第26話 仲直り

 使われていない空き教室の前、僕は一人突っ立って、今一度考えていた。


 苺野さんの告白。直の発言。菊屋の会話。姉貴の約束。兄さんの……。


 そして、愛奈甘と今から話す事。


「………………………………………」


 毎年バレンタインデーは、愛奈甘のアプローチで精神的にも肉体的にもハードな日を過ごしてきた。


 しかし、今年は過去最高にハードな日だ。未来の事はわからないけど、今年を超えるバレンタインデーは恐らくないだろう。それだけ色々な事が起きた。


 だが、まだ終わってない。


 最後の約束を、自己満足を、言い訳を、仲直りを、けじめを。


 あと、最後の告白を。


「悪い、遅くなった」

「……………大丈夫。全然待ってないから」


 そこには、いつもと変わらない愛奈甘が、言い換えれば、いつも通りに戻った愛奈甘がいた。


 窓側の机に腰掛け、落ちる夕日を眺めている愛奈甘がいた。


 あえて言うなら、いつもより元気が無いようにも見えるけど。


「って言うか、私も今来たところ」


 ほら。あの時みたいな顔してる。


 愛奈甘の彼女面したセリフに、ツッコミの一つでも入れられたらよかったのに、平常心を保つのが精一杯で、アドリブなんて挟めなかった。


「……………今日まで待ってくれて、ありがとう。私の方こそ、遅くなってごめんなさい」

「………………………………あぁ……」


 互いに歯車が合わない。


 頭を下げる愛奈甘に、何も言えない僕。言いたい事は山ほどあるのに、何一つ出てこない。まともな返事すら出来ない。


「………えっと、…………何から話そっか……」


 何から。


 愛奈甘もわかってるみたいだ。今から話す内容が、一つだけじゃない事を。


「………じゃあ、まず………………」


 言ってから、僕は言い淀む。


 「まず」なんて前置きで話せる話題は、何も無かったから。僕らが今抱えてる問題は、どれも重たく、軽はずみに言えるものではなかったから。


 でも、最初に言う言葉は決まっていた。言い淀んだのは、少し緊張していたから。


「怒鳴って悪かった。ごめん」


 まずは、仲直りからだろ。


 僕は深々と、頭を下げる。苺野さんの時と同じように、自分の非を認めて、プライドを捨てて、謝る。


「あっ、頭あげてよゆーにぃ!お願いだから!」


 僕の謝罪に、動揺する姪。


「むしろ謝らなきゃいけないのは、私だよ」


 同じように頭を下げる姪。


「私こそ、あんな事言って、ごめんなさい」


 よかった。僕が怒った事、ちゃんとわかっているみたい。


「あと、ちょっとやり過ぎた事も反省してます」

「………………………………」


 あぁ、手錠と歯磨きの件か。………あれはどちらと言えば、いつも通りだと思うが、いい機会だし反省してもらおう。


 謝らなきゃいけない事を謝って、満足したのか顔を上げる愛奈甘。しかし僕は、もう一つ、謝らなきゃいけない事がある。


 むしろ、こっちが本命だから。


「……………あの時、お前の気持ちを誤魔化して怒鳴ったのは、本当に悪かったと思ってる」

「…………………………………」


 僕は更に深く、謝罪をする。


 喧嘩をした夜。胸の内を明かしてくれた愛奈甘に、僕はそれを無視して、踏み躙って、怒鳴った。


 確かに、愛奈甘は言ってはいけない事を言った。でも、怒鳴る必要は無かったし、それを盾にして『答え』を言わなかったのは、どう考えても僕が悪い。


「ごめんなさい」

「……………私も、ごめんなさい。あの時は、どうかしてたんだと思う……」


 2人とも、もう一回、頭を下げる。


「……………………………」

「……………………………」


 互いに謝り、互いに反省して、互いにこうべを垂れる。


 簡単に許される事じゃない。それはお互いわかっている。口先だけの謝罪で、この程度で許されると思ってないから、態度で示し、長々と頭を下げる。


 それは愛奈甘も同じようで、一向に頭を上げる素振りがない。


「……………………………」

「……………………………」

「……………………………」

「……………………………」


 でも、あまりに長すぎる。


「……………………………」

「……………………………」

「……………………………」

「……………………………」


 というか、もう後半は維持になって、どちらが先に顔を上げるか、ある種のゲームみたいになって。


 少し顔を上げ、チラッと愛奈甘の様子を伺うと、


「…………………………ぷっ」

「…………………………フッ」


 同じように僕の様子を伺った愛奈甘と目が合い、


「あははっ」

「……なにこれ?」


 可笑しくなって、2人揃って笑った。


 杞憂だったかな。大した事ないのに、勝手に問題を大きくして、勝手に重く捉えてたのかもしれない。心配し過ぎたのだと思う。


 こうやって顔を合わせれば、なんて事はない。


「………じゃあ、もう2度と殺すなんて言わない事。そしたら、許す」

「………うん」


「それと、……………キ、キスとか、夜這いとか、度が過ぎる愛情表現はしない事」

「それは無理かな」

「おい」


 いい流れだったろ今。本当に反省してます?


「怒鳴ったのは、そもそも私が悪い事言ったから、許すも何もないけど、…………その、返事は……………、聞きたい……かな…………」

「………………………はい………」


 その覚悟はしてた。


 謝るなら、言わないといけない。それはわかっている。そうじゃないと、謝った事が嘘になる。


「…………………………………」


 覚悟はしていたけど、言い淀む。


「…………………その前に、さ……」


 決して怖気付いた訳ではなく、茶かそうと思っているわけでもなく、無いけれど、僕は一呼吸置いた。


 確かに、小っ恥ずかしいのもあるが、でもその前に一つ、聴かないといけない事がある。


 それがYESかNOかで、かなり変わってくるし、それこそ軽はずみに聞けない事だから。


「……昨日、兄さんから聞いたんだが、その……」


 決心が揺らぐと言うか、いざ言うとなると、尻込みをしてしまう。


 後に引けないと思うと、余計に言えなくなる。


 ことごとく自分が嫌になる。臆病な自分が嫌になる。


 だから思い切って、


 覚悟も決心も捨て、


 自分の背中を、蹴る。


「お前は知ってたのか?血、繋がってない事」


 不思議と、後悔は無かった。


 言った瞬間、愛奈甘が「困ったように笑った」から。

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