第8話 狼煙
10月某日
昼下がり、表通りは人々が行き交い雑踏に街は覆われる。ランチを終えたサラリーマン、学校をサボっただろう学生達。その誰もがこの平穏が、日常が揺るがぬものだと疑うことなく日々を謳歌する。
そのすぐ裏側、影の落ちた路地裏で今まさにその根底が崩されようとしているにも関わらず、だ。
「ッ……がっ……!?」
一発の銃弾が男の膝を撃ち抜いて彼はその場に崩れ落ちる。
だが彼は驚く訳でもなく、怒る訳でもなく。
「何故……何故だ……何故お前が……!?」
疑問。抵抗ではなく、己に発砲した"彼"に問いかけて。
————撃発。二回。
「お前達の騙る正義を、この手で壊す為だ」
確実に、躊躇うことなく二つの弾丸をその頭に叩きつけた。
脳を破壊されればオーヴァードであろうとも蘇ることはない。
彼はそれをよく知っている。何度も、何度もその引鉄を引いてきたから。
そして彼はその口に煙草を咥え、火を着けて。
「……俺は為す。俺の正義を、復讐を」
白き煙は空に上る。ゆらゆらと静かに揺らめいて。
「俺は貴様らを、決して許さない」
それは狼煙。
復讐の始まりの、報せだ。
—————————————————————
「ごめんね稲本君。荷物持ちを手伝わせちゃって」
「構わねえよ。一応お飾りだったけど元副部長だったわけだし」
場所はスポーツ用品点。稲本は河合春菜と共に剣道用品を買い揃えに来ていた。
「えーっと……確か予備の竹刀が一本ダメになってたよね?」
「そういやそうだったな……っても冬にまたダメになるかもしれねえし、その辺は来年の春にまとめて買ってもいいかもな」
「そうだね。とりあえずサポーターとか消耗品だけ買おっか」
「あいよ。んじゃ会計行ってくるわ」
先のインターンを機に引退した二人。引退はしたけれども部にはまだ定期的に顔を出すようにはしているようだ。
そうして両手に袋を下げて彼は彼女の隣を歩く。
「ってもだ、部長。こんな時期に部活にかまけてて大丈夫なのか?」
「あら、スポーツ推薦取ってる人の余裕ですか?」
「あ、いや、そんなつもりじゃなかったけどそうも聞こえたか……すまん」
「ふふん、私は私でちゃんと推薦取ってますから」
「確かに部長は真面目にやってたから、納得だ」
「稲本くんは推薦決まったからって授業をサボっていい口実にはならないんだからね?」
「いや、宿題は終わらなかっただけだし予習は一応してたから……」
二人はそんな風に他愛のない話を重ねながら涼やかな空の下を歩いていく。
その様子はあまりに穏やかで、彼が日常の裏側で命のやり取りをしているようには思えないほどで。
けれど、彼らの戦いの傷痕もこの日常には確かに残されていて。
「あれから、二ヶ月経ったんだね……」
「……ああ、そうだな」
街の広場、その中心に建てられた慰霊碑。その前には花が添えられて、今もまだその彩りが褪せぬことから人々にとっても新しい記憶としてしっかりと刻まれていた。
『カスケード社』によって引き起こされたレネゲイドビーイングを利用した大規模なテロ。
表向きには製薬会社による薬品漏出や実験動物の脱走による事故と報道された。
結果として稲本や陣内の活躍もあって被害は最小限にとどめられた。
だがその最小限でも街は傷つき、多くの命が失われ、その慰霊碑には彼らの知る人間の名も大勢刻まれていた。
「なんで……こんな事になっちゃったんだろうね……」
「本当、な……」
己は全てを知っている。ここに刻まれた名前たちは己が守りきれなかった人々だという事も重々に承知している。
だからこそ余計に己の無力さが込み上げてくる。
「お前が死ぬなんて……俺は信じねえぞ……」
確かにそこに彼の名は刻まれている。彼だけでなく四ヶ谷楓、真奈の名もそこに。
それでも認められなかった。彼らが死んだなんて、もうこの世界にいないなんて。
「……みんなの事、絶対に忘れないようにしよう」
少女が、その手を彼の手に重ねる。暖かで、柔らかな手。その暖かさが彼の悔恨を和らげる。
「きっとそうすれば……みんなへの気持ちは残って、まだみんなは生きてるって言えると思えるから……」
「……すまん。部長は優しいな」
「ううん。本当は私がそうしたくないから……巻き込んでるだけだと思う」
「それでもいいさ。きっとその気持ちで救われる人もいるはずだからさ」
きっと彼らはそうだと願って、彼らの魂だけでも救われることを願って。
ピリリ、という音が鳴る。携帯の着信音。
「……悪い」
「大丈夫!」
間の悪いものだと思いながら彼は電話に出る。
「はい、もしもし」
『私だ、劔だ』
電話の相手はUGN H市支部長こと陣内、その人。心なしか声音に焦りが見える。
『作一、今すぐ支部まで来い』
「今すぐ?何かそんなやばい案件って事かよ」
『緊急事態だ。早急に対処が必要な案件が生じた』
「……わかった」
そう言って携帯を閉じる。別に普段もそう長く会話をすることはないが、それにしてもこうも短いと相当な事態だということは嫌でもわかった。
「すまん、呼び出されちまった。これは明日俺が持ってっておくから」
「バイト?」
「そんな感じだ」
「じゃあ、バイト頑張ってね」
「ありがとう、部長」
「こちらこそありがとうね稲本くん。じゃあ、また明日ね」
「おう、また明日」
お互い、小さく手を振りその場は別れる。その笑顔に見送られて、仮初の日常に別れを告げる。
今日この日が全ての始まりだと、全ての終わりだとも知らずに。
※
場所はUGN H市支部。
オフィスビルの高層階、ガラス張りの室内からは街を一望できるその場所。
呼び出された会議室には支部長たる彼を中心として、支部の面々が集められている。
空には灰色の雲が空を覆って、重々しい空気も相まって気が沈む。
「遅いぞ、作一」
「すみません支部長。それで、何があったんですか」
「うちのエージェントがまた一人死んだ」
「……二週間前にもありましたよね?」
「ああ、前回は事故だと思われていたが……」
「今回は確実に殺された、ってわけですか」
席について、資料を渡される。あまり関わりはなかったとはいえ、やはり仲間が殺されたとなれば憤りを抑えるのは難しい。
とはいえ冷静にならなければ資料の内容も頭に入って来ないと頭の芯は冷やして目を通す。
殺害場所は路地裏、時間は昼下がり。膝に一発、頭部に二発。
手口を見る限り、この犯人はオーヴァードを殺し慣れている。
犯人の可能性として考えられるのはFHのエージェントか、それとも暴力団か。ただ彼が抵抗していないというのがあまりに違和感しかない。
何にせよ誰にせよ、何故彼が殺されたかわからなければ何も進まない。
添付されたもう一人の資料を見て、その手が止まった。
理由?そんなことは些事だ。
彼が死んだということさえも些事、そう言える二人の共通点に気づく。
「おい、先生……!!」
「どうした、稲本。いきなり立ち上がって」
「————気づいたね、作一?」
口にはできない。けれど視線で訴えかければ彼は同じように瞳で答える。
二週間前に死んだ彼も、今日殺された彼も表向きの接点は一切なかった。
そう、表向きの接点は。
日常の裏側、その深淵に潜む非公式特務部隊『13』。誰にもその存在を知られず、影の中でだけ互いの存在を認識している。
二人とも、その部隊の後方支援を務めるエージェントだった。
だが『13』の存在はそもそもUGNは勿論、FHに対しても公になっていない特務部隊。そのエージェントが二人も立て続けて偶然死ぬだろうか。
いや、それこそあり得ない。
仮にもエージェントが、それも『13』のエージェントが偶然に二人も立て続けて死ぬはずがない。
つまりこれは『13』を知る内部の人間による裏切り。それも今回、隠すことなく殺しを行ったとなればそのメッセージはあまりに明確で、文字列が頭の中に並ぶ。
————宣戦布告。
『13』に対する明らかな敵意と戦意。
これからお前たちを殺すという、明確な殺意。
だが、ならば誰が?
『13』内部でそんな裏切りを起こそうものなら即座に察知されて消されるのがオチだ。
それでも二週間はその身を晒すことなく、その殺意を隠し通した。
一体誰がそんなことを。いや、そもそも内部の犯行でさえない?
疑心の中で思考を巡らせ、わずかにその疑念が一つの輪郭を持った。
いや、まさか、そんなはずは————
脳が、答えを拒否する。
その輪郭に触れた、その瞬間に己が手を離した。
無意識に無自覚に、けれど理由だけは確かに分かっていて。
それでもその手は伸ばせず、思考が固まった。
————殺気。
「っ……!?」
何もない、何もないが確かに殺気を感じた。いや、今も感じている。それもその窓の外から。
そして目を向けて、小さな点に気付く。
本来そこにないはずの、曇天に紛れた灰色の点。その後方からは、微かに炎が見えて。
それが何かを、彼は知っていた。
「全員伏せろ!!今すぐだ!!」
「何を————」
そんな言葉を誰かが言いかけた。
誰かが彼に従い伏せようとした。
だがほんの数秒、その間にそれは一気に到達して。
熱がその場を一気に包み込む。
炎が一気にその場を焼き尽くす。
ただの人がそれに抵抗する術はなく、音速で飛来したソレは命という命を燃やし尽くした。
そして熱が収まれば上がる黒煙。空にゆらゆらと、曇天さえも覆い隠して。
それは狼煙。
今より始まる死闘の、そして長きに渡る因縁の始まりを告げる狼煙だ。
続
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