第10話 雨音に混じって

 知り合いの保育士さんから聞いた話だ。

彼女がまだ新米保育士だった頃、その日も彼女は一人残業で夜の保育園に残って翌日に控えた遠足の準備をしていた。いや、正確には遠足が中止になった時の代替のレクリエーションの準備をしていた。

その年は梅雨明けが遅く、やっと明けたかと思えば台風シーズンに突入してしまい長らく雨の日が続いていた。

今日も朝から雨が降り続け締め切った窓の外からも雨音が響いている。

一度気にしてしまうとやたら耳につくその音を意識してしまった事にため息を吐いて外を見る。

庭園へ出る為の大きなガラス戸の向こうでは最早地面が見えない程の面積を水溜りが独占していた。

その光景にまたひとつため息がこぼれる。

「いい加減そろそろ晴れにしてよね。」

そう呟いて視線をあげる。

そこには軒下に吊るされた園児達が作った沢山のてるてる坊主が吊るされていた。

もう数ヶ月前の梅雨入りの頃に作ったソレは深い軒下で雨こそ避けられているものの未だお役目を果たせていないせいで長期間吊るされ続け薄汚れボロボロになっている。

「この子達もかわいそうよね。」

そう思いながら眺めていると一体のてるてる坊主に目が止まった。

他のものと比べて明らかにキレイな新しいてるてる坊主だ。

「あぁ、Aちゃんのか。」

その真新しいてるてる坊主に心当たりがあった。

Aちゃんは最初に皆でてるてる坊主を作った日から雨が続く度に新しいてるてる坊主を作っては先生に付け替えてもらって熱心にお祈りを捧げていた。

元々外遊びが好きな子で雨で運動会が無くなった日も園の畑の収穫体験が中止になった時もとても悲しそうな顔をしていたのを覚えている。

明日もきっとまた悲しそうにするんだろうな。そう思うとせめて少しでも楽しんで貰おうという気持ちが湧き上がり、止まっていた作業を再開した。

 明日の準備もあらかた片付いたので、そろそろ帰ろうと荷物をまとめて電気を消す。外の廊下の常夜灯の明かりが差し込み真っ暗ではないが陰影がハッキリ分かる為、むしろ不気味だといつも感じていた。長居はしたくないのでさっさと帰ろうと部屋を出ようとした時にそれは聞こえた。

外から響く雨音に混じって微かに、何か小声で話してる様な声が確かに聞こえた。

誰か園児が隠れて残っているのだろうか?

いや、それは無い。

登園記録もお迎え記録もしっかりとつけているし残業を始める前に見回りも行っている。

では残業中に誰かが入って来てしまったのだろうか?泥棒?それも可能性は低い気がする。

もしかして近所に住んでいる園児が忘れ物でもしてこっそり取りに入ってきたのだろうか?

そんな事を色々と考えとりあえず音の出処を探ってみることにした。

雨音が大きくわかりにくいが集中して聞いてるとなんとなく部屋の奥の方から聞こえて来ているように感じた。それと同時に声の主がどうやら一人では無いという事もわかってしまった。

何を言っているかわからないが複数の声が何かを呟いている。

この時点でおそらく声の主は人間ではないナニカだと確信していた。

何故なら声がする方にあるのは園児用のロッカー、ロッカーと言ってもカラーボックスにバスケットを入れただけの簡単なもので例え子供であっても隠れることが出来るものでは無かった。

だが好奇心が勝っていたのか、それとも既に引き寄せられていたのか足はそちらに向かい歩を進めた。

音を頼りにズラリと並んだカラーボックスに視線を這わせる。

これだ。この引き出しの中から声が漏れている。

それはAちゃんのロッカーだった。

心臓が雨音に負けないくらいドキドキしている。

怖い、開けたくない。しかし気持ちとは裏腹に手はゆっくりと引き出しに伸び、取っ手を掴む。

一度大きく息を吸い込み一気に開いた。

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい、、、」

引き出したバスケットの中には首を捻り、引き千切り、もがれた大量のてるてる坊主がギッシリと詰まっていた。

点と線だけで描かれた簡素な顔が無表情のままこちらを向き口々にごめんなさいを連呼していた。

「ヒィッ!」

っと引きつった様な悲鳴が漏れる。

勢い良くバスケットを閉め戻し、慌てて部屋から逃げ出す。外廊下に飛び出して震える手で何度もつっかえながらもなんとか鍵を閉めてへたり込む。

しばらくは肩で息をしているような有様だったが少しずつ呼吸を整えゆっくりと立ち上がる。

「明日Aちゃんと話して全て捨てさせよう。」

そう決意をして歩き出す。

ふらふらした足取りで庭園の横を抜けて駐車場に向かう。軒下に吊るされたてるてる坊主を見ながら、

てるてる坊主の歌詞の一節を思い出していた。

きっとAちゃんは歌詞を全部知ってたんだろうな。

「それでも曇って泣いたなら、そなたの首をチョンと切るぞ。」

そう呟いてしまっていた。

一瞬シンと雨音が止みんだかと思った瞬間、吊るされたてるてる坊主が一斉にこちらを向き叫びだした。「お願いします!お願いします!」と。

もう必死に車に乗り込んで、ドアを閉めた音と一緒に雨音が復活したことに安心した。

外のてるてる坊主は翌日には撤去したがAちゃんのロッカーにあった大量のてるてる坊主は何故か無くなっていたそうだった。

彼女は今でもその保育園で働いているが、てるてる坊主と雨の日の残業だけは今でも苦手らしい。

「今でも雨音に混じって「ごめんなさい」と「お願いします」が聞こえる気がする時があるのよね。」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る