第3話 前夜

8月中旬 22:54 UGN宿舎


白い煙は揺ら揺らと音一つなく闇の空へと消えて行く。

小さな灯りは星の様に小さく輝いて、けれど今にも消えそうで。

煙はどこへ行くのか。まるで行く当てのない様子は自分に似ていて————


「身体に悪いと言ってるでしょうが!!」

「……」

そんな思考も流す様に頭から掛けられたバケツの水。彼が振り向けばそこには四ヶ谷楓の姿が。

「鍵は閉めておいたはずだが」

「これでも蒼也を監視する様に言われてるのよ?合鍵の一つや二つ」

「いいや、それを見越して電子ロックに変えておいたんだが」

「この能力で壊したわよ」

笑顔でバチバチと右腕を放電させる彼女。冗談ではなく本当に電子ロックを破壊したのだと確信し、呆れた様子で蒼也は湿ったタバコを吐き捨てた。


「それで、電子ロックを壊してまで何をしに来たってんだ?」

「んふー、ケーキ作ったから食べない?と思って」

彼女がケーキ、と言って出してきたのは黒い球体の塊。焦げ臭い……を通り越して明らかに炭の臭い。もはや、それをケーキと呼ぶのはケーキを発明した人に対しての冒涜と思える程で。

「……今、俺がケーキを作ってやるから待ってろ」

「えー、私のはー?」

「俺はそれをケーキとは呼ばん」

「なんでよ!!」

「写真と見比べろ!!チョコケーキ以外と!!」

二人が年甲斐もなくわーぎゃー騒げば不意にドアが開かれて。

「二人ともうるさいよ……。蒼也さんは姉さんに構わなくてもいいのに……」

続いて入ってきた真奈は呆れた様子で。それでもそんな二人を微笑ましくも思っている様で。

「真奈も座れ。ホットケーキを焼く」

彼はそう言うとキッチン棚からホットケーキミックスを取り出し、フライパンに熱を入れ始める。

相変わらず手際よく並行に作業をこなして、いつの間にか出来上がっていた生地をフライパンへと流し込んでいた。


「ねえ蒼也」

「なんだ」

「星を見に行こうって言ったの、覚えてる?」

「ああ」

彼は生地を宙で返しながらはっきりと答える。

「今週末とか……どう……?」

「今週末……か」

曖昧な返事。ホットケーキを皿によそいながらも少し思考を巡らせて。

「……明日、大掛かりな作戦がある。それで俺が生き残れる保証はないが、生き残ることが出来れば行くとしよう」

「やった!!じゃあ約束!!」

「……仕方ない。そうなれば確実に生き残らねばならないな」

「大丈ー夫。蒼也がとっても強いってこと、私がよく知ってるから!」

「それでも絶対はない。あまり角には期待するなよ」

そう言って、二人にそれぞれホットケーキを差し出す。


「姉さん……星を見に行こうって、まさか……」

「うん。十年前、父さんと母さんと一緒に行こうって言ってたけど、叶わなかったから……」

約束を交わした。けれどそれは無情なる悪意によって奪われ、彼女らの時間はそこで止まってしまって。

「私も来年大学生で、蒼也もエージェントとして忙しくなったら分からないでしょ?だから、せめて今年ね」

その止まった時を動かそうと、真奈の心の楔を引き抜きたいと少女は願ったから。

「でも蒼也さんも巻き込むなんて……」

「構わない。どうせ俺はお前達と話す以外にやる事はない。せいぜい任務程度だ」

相変わらず無愛想に、でもその声音はどこか柔らかくて。

「真奈も行きたいでしょ?」

「……うん」

そう彼女が頷けば楓は笑顔で、黒鉄も微笑んで。

「なら、決まりだ」

「……ありがとう姉さん、蒼也さん」

「私も行きたかったから!ね、蒼也!」

「少しは付き合わされるこちらの身にもなって欲しいがな」

いつも通りの和やかで、優しげな空気がそこに広がり始めていた。


「そういえば、楓」

「ん?」

そして約束が交わされたと思えば、不意に彼が厳かに口を開いて。

「また不良グループとの問題に首を突っ込んだらしいな」

「だってイジメの現場を見たら止められずにはいられないでしょ」

蒼也はそれを聞いて呆れたような表情を見せる。

「危険だと言っているだろう。例えオーヴァードであろうと集団でかかられれば最悪の事態も考えられると何度言えば————」

「でもほら、誰かのために傷つくのであればこんな傷へっちゃらへっちゃら!!」

彼が言い切るよりも早く、力こぶを作る様なポーズを見せて。その時、生傷の痕が彼の目に入って。

それに彼も耐えかねたのかスタスタと歩み寄り、その額に指を合わせて力強く弾く。

「あいだっ!?」

「命がいくつあっても足りん。お前が他人想いなのはわかるが限度を知れ」

抑揚のない言葉で嗜める様に。彼女も思ったよりも威力のあったデコピンに額を押さえて。


それでも懲りぬ様子で、笑って。

「でも、いざとなったら蒼也が駆けつけてくれるでしょ?」

それは、確かな信頼からの笑み。

彼女は彼を信じているから。あの日、十年前に助けてくれた様にまた来てくれると信じているから。


「……お前という奴は」

彼はまた呆れるような顔をして。それでも彼女がそうだということを思い出し、ほんの少し顔の筋を緩めて。

「もう寝ろ。夜も遅い」

「はーい」

「ご馳走様でした、蒼也さん!」

二人もそれを平らげて、満足そうにとても幸せな表情で部屋を後にした。



『聞こえるか、ヌル』

通信機越しにおもむろに聞こえる、聞きなれた声。気がつけば遠くからはバイクのエンジン音が聞こえて。

「感度良好。要件を手短に言え、ゼロ」

先程までの穏やかさなど嘘の様に張り詰めた声音で彼は答える。

『もう少しでブリーフィングだが、忘れてはいないだろうな?』

「わざわざそんな事を言いに来たのなら無駄足だ。もっと利口な事に時間を使え」

黒鉄はバイクのキーを手に外へと出る。若干の苛立ちからか手元が僅かに狂って鍵を落としかけた。とはいえ誤差は目にも見えぬほどだが。

『相棒として迎えに来てやったんだから多少は迎えてくれてもいいんじゃねえのか?』

「それをして何の得がある。お前の様な馬鹿と組まされてるこっちの身にもなってほしい所だ」

『悪かったなバカでよ』

稲本もやや不服そうではあるが、これが彼だと良く知っているからそれ以上反論もせず吐き捨てる様に答えて。


そして彼が出向けば稲本もそこで律儀に待っていて。

「行くぞ」

「ああ」

スロットルを解放し、一気に駆け去っていく。

夜の闇にけたたましい二つの音が二つの音は呼応する様に、共鳴する様に鳴り響いて。

気がつけばその音はもう遠ざかり、再び星の見守る夜空だけがそこにはあった。




UGN、H市支部。その地下に秘密裏に作られた空間に集められた五人のエージェント達。

「珍しく遅かったな、作一に蒼也」

「二人とも、待たせるなら連絡くらいしなさいよね」

「とは言ってもほぼジャストだ。このくらいは許そう」

二人を迎えたブレイズとクイーン、そして隊長である夜叉。

「若きエースとは言え、甘やかすのは良くないぞ夜叉。二人も今後は気をつけるんだな」

そう、厳かに声を発したのは彼らの正面のモニターの先にて座す老人、なれど確かに芯の通った男の声。

特務部隊『13サーティーン』を統べる中枢評議員、ディセイン・グラードが言葉を放った。


「今回貴様らを集めたのは他でもない、この日本の平和を揺るがしかねない事態が発生したからだ」

そう彼は告げて、正面のモニターに次々と資料を映し出す。

そこには日本のバイオテクノロジーの根幹をも担うと言われている企業である、カスケード社の社名も記されていて。

「直近の調査にて、カスケード社が戦闘用の『レネゲイドビーイング』を創り出している事が判明した。それも既に、量産体制に入っていると」

「戦闘用の……レネゲイドビーイング」

『レネゲイドビーング』、それはレネゲイドウイルスそのものが意思を持った生命体。

人の形を取ることもできるが種族としてはまだ幼いことく、人間の感情を理解しきれないといった点も見受けられる。

それでも彼らは人を知るため人間社会に溶け込み、今はヒューマンズネイバーとして日常の裏側を生きている。


だがそんな彼らが、同じ日常の裏側を生きる者が兵器として利用されている。命の尊厳が弄ばれているというのだ。

「今回の作戦を持って我々はカスケード社に攻撃を仕掛け、事が大きくなる前に奴らの行動を阻止する」

それを妨げ、日常の表側を守り抜くのが彼らの任務。巨悪を討ち、この平穏を保つのが彼らのなすべきことと告げられた。

「しかし議員」

「何だ、ゼロ」

その中で、彼に一つの疑問が生じる。

「ここまで情報が出ているのなら、俺たちだけでなく正規部隊が動くのでは」

これだけ鮮明に確実な情報が揃っているならば彼ら『13』のみであたるべき任務ではない。少なくとも敵の戦力に対してこちらの戦力はいささか小規模すぎる。例え彼らが精鋭だったとしても、その疑問はもっともだ。


けれど、その後に続けられた言葉が全てを物語った。

「ゼロ、我々はこの情報を非合法な手段で手に入れた」

仮にもUGNはこの日常の裏側の秩序を司る存在。それが規律の外で手にした情報をもとには動けない。たとえ日常を守るためとはいえ、大義を揺るがそうものならば認められない。

故に、この任務は特務部隊である彼らのみに渡された。

そして彼らには拒否権もなく、そもそも異を唱える事もなく話は進んで。

「決行は明日。失敗は許されない。心してかかる様に」

「了解」

彼らがディセインに敬礼するのを見届けて、正面のモニターは暗転。静寂が訪れて。


「ではこれより詳細ブリーフィングを行う。各員、明日の作戦は生還率が限り無くゼロに近いものとして当たれ」

夜叉、陣内の言葉によってさらにその心が引き締められる。


それは運命の、全てが変わるその日の前夜の事だ。


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