第18話 溶け
あれ?1人いない。あの子がいない。
新しい家の暮らしにも慣れ始め、祖母の家に緊張感や居心地の悪さを感じなくなった、引っ越しして数ヶ月後の出来事。
その日は栗花落家のお盆休み恒例行事、お庭でバーベキューの日だった。
目の前で燃え上がる炎と、少しずつ色が変わっていく肉と魚介。パチパチと音を立てる網の上と、鳴き止まない蝉の音。
幼かった私には全てが新鮮で、とても楽しかった覚えがある。そこまでは。
やっぱりいない。どこだろう。
ボールを蹴って遊んだり、携帯ゲームに群がっていたり、各々自由にバーベキューを楽しむ最中、彼の姿はどこにも無かった。
「あっ、いた…………」
家の中で遊んでいるかもという幼い私の名推理は、半分当たりで半分外れ。彼は玄関で靴紐を結んでいた。
「ゆ、ゆーにぃちゃん。どこか行くの?おでかけ?」
「……………………さんぽ」
「おさんぽ?」
「そう」
末っ子の伯父さんは真っ黒の帽子を被り、虫除けスプレーを掛ける。
「まだみんな食べてるよ?もういらないの?」
「もう腹いっぱいだし、うるさいところだと聴きにくいの」
二つ年上のお兄ちゃんはポケットから、何かの機械を取り出した。
ゲーム機のような黒い四角と、ボタンのついた青くて平べったい板に、途中から二つに分かれて先が丸いコードのような物が巻き付いてる。
当時は何かわからなかった。それが音楽プレイヤーと言い、耳元で音楽を流してくれる電子機器である事は、後から知った事だ。
話はもう終わったのだと判断した彼は、ドアを開けて出て行く。
もっとお喋りがしたかった私は、
「わ、わたしもいっしょに行っていい?」
と、咄嗟に口にした。わがままを口にした。
「………………いいけど、迷子になんないでね」
「うん♪」
少し嫌な顔をしていた。それもそうだ。音楽を聴きたかったのに、一緒に着いてこられては、耳を塞ぐわけにも行かない。
彼はなんだかんだで優しいのだ。そんな彼を私は気に入って、彼は好ましく思わなかったのだろう。
しかし、彼は優しい。
「……………行く前に、これ」
虫除けスプレーを渡された。
スプレーのボタンが硬くて押せなかったから、代わりにかけてもらった。とても嬉しかった。
「あと、…………一応これも」
「……………………………」
それと麦わら帽子。
大人用の大きな麦わら帽子。
ぽかんとして立ち尽くす私に、
「…………………置いてくよ」
と、彼は言う。
「ま、まって!」
気恥ずかしそうに外に出る彼に、麦わら帽子を抱き抱えながらついて行く私。
気に入らないけど、気にかける。気に食わないけど、気を許している。
私はそんな彼を、気になっていた。
どうせなら手を繋ぎたかったけど、ゆーにぃちゃんはポケットに手を入れてたから、私はちょっと我慢した。それでも嬉しかったった。
代わりに、不思議と緩む頬を隠すよう、帽子の縁を両手で引っ張り、麦わら帽子を深く深く被った。
どのくらい歩いたのだろうか。
私が歩き疲れたから、近くにあった公園のベンチの、丁度木陰になる場所で座っていた。道中、コンビニに寄ってアイスを買った。
「…………………あのさ……」
「ん?」
「なんでいっつも笑ってんの?」
「………………………………」
上手い返しが見つからず、黙ってしまった。
代わりに困った笑顔を漏らすと、ゆーにぃは少し不満気に、持っていたアイスを噛んだ。
「………………ごめんね」
「………別に怒ってるわけじゃ無い」
無言の謝罪と不快にさせた謝罪は届かなかった。
「気になっただけ。言いたく無いなら、言わなくていい」
「…………ごめんなさい」
「……………………………」
たぶん、癖なんだと思う。笑う癖。謝る癖。
生まれた頃から、あの悪魔は側にいて、何年も一緒にいたんだ。数ヶ月程度じゃ治らない。私に植え付けた御呪いは解けきっていない。
笑って機嫌を保つ。謝って曖昧にする。笑って誤魔化す。謝って宥める。
無意識のうちにそう使っていたのだろう。
言いたく無いなら、言わなくていい。その言葉に甘えて、黙っていよう。あまり面白い話じゃ無いから。
「そういえば、ゆーにぃちゃんはお姉ちゃん達と遊ばないの?」
「遊ぶんじゃなくて遊ばれるの」
「遊ばれる?」
「そう。オモチャみたいにされる」
「っ……………………………………」
オモチャ。
その言葉が、私の頬を撫でる。背筋が凍る。
数ヶ月前の日々がフラッシュバックし、胸の奥が痛くなる。頭の中が、黒で塗り潰される。
「……………………………」
無言でアイスを頬張る。口の中が冷たいけど関係ない。沈黙を不自然にしない為。
ゆーにぃちゃんはそれを追求する事も、話題を広げる事もしなかった。同じようにアイスを食べた。
「……………………………」
「……………………………」
沈黙は流れているが、静寂では無かった。蝉の声は鳴り止まないし、公園でサッカーをしている子がいる。私たちが来る前にずっと遊んでいた。その子達を見ながら、黙々とアイスを食べた。
元気に遊ぶ彼らのおかげで、気まずい空気が多少和らいだと思う。
「あっ、当たり………」
「え!?」
沈黙を破ったのはその一言だった。
「ほんとだ……当たってる……」
「僕も初めて見た……」
ゆーにぃちゃんの食べ終えたアイスの棒には「当たり」と、彫ってあるのか焼いてあるのかわからないが、色鉛筆でもマジックでもない文字が書かれていた。
「すごいよゆーにぃちゃん!!もう一本もらえちゃうよ!?」
「そうだね。……帰りにまた寄ろっか」
「うん!!」
さっきの沈黙が嘘のように、私達は喋った。子供の心とは単純なもので、これでもかってほど喜んだ。
そして、同じ店で買ったなら私も当たるという、謎の根拠と理論を作って、
「あー………外れちゃった……」
見事に砕け散った。私の食べ終わった棒には、なにも書いてなかった。
それを見つめて、ボソッと、
「ざんねん………………あっ…」
困った笑顔をして、呟いてしまった。
悪気は無かった。癖で笑ってしまったとはいえ、彼を二度も不快にさせた。
咎められると思い、彼の顔を伺ったその時に、
「じゃあコレやる」
「…………………………え?」
ゆーにぃちゃんは当たりの棒を、私に突き出した。
「口止め料」
「…………くちどめりょう?」
「アイス食ったの内緒に出来るなら、あげる」
「………………………………」
当たり棒をマジマジと見つめる。
そして彼の顔を伺う。
わからない。なんでこんな事をしてくれるのか、全くわからない。
でも、それを恐怖や不安は一切無く、ただ絶対大丈夫という根拠のない安心感があった。
「あー。そうじゃん」
そして彼は棒を持って、公園の水道で、それを洗い始めた。
いわゆる、マナーだろう。店員さんに渡す訳だし、誰かにあげるものは綺麗にしてから渡す。
今になって思えば、幼いゆーにぃの唾液のついた当たり棒は、私にとって国宝級のお宝だが、その時は唖然として、止めるなんて発想はなかった。
「はい」
再度、差し出された当たり棒を、私は、
「ごめんね」
と言って手を伸ばした。
完全に無意識だった。心に関係無く、口は勝手に謝罪をした。
それを聞いたゆーにぃちゃんは、一度当たり棒を引っ込め、少し悲しそうに、
「そういう時は、『ありがとう』って言うの」
と言ってもう一度、もう二度か。棒を渡した。
「………あ、ありがと………」
「よし!」
彼は満足そうに笑った。
初めて、ゆーにぃちゃんの笑顔を見た。
その笑顔を見て、私も釣られて笑った。
初めて、本当に笑えた。
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