第2話 姪ンヒロイン

 世の中には「シスコン」とか「ブラコン」とか、兄弟や姉妹を過度に溺愛する人に対して、「シスターコンプレックス」「ブラザーコンプレックス」を略した言葉が生まれ、「ソーシャルディスタンス」で近年お馴染みの某ウイルス並みに蔓延している。


 似たように「ロリコン」、つまり「ロリータコンプレックス」という言葉もあって、幼女に対し性的興奮や過激な愛情表現をする人を指す言葉もあるが、よくよく考えてみるとおかしな事に気付く。


 コンプレックスとは「劣等感情」の事ではないか、と思ったのだ。「あなたのコンプレックスは何ですか?」と問われたら、普通なら「顔」や「身長」などの身体的(外見的)コンプレックスとか、「性格」や「個性」などの内面的(概念的)コンプレックスを言うだろう。


 そう思い、暇な授業時間にちょちょっと調べてみると、どうやらアメリカから心理学が入ってきた時に、心理学者のアドラーが「劣等複合」を理論の中心に置いていたから、それが誤って定着したらしい。


 だからコンプレックスの本当の意味は「心的複合体」だそうだ。一つ賢くなったね。


「この場合、文頭にある『that girl』は『my sister』になる。つまり………」


 僕のNo. 1コンプレックスは無論、我が姪だ。


 つまり。


 姪っ子は英語で「niece」なので、僕の場合は「ニースコンプレックス」、略して「ニスコン」になるのかな?


「はぁ………………」


 深い深いため息をつく。


 何やってんだろ。僕は。


 高校三年生の三学期というのは、受験もほとんどの生徒が終わり、授業をしてもテストをしても、成績が大学もしくは専門学校あるいは履歴書に乗るわけではないので、教室はこんな感じだ。

(真面目くんを除いて)誰も先生の話を聞かず、先生もそれがわかっているから、うたた寝していたりコソコソ話している生徒を注意しないわけだが。


 ふと窓に目をやると、外では雪が降っている。


「……………………………」


 僕はこの季節が嫌いだ。


 正確にはこの時期が嫌いだ。


 より正確に言えば4日後が嫌いだ。


 今日は2月10日。そして4日後はそう、バレンタインデー。


「今日の授業はここまでだ。成績に関係ないからと言って、テスト勉強を怠らないように。しっかり勉強しておくんだぞ」


 授業終了のチャイムが鳴り、英語教師が教室から出て行くと、廊下からドタバタと、猪でも侵入したのかってほどうるさい足音が鳴り響く。


 猪が走る中、僕は狸寝入りをする。


「さぁゆーにぃ!お待ち兼ねの休み時間だよ〜!思う存分ラブラブしよ〜ね〜♡」

「………………………………」


 僕は寝ている。そう、寝ているんだ。


「よっ!佑暉妹」

「よっ!ゆーにぃの友達先輩」

「………………………………」


 寝てますよー。


「今日は一段とはしゃいでんじゃん。どうしたん?」

「どうもこうも無いですよ!もうすぐでバレンタインデーですよ!?ゆーにぃにチョコが入らないよう、こうやってアピールしないと!」

「……………………それアピールなん?」


 僕は寝てる。その上で愛奈甘も寝る。


「どっからどう見てもアピールです!添い寝ですよ添い寝!!」


 乗っかり寝だそれは。てか、重い。


 この時期が嫌いなのは、ブラコンではなくニスコン?いや、僕からではなく愛奈甘からだから………伯父は英語で、………あーもうめんどくさい!ブラコンでいいや!


 このブラコンが過度になるからだ。


 バレンタインデーという、仏教がメインの日本人には関係ないイベントにも関わらず、聖ウァレンティヌスが何をして何をされたのかも知らずに、経済戦略にハマって散財する、脳みそまで甘くなっている忌々しい日が近づいている。ただそれだけで。


 あとは受験が終わったから、その反動もあるのかもしれない。僕の受験がちゃんと受かるよう、愛奈甘は勉強に集中できるよういつものデレデレを控えて、うるうるした目で1人下校していた。


 そのしわ寄せもあり、いつにも増してべったりの日だ。


「こうやっておっぱいを押し付けながら寝るのがポイントです」

「当の本人は白目剥いて寝てるけどね」


 バレンタインデー付近は過度になり過激になり、昨年やその前もそうだった。でも、これはまだ「マシな方」なのだ。過度じゃない。


 一般常識が著しく欠けているとは言え、周りの目がある時には、ド直球のドストレートな事はしない。


 だから嫌なんだ。妙に頭が回るから嫌なんだ。


「相変わらず仲が良い兄妹だな」

「はいっ!!」

「…………………………………」


 こうやって誤解される。ただの仲良し兄妹で通ってしまうのだ。


 可愛いが正義であるように、可愛いが言うことは耳に残りやすく、覚えてもらいやすい。


 愛奈甘が彼氏といえば彼氏で、兄と言えば兄。そこには被告人の発言も弁護士の発言も通らず、独裁政府のように判決が下される。


「………………………重い………」


 特に愛が重い。


「あ、起きた」


 寝てないけどね。


 もうお気づきかと思うけど、僕らの苗字は違う。僕の苗字は「栗花落」で、こいつの苗字は「紗藤」。


 紗藤は、僕の兄のお嫁さんの苗字である。僕の兄はもう「栗花落」を辞めたのだ。どちらも少し珍しい苗字だとは思うけど。


 だが血は繋がっているから、一応身内だから、兄妹ではないが、姪と伯父だが、学校では兄妹という事になっている。


「……………………でも本当に似てないよなぁ。佑暉妹めっちゃ美人なのに……」


「みなまで言うな。僕が悲しくなるだろ」


 愛奈甘の母、僕から見て兄のお嫁さんに似たのだろう。身内贔屓みうちびいきじゃないけど、超がつくほど美少女だ。


 長く艶のある髪、整った目鼻立ち、赤ちゃんを思わせる大きな瞳。僕とは似ても似つかない。


 だから僕との血は、かなり薄いと見ているのに。


「俺は羨ましいぜ?こんな可愛い妹が出来たら、毎日がハッピーでエブリデイだ」


「……毎日がエブリデイなのは全人類共通だよ」


 そう。苗字が違うのに兄妹として仲良くすると、何が発生するか。


 それは、「義兄妹説」。


 学校で定着している僕らの認識は、連れ子と連れ子の、義理の兄妹説が濃厚らしい。


 僕もいっそ他人ならと思うのだが、残念ながら姪だ。


「てかなお。僕何度も言ってるけど…」

「姪と伯父だろ?何度も聞いたって」

「………………………………」


 もう親友と呼べるであろう間柄でも、こう信じてもらえない。可愛いの正義、恐るまじ。


 紹介が遅れた。彼は友人というか親友というか、高校入ってから長い付き合いになる同級生の「藤園ふじぞの 直幸なおゆき」。今後出番はないと思うから、覚えなくていいけど。


 まぁつまり、言ってはいるのだ。親しい間とか長い付き合いの人には言っているのだが、信じてもらえない。


 それもそうだ。似てないし、こんな歳が近い姪と伯父など、にわかには信じがたい。


 だが事実だ。紛れもない事実だ。


「ゆーにぃはゆーにぃだよ?あっ、これからは『旦那さん』って呼べって事か〜!も〜、恥ずかしがり屋なんだから〜…………きゃっ♡」

「コピペしてんじゃねぇ」

「おぅおぅ。お熱いこってぇ」


 ケタケタと笑う親友。笑い事じゃないんだが?


 こうして僕の「伯父姪」主張は通らず、愛奈甘の、可愛い正義の「仲良し義兄妹」説が信じられているのだ。


 どんな暴論もねじ曲がった主張も、見た目の可愛らしさで許され通される。


「………………私の全てはゆーにぃの物。そしてゆーにぃは私の物……」

「……………………………………」


 僕にしか聞こえない小声で言われる。


 耳元でそんな発言されても、何度も何度も繰り返されれば、麻痺しちゃって感情は動かない。ゾワッともしない。


 前々から思っていたけど、僕に自由権も主張権も、そして人権も無いらしい。


 あるのは、


「………ゆーにぃと私は一蓮托生いちれんたくしょう。ずっとずーっと、一緒だよ………?」

「………………トイレにはついて来んな」

「えへへ〜」


 あるのは血の繋がった姪からの、ドロッドロの愛情だけだ。

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