第2話 逃亡
白き月の光も、黒煙に遮られ彼らのことは朧げに照らすのみ。
代わりと言わんばかりに燃え盛る炎が、煌々と少年たちのことをその場に映し出す。
その少年の背後で、影がゆらりと揺れる。
「河合さん!」
少年は剣をその手にしたまま、倒れる彼女を抱きかかえる。意識を失った彼女には白き面はなく、いつも通りの彼女がそこに眠る。
ただ、彼女の意識が落ちようとも背後からの殺気が消えることはない。
「零、そのまま彼女の身柄を渡せ。そうすれば、お前がやったことについては俺からも弁明してやる。だから!」
その言葉に嘘はない。その殺気も、あくまでも
だからだろうか、余計に許せないと思ったのは。
「さっきも言っただろ……民間人襲ってまで従う命令なんざ、知りたくもねぇって」
今の稲本に迷いはない。今の彼にあるのは、明確な敵意のみ。
「教えてくれよレイモンド。お前たちは河合さんの両親を、殺したのか?」
「……それ、は」
稲本の殺意にも近しい敵意はレイモンドを圧し、明確に答えさせることすらも妨げる。
「ええ、そうよ。それが私たちに与えられた命令よ」
そして久遠の言葉が、彼にその一刀を強く握らせて。
「……そうか」
そのまま、一歩強く踏み込む。
「っ……!零!」
「それが聞けて、安心したよ……!」
迷う事も、躊躇う事もなく、白き斬線が闇を切り裂いた。
「やめろ……零!」
「やめる理由が、何処にある!」
焔さえも切り裂く白き刃。間合いを詰めて、剣を返せば、剣先は融けて既にそこになく。
目線をレイモンドに向ければ、その手に握られた蒼き焔の剣。
「チィッ!」
これ以上の追撃は叶わぬと即応。後方に一歩下り、再度攻撃へと転じようと重心を一気に落とす。
が、その落とした重心が上がらない。
「久遠……!」
彼女の力が稲本の両足を、体全体をその場に縛り付ける。
「悪いけど、これ以上邪魔をするなら容赦しないわ」
「どうして、だ……!」
「どうしても何も、これは任務よ。今までと、何も変わらないじゃない」
重く、冷たい言葉。
「一般人とかどうとか関係ない。私達は、大多数の平和のために少数を切り捨て続けてきた。まさか、今は知り合いが切り捨てられる側だから止めてるとかじゃないでしょうね?」
咄嗟に否定しようとして、言葉が出なかった。
いくつもの「助けて」という声に、「許さない」という言葉に耳を塞いできた。
己の血塗られた手から、してきた過ちから目を背けてきた。
彼女が言ったことは、全て事実だったから、力という力が抜けそうになって————
「サクちゃんに、レイモンド……久遠ちゃん……!?それにここは、河合先輩の……!」
羽ばたきの音、と共に声。振り返れば、そこには翼をはためかせる飛鳥天の姿。
「レイモンド、どういうことなの!今日この二人にはこの任務は知らされてないって!」
「その筈だ!くそッ、何が一体どうなって!」
「二人は、何を話してるの……!?私は、ワーディングを検知したから、ただ……!」
その言葉に嘘偽りはなく、飛鳥自身も困惑している。
だが、この混迷こそが彼にとっては好奇。
「っ……らぁ!」
「しまった!」
久遠の意識が逸れたその瞬間に、両足に力を込めて一気に駆ける。
「天、河合さんを抱えて今すぐここから逃げろ!!」
「……!分かった……!」
飛鳥天に、状況の全てが把握できたわけではない。それでも、稲本の言葉に突き動かされる。幼少から共にしてきたからこそ、彼の意思を汲み取り迷うことなく河合のことを抱えて再度地を蹴り一気に飛び立った。
「クソっ……零!!」
「狙いが……!」
目標を連れ去られたことを二人は認識してはいながらも、目の前の脅威から視線を外すことはできない。
それもそのはずだ。今の稲本作一は、枷から解き放たれた獣そのもの。
一瞬でも油断を見せれば牙を突き立てられる。そしてその脚を止めんと狙いを定めるが、軽やかな歩法の前では捕えられず。
「確かに俺は、大勢を切り捨ててきた……けどな……!」
納刀、と同時に創造。
彼の足元で何かが作り出されるが、夜の闇の中では即座に判別できず。そしてそのまま蹴り出されて。
「っ……!」
炸裂、閃光。光と爆音が久遠とレイモンドの感覚を二つ奪う。
そして————
「その正しさが……罪なき人々に振るわれるのなら……!」
「うがっ……!?」
「俺は、俺が正しいと信じるもののために戦う!」
瞬く間に接近、抜刀。
柄で久遠の顎に一撃。命は奪われずとも、脳は揺らされ意識が即座に刈り取られる。
レイモンドは稲本に狙いを定める。真っ直ぐと、愚直に向かってくる。歴戦のエースであるレイモンドからすれば、外す事の方が難しい。
「っ……零!!」
だが、彼は迷った。長年共に戦ってきた仲間を、討つ事などと。彼の根底に残った善性が、その行動を制した。
そしてそれが、勝敗を決した。
「五之太刀————!!」
刃が迫る寸前、レイモンドも掌から焔を繰り出した。されど最大火力に達するよりも、稲本の刺突の方が早く。
「ぐっ……!」
ボディアーマーを穿ち、体躯を貫き血が滲む。痛みに唇を噛むことはあれど、それでもレイモンドは意識を保ち反撃に転じようとした。
が、衝撃。
側頭部に一撃。
「っ……」
稲本のソバットに体躯が浮いて、そのままコンクリの塀に背中を叩きつけられた。
「稲……本……」
レイモンドは彼の名を呼び、手を伸ばす。それでも、稲本は目を伏せ、背を向ける。
「悪い、レイモンド……」
そしてそのまま刀を砂へと還し、バイクに跨りエンジンを吹かす。
赤いテールランプの軌跡だけをわずかに残して、レイモンドはそれを薄れゆく意識の中で眺めることしかできなかった。
『お前は、お前の意志を貫き通せ。お前の信じるものの為に戦え』
かつての相棒の言葉が、けたたましいエンジン音の中でもはっきりと再生される。
「何が、どうなってるんだよ……」
迷い、惑う。
今では、今まで信じてきた組織よりも、敵に寝返ったかつての相棒の言葉の方が心を支えてくれている。
それでも、今は進むしかない。
スロットルレバーを大きく捻り、エンジンにありったけの空気を送り込む。
加速に前輪が浮いて放られそうになるが、押さえつけて両輪で夜空の下を駆ける。
ただ真っ直ぐと、迷いは振り払って。
「夜叉隊長。零が……」
「……そうかい。彼が動いたか」
彼は、彼らは動き出す。
一つの因縁の、終わりへと向けて。
そして、始まりへと向けて。
続
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