最終話 蒼雷は紅落の空に堕ちて
—————轟音。
一条の光が空を駆ける。地に落ちる稲妻が如く、夥しい光と熱量を持って空を裂く。
それは彼の憎しみという憎しみの込められた、死神の一矢。
それはただ、壊すためだけに。
それはただ、殺すためだけに。
それは彼の愛した彼女を否定した、全てを壊し尽くす為に放たれた。
初速は音速を遥かに超え、音さえも置き去りにして放たれる。掠るだけでも、伝播するその衝撃波が、纏いし雷が命というものを確実に破壊する。
避けることも守る事も不可能。
彼にとっての必中必殺。その一撃はたとえオーヴァードだろうと死に至らしめる。たとえそれが歴戦のエージェントだろうと、例外なく。
————それは、相対するのが彼でなければの話だ。
少年は全ての感覚を、神経を張り詰める。
目の前の彼、それ以外への意識という意識を全て切り捨てる。僅かな所作、この場を覆う空気、その全てを己が全ての感覚を以て感じ取る。
狙うはただ一点、ただ一瞬。弾芯と剣線が交錯するその瞬間。コンマ一秒、コンマ一ミリのずれも許されない。その一つでもズレれば、死は免れない。
それでも彼は、躊躇う事なく立ち向かう。恐怖などない。いや、その感情さえも切り捨てた。
それが余計なものだと解っていたから。迷いが、躊躇いが最悪の結末を招くと知っていたから。
その精神は研ぎ澄まされた刃の如く、鋭く、ただそれだけのためだけに振るわれて。
そして彼が一歩強く踏み込み、その剣を突き出した、その瞬間————、
※
雨粒さえも止まったように錯覚するだけの刹那。
鉛と鋼が衝突し、甲高くも鈍い音が空に鳴り響く。
空気が、世界が震える。
未だかつて、経験のしたことの無い衝撃。
力と力のぶつかり合い。それは真っ直ぐと、互いを打ち砕かんと真正面からぶつかり合って。
瞬間、音と光が弾ける。
鉛は雷糸を纏って、鋼は緋き火花と共に激しく散る。
砕けた金属片は勢いをそのままに飛んで、奴の身体に傷という傷を刻んでいく。
だが、それだけだった。
奴は、二歩目を踏み出していた。
いいや、そもそも少しでもズレれば逸れた弾丸が奴を貫いたはずだった。
なのに、そうはならなかった。奴は弾芯を貫き、俺の一矢を打ち砕いた。
この一撃を以ってしても、奴を止めるには足りなかったのだ。
ならばと、再度構えようとして右腕の痛みに気付く。
銃と雷光の反動に右腕は骨が砕け、腕そのものも焼け焦げて。
だが、そんなことなど些事だ。
俺の腕が、この命がどうなろうと知ったことでは無い。
こんな身体、壊れてしまおうと構わない。
こんな命、尽き果てようとも構わない。
————むしろ、俺はずっとそれを望んでいた。
俺は許せない。
アイツを奪った『13』も、『13』の存在を許したUGNも、その『13』に囚われ戦い続けるお前のことも。
そして何より、アイツを救うことも、守ることもできなかった"俺自身"が一番許せないから。
だから今一度引鉄を引く。
全てを終わらせるために。今度こそ、何もかも壊すために。
大丈夫、俺ならやれる。あの日のように。そう、自分に言い聞かせて、引鉄に指をかけて————
————曲げようとしたのに、どうしてかそれは、あまりにも重かった。
※
二歩目、踏み込む。身体は痛むが、止まる理由にはならない。
眼前、撃発直後に排莢。それは鮮やかで滞りなく、
照準を合わせるのも、その指を再度引鉄にかけるまでも手慣れたものだ。
けれど、刀剣の創造は間に合わせた。三歩目でその懐に入る。
この戦いを終わらせるのはあまりにも惜しいけれど、この勝負はもう終わらせる。
引鉄を引く間も与えず、そのままその首を叩き落とす。オーヴァードでも首が落ちれば死は免れないから。
柄に手を当て、狙いを定める。
その首筋に、その命に——————
——————違う。
意識が、自分ではない何かに呑まれかけた。
俺は今、アイツを殺そうとしていた。
違う、俺はそんなこと望んでないはずなのに。
同時、惑う。躊躇う。
迷いに足が、視界が揺らぐ。
それが僅かに、けれど確かに致命的な隙を生んだ。
瞬間、奴の照準が俺の胴に合う。既に引鉄には指がかけられていて、この右手は既に剣を握っていて。
刀を抜いても、間に合わないかもしれない。
俺の抜刀より早く、奴の弾丸が俺を貫くかもしれない。
けど、それでも、俺は————!
三歩目、強く踏み込む。
一度首へと定めた狙いをもう一度定め直して、一閃————
※
轟音、再び。
乾いた炸裂音。雨に遮られて、それは辺りに鈍く響き渡る。宙を舞う血飛沫は、雨に溶けて緩やかに血に落ちる。それはさながら、紅落のように。
そして同時、ごとりという音と共に白煙上げたそれは地に落ちて。
痛みに、表情が歪む。
流れ落ちる赤は止めどなく溢れ、それでも彼は声を上げることもなく立ち続ける。
「ッ……何故だ……どうしてだ……!」
なお、彼は言葉を紡ぎ続ける。右肩からその先を失った、黒鉄蒼也は。
「っ……黒鉄!」
呆気なく訪れた幕切。正気に戻った稲本は刀さえも投げ捨て彼に駆け寄る。ふらつく彼を支え、咄嗟の応急処置を施す。
侵蝕率の高まりのせいで傷は治り難くなっている。恐らく、彼の腕はもう————
「……何故、だ」
「何がだ……!」
問いかけ、静かに。彼は焦りに声を荒げながらも応答して。
「何故……俺を殺さなかった……」
それに、彼の手が止まる。即座に、彼の胸ぐら掴んで。
「何度も言ってるだろう……俺はお前を止めたかっただけだ……!お前を殺しても誰も……楓も真奈ちゃんも喜ぶわけがねえ……。それはお前自身が、一番わかってるはずだろ……!!」
叫んで、そのまま力なく一息ついて。
「それに、俺だってもう誰も殺したくねえさ……。親父を殺した奴ならまだしも、お前なら尚更……」
その言葉が届いたかはわからない。彼は表情を変えることも無く静かに俯く。
「……右のポケットに、煙草が入ってる。一本、出してくれないか」
「……構わねえけどよ」
その言葉に応えて一本、彼の口に咥えさせる。そうすれば彼は左手で火を付けて、大きく煙を吸い込む。
感情という感情を、心という心を煙に溶かす。平静を保つために。もう一度、己が意志で歩み出すために。
けれどその想いは、心だけは捨てられず。
「泣いたって、いいんだぞ」
「俺は、兵器だ」
「……そうかよ」
頬を伝うそれが涙が雨粒かなど、相棒である彼に誤魔化せるはずもなかった。
「……稲本」
転じて、厳かな口調。彼もそれには言葉で応えず、されどその態度で応えた。それを見て、彼は言葉を続ける。
「お前に、伝えねばならないことがある」
「俺に、伝えること……?」
「ああ。時間がない、耳を貸せ」
左腕で彼の胸ぐらを掴み、その耳元で口を開いた。音を操る彼でさえ、決して誰にも聴かれぬように最大限の警戒と共に、そして最小限の情報だけを、淡々と。
告げ終えれば、突き放すようにその手を離す。その身体は力無く、いや、驚きで力を入れられないと言った様子で。
「……意味が分かんねえよ。どういう事だよ!!」
「どういう事も、それが事実だ」
そのまま稲本が詰め寄ろうとしたその瞬間、突風が巻き起こる。バラバラという音が急速に近づく。
「おい、"
空を見上げれば襲撃してきたあのヘリ。そして陣内と刃を交えていた白髪の彼——"マスタールプス"がそこに。
そして彼も降ろされた縄梯子に手をかけて。
「お前が『13』を、何を信じるかどうかは勝手だ。だがな————」
その身体が、宙に浮く。不安定に、風に揺られながら。
「お前は、お前の意志を貫き通せ。お前の信じるものの為に戦え」
それでもその声はハッキリと、真っ直ぐと。
「それが、お前の"相棒"として俺から言える言葉だ」
彼の嘘偽りない、彼なりのメッセージそのものだった。
そして音が遠ざくと共にその姿は小さく消えていく。
風は消え、降っていた雨もいつの間に止んで、静寂が訪れる。
「終わったみたいだね」
「先生……」
声に振り返れば、そこには傷だらけになった陣内の姿が。少し疲れもあるようで、足取りはいつもより重そうで。
「彼は、強かったかい?」
「……ああ。正直死にかけた」
「そっか……」
その声は少し寂しげに、けれど少し安堵したように。
「先生、あいつの事は————」
「上に報告するつもりはない。したところでどうしようもないからね」
「そうか……」
いつも通りの落ちついた、優しいその声に少しだけ心も安らいで。
「さ、帰ろうか。お互い怪我もひどい事だし」
けれど、同時————
「どうしたんだい?」
「……いいや、なんでもないさ」
えも言われぬ、それでも明確な不安に襲われたのだけは確かだった。
こうして稲本、黒鉄、二人の死闘の一幕は終わりを迎えた。
だが、これはまだ始まり。二人にとって長きに渡る因縁の、これより始まる苛烈な戦いの序章に過ぎない。
少年たちは一歩踏み出して行く。
彼らを阻む運命へと。
彼らを待ち受ける宿命へと。
たとえその先が、彼らの望まぬ未来であったとしても、だ。
続
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