第20話 当日

 久しぶりに、目覚めが良かった。


 目覚まし時計も、目覚ましアラームも、目覚まし姪も無く、自力で、時間前に、スッキリとした思考で目を覚ませた。


 今日は2月14日。


 言わずもがな、バレンタインデーである。


 毎年、バレンタインデーという言葉を聞けば頭痛がし、愛奈甘に会いたくない一心で、欠席すら考える僕だが、今回に限って、その選択肢は無い。


 カーテンを開けると、昨日までの天気が嘘だったように、雲一つない快晴が広がっていた。


 下を見れば積もった雪が、太陽の光を反射させ、輝く絨毯と化していた。


 雪を見て、綺麗だと思わなくなったのは、いつからだろうか。馴れ親しんで、当たり前と思ったのは。あるいは怪訝に思って、邪魔だと顔をしがるようになったのは、いつからだろう。


「…………………………よし……」


 独り言を呟いて、階段を降りる。そのまま洗面所に行って顔を洗う。


 何度か冷水を顔に押し付け、開かない目をこじ開ける。気が済むまで浴びたら、タオルで水滴を拭き取る。


 タオルで拭く前に、チラッと鏡を見てみると、水は滴っているが、いい男とは言えない平々凡々の男子高校生が、腐った魚の目で睨んでいた。


「おはよ」

「……………おはよう」

「飲みモンは自分で用意して。ポットにお湯入っているから」


 リビングに行くと、テレビを見ながら朝食を食べる姉貴がいた。部屋の中が暗いと感じたのは、外が明るすぎるせいだと思う。


 僕は適当に返事をして、スティック状に小分けされてるインスタントミルクティーを、戸棚から一本取り出し、軽く振ってから端を千切って、マグカップに入れる。ポットのお湯を注ぎ、スプーンでかき混ぜ、席に着く。


 「いただきます」と手を合わせて、鮭の切り身を箸で割る。日本人らしい朝食に、ミルクティーは如何いかがなものかと自分自身思うが、これはほぼ癖だ。


 テレビからバレンタインだのチョコレートがどうだの流れてくる中、


「覚悟は決まった?」


 姉貴は独り言のように呟いた。


 それが僕への質問と気づくまでに2秒。質問に対しての答えで3秒かかった。


「……………………うん」

「そ。ならいい」


 その会話と言えないような、とても短い意思疎通は、終始、テレビを見ながら行われた。


 今日は一日中晴れの予報。風も弱く、穏やかな一日になるらしい。


「感情的になるのは悪い事じゃない。お互い、譲れない何かがあるって事だからね」

「え?」

「成功の反対は失敗だけど、失敗の反対は挑戦しない事。また喧嘩したら、今度はお姉ちゃんが仲裁してやるから………」


 姉貴は僕の目を見て、ヘラヘラ笑いながら、


「本音の殴り合いして来なさい」

「……………………うん」


 僕を勇気付けた。


 家族は好きだし、感謝も尊敬をしている僕ではあるけど、姉貴には、他の兄妹や両親とは違う尊敬がある。恩もある。


 いつかその恩を返したいと思う。親孝行ではなく姉孝行か。


「ごちそうさま」


 結婚していく兄妹を見ていると、いずれは姉貴も、僕も、そういう日が来るのだろう。


 色々と思う所はあるけれど、とりあえずそれまでには、姉貴に頼らずとも前を向ける、一人前の男にはなっておきたい。恩を返すのはそれからだ。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」


 姉貴が困る時なんて想像すらできないけど、もしそんな日が来たら、僕も力になれるように頑張りたい。


 なんて事言ったら、姉貴は腹を抱えて笑うだろうけど。


「あ、そうそう。これあげる」


 食後のミルクティーを飲んでいたら、ペンケース程の箱を貰った。


「本当は彼氏にあげる用だったけど、別れちゃったし、自分で食べるのもアレじゃ無い?」


 そう言われて目の前に置かれたのは、綺麗にラッピングされたチョコレートだった。丁寧にリボンまでついているけど、市販品ではなく、一から手作りしたのだろう。


 確かに、元彼にあげようとしたチョコを自分で食うのは、精神的に来るものがあるだろう。レシピを間違えたんじゃないかと錯覚するほど苦いに違いない。


 しかし、それをわざわざ持ってくるのはどうかと思うが、別れたからには置いてく訳にはいかなかったのだろう。


「…………それを僕に渡す?食い難いんだけど」


 そんな話聞かされて、僕だって苦く感じるに決まってる。


「まぁまぁ。帰るまでに口直し用のお菓子作っとくから、冷蔵庫にでも入れときなさい」

「…………………………………」


 なら、まぁ、有り難く頂いて。


 姉貴特製チョコレートは以前にも食べたことはあったけど、こんな丁寧な物ではなく、家族各々のマグカップに入ったチョコプリンとかだった。食わないとミルクティーが飲めなかった。


 一昨年までは元彼のプレゼント用の味見係で、去年は引っ越ししていなかったが、まさか本気の本命チョコが貰えるとは。込められた気持ちは、彷徨っているけど。


 どうせならと思い、箱を開けてみると、一口サイズの小さなチョコが数種類、所狭しと鎮座していた。


「うん。美味しい」


 普通に美味かった。


「あはは。染みるねぇ〜」


 染みるんだ。それが恋心なのか傷心なのかわからないけど、どうやら染みるらしい。


「よっこらS○X」と言いながら食べ終えた食器を持ち立ち上がる姉貴に続き、食器を片付け、冷蔵庫に残りのチョコを入れる。


 気合を入れ直して、歯を磨き、寝癖を治し、2階に上がって制服に着替え、ほとんど空の鞄を背負って階段を降り、


「行ってきます」


 と、いつにも増して、ハキハキした声で言う。


「あっ、ちょっと待って」


 姉貴にそう言われ、何か忘れ物かと思い振り向くと、姉貴は弁当袋を持っていた。


 そこまでは良かった。問題はそこから。


「忘れ物」

「……………………なんの真似ですか?」


 満遍の笑みで両手を広げて、


「いってらっしゃいのハグ」

「…………………………………」


 大の字になって、胸を突き出す姉がいた。


 正直、レッサーパンダとかアリクイの威嚇ポーズかと思った。


 無視してもよかったんだが、年上には逆らうべからずという兄妹ヒエラルキーがDNAに組み込まれている僕ら末っ子は、世の渡り方を生まれた頃から理解してる。


 肉体的にも精神的にも敵わない兄妹社会では、言う事に従っておくのが吉。逃げるが勝ち。だからこんな性格になったんだろうけど。


 でも18にもなれば、体格は男の方がデカくなるんだから、物理的には敵うのかも知れないけど、後で何されるかわかったものじゃないから、素直に従う。


「身長伸びた?」

「変わってねぇよ」

「ならなんで私の胸が腹に当たってんのさ」

「姉貴の成長が高校で止まったから」

「ほう。私は永遠のJKと言うことかい?」

「都合良く解釈する所、ほんと誰かさんにそっくり」


 してやったりと言った満足げな表情は、さすがは愛奈甘の伯母。非常に似てる。


「その誰かさんと、今日ちゃんと仲直りする事。いい?」

「………はい」


 愛奈甘がブラコンでは無ければ、姉貴がブラコンに当たるのだろう。尊敬している手前、恩を感じている手前、そうは思いたくないけれど、じゃあこれをどう説明するのだ、という話になる。


「ハッピーバレンタイン。佑暉」

「……………行ってきます……」


 それより何より、ずっと前から言っているけど。


 それ、僕の服。

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