第2話 月下の剣士
十九時 稲本邸 道場
二つの刃がぶつかり合い、幾度となく音は鳴り響き、その剣線が交差する。一つ一つの音が空気を震わせ、その度に命が揺れる。
決してその刃で肉を裂き骨を断つことは出来ないだろう。だがそれでもその気迫は、殺気は命のやり取りそのもの。
間合いに捉えれば最後、それは命を刈り取らんと振われた。
※
『月下天心流』、それは江戸時代から伝わる居合を主体とした柳生新陰流より派生した"暗殺剣術"。
闇夜の中で対象を一撃で屠る事に特化していて、それでいて本流の流れも組んで正面戦闘にも対応した、歴史の闇の中で三百年培われた技術。
陣内、稲本が扱うのはその術をより現代戦に特化させたもの。
奇襲が通じない状況においても真正面から、或いは奇襲へと戦況を変える事で確実に相手を仕留める。それを彼らは十年以上極め続け、その命を研ぎ澄まして。
そんな彼が命すら賭けぬ戦いにおいて負けるはずもなく。
※
だがそれは同時に、
「いい速さだよ作一。けど、まだ踏み込みが甘い」
「っ……!?」
その技を研ぎ澄まし続けて来た彼には簡単には通じぬという事を意味していた。
「さて、今度はこちらからだ」
陣内により繰り出される二撃目。稲本の防御も虚しく、その足が踏ん張りが効いた頃には後方は壁まで押し込まれて。
「さあ、どこまで耐えられるかい?」
間を置くこともなく一気に距離を詰め、既にその剣は鞘へと収められている。
「っ……ぐ……っ!!」
そして再び放たれるは一之太刀、三日月。水平に放たれる広範囲の居合。左右に逃げれば捕らえられ、後方は壁に遮られ。
ならば、残された選択肢は正面切っての戦闘のみ。
「二之太刀————」
活路切り拓く為、その刃を鞘に収めればその軌道を読み切る。
「月詠……ッ!!」
抜刀と同時、剣線は交わり陣内の太刀を弾き飛ばす。そのまま彼の胴体を捉えんと振り抜かれて。
されどその刃は空を切る。最初からそう定められていたかのように、そう運命付けられていたかのように。
「フェイントに引っ掛かるなんて、らしくないね」
抜刀と同時に後方へとわずかに跳躍。相手の反撃を空にて受け止め、そのまま相手の虚を突き一撃を加える。
それが"三之太刀 月影"。今彼に向けて繰り出された七つの技のうちの一つ。
「追い打ちを警戒してる人間にそれをいうのは酷ですよ、先生……!!」
前後左右への回避も不可、ガラ空きとなった今防御も間に合わない。だがだからと言って大人しく喰らう気もない。
ならば、その活路を見出して彼は強く地を、壁を蹴り上げる。
平面に逃げ場がないのであれば立体的に。そしてこの阻まれた状況から脱するように中央に向けて跳躍して。
————殺気。
「あっ……ぶねえ!!」
この間二秒とあらず。それでも既にその刃は音もなく、いや音さえも置き去りにして繰り出されて。
"四之太刀 無月"。刀は振るわず置いておくだけ。されどその歩みは音を超え、その軌跡を剣線へと変わる。刀を振るわぬ分威力は先までの斬撃と比べてとても小さい。だが当たれば終わりの命のやり取りで、不可避の斬撃ほど恐ろしいものはない。
辛うじて防御に転じれば辛うじて防ぎ切って。ようやく静寂は訪れ、二人は再度その刃を鞘に納めて構え直す。
だがその二人の死闘を彼女らには信じ難い光景で。
「稲本くんが……一方的に負けてる……?」
「サクちゃん頑張れー!!」
仮にもインターハイ優勝の彼が防戦一方。それも彼が扱うその剣技と同様の技で追い詰められているのだ。
「ったく、先生は相変わらず手加減しませんね」
「作一はどんな時でも手心を加えられた方が傷つくだろ?」
「いやぁまあ、仰る通りで」
そう言って、彼は笑う。口角は上がり微笑むように。されど口元は歪み、目に光はない。
春菜はそれを見て、静かに恐怖を覚える。理由はわからない。けれど本能が恐れたような気がして、瞬きすればいつものような彼に戻っていて。
「今度は俺から行かせてもらいますよ」
一歩、踏み出す。
先程と同様、されど深く、より強く踏み込んで。
繰り出すは一之太刀。陣内もそれを受け止めんと刃を抜くが弾かれ、僅かにその体芯は揺らいで。
「やればできるじゃないか……!!」
「そりゃあ、アンタに教わったんだからなぁ!!」
叩き込まれる一撃。陣内は一歩後ろに後退り、次の一撃に備え刃を構える。
だが一撃目を弾いたその瞬間、既に彼はその姿を消していて。
「まさか———!!」
「五之太刀————」
迫る殺気は背後より。その刃は鞘にはあらず、平突きの構えでその胴体に狙いを定める。
彼が構えるは"五之太刀 暁月"。如何なる守りも穿つ、正面戦闘において比類なき強さを示す必殺の平突き。
そして同時に稲本が七の技にて最も得意とする剣技。
揺らいだ身体を下手に動かせばその揺らぎは大きくなりて転倒し、かと言って守りに転じればその一撃がその身を穿つ。
詰みとも言える状況、ここまで彼は追い込んで静かなれど勝利を何処かで確信して。
繰り出す。一閃、闇を斬り裂く光が如く解き放たれて。
「技を決めるその瞬間まで、油断しちゃダメだろう?」
その緩みが、綻びとなった。
「なっ……!?」
彼の体が大きく揺らぐ。揺らぎはせど倒れる事なく、強く踏み込み剣を振るう。
繰り出された逆袈裟が大きく弾いて、今一度その有利を失う。
これがただの人間であれば勝ちは揺るがなかっただろう。ただのオーヴァードならば勝敗は覆されなかっただろう。
だが彼が相対するは"
生半可な剣が彼に通じる筈もなく。
「クソッ……!!」
咄嗟に反撃の構えを取る。もはや師が何を放つか理解して、それを迎撃できるその技の構えを取って。
「六之太刀—————」
訪れた静寂は時の流れさえも止めたように感じさせて。
————解放。
「十六夜————ッ!!」
解き放たれる二つの刃。繰り出される刃はその目で捉えられず。人の感覚で捉えられるのは甲高い金属のぶつかり合う音だけ。それも一秒間に十六度、聴覚でさえその全てを捉え切ることは出来ず。
十七度目。確かに一つ、鈍い音が聞こえる。
音の先を見れば地に落ちた一振りの刀。先程までの彼らを見れば一人は刀を失い、もう一人はその刃を鞘に納めていて。
「今日はこれで終わりだ作一。明日からまた励むように」
「っ……ありがとうございました」
今確かに、その勝敗は決した。
そして戦いが終われば二人はいつも通り礼をして。疲れも見せぬ様子で試合を確かに終えて。
「一年で僕の十六夜に追いつくまで成長するとは、流石だね」
「褒められても、負けは負けですよ……」
「それが分かっているならなおの事良い。今日は折角お友達が練習をしに来てくれてるんだ。一緒に構えや握り方と言った初歩から見直しなさい」
「そうします」
素直に頷いて、彼女らの方を見る。
驚きを隠せぬ様子の彼女らではあったが、不思議と恐れはないようで。
「凄かったよ、稲本君!」
「惜しかったねサクちゃん……あと一歩だったのに!」
「いつもこんな感じよ。まあ、今日はそれにしてもかなり良いとこまで行ったんだけどな……っと、部員には内緒だぞ?こんなことできるなんて知られたら今年もインターハイに駆り出されちまうからな」
「大丈夫、今年もバリバリ活躍してもらうから!」
「今年も全国取っちゃおう!」
「全く……俺一人じゃ一応無理なんだからな?とにかく練習練習っと」
そう言って彼は竹刀を取って、彼女らも荷物を持ち支度を始める。
日が沈み、月が昇る時まで彼らは鍛錬をこなして行く。
それが彼らの日常の一幕。
空を切る音が、床を擦り蹴る音が夜の空へと鳴り響いた……
※
そして全てが終わり皆を見送る劔。時刻は既に八時を回っていて。
「作一、夜も遅いし送ってってあげなさい」
「もちのろんよ先生」
一番動いていたはずの稲本は疲れの色も見せずに制汗剤だけ雑に体に振りかけて。
「悪いよ稲本君。うちは近いし……」
「近くだから何も起きねえとは限らねえだろ。それにどうせこいつが手を離さねえし」
「ほら、両手に花なんだから文句言わないの」
「一歩間違えたら刺されかねねえ薔薇だと思ってるけどな」
「あら、喧嘩売ってるなら買うよ?」
「部長に売る気はありません」
三人はそうして並んで、月明かりに照らされながら部活やこれまでの学業や生活について話しながら帰路につく。
「そういえばさ」
「ん?」
「稲本君のさっきの立会いって、昔からやってるの?」
「ああ、昔から親父とかとやってるやつだよ。一日一回挑んで、勝てば新しい技を教えてもらえるってやつさ」
「サクちゃん、トータルで何回勝ったんだっけ」
「五回。八年近くやって五回だけ。まあ技は七つだからあと二回だな」
"六之太刀 十六夜"、先の戦いの最後に繰り出されたあの連撃が彼が最後に授かった剣術で。
「次が最後、"終之太刀"だから早く勝って教わりてえんだけどな……」
「凄いね……」
それを聞いて、なんとなく彼女は俯く。稲本は少しその様子を不思議に思って。
「どした?」
「その、稲本君はさ」
少し申し訳なさげに、僅かに畏怖の混じった様子でその口を開いて。
「どうして、そんなに強くなりたいの?」
「……それは」
言葉に詰まる。
答えはそこにあるけれど、言う事はできず。
「こ、答え辛ければいいよ?」
「いや、その、だな……」
そう彼が言い淀んでいれば、もう時期宿舎に辿り着いて。
「あ、私そろそろだから。ありがとねサクちゃん!!」
「ああ。また練習の時にな」
飛鳥も彼の心の奥底に気づいたのか、話を切るように彼らと別れ。
「じゃあ私もそろそろだから。ありがとうね、稲本君」
「おう、部長もしっかり休めよ」
二人も手を振ってその場を後にして、一人彼は月明かりに照らされて。
「……言える訳ねえよな、復讐の為なんて」
彼は闇夜の中で独り言つ。
月灯りの影の中で、強くその手を握りしめて。揺るがぬ決意を心に刻んで。
これは、彼の日常の一幕。
護りたいと願うかけがえのない日々の一片。
そしてこれより崩れ行く、彼の大切な"表側"だ。
続
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