第10話 零と虚

一歩、また一歩。

稲本は力強く地を蹴り続ける。ビルの上を駆け、跳躍して少しずつ距離を詰める。

火線が縫い付けんと繰り出されるが、一つ目は剣に弾かれ、二つ目は僅かに逸らした上体を掠めていく。

対物ライフルの弾丸でさえ防がれるのなら、もはやこの距離で戦う意味はないと彼は手際よく肩のウェポンマウントに取り付けて。

「始めようか、ゼロ

即応。大型拳銃マグナムが火を噴く。

三つ目が稲本の頬を掠め————、

「黒鉄……蒼也……ッ!!」

飛沫が散るよりも早く、白き剣線が彼の身体目掛けて飛んだ。


「"ヌル"!」

甲高い金属の音。散った火花。ナイフで剣の軌道を変えその勢いを殺す。

「お前は奴らの援護を。こいつは俺が相手する」

「了解」

「よそ見してんじゃねえよ……黒鉄!!」

再度奮われる剣に対し、彼は視線を向けぬまま己が刃で絡め取る。

「ッ……!」

「お前の動きは、全て把握している」

そのまま足払い、体勢崩した彼に掌底。

「ごッ……!?」

叩き込まれた一撃。その手から放たれた振動が内臓を直接殴りつけ、喉の奥から溢れた血がシャツを汚す。

だがそれに怯む間も与えられず。

「チィ……!!」

弾丸。痛む体を無理やり動かさなければ確実に頭部を撃ち抜いていたそれ。

「スコープ覗かねえどころか……腰撃ちで相変わらずその精度かよ……!!」

正面向けば、左に握られた狙撃銃が火を吹いていて。

そして右手に握られた短機関銃が、軽快な音と共に弾丸の雨を降らせる。


構えるは六之太刀。振り抜いて、無数の弾丸を十六の刃で斬り伏せる。

迎撃、突破。その二つを成してそのまま一気に駆け抜ける。

「五之太刀————」

接敵エンゲージ。そのまま間合いに捉え、己が必殺で彼を穿たんとして。

————脳裏に、血溜まりに臥した父の姿が浮かんだ。

「迷ったな」

「っ……!!」

紙一重。回避され、袖口から現れたナイフが稲本の脇腹を突き刺す。

そしてそのまま大型拳銃マグナムが腹部に当てられて。

「死ね」

「がッ……!!」

鈍く響く炸裂音。肉は弾け血が散って、蹴り出され彼の身体も力なくそのまま地面に叩きつけられる。


肉体の再生リザレクトにより傷が塞がる。だが痛みは消えない。むしろ残り続けて余計にその身を苦しめる。

そもそも常人ならば死に至る傷だ。並大抵の精神なら意識を失うだろう。

それでも彼は立ち上がる。聞くまでは、倒れることなど許されないから。

「どうしてお前が……お前がそちら側にいる……黒鉄!!」

その真意を、問いただすまでは。

「今は俺がFHのエージェントだから、それだけだ」

だが彼は今まで通り淡々と、それこそ報告するかのように口にする。

「そういう事を聞いてんじゃねえ……!!」

彼もその答えには怒りを抑え切れず、感情のままに言葉を発する。

正義を捨て、仲間を殺して、秩序を壊す側に立つのか。

それも誰よりも秩序である事を、正義である事を是としたお前が。


何がお前にそうさせた。

何がお前にその引鉄を引かせた……いや。

「その理由を聞いてんだよ……相棒!!」

何がお前にとっての引鉄だったんだ。

お前は答えないかもしれないけれど、それでも問わずには————

「簡単なことさ」

「っ……!」

開口。

予想外の反応に思わず身構える。僅かに体が強張る。

無機質な声、いつも通りの声。

「許せんからさ……」

けれど、その声は徐々に震えて。

「偽りの正義を騙る貴様らが……『13』が……!!」

撃鉄落ちた拳銃のように、彼の感情が炸裂した。


山なりに投射された二本のナイフ。下手に動けば衝突する、動きを縫う為に繰り出された刃。

「っ……!!」

それに気を取られた間に、即座にその距離を詰められる。

稲本もハヌマーン由来の疾さは知ってはいた。それでも一瞬でも意識を逸らされれば反応は間に合わず。

「こ……の……!!」

逆手のナイフは首筋目掛け飛んで、空は切らず顎下裂いて赤が散る。

同時、繰り出される膝蹴り。咄嗟に守ることで僅かなダメージに抑え、反撃に転じようとした。


が、視界開ける。

追撃はなく、何故か黒鉄は後方へ下がって。

そしてその眼前、ナイフとは別の黒いそれが飛来した瞬間、彼は全てを察した。

「っ……!?」

炸裂。光と音が一気に弾けて視覚と聴覚の両者を奪われる。

「スタングレネード……!!」

虚空より放たれたそれ。

いや、違う。それは彼が距離を詰める前に足元から蹴り出された。

ナイフで上に視線を誘導することで察知させず。確実に感覚を奪い、確実に殺すために。


「クソ……!!」

目は見えずとも、音は聞こえずともその銃口が既にこちらに向いているのだけは稲本も理解しており。

「これで、終わりだ」

「させっかよ……!!」

即応。己が勘を頼りに鉄の壁を生み出し、ライフル弾を受け止める。

そのまま地を蹴り、縁から飛び出し一気に抜刀。感覚は奪われていようとも、その肌で感じる敵意を頼りにその刃を振り抜く。

「ぐッ……!!」

見えぬが故の胴体目掛けた袈裟斬り。感覚は捉えていたが体は間に合わず。高速で身を逸らし直撃は免れるがその刃は脇腹を裂き長銃を二つに切り分けた。


「相変わらずの恐ろしい勘だな、"ゼロ"」

互いに一歩たりとも退かぬ攻防。

「テメェこそ変わらねえな黒鉄……その小細工に策略によ……」

傷は負えど、そんなものは些事と言わんばかりに彼らは揺らぐ事なく立ち続ける。

「そういう所は変わらねえくせにどうしてUGNを……俺たちを裏切ったんだよお前は……!!」

「言っただろう。正義を騙る貴様らを、『13』を許せんからだと」

「なら、奴に何を吹き込まれた……!」

「……ハッ」

嗤う。嘲り。いいや、それは怒りと憎しみに歪んだ笑み。感情など持たなかったはずの彼が見せた、明らかな憎悪と悪意。

「奴に吹き込まれた?違う。俺はただ目の当たりにしただけだ」

口角上げたまま、彼は徐に口を開いて。

「貴様らの正義が、如何に欺瞞に満ちているか……。そしてその正義が————」

「っ……!!」

「如何に滑稽であるかを……!!」

蹴り出す。先までの策謀に満ちた冷静さなどなく、感情がままに刃を振るう。


先までよりも速く、鋭く、憎しみと共に襲い掛かるナイフの連撃。先までの攻撃とは打って変わって仕込みでも前置きでもなく、ただその全てが命を狩り取る為だけの攻撃。どれも当たれば確実に傷になるものだけで、辛うじて身を躱してもその刃が肌をなめ、肉を裂く。滲む赤に熱が走る。

だが同時、彼とは思えない程にその刃の軌跡には揺らぎが見えて。

「お前が何を見たか……何を聞かされたかは知らねえ……だがなぁ!!」

「っ————」

僅かな綻びに差し込むように、抜刀。

「お前が黒鉄だっていうなら……俺はお前を止める……!」

がんじがらめになったその結びを切り解くように、少年は迷いを捨て、友に向けてその刃を抜いて。

白刃が、彼の眼前に迫る。

命を断つ剣線。人の目には追えぬ程に鋭く、疾く抜かれた一閃。

彼は微動だにせず、避ける間も無く。

否、彼は避けない。受け入れるように、いやその刃が届くのを待つように。

そして小さく、微かに嗤う。

「っ……!?」

彼はそれを見逃さず、されどもうその動きは止められず。


————瞬間、閃光。

音よりも早く、辺り一帯、焼き尽くすだけの熱と光が弾ける。


陰る黄昏の、曇天の空の下。


蒼き雷光が闇を裂くように、静かに瞬いた。


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