第5話 憎悪
鈍く鋭く、繰り返し鳴り響く金属のぶつかり合う音。
少女は、その音に目を開き、その方を見やる。
掠れた視界の中、視線の先で、二人の剣士が刃を交え合う。
敵を斃さんと振るわれるそれには、一切の躊躇いがない。たとえ17年に渡り家族同然に過ごしていたのだとしても、二人の間にあるのは明確な殺意のみ。
「ダメ……だよ……サクちゃん……支部長……」
少女は手を伸ばす。二人を止めようと、二人があるべき在し日を取り戻さんと。
されどその手は届かず、空を切るのみ。
少女の願いは叶うことなく、過去のものとなった。
二つの剣が絶え間なく交わり続け、闇夜に火花が幾度となく散る。
白と黒の刃のどちらも、互いの命を奪うため振るわれる。そこに一切の迷いはなく、剣線は揺れることなく互いの命目掛けて描かれる。
「アンタだけは……アンタだけはあぁあああっ!!」
繰り出される一之太刀。それは先までよりも速く鋭く、鬼の首目掛け飛ぶ。
「さっきよりも動きがいい。それでこそだ」
対する陣内も繰り出す三日月。稲本の斬撃を弾いて即座に蹴りを叩き込む。それを稲本は片腕で受け止めて、刺突を即座に繰り出す。
だが、即応。軸足を浮かせて、そのまま旋回。
「っ……ぐっ……!」
繰り出された回し蹴りが少年の胴を捉え、身体が宙に浮く。
両足で踏ん張り、追撃に備える。が、追撃はなく、互いに納刀。僅かな静寂が訪れるが、その空気は張り詰めたまま。そして少年の視界は、赤に染まったまま。怒り、憎しみ、恨み。それが迷いを、過去すらも塗り潰す。
「何でだ……どうしてだ……!!」
「速い……!」
一歩、強く踏み込む。玉兎が如き歩みで、瞬きが終わるより早く間合いに捉え。
「何でアンタが、父さんを殺したぁぁっ!!」
繰り出される抜刀。陣内も即座には反応し切らず、抜きかけの刃で受け流し半歩距離を取る。
されど終わらぬ追撃。そのまま鞘から剣を抜いて、振り下ろされた白刃と黒刃が二人の眼前で勢いよくぶつかる。
「何故殺したかって?簡単なことだよ。あの人が君を理由に敵を殺せなくなったから……『13』にとって用済みになったからさ!!」
青年は答えると同時、僅かな動きで力の均衡を崩す。前のめりになった重心に少年は身体を前へと引かれ、鬼の間合いへと引き込まれる。
が、加速。
「だったら……どうして……!!」
「っ……!」
構えるは平突き。彼が最も得意とする、文字通りの必殺。間合いへと誘われた、その勢いさえも利用して。
「俺に剣を教えた……何が目的だったぁ!!」
慟哭と共に放つ。受ければ死は免れない。剣による迎撃も不可。それはこれまで全てを教え、全てを見届けてきた彼だからこそ理解してた。
「だって、悲しいじゃないか」
故に、刃を蹴り上げる。体勢は崩れようとも、まだ死ぬわけにはいかないから。
「仇討ちも成せず、ただ僕に嬲り殺されて終わってしまったらさ」
「っ……貴様ぁぁぁぁぁ!!」
笑みと同時に二段目の蹴り。それを以て少年の腕を弾く。同時に側方へと蹴り出し一度彼の間合いから逃れんとする。
「逃さねえ……!!」
どれだけ怒りと憎しみに脳髄までが塗りつぶされていたとしても、己と師の技量差は分かっていた。
だからこそ、この流れを途絶えさせない。されど彼はすでに一歩踏み終えている。間合いを詰める時間すらも惜しい。
故にその手に創り出すは、他者を殺すため、最小限の動きで、最大限の傷を与えられるもの。
指先を折り曲げれば死を放つ、人類の発明した道具の一つ。
かつての相棒が愛用していたそれの引き鉄を、迷いなく引いた。
着地の瞬間、大腿を狙われたことを理解して脇差を抜く。
最小限の動きで弾丸を弾きはするが、それがあくまでも自身の足を止めさせるためだけのものだとは陣内自身も理解していた。
そしてその思惑通り、反撃の猶予すら与えられず。
「っ……!」
四之太刀で、彼が斬り抜ける。その刃が胴に斬り込まれる寸前で弾いた。だが無傷とはいかず、頬から赤が飛んで遅れて傷口が熱を帯びる。
「……想像以上だ」
思わず、口からこぼれた。
決して彼は今までも弱くはない。むしろ、並大抵のエージェント比べても頭一つ抜けて優秀な剣士としてここまで来た。それが今は迷いを捨て、ここまで僕を追い詰めた。
ずっと見てきたつもりだったけれど、彼の成長は僕の想像をとっくに越えていた。
だが、まだだ。
今の斬り抜けも悪くはないが、力み過ぎて反転に僅かな遅れが生じている。
迷いを捨てた、それだけでは足りていない。今の彼には余計なものが多すぎる。それにまだ、死ぬわけにはいかない。
だから今は、全力で————
瞬間、夜叉の気配が変わったと少年は察する。無駄なき所作で、彼が納刀するのを目にする。
仕掛けてくる。それも恐らく、確実にこの反撃で終わらせにくる。憎しみと怒りに飲まれた頭でも、次の彼の行動は予測できた。
ならば、それすらも真っ向から叩き潰す。師の必殺はそれこそ幾度となく見続け、己が身体で受けてきた。
故に十六夜という技の脅威も、突破口も知っている。
己と彼の技量差は歴然だ。
だが、それでも、差し違えることはできる。いや、差し違えてでも殺す。
ただ一点突破、己が必殺を叩き込む。
そのために、一歩、強く踏み込んだ。
「六之太刀、改————」
刹那だった。
「っ————」
己が刃が弾かれたのは。
いや、そもそもその歩みは一つとして見えず、音が聞こえるより早く剣線が飛ぶ。
遅れて聞こえたそれで、四度の刃に弾かれたのだと気づく。
そして、地に伏して、体躯に刻まれた十二の赤き線が熱を帯びて————
「朧月」
初めて俺は気づいた。
この一瞬で、俺はこの身を支えられぬほどに、幾度となく殺されたのだと。
己が刃を一度たりとも届かせることなく、彼に敗れたのだと。
「っ……か、はっ……!?」
肺に溜まった息と血を吐き出して、両手に力を込めようとした。けれど切り離されたと錯覚するほどに、この身体は思うように動いてくれない。
「君は、決して弱くない。あのまま僕を仕留める気でいれば、僕は確実に負けていた」
その人は傷を一つ負うことなく、刃に付いた血を振り払いゆっくり、ゆっくりとこちらへと歩を進める。
「けどね、差し違えてでも、なんて甘い考えに陥った時点で僕には勝てない。ハナから勝ちを捨てた君に負けるつもりはない」
武器を手に、立たなければならない。なのに、力がもう入らない。指の一つすら動かない。
「己が剣を握る理由も忘れたまま、何も守れぬまま————」
そして彼の歩みが止まり、その刃が振り上げられて。
「っ……ぁぁあああああ!」
「死ぬといいよ」
————蒼雷、瞬く。
「っ……!」
黒き刃がその雷撃を斬り裂き、夜の闇で鉛が弾けて消える。遅れて響く轟音に、空気が震えた。
「やはり、来たね」
それより早く、彼が地に降り立つ。散った火花が、暗がりの中でその蒼き瞳を照らし出す。
そのまま繰り出される、鋭い蹴り。回避は間に合わず、彼も同じく蹴撃を以って迎撃する。
重なる一つの衝撃は二人を跳ね除けて、距離にして五歩の間が開く。
そして少年は、己と師の間に立ち塞がる彼を見て、目を見開く。
「まだ息はあるようだな、稲本」
「黒……鉄……!?」
彼はその驚きに応えることなく、己が"両手"に刃を握りしめる。
その姿を見て、彼は少し嬉しそうに微笑む。
「それじゃあ、始めようか」
敵意からは程遠い瞳のまま、彼もまた刃を納める。
二人そのまま、音もなく一歩踏み出す。
迷いなく、駆け引きもなく真っ直ぐと。
死線が二つ、交差する。
二つの殺意が、互いの眼前で激突する。
闇夜に再び鳴り響いた音が、二人の死神の戦いの始まりを告げた。
続
月狼の記憶 少年編 芋メガネ @imo_megane
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