第11話 焦げる

 人間が本心を隠すのは、たぶん、傷つかないようにする為。


 柔らかくて傷つきやすい本心を、硬くて頑丈な服を着て、覆い隠して、なんとか生きている。全員が、その本心を理解してくれるわけじゃ無いから。


 だから、裸を見せるのは恥ずかしいし、本心を言うのは怖い。


 でも世の中には、その本心を見せたくなる人だっている。


「私って、こういう人間なの」「本当はこんな人間なの」って教えたい人もいる。


 私の場合、それが伯父だったってだけ。


 受け止めてもらえなくても良い。傷ついてもいい。


 ただ見て欲しかった。知って欲しかった。


 誰でもいいわけじゃ無い。彼じゃ無いとダメ。


 あわよくば。「私と一緒だったら」なんて思ってた。


 滑稽だなぁ。私って。




 今日はよく眠れた。だが疲れは取れなかった。


 手錠の鍵は枕の下に隠してあり、昨日の夜のうちに開けれた。


「姉貴おはよう」

「おは〜。私これから寝るけどね」

「昼夜逆転してんじゃん………」

「暇な大学生ってそんなもんよ?」


 リビングには姉貴がいて、テレビのニュースを見ていた。これから寝るのに見る必要あるのかわからないけど。今日は雨が降るらしい。


「それよりさ…………」


 ふぁ〜っと、大きなあくびをした後に、


「昨日なんかあった?」


 姉貴は言った。


「何で?」

「映画のわりに大声で叫んでたし、まなちゃん夜這いに行かなかったし、さっき家に帰ったし」

「………………………………」

「なんかあった?」

「………………そんだけわかってて、何も無かったわけないでしょ」

「うぷぷ。それもそっか〜」


 にんまりした笑顔で、僕を指差して笑う。


「どーせ佑暉の事だし、映画の熱入った勢いで、おっぱいでも触ったの?」


 当たらずとも遠からず。さすが姉貴。


「んなわけねぇだろ。あったとしても、僕の胸を触られるか、愛奈甘に触らさせられるかのどっちかだよ」

「たしかに。まなちゃんだもんね〜」


 「おやすみ〜」と言って姉貴は自室に行った。


 テーブルの上には、ラップのかかった朝飯と逆さまの茶碗。風呂敷に包まれた弁当が、一つずつあった。




「よっ!佑暉一人とは珍しいな。愛奈甘ちゃんはどうしたんだ?」


 イヤホンの片耳を外してポケットに入れる。


「別にいつも一緒って訳じゃねぇ」

「俺からしたらいつも一緒だけどな」


 曇り空ってのに、眩しいほどの笑顔を向ける直。


「喧嘩でもしたか?」

「まぁ、そんなとこ」

「わかるぜー、その気持ち。男には一人の時間も必要だからなぁ………」

「何の話だよ」

「ナニの話だよ」


 朝から元気だな。


「お前も俺も、健全な男子高校生。夜ぐらい、昼間の鬱憤うっぷんを晴らしたいもんなぁ。うんうん。わかるぜぇ……すっげぇわかる」

「同意を求めるな」


 あと肩を組むな。


「でも愛奈甘ちゃんに手出したらアウトだろ。お前的には伯父と姪なんだろ?」

「手出してねぇよ」


 僕的にはじゃなくて事実。


 ってか兄妹だったらもっとヤバいだろ。


「じゃあ事故か何かで触ったとか?愛奈甘ちゃんけっこう大っきいもんな」

「それであいつが怒ると思う?」

「いいや全く。むしろ喜ぶっつーか、逆にお前に触らせようとしそうだしな」

「お前はウチの姉貴か……」


 思考が一緒。




 道中、バス停から降りた学生の中に、金髪の少女が混じっていて、「もしや」と思い、声をかけた。


「おはよう許嫁」

「……………………おはようございます苺野さん」


 殿は消えたけど、許嫁呼びを改める気はないらしい。もう片方のイヤホンも取る。


「よっ!佑暉許嫁ちゃん」

「お前なぁ……」

「おはようございます。許嫁のお友達先輩」

「………………………………」


 お前が変な呼び方するからだぞ。


「苺野さんってバス通なんだね」

「うん。自転車乗れないし、駅よりバス停の方が近いから」

「へー、ソフィアちゃんって自転車苦手なんだ。可愛い〜。なっ、佑暉」


 なぜ僕に振る。同意を求めるな。


「そうですね」

「そう?私可愛い?」


 立ち止まり、僕の顔をじーっと見つめる苺野さん。頬も眉毛もピクリとも動かさず、顔色ひとつ変えずに、突然始まった睨めっこ。


「そうですね」


 適当に同意すると、苺野さんは目線を逸らす。


「………………………………」


 そして顔色変えずに歩き出す。何なんだマジで。


 朝から元気な直の話を、適当に聞き流して、とぼとぼ歩く。


「あの子は?」

「…………………愛奈甘は今日いない」

「休み?」

「わからん」

「…………喧嘩?」

「……………………まぁ、そんなとこ」

「………………………」


 空を見上げると、どんよりした雲が僕を見下ろす。


 天気予報によれば、今日は雪じゃなくて雨。


「雨、降りそう」

「だな。どうする?走るか?」

「サッカー部の脚力について行けるわけねぇだろ。帰宅部舐めんな」

「どっちだよ」


 傘は持ってきた。大きめの傘。そうじゃないと僕が濡れるから。いつもの癖で持って来たけど、そんな大きな傘は要らなかった。


 だから、今日に限っては。普通の傘でよかったのに。




 学校に着くまで、雨は降らなかった。着いてからポツポツ降り始めた。


 自転車置き場から走ってくる生徒を眺めながら、下駄箱を開ける。


 中から上履きを取り出して、地面に落として、ひっくり返った靴を足で起き上がらせ、履く。


 雨音が聞こえてきた。道路が黒くなる。


「おはよう栗花落くん」

「ん?あぁ、おはよう」

「え?………今、ちょっと残念そうに言わなかった?」

「そんなつもりはないけど、そう思わせたならごめんなさい」

「あははっ!今日も面白いね!」

菊屋きくやには負けるよ」


 彼女は「菊屋きくや 杏優あゆ」。


 同じクラスの女子で、2年生の頃から一緒のクラスメイト(3年生のクラス替えはないから、クラスメイトの半数が2年の付き合いだが)。


 男女平等に声をかけ、愛奈甘に威嚇されながらも、僕にもちゃんと挨拶をしてくれるいい奴だ。


「あれ?今日は妹ちゃん居ないの?」

「……………………まぁね」


 いつも一緒と思われてるみたいだ。


「喧嘩でもしたの?」

「……………………そんなとこ」

「ふーん。あんな仲良しでも喧嘩するんだー」


 菊屋は履いてきたローファーを下駄箱に入れる。


「さっさと仲直りしときなよー」

「お気遣いどーも」

「1お気遣いにつき100円。栗花落くんは今ので12お気遣いだよ」

「金取るんかよ」

「私のお気遣い高いから」


 なぜか鼻を高くし、「じゃ、先教室いくねー」と笑って、菊屋は階段を上がっていく。


 妹ちゃん、ねぇ……。




 僕は教室に行く前に、自販機に寄った。ホッカイロ代わりの飲み物を購入するためだ。


 今日は冷える。


 硬貨を入れボタンを押す。無論、ミルクティー。


 と思ったが、何となく隣のコーヒーにする。砂糖がちゃんと入っていれば、僕でも飲める。今は気分で、ただ、何となく。


 ガタンと落ちてきた缶のコーヒーは、いつものペットボトルミルクティーと少し違う音。手触りも違う。


 冷え切った指先に熱されたアルミ缶を当てて、凍りそうな皮膚を温める。


 プルタブはまだ開けず、そのままポケットに入れる。


 代わりと言っては変だが、元々ポケットに入っていたイヤホンを取り出して、耳に装着。寝ていた音楽プレイヤーを起こして音楽再生……


 しようとしたら、誰かとぶつかった。


「っ!………あー、ごめん。よそ見してて……」


 ジャラジャラと小銭が落ちる。


 音楽プレイヤーを胸ポケットに入れ、腰を落とし、落ちた小銭を拾う。


 不注意だった。自販機の前でよそ見をするなんて。


「いえ、私こそ………」


 帰ってきた言葉に、拾おうとした僕は手が止まった。


 言葉じゃなく、台詞じゃなく、聞き覚えのある声だったから。


「あっ………………」


 彼女も気づいたみたいだ。


 固まる手をなんとか動かして、目の前の100円玉を拾う。


 そのまま、10円玉に手を伸ばすと、


「だっ、大丈夫だからっ」


 先に拾われる。


 すらっとした、細くて白くて綺麗なその指で。


 もう彼女が全部拾い終え、辺りには何も落ちていない。


 立ち上がり、握っていた100円玉を渡す。


「ん………………」

「ありがとう……ございます……」


 敬語。


 それに動揺しつつも、その動揺を押し殺し、なるべくいつもと同じ声色で、僕は言った。


「………おはよう」


 その言葉に彼女はビクッとし、僕の拾った100円玉を握る。


 いつも無駄口ばっか叩くのに、肝心な時に限って言葉が出てこない。それは彼女も同じ事。


 返事を期待して言ったわけじゃないし、その前に言う事がある。


 つぐんだ口をこじ開けて、謝罪をしようと思った瞬間。


 被せるように言ってきた一言で、僕は何も考えられなくなった。


「おはようございます。


 愛奈甘は、紗藤愛奈甘はそう言った。


 何を言えばいいのかわからなくなって、頭が真っ白になって、何も考えられなくなって。


 愛奈甘は「失礼します」と言って一礼し、隣の紙パックジュースの自販機に、僕の拾った100円玉を入れて、ボタンを押した。


 冷たい、いちごオレのボタンを。

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