第4話 シュガーマジック

 学校からの帰り道、カップルが手を繋いで帰るのは、万物が地球に引っ張られる自由落下の法則同様、「手を繋ぐのが当然」と言うかのように、数名の男女が手を繋いで、指を絡ませて帰っている。


 その法則は僕らにも適応されるようで、こいつは当然のように手を握ってくる。指を絡ませ交差させ、いわゆる恋人繋ぎをしてくる。


 当然僕は嫌なので、それを回避しようとポケットに手を入れて歩くと、脇の下に腕を通して僕の肩に頭を乗せ、新婚カップルのように腕を組んでくる。


 手も腕も組ませないようにするにはどうしたらと考えた結果、頑固親父もしくはラーメン店主のドヤ顔写真のように、自分の右腕と左腕をクロスさせ腕組みをした。


 しかしそうすると何が発生したかと言えば、後ろからハグをされるようになり、腰あたりに腕を回され、なんちゃってケンタウロスが完成したのだ。


 そんな状態では歩きづらい事この上なく、愛奈甘の奇行で僕も同類の扱いを受ける。帰る頃には日が暮れて、明日には奇行目撃情報と変な噂が学校を超えて街にも広がる。赤信号で止まれば後ろから押し出され、轢かれかねない。


 安全に下校することすらろくに出来ず、結果としてポケットに手を入れて、新婚カップルのような状態では帰ってるわけだが。


「今日はどこに寄って帰ろうか?ゆーにぃ」

「……………………………………」


 愛奈甘はいつにも増して笑顔で上機嫌。甘ったるい猫撫で声で話しかける。


 だが、目が座ってる。それでとてもいい笑顔をしている。あんなことがあった直後だから無理はない。


 まだ学校付近で周りの目があるから、表面上はラブラブを演じているけど、これが人目のつかない所に行くと一転、豹変するのだ。


 言い換えれば猫から虎になる。


「私、久しぶりにカラオケ行きたいなー」

「……………………………………」


 YESと言えば密室で何されるかわからない。


 NOといえば更に上機嫌という名の不機嫌にさせ、エスカレートする。


 ならば無回答。これも悪化するだろうけど、言質取られるよりマシだ。


「無視ですか?妹の問いかけに無視ですか?」


 ほら悪化した。


「……………悪い、今日金持ってないから」

「自販機でミルクティー買ったのに?」

「そのミルクティー代しか持ってきてねぇんだ。今日は諦めてくれ」

「なんなら私が全部出すよ」

「気分じゃねぇの」


 自然と早足になるも、愛奈甘は着いてくる。路地を曲がっても、急に止まっても、信号が点滅して走っても、僕の顔をガン見しながらピッタリと着いてくる。


「なら今日泊まらせて」

「嫌って言っても来るんだろ」

「うん。ばぁば絶対いいって言うし」

「……………………………………」


 愛奈甘から見たら、僕の母は祖母になるのだ。我が母に限らず、人間は子には厳しく、孫には甘いのだ。


「リビングで寝ろよ」

「添い寝してくれるならいいよ〜」

「んなわけねぇだろ。自分の部屋で寝るわ」

「じゃ私も〜」

「シングルベッドだから無理」

「くっつけばいける」


 手を引く気はないらしい。


 運悪く赤信号で止まり、青になるのを待っていると、


「で、あの子誰?」

「苺野さん。苺野ソフィアさん」

「ソフィアちゃんは知ってるよ〜。可愛いもん」

「なら他に言う事ないぞ」

「許嫁って言ってたよね?」

「聞き間違いじゃねぇのか?」

「ううん、絶対に言ってた。この耳でハッキリ聞いた」


 青になれ!はよ青になれ!


「…………私という存在がいるのに、ゆーにぃは浮気を…」

「それの件を今から母さんに聞くんだよ」

「でもチューした事実は変わんない。あの子だけして不公平」

「お前だって昔、強請ねだってきたろ」


 子供のチューと大人のキスは別物だからと、少し腹を立てた様子で愛奈甘は言う。


「今やって。おでこじゃなくて唇に」

「あ、青になった」


 ミシミシ言ってる腕にもう少し我慢してくれと言って歩き出す。


「お子様のじゃなくて、ディープで熱いキスだよ?」

「オラ。お前ん着いたぞ」

「何で?ゆーにぃの家泊まるって」

「着替えいらねぇのかよ」

「いらない。今目を離して逃げられるよりマシ」

「逃げねぇよ。後が大変なの知ってんだから」

「ほんとに?」

「本当に」

「嘘ついたら刺すよ」

「小指賭けてもいいぜ」

「なら薬指がいい」


 謎のこだわり。小指あるのに薬指ないのは逆に不便だと思うが、極道なんて漫画でしか見た事ないからわからん。


「………………わかった。じゃゴムとってくる」


 服の聞き間違いだろう、そうだろう。


「だから、ちょっと屈んで」

「何で?」

「いいから!」


 接続詞「だから」の使い方間違ってる気がするけど、とりあえず屈む。


 膝を軽く曲げるが「もっと」と言われ、もう少し曲げても「もっと」と言われたのでしゃがんだ。もう座るのと変わらない、ヤクザがタムロする時のような座法ざほう、言い換えればウ○コ座りになってしまった。


「目瞑って」


「…………………………」


 素直に従う他あるまい。公衆の面前で何させられているんだと、何されるのだろうかと思うが、後の機嫌を思うと安い買い物だろう。そう思うしかない。


 まぶたを閉じ、視界をゼロにする。


 不思議なもので、目を瞑ると周りの音が、いつにも増してよく聞こえる。雪を踏みしめる足音。少し布が擦れるような音や、プラスチックの潰れるような「カシャカシャ」という音も聞こえる。


 ぺち。


「………………………………」


 僕の頬を触られているが、許可が降りていないので目を開けるわけにはいかない。


「ふひあへへ」


 口開けて、だろうか。よく聞こえるはずなのに聞き取りにくかった。今のはたぶん、愛奈甘の滑舌の問題。


 マジで何されるんだと訝しげに思いながらも、口を開けて………。


 そういえば、今の声とても近かった。耳元で囁かれたわけじゃないけど、顔の前というか目の前というか。


 命令通り目の代わりに口を開ける。側から見たらどんな絵面になっているか、気になるところだが。


「…………………………………」


 いや、待て。以前にも似たような事を……。


「………………………っ!?」


 その記憶の引き出しが開くには僅かに遅く、無許可で開く瞼は遥かに遅く、僕の目の前には………。


 目を閉じてキスをする愛奈甘が、ドアップで写っている。


 長いまつ毛と小さな鼻。少し赤い頬が視界の全てを埋め尽くす。


「んっ!?」


 残念ながら驚く暇もなく、その隙に愛奈甘は僕の口に舌を入れ始める。


 柔らかくて、暖かくて、ヌルヌルしてて。自分のものではないもう一つの舌が、僕の口の中で絡む。


 歯を立てるなんて発想すら思い浮かばないほど、脳は現状把握にフル回転させ、逃げようにも顔を掴まれ後退できず、身を委ねる事以外の選択肢は用意されていなかった。


 それでも身を捩ったり、ポケットが手を出して愛奈甘の肩を押したりしたが、微かな抵抗も虚しく、終始ペースを掴まれて、そして、


「…………………………………チョコ……?」


 離れて僅かに糸引く口の中に、覚えのある味と甘さが広がる。


 カカオと砂糖の、この時期なら嫌でも目にするチョコレートの味が、口全体を包み、思考回路はショートし、「チョコ」とだけ応答する。それを声としてそのまま垂れ流す。


 いつの間にか尻餅をつき、ほぼ馬乗り状態でキスを奪われていた事にすら気づかず、すごい体制でチョコを食っていた。雪の絨毯じゅうたんに寝そべっていたのに、冷たいとは感じなかったし、気づきもしなかった。


 愛奈甘はその絨毯に手をつき、つまり床ドンして、相手の吐息すら肌で感じられるほど、顔を近づけて。


「そう。ほんとは振り向いてくれた時にキスはしようと思っていたけど、泥棒猫に取られるくらいならと思ってね。チョコはそのついで」


 あとキスの味を長持ちさせるために〜と愛奈甘は呟いて、


「あー、でも勘違いしないでねゆーにぃ」

「……………何が……?」


 先ほどより更に赤くなった頬を緩ませて、うっとりした目をし、艶やかな唇に手を当てて言う。


「ちゃんとバレンタインデーには愛情たっぷりな手作りの本命チョコ渡すから」


 チョコの口渡しに成功したからか、僕の唇を奪えて満足したからか、えらく上機嫌だ。


 押し倒していた手を離し、ムクっと立ち上がった愛奈甘は、スカートやブレザーに着いた雪を払い、やっと僕の上から退いた。


「だから今のは………」


 トロンとした瞳の愛奈甘があっかんべーをした。しかし人差し指で指さしたのは、目尻ではなく舌先。


「唾つけただけ」


 物理的にもね?と付け加えて愛奈甘は「うへへ」と笑う。


 その舌にはチョコレートの茶色が混じっている。


「じゃあ準備してくるね〜♡」


 固まる僕をよそに、愛奈甘は自宅の鍵を開け、紗藤家の扉を潜る。


「…………………………………」


 僕は唖然として目線を落とすと、そこにあったのはポイ捨てされたポリ袋と、見覚えのあるラッピング用の針金があった。


 もしこれが購買部で使っているラッピングなら、さっき口に入れられたのが購買部の商品だったのなら、そうなのかもしれない。


 少々高い「義理」のチョコなのか、はたまた少し安い「本命」のチョコなのか定かではないが、少なくとも、本当に少ないが、わかることは一つだけ。


「…………………今年のチョコ、エグいんだろうな……」


 4日後に控えるど本命のチョコは、昨年やその前の過去作含め、今の比にならない高インパクトの、パンチとスパイスが効き過ぎた、甘々チョコレートなのだろう。


 しかし前々から変わらないこともある。


 それは姪に手を出す気は無いという事。


 あと、姪からの愛など、恐怖でしかないということ。

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