かれている黄色い金属製のもので簡単に跨いでいけそうではあったが彼の目的は肝試しではない、川沿いの拓けた眺めのいい場所で朝陽を見る事なのだ。

時刻はもうすぐ4時になろうとしていた。

調べた情報によれば今朝の日の出は5時28分、周囲は外灯あるが殆どが消えていてまだまだ暗い。

彼は手早く車のトランクをあけるとベストポジションを探して折りたたみのイスと簡易テーブルを設置して珈琲セットを用意しすると、慣れた手付きでガスバーナーでお湯を沸かす。

お湯が沸騰してきたので愛用のドリッパーに家で挽いてきたお気に入りの豆をいれてセットする。

慌てずゆっくりとお湯を注ぎじっくりと蒸らしながらドリップする。

湯気を出しながらポタポタと滴る琥珀色を眺めていると気持ちが落ち着き自然と頬が緩んでいく。

目が慣れたせいもあるだろうが周囲の景色もはっきりと見えだした。

昨日に少し降った雨のせいかあちこちで濃い霞が発生してはいるが、空には雲ひとつ無く朝陽が昇るであろう海岸線まで見渡せそうであった。


 何かが聞こえた気がして対岸の廃墟に目をやる。

ボロボロに朽ちたホテルは暗闇の中に溶ける様に佇んでいた。

よく見ると、火事にでもあったのだろうか?

窓ガラスは全て無く所々は黒く煤けている、

屋上に設置された外れかけの看板を目にした時、

その名前に覚えがある事を思い出した。


『◯✕ホテル』

いつかの飲み会でオカルト好きな同僚が言っていた、かつて大規模な火災に見舞われ大勢の客と従業員が犠牲になったと言われている。

県内でも有名な心霊スポット。

そう認識した途端に窓だった穴の奥の一段深い闇の中で、何かが動いたような気がして背筋が冷えた。

だが、彼はすぐにそれは錯覚だと思い直した。

敷地内とはいえここは対岸の駐車場で自分は肝試しに来た訳では無い。

それにもう少ししたら夜明けだ、心霊スポットだと思うからそんなモノがいると思ってしまっているだけと自分に言い聞かせて平静を取り戻した。

珈琲の抽出が終わり愛用のカップに溜まった液体から立ち昇る香りを楽しむ。

珈琲好きながら猫舌な私はカップを簡易テーブルに移して香りと景色を楽しむ。

最初の一口は朝陽を見ながらと決めている。

日の出を拝む頃にはちょうど良い温度になっているはずだ。


立ち昇る珈琲の湯気を眺めているとふと視界の端の景色に違和感を覚えて顔をあげた。

川向こうの方から霞がゆらゆらと流れてくる。

しかしそれはおかしい。

テーブルの珈琲に視線を戻す。

湯気は真上に漂っている。

そう、今は風は吹いていないのだ。

あの霞はどうして流れてきているのだろう?

不思議に思いながらも

「きっと川の上だからそこだけ風の流れが出来てるのかも」

と自分を納得させながら流れ来る霞を眺めるが、その仮説はすぐに否定される事になった。

霞は廃ホテルのあたりまで流れてくると動きを止め、まるで纏わりつく様に廃ホテルを包んだ。

そして更にありえない事に、今度は川の反対側の方から霞がゆらゆらと流れて来ているのだ。

呆然とその様を見ていると流れ来る霞の向こうにナニカが見えた。

夜明けが近づき濃紺に染まった世界の中、霞の奥には濃い影が見える。

それも、とても巨大な人影がしゃがんでいる様にみえるのだ。

その光景にゾクリとしながらも声も出せず、動く事も出来ずに眺めている事しか出来なかった。

気づかれない様に祈りながら巨大な人影を見ているとある事に気づいた。

最初見た時に「しゃがんでいる」様に見えた時もそうだったが、その巨大な人影は影としか言いようが無いのだが立体的に見えるのだ。

平面の影ではなく影を纏っている。

そんな表現が正しいのかはわからないがそういう風に見えた。

そしてその巨大な人影はどうやら両手を口の前で筒の様にしている。ちょうど「ヤッホー」とする様な感じだ。

その様から一瞬こちらに気づかれて何かを伝えてこようとしているのかと思ったが、そうではなかった。巨大な肩をゆっくりと上下させると霞がゆらゆらと流れてくる。

あれは「吹いているんだ」と思った。

巨大な人影に吹かれた霞はまた廃ホテルの所まで流れてくると再び廃墟を包み込んでいく。

そして、霞に包まれた廃ホテルに異変が起きた。

廃ホテルから何かが聞こえてきたのだ。

距離があって最初は良く聞こえなかったが次第にそれははっきりと耳に入ってきた。


「助けて!助けて!」

「熱いぃぃぃぃい!」

「煙で何も見えない!助けてくれ!」

「おかぁさんどこー?熱いよぉー!!」


先程まで誰も居なかったはずの廃ホテルから、

助けを呼ぶ阿鼻叫喚が響いてくる。

そして霞の切れ間に覗く窓には沢山の人影が蠢いていた。

皆手を上げてめちゃくちゃに振り回し助けを求めているみたいだった。

「助けを呼ぼう。」

そんな考えは浮かんでこなかった。

目の前の光景も耳に届く阿鼻叫喚も真に迫ってはいるがこんな事が今起きている筈が無かったから。

頭のどこかで冷静にそんな事を考えながらも身体はやはり動かず、呆然と目の前の地獄絵図を眺めているしか出来なかった。

助けを求める人影はやがて窓いっぱいに増えると押し出される様に、或いは諦めたかの様に自らその身を落下させていった。

何も出来ず眺めているだけだったがただただ涙が溢れてきて頬を伝った。

その瞬間、

「キャハハハハハ!」

とまるで好きなアニメが始まったかの様な場違いな子供の笑い声が響き渡った。

その声にビクリと身を震わせる、廃ホテルの方からではない。

声のした方を反射的に見る。

あの巨大な人影が口元にやっていた手を今度は腹部に押し当てる様にして震えていた。

正に「腹を抱えて笑う。」というやつだ。

そして、ひとしきり笑うと急に笑い声も動きもピタリと止まり表情など見える筈が無いその顔が、はっきりとこちらを見ながらニヤリと笑みを浮かべたのを彼は感じた。

その瞬間に身体が動く様になり、出していた荷物もそのままに車に飛び乗ると彼は麓のコンビニまで猛スピードで逃げ出した。

コンビニに駆け込んだ彼はとりあえず気持ちを落ち着けようと缶コーヒーを買って自動ドアを出た所で缶を開けて半分程を一気に流し込んだ。

大きな溜息と共に空を見上げると民家の隙間から朝陽が覗いていた。


しばらく車内で休息をとって完全に周囲が明るくなってから、彼は恐る恐るあの現場に戻る事にした。

正直行きたくは無かったが、置いてきたアウトドアや珈琲の用品を見捨てる気にもなれなかったのだ。


 ゆっくりと駐車場に車を入れて影も霞も無い事を確認してから車外にでる。

置いてきた荷物もそっくりそのままの位置に鎮座していた。

安心して荷物を片付けようと簡易テーブルに近づいた彼は、テーブル上のたったひとつの異変に気がついた。

彼がまだ一口も飲んでいなかった珈琲カップには

珈琲は一滴も残っておらず、代わりにカップに半分程のどんぐりが敷き詰められていたのだ。




「まぁそれだけ。その後で体調が悪くなったとかもなかったよ。」

そう言って話を締め括った彼に私は尋ねた。

「最後のどんぐりは何だったんだ?」

だが彼は首を振って

「わからん。残酷で無邪気な人影が珈琲飲んで替わりに置いていったのかもな。まぁ猿とかも居るから猿かもしれんが。」

そう言って笑うだけだった。

「それで、そのどんぐりだかはどうしたんだ?捨てたのか?」

私の問いに彼はニヤリと笑うと私の手元を指差してこういった。


「今、一緒に飲んでるよ。」


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