第3話 思惑

空は暗転し、月明かりは雲に覆われ届かない。街の灯りも消え失せて、地上は一帯、闇に覆われていた。


その一つ、工場の一つから小さな光が漏れ出る。

「天、河合さんの容態は?」

「脈拍も、侵蝕率も落ち着いてる……」

「……そうか」

事務所の中を、稲本のエンジェルハィロゥの力が最低限の光で照らす。けれど、募る疑念に不安が拭われることはない。

「ねぇサクちゃん。部長が起きたら、ちゃんと全部話して欲しい」

「分かってる」

ただ、どうしようもない疲労があり、二人それぞれに近くにある椅子に腰掛ける。


背もたれに体重を預け、天井を見上げる。

話す、と言ったものの、俺自身分からないことだらけ。

何故、河合さんが狙われたのか。河合さんのあの白い仮面はなんだったのか。そもそも、「13」の目的は何なんだ。


何より、先生はどこまで知って俺をあの場所に行かせたのだろうか。


思考をどれだけ巡らせようとも、あまりにもピースが足りなさすぎる。けれど繋がりそうな点だけが散らばっていて、あまりにも歯がゆい。

ダメだ、まずは休息を。そう思い、目を閉じようとした。

「稲本、くん……?それに、飛鳥さん……?」

瞬間、意識が現に戻される。

「部長!」

「河合、さん……!」

跳ねるように体を起こし、彼女の元へと歩む。安堵に息が漏れる。

けれど、彼女は俺を見て。

「そっか……全部、夢じゃなかったんだ……」

何が起きたのかを、理解してしまった。


「……河合さん、天。話さなきゃいけない事がある」

「……なぁに、稲本くん?」

もう、隠せないのは分かっていた。これが余計に彼女のことを傷つけるのも。

それでも、話さなきゃならない。今の俺たちに止まる猶予は残されていないから。

重く閉ざされた口を、静かに開く。

「俺たちはUGN。超常の力から日常を守る組織の一員」

ここまでが裏の、表向きの肩書き。

そして————

「俺はその内の、非公式特務部隊『13』の一人。君の両親を殺した奴らの、仲間だ」

今ほどこの名を、忌々しいと思ったことはなかった。


「……ねぇ、教えて」

「……何だ」

「稲本君も……人を殺したの?」

「ああ、大勢」

「それは、日常を守るため……?」

「……そのはず、だった」

「なら……どうして、お父さんとお母さんが殺されなきゃいけなかったの……?」

「……」

「なんで……なんで私だけ助けたの……。なんで、あの場所にいたの……。本当は、私のことも……!」

「違う……!」

咄嗟に、喉の奥から声が出る。

彼女を怯えさせたかったわけでも、その言葉を遮りたかったわけでもない。


けど、君を傷つけたいなど、一度も思ったことはない。

「俺は、任務から外されていた……。だから、本当に偶然だったんだ……」

それでも、ただ虚しかった。

何も出来ず、傷つけることしかできず、こんな言葉しか口にできない。己自身に情けないとさえ感じた。

「……じゃあ、サクちゃんはどうしてあの場所にいたの?」

疑念混じりの、天からの問いかけで思い出す。ジャケットの裏側に入れていた道具袋のことを。

「本当に、これを届けにきただけだったんだ」

今更、こんなものなど渡されても困るだろうが。けれど、これだけが理由だったから。

「……知らない」

「分かってる……今の俺が信用ならないのは……」

「ち、違うの!これ、私のじゃない……」

「……は?」

言われて、間の抜けた声が喉の奥から発せられる。

「私、確かに似たような柄は持ってるけど……これは私のじゃない……」

「私のでもないよ……これ」

なら、これは何だ。河合さんのでも、天のでも、ましてや俺のでもない。じゃあ先生が渡したこれは、一体何だ?

膨れ上がる疑念をそのままにはできず、すぐさま袋を開く。


案の定、中にあったのは剣道の手入れ道具、だけではなかった。

「それは、メモリドライブ……?」

「だよ、ね……?」

PCに差し込める、小型の記録媒体。可愛らしい柄の袋に入っていたからこそ、その無機質さが異質さを際立たせていた。

「……天、河合さん。二人はいつでも逃げ出せるように準備を整えておいてくれ」

「サクちゃん、は?」

「俺は、コイツの中身を確認する」

砂を生成し、ノートPCをその場で創り上げる。

「恐らくここに、全ての理由が詰まってるから」

ドライバを差し込むと同時に、ファイルが画面上に一気に羅列する。

深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている。俺はその深淵を、追い続けていた。

黒鉄と死闘を繰り広げたあの日から、ずっと。

たとえその視線が交錯しようとも、決して目は逸らさない。


そして今、その一つに、手を伸ばした。




風に揺られ、激しい旋回音が金属越しにも関わらず、この狭い空間に響き渡る。


「それで、隊長。そのポイントには何があるんです」

操縦席から身を乗り出して、少年は後方の青年に問う。

「UGNの非公式特務部隊、『13』を終わらせる鍵とのことだ」

青年は抑揚なく、ただ淡々と答える。

「鍵、ですか……?具体的な情報は何か、無いんでしょうか」

「提供元からも、鍵としか聞いていない。だが、その提供元は信用に値する」

副官の彼女も、ならばと、静かに閉口する。

「ま、俺としては折角だし強えヤツと戦いたいところだがな!」

「『13』のエージェントと接触するのは必至だ。奴らも追ってるはずだからな」

「なら、最高だ」

青年よりも頭ひとつ大きな彼も、満足げに笑みを浮かべる。

「何にせよ、今夜奴らと決着をつける。そのためにも、目標ターゲット、並びにその協力者の確保を最優先事項として作戦を遂行する。全員、心してかかれ」

「了解」


寸分違わぬ返答を聞き、彼は一つ息をついて窓の外に目をやる。

彼の両の蒼眼に、地上の景色は映らない。彼が覗くは、一つの深淵。

怒りも、憎しみも、彼からは消えてはいない。だが今は、あのときよりも酷く落ち着いていた。

それはさながら、冷えた鉄のように。

「アンタが何をしようとしているからは知らないが……利用させてもらう」

そして、黒き方舟は夜空を征く。秩序に仇なす、狼の群れを乗せて。





————なんだ、これは。


それが、このメモリードライブに残されていた資料を隅々まで読んで、全てを理解した上で出た率直な感想だ。

俺が今まで見てきた『13』という組織は、その深淵のほんの一端でしかなかったということを思い知った。


彼らは、俺らが知る以上……いいや、UGNの誰よりもレネゲイドとというものに深く関わっていた。

その最たるが、レネゲイドを喰らい、支配する、原初のシンドローム。『ウロボロス』についての記述だった。

影のようなものを駆使し、加えて他のシンドロームのエフェクトをコピー、挙げ句の果てにはその力そのものを喰らい無力化すらしてしまう。それが13番目、あるいは0番目のシンドロームの持つ力。彼らはその力を、この無秩序な裏の世界の秩序としてもたらそうとしていた。


それだけならば、俺もまだ賛同できたかもしれない。だが、奴らはその為に非道な実験に手を染めていた。

『あの日のカスケード社によるテロは、協力関係にあった『13』によって引き起こされた……レネゲイドビーイングを用いた兵器のテストとしてな……!!』

あの日の、黒鉄の言葉が蘇る。奴が発した言葉は、全て真実だった。

『13』は、特殊な技術によりレネゲイドビーイングを完全に支配下に置く術を確立した。その技術のテストが、あの日のN市のテロ。そして同時にテストされたのが、「黙示の獣テリオン」。ウロボロスの、レネゲイドを喰らい支配する力に特化したレネゲイドビーイング。正確にはそれを人に宿らせ、『13』の完全なコントロール下に置いたオーヴァードを殺すためのオーヴァードを生み出す計画。


それは、ほとんどが完成していた。唯一、全てを統べる、純然たるウロボロスの頂点なる存在が欠けていることを除けば。

そしてその唯一が、ウロボロスの純血種ピュアブリードであり、「輪廻の獣アルマレグナム」の力を持つのが————

「……そういう、ことかよ」

河合春奈、その人だった。


「どういうことなの、サクちゃん……?」

「全容はわからんが……アレは全て河合さんの力を狙っての行動だ」

「私の、力……?」

「ああ。少なくとも、この資料にはそう書いてある」

河合さん自身も理解ができないと、狼狽した様子を見せる。

その心情を察するに有り余る。俺だって訳がわからないのに、いきなりこんなことを告げられればこうなるのも必然だ。

それでも時間は、いいや奴らは待ってくれない。

「H市支部の協力は仰げない。天、N市支部に向けて逃げる準備をしてくれ」

「サクちゃんは!?」

「俺は、追っ手をここで食い止める」

「稲本君!」

彼女の不安混じりの声が聞こえた。けれど、今は止まれない。その声を振り払って、俺は窓から外へと踊り出た。



着地と同時、即座に加速。

高速で接近するその気配に近づく。そして、暗がりの中に現れる二つの人影。

「思ったより早かったじゃねえかよ。レイモンド、久遠」

敵意を剥き出しにして、二人の名前を呼ぶ。それに二人は、静かにフェイスハイダーを上げる。だが、彼らに敵意は見えない。

「……稲本、俺たちは今は敵じゃない」

「その言葉を、どう信じろと」

「本当よ。状況が変わった」

久遠が通信機を投げ渡す。警戒は解かず、耳に当てても雑音のみ。指定のチャンネルに合わせても、尚。それはつまり、彼らが指揮系統から外されたという事。

「どういう、事だ」

「俺たち『13』のエージェントに対する、処分命令が下された」

「……は?」

「新なる秩序がもうじき生まれる今、私たちはもう用済みとのことよ」

「それは、誰が……」

「誰って、そんなの————!」


久遠の言葉を遮るように、足音、一つ。

それは彼らの後方から。

音に視線を向ければ、和服姿に、刀を携えた青年が一人。

「やぁ、作一。その様子だと、資料は見てくれたようだね」

「先生……!」

思わず、安堵の声が出た。俺が物心ついた頃から、ずっとそばにいてくれた人が、誰よりも強いその人がそこにいる。それだけで、ありとあらゆる肩の荷が降りたようにも錯覚してしまった。


だが、それが全てにおける誤りだった。

「逃げろ、稲本!!」

「命令を下したのは、ソイツよ!!」

音もなく、目の前に彼が迫る。

殺気もなく、それが当たり前かのように、柄に手を当てて。


「じゃあ、さよならだ」

「え————?」


抜刀。音もなく、一閃に。


薙ぐ剣線に、遅れるように赤が吹き出した。


何が起きたか理解もできず。

俺はいつものように笑うその人と、振るわれた黒き一刀を、ただ眺めることしかできなかった。


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