最終話 蒼雷は紅落の空に堕ちて




—————轟音。

一条の光が空を駆ける。地に落ちる稲妻が如く、夥しい光と熱量を持って空を裂く。

それは彼の憎しみという憎しみの込められた、死神の一矢。


それはただ、壊すためだけに。

それはただ、殺すためだけに。


それは彼の愛した彼女を否定した、全てを壊し尽くす為に放たれた。


初速は音速を遥かに超え、音さえも置き去りにして放たれる。掠るだけでも、伝播するその衝撃波が、纏いし雷が命というものを確実に破壊する。

避けることも守る事も不可能。

彼にとっての必中必殺。その一撃はたとえオーヴァードだろうと死に至らしめる。たとえそれが歴戦のエージェントだろうと、例外なく。



————それは、相対するのが彼でなければの話だ。



少年は全ての感覚を、神経を張り詰める。

目の前の彼、それ以外への意識という意識を全て切り捨てる。僅かな所作、この場を覆う空気、その全てを己が全ての感覚を以て感じ取る。

狙うはただ一点、ただ一瞬。弾芯と剣線が交錯するその瞬間。コンマ一秒、コンマ一ミリのずれも許されない。その一つでもズレれば、死は免れない。


それでも彼は、躊躇う事なく立ち向かう。恐怖などない。いや、その感情さえも切り捨てた。

それが余計なものだと解っていたから。迷いが、躊躇いが最悪の結末を招くと知っていたから。

その精神は研ぎ澄まされた刃の如く、鋭く、ただそれだけのためだけに振るわれて。


そして彼が一歩強く踏み込み、その剣を突き出した、その瞬間————、








雨粒さえも止まったように錯覚するだけの刹那。


鉛と鋼が衝突し、甲高くも鈍い音が空に鳴り響く。

空気が、世界が震える。

未だかつて、経験のしたことの無い衝撃。

力と力のぶつかり合い。それは真っ直ぐと、互いを打ち砕かんと真正面からぶつかり合って。


瞬間、音と光が弾ける。

鉛は雷糸を纏って、鋼は緋き火花と共に激しく散る。

砕けた金属片は勢いをそのままに飛んで、奴の身体に傷という傷を刻んでいく。


だが、それだけだった。

奴は、二歩目を踏み出していた。


いいや、そもそも少しでもズレれば逸れた弾丸が奴を貫いたはずだった。

なのに、そうはならなかった。奴は弾芯を貫き、俺の一矢を打ち砕いた。

この一撃を以ってしても、奴を止めるには足りなかったのだ。


ならばと、再度構えようとして右腕の痛みに気付く。

銃と雷光の反動に右腕は骨が砕け、腕そのものも焼け焦げて。


だが、そんなことなど些事だ。

俺の腕が、この命がどうなろうと知ったことでは無い。


こんな身体、壊れてしまおうと構わない。

こんな命、尽き果てようとも構わない。


————むしろ、俺はずっとそれを望んでいた。


俺は許せない。

アイツを奪った『13』も、『13』の存在を許したUGNも、その『13』に囚われ戦い続けるお前のことも。


そして何より、アイツを救うことも、守ることもできなかった"俺自身"が一番許せないから。


だから今一度引鉄を引く。

全てを終わらせるために。今度こそ、何もかも壊すために。


大丈夫、俺ならやれる。あの日のように。そう、自分に言い聞かせて、引鉄に指をかけて————




————曲げようとしたのに、どうしてかそれは、あまりにも重かった。






二歩目、踏み込む。身体は痛むが、止まる理由にはならない。


眼前、撃発直後に排莢。それは鮮やかで滞りなく、再装填リロードの速さだけ見れば半自動式セミオートと大差ない。

照準を合わせるのも、その指を再度引鉄にかけるまでも手慣れたものだ。


けれど、刀剣の創造は間に合わせた。三歩目でその懐に入る。

この戦いを終わらせるのはあまりにも惜しいけれど、この勝負はもう終わらせる。

引鉄を引く間も与えず、そのままその首を叩き落とす。オーヴァードでも首が落ちれば死は免れないから。


柄に手を当て、狙いを定める。

その首筋に、その命に——————




——————違う。




意識が、自分ではない何かに呑まれかけた。

俺は今、アイツを殺そうとしていた。

違う、俺はそんなこと望んでないはずなのに。


同時、惑う。躊躇う。

迷いに足が、視界が揺らぐ。

それが僅かに、けれど確かに致命的な隙を生んだ。


瞬間、奴の照準が俺の胴に合う。既に引鉄には指がかけられていて、この右手は既に剣を握っていて。


刀を抜いても、間に合わないかもしれない。

俺の抜刀より早く、奴の弾丸が俺を貫くかもしれない。



けど、それでも、俺は————!



三歩目、強く踏み込む。

一度首へと定めた狙いをもう一度定め直して、一閃————





轟音、再び。

乾いた炸裂音。雨に遮られて、それは辺りに鈍く響き渡る。宙を舞う血飛沫は、雨に溶けて緩やかに血に落ちる。それはさながら、紅落のように。

そして同時、ごとりという音と共に白煙上げたそれは地に落ちて。


痛みに、表情が歪む。

流れ落ちる赤は止めどなく溢れ、それでも彼は声を上げることもなく立ち続ける。

「ッ……何故だ……どうしてだ……!」

なお、彼は言葉を紡ぎ続ける。右肩からその先を失った、黒鉄蒼也は。

「っ……黒鉄!」

呆気なく訪れた幕切。正気に戻った稲本は刀さえも投げ捨て彼に駆け寄る。ふらつく彼を支え、咄嗟の応急処置を施す。

侵蝕率の高まりのせいで傷は治り難くなっている。恐らく、彼の腕はもう————


「……何故、だ」

「何がだ……!」

問いかけ、静かに。彼は焦りに声を荒げながらも応答して。

「何故……俺を殺さなかった……」

それに、彼の手が止まる。即座に、彼の胸ぐら掴んで。

「何度も言ってるだろう……俺はお前を止めたかっただけだ……!お前を殺しても誰も……楓も真奈ちゃんも喜ぶわけがねえ……。それはお前自身が、一番わかってるはずだろ……!!」

叫んで、そのまま力なく一息ついて。

「それに、俺だってもう誰も殺したくねえさ……。親父を殺した奴ならまだしも、お前なら尚更……」

その言葉が届いたかはわからない。彼は表情を変えることも無く静かに俯く。

「……右のポケットに、煙草が入ってる。一本、出してくれないか」

「……構わねえけどよ」

その言葉に応えて一本、彼の口に咥えさせる。そうすれば彼は左手で火を付けて、大きく煙を吸い込む。

感情という感情を、心という心を煙に溶かす。平静を保つために。もう一度、己が意志で歩み出すために。

けれどその想いは、心だけは捨てられず。

「泣いたって、いいんだぞ」

「俺は、兵器だ」

「……そうかよ」

頬を伝うそれが涙が雨粒かなど、相棒である彼に誤魔化せるはずもなかった。




「……稲本」

転じて、厳かな口調。彼もそれには言葉で応えず、されどその態度で応えた。それを見て、彼は言葉を続ける。

「お前に、伝えねばならないことがある」

「俺に、伝えること……?」

「ああ。時間がない、耳を貸せ」

左腕で彼の胸ぐらを掴み、その耳元で口を開いた。音を操る彼でさえ、決して誰にも聴かれぬように最大限の警戒と共に、そして最小限の情報だけを、淡々と。

告げ終えれば、突き放すようにその手を離す。その身体は力無く、いや、驚きで力を入れられないと言った様子で。

「……意味が分かんねえよ。どういう事だよ!!」

「どういう事も、それが事実だ」


そのまま稲本が詰め寄ろうとしたその瞬間、突風が巻き起こる。バラバラという音が急速に近づく。

「おい、"ヌル"、撤退だ。さっさと乗らねえと置いてくぞ」

空を見上げれば襲撃してきたあのヘリ。そして陣内と刃を交えていた白髪の彼——"マスタールプス"がそこに。

そして彼も降ろされた縄梯子に手をかけて。

「お前が『13』を、何を信じるかどうかは勝手だ。だがな————」

その身体が、宙に浮く。不安定に、風に揺られながら。

「お前は、お前の意志を貫き通せ。お前の信じるものの為に戦え」

それでもその声はハッキリと、真っ直ぐと。

「それが、お前の"相棒"として俺から言える言葉だ」

彼の嘘偽りない、彼なりのメッセージそのものだった。


そして音が遠ざくと共にその姿は小さく消えていく。

風は消え、降っていた雨もいつの間に止んで、静寂が訪れる。

「終わったみたいだね」

「先生……」

声に振り返れば、そこには傷だらけになった陣内の姿が。少し疲れもあるようで、足取りはいつもより重そうで。

「彼は、強かったかい?」

「……ああ。正直死にかけた」

「そっか……」

その声は少し寂しげに、けれど少し安堵したように。

「先生、あいつの事は————」

「上に報告するつもりはない。したところでどうしようもないからね」

「そうか……」

いつも通りの落ちついた、優しいその声に少しだけ心も安らいで。

「さ、帰ろうか。お互い怪我もひどい事だし」

けれど、同時————

「どうしたんだい?」

「……いいや、なんでもないさ」

えも言われぬ、それでも明確な不安に襲われたのだけは確かだった。




こうして稲本、黒鉄、二人の死闘の一幕は終わりを迎えた。

だが、これはまだ始まり。二人にとって長きに渡る因縁の、これより始まる苛烈な戦いの序章に過ぎない。


少年たちは一歩踏み出して行く。

彼らを阻む運命へと。

彼らを待ち受ける宿命へと。


たとえその先が、彼らの望まぬ未来であったとしても、だ。


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