第6話 敗走

月明かりのない夜の空の下、蒼刃と黒刃が火花を散らしながら幾度となく交錯する。

「っ……!」

「どうした、その程度じゃないだろう君は」

懐に潜り込もうとする黒鉄に対し、陣内は複数の斬撃を持って応する。黒き刃は闇に溶けて、不可視の刃がその身を断たんと放たれる。

「ああ、アンタの言う通りだ」

五感を頼りにした回避は不可と即断。神経伝達を加速させ、思考の速度を跳ね上げる。

刃そのものは見えずとも、人体の構造、長物の特徴、そして数多の戦闘経験から予測は可能。

黒刃、放たれて闇夜に斬撃が数度飛ぶ。蒼雷をナイフに纏わせ、一つ二つ軌跡を交わらせそのまま一気に懐へと飛び込む。


だが三つ目、それは交わることなく空を切る。同時、顔面目掛け刃が飛ぶ。

黒鉄は即座に理解する。予測されると判断した彼により、遅延ディレイを交えたフェイントを仕込まれたのだと。

前方に踏み込んだ以上回避は不可能。予測に組み込まれていなかった以上迎撃も困難。ならばと、とっさに右腕で己を庇う。


一見して、無謀な一手。鋼すら斬り裂く夜叉の斬撃を腕一本程度で受け止められるわけがない。そのまま刃が肉に食い込み、骨を断つまでが本来のあるべき形であった。

だが、そうはならず。

「なるほど、いい腕だ」

黒刀が触れると同時、黒鉄が側方に僅かに力を込めるだけで刃は彼の腕を舐めるように逸れて。

「仕留める」

左手で短機関銃サブマシンガンを握り、即座に引鉄を引く。

が、その銃口は反動よりも遥かに強い力で上に逸らされ、弾丸は上空に放たれる。

その視線は空へと向かず、目の前の彼が銃身を蹴り上げるその瞬間を、初めから最後まで双眼で捉えていた。

夜叉が再び、刀を返す。

今のままでは有効打は望めない。ならば、と彼は即座に左手に握ったそれを手放し、後方へ跳躍。追撃を食い止めんと、抜いたマグナムで三発の弾丸を放ち、それは蚊を払うかのように難なくはたき落とされた。

そして訪れる、僅かな静寂。

少年は息を整え、次の一手のため脳に酸素を送り込む。相対する彼はふっ、と力を抜いて刀を鞘に納め、にこやかに殺意をあらわにした。


「どう……して……」

掠れるような声が、黒鉄の後ろから聞こえる。彼は振り向きはせず、意にも介さずインカムからの報告に耳を向ける。

『こちら"赤の鉛玉レッドバレット"、ターゲットαを確保。カマイタチがそちらに向かってます』

「了解。こちらも目標を達成次第離脱する」

簡潔に答えれば、再度ナイフを両の手に握り間合いを測る。


決して顔には出さないが、今にも切れてしまいそうな糸のように、彼の精神はかつてないほどに張り詰めていた。対する彼は、悠々と。

「蒼也、その右腕は"狼王ロボ"に作ってもらったのかい?」

「ああ。右腕はこいつに落とされたんでな」

裂かれた肩口から、鈍く輝く白が覗かせる。

ブラックドッグのみが扱える戦闘用特殊義肢。"マスタールプス"こと、"狼王ロボ"が扱うそれをベースに、黒鉄蒼也が己の戦闘スタイルに合わせて調整を施した、それこそが彼の新たなる右腕であり、新たなる武器の一つ。陣内も先の斬撃で腕を落とせなかった事に合点が行き、次は確実に落とせると確信もした。


そしてそのまま、続けるように。

「それで、どうして君が彼に手を貸すんだい?仮にも、君にとって彼は敵のままだろう?」

にこやかにいつも通りの声音で、なんて事ないことを聞くかのように。

黒鉄は変わらずその神経は張ったまま、されどただ一言。

「この馬鹿には、借りがある。それを返しにきただけだ」

そこには、組織や因縁のしがらみもない。黒鉄蒼也という、一人の少年としての言葉が紡がれていた。それとそのまま、そんなことなどどうでもいいかのように切り返して。

「そういうアンタは何が目的だ。俺に、この馬鹿に、『13』の真実を伝えて何がしたい。何を俺たちにさせるつもりだ」

問いを、投げかける。

あの日、カスケード社の事件を発端に動き出した事件。その裏で彼、陣内劔は黒鉄蒼也に『13』の暗躍を、稲本作一に"黙示の獣"についての情報を与えた。

それを知る黒鉄からすれば、それは『13』への裏切り行為。にも関わらず、彼は今、部下や愛弟子をその手にかけんと刀を振るう。

過去の陣内の言動も踏まえれば、それはあまりにも矛盾に満ちた行為でしかなかった。


その問いかけには余裕を崩さず、相変わらずの笑顔のままに。

「なんでって、ワンサイドゲームになってしまったらつまらないだろ?」

見る者によっては、この上ない邪悪に見えただろう。裏切り騙し、己の欲を満たすため信頼を踏み躙り、彼らを陥れた行為を、笑顔のままに口にしたのだから。

だが、彼を知るものからすれば————

「そういう人間じゃないだろ、アンタは」

その笑みさえも、無理矢理に貼り付けたようにしか見えなかった。


そして、彼は答えず。代わりに柄に手をかけて、静かな殺気が場を包み込む。

「さぁ、お喋りはもう終わりだ。時間は十分に稼げただろう?」

「っ……!」

目論見を突かれて、身体が強張る。


『13』を打破する切り札、それが稲本作一と彼が有するでーた。

それらを回収するのがルプスの目的であり、それまで一秒、いやコンマ一秒でも長く時間を稼ぐのが黒鉄の役割だった。


だが、その目論見の全てを勘定に入れた上で、陣内劔はかつての部下と言葉を交わしていた。

彼からすれば、それだけの余裕があると言わんばかりに。

それさえも理解したが故に————

「悪いが、全力で凌がせてもらう」

「ああ。僕も君の策ごと、叩き斬らせてもらうよ」

全身に蒼き雷を纏わせる。夜叉という、己が知る目の前の最強から、わずかでも時間を奪うため。


そして一歩、夜叉が玉兎が如く距離を詰める。

「一之太刀————」

距離にして十歩。瞬くより早く、死が迫る。

正面から受け止めることは不可能。

ならばと、刃が放たれるよりも前に陣内の肘を起点に蹴り上げる。

「悪いな、真似させてもらった」

「そこまで足癖が悪くなるように育てた覚えはないよ」

首目掛けて放たれた刃の軌道を逸らし、剣線が側頭を掠めて黒髪がはらりと散る、より早く、一歩前に出す。

その右手にはナイフを携え、夜叉の首目掛けて刃を振るわんとした。


が、それは振るわれず。

「っ……ぐ……!」

咄嗟に右腕で己の胴を庇う。そして踏み締めると同時に、衝撃が右腕に響く。

「よく反応したね」

一之太刀と同時に繰り出されていた掌底。それは確実に、心臓を止めるべく放たれていた。それも、一之太刀は凌がれることを前提として。

反撃は能わず、むしろ自ら重心を崩すように仕向けられた。


不味い。よぎると同時、跳躍。距離を取り、少しでも時間を稼がんと即爆のグレネードを投擲。

その隙に、マグナムを抜き照準を合わせた。

されど、それは彼の勘定の内。

「悪くない。けど、決して良くもない」

接地、起動。そのときには二歩前に躍り出て、起爆と同時に加速。

「なっ……!?」

「五之太刀————」

予想よりもコンマ繰り出された刺突が、銃口を勢いよく塞ぐ。引鉄にかけた指は既に曲げられて、撃鉄落ちて炸裂。

弾丸と剣先はぶつかり合い、内側からマグナムは裂けて弾ける。


大きく仰け反る。予期せぬ反動に態勢が大きく崩された。

小さな隙も、見せぬように策を練り動いてきた。それほどに、彼という男の前で隙を見せることは死に直結する。

そして、これだけの隙を晒せば————

「六之太刀————」

死したも同然だった。




「く、そ……!」

人間は死を目前とすれば、その脳を最大限に活性化させる。

緩やかに動く時の中で、彼は盤面を確認する。

経過した時間、カマイタチの到着予想時刻、そして目の前の鬼が己を斬り殺すまでの時間。


己の生存は当たり前にあり得るわけもなく、だがどう思考を巡らしても、仲間の離脱にはほんの数秒足らない。

その数秒が彼と自身の差だと、身をもって思い知らされた。

そして彼の刃を止める術は、もう己にはない。緩やかに動く時の中で、刻まれるしか先はないのだと、彼は静かに受け入れんとした。




刹那、時が止まる。

踏み出されるはずの足が、振り抜かれるはずの刃がその場に留まった。

いや、目の前の夜叉が動きを止めたのだと即座に理解して後方へと跳ねる。

それと同時、夜叉を呑むように、二人を隔たるように業火が放たれて闇を焼く。

陣内は即座に回避し、致命は免れる。だが今この瞬間、明確に二人の距離は開かれた。


「隊長!!」

「"カマイタチ"、後方の負傷したエージェントの片方を連れて離脱しろ」

声、後方から聞こえ即応。彼もすぐに翻し、血塗れの稲本を肩に担ぐ。

そして現れたヘリのドアは既に開かれていて、"カマイタチ"と黒鉄は跳躍のまま機内へと着地した。

「最高のタイミングだ、"赤の鉛弾レッドバレット"」

「それなら何よりです」

そのままドアは閉じられて、何の感慨もなくそれは夜の空へと旅立っていく。




その旅立ちの中で、彼はあの刹那の時の中で聞こえた二つの言葉をもう一度再生する。


『その馬鹿を、頼む』

『簡単に死ぬんじゃないわよ』


勘定から外していた、かつての仲間の言葉。

死に瀕した動けぬ身体で、それでもなお運命に抗い、最後の数秒を生み出してくれた。

そのおかげで、二人を死なせるより早くこの場を逃れることができた。

「……必ず、お前たちに報いる。必ずだ」

強く、強く拳を握る。

既に街並みは小さく、地上の灯りも遠い。


決して彼らにとっての勝利はない。首の皮一枚だけが繋がった、敗走である。

それでも、確かに繋ぎ紡がれた。故に、戦いはまだ続く。


彼らの決意を乗せて、黒き棺桶は空へと消える。

最後の戦いへの、わずかないとまへと彼らを誘うために。



それが闇夜に溶けるまで、彼は見届けていた。

そしてそれが視界から消えれば、地面を見下ろす。

その視線の先には、深い傷を負い、呼吸すらままならない二人の姿。

「君たちにしてやられたよ、レイモンド、久遠」

彼はいつものように小さく笑みを浮かべながら、剣を片手にゆっくり、ゆっくりと歩み寄る。


されど二人は彼の方など見ず、掠れた喉で言葉を交わす。

「……ったく、俺一人でよかったのにわざわざ残るなんて、愚かな女王様だよ。お前は」

「何言ってるのかしら。貴方一人で、ちゃんと時間は稼げた?」

「ああ、全く言い返せない」

動かぬ身体で、笑い合う。欲を言えば一矢報い倒すことができればと思っていたが、流石にそこまで上手くはいかなかった。

それでも、確かに彼らは生き延びた。それだけでも、二人にとっては勝利だった。


足音が、緩やかに近づく。

「なぁ、久遠」

「なによ、レイモンド」

足音が止まって、刀が抜かれる。

「あの二人なら、大丈夫だよな」

「ええ。揃いも揃って、馬鹿なのは心配だけど」

「そうだな。いつかまたなんかやらかしそうだ」

そして、一気に振り上げられて————

「でもまさか、最期がお前となんてな」

「ええ、ほんと。全くよ」

首筋目掛け、一気に二度振り下ろされる。

頭が二つ、胴から切り離される。

されどその鋭き太刀筋は痛みを与える間もなく、二人の命を刈り取った。その笑みは、その命が消える瞬間まで絶えることはなかった。




月が照らさぬ夜空に、小さな星々が浮かぶ。

街の灯りも消え失せて、次第に世界は眠りについていく。


されど裏側の、その深淵。

数多の思惑が目を覚まし、それぞれが交錯し始める。

統率か、復讐か、あるいは————



そして今、彼らの戦いは新たなる局面へと移る。



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月狼の記憶 少年編 芋メガネ @imo_megane

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