第16話 冷やして固める

 ここまでお膳立てされると、少し気が引けるが、辞めるつもりはない。飲み干したコーヒーカップは兄さんが今洗っている。僕にはまだ少し苦かった。


 階段を一段一段登る。


 家の間取りは大体知っている。しかし、この扉の前に立つのは初めてだ。中に入った事はない。


 木の種類なんて知らないけど、何処にでもある普通の扉。ついてるドアノブも普通のレバータイプのドアノブ。


 プレートには「MANAKA」の文字。


「…………………………………」


 扉の奥にいる彼女だって、玄関が開く音や、階段を登る足音は聞こえたから、僕がここにいる事はわかっている筈。


 それでも、ノックを躊躇うのは、僕が臆病者だから。


 臆している。何に?


 愛奈甘に。


 どうして?なんで?


 このままだと、必ず後悔するから。


『後悔したって良いじゃないか』


「…………………………………」


 そんな声が、脳裏に響いた。


 他ならないお前自身が言った言葉だよな?「最悪なのは、こいつに今後一生永遠と付き纏われる事だ」。


 責任があるのは行動だけじゃない。言葉にもある。自分の言った事ぐらい責任取れよ。矛盾してるぞ、お前。


 後悔していいと思うぜ?自分が言った事にも、やった事にも。


 そもそも人生に後悔はつきもの。どのみち後悔するなら、わざわざ自分の顔に泥を塗る必要は無いだろ?


 お前は彼女を煙たがっていたじゃんかよ。彼女の方から距離をとってくれて、本当は嬉しいんじゃないか?ホッとしてんじゃねぇの?


 どうせ大学に行ったら、たまにしか帰ってこない。前みたいに頻繁ひんぱんに顔を合わせる事も無い。


 どこかで会っても、互いに微妙な距離感を保って、苦笑いを浮かべる。


 歯痒はがゆいかもしれないけど、ずーっとくっ付かれて嫌だったろ?なら下手に手を出さずに、このまま、気まずい雰囲気のまま、今後一生、彼女と付き合っていけばいいじゃないか。


 兄さんや姉貴には申し訳ないが、ここは本人の意思を尊重してもらって、今まで我慢して来た我儘わがままをここで使って、あやふやのまま終わった方がいいんじゃないか。


「…………………………………」


 あの時、喧嘩した時のお前の主張は正しかった筈だ。なら謝る事なんて何もない。頭を下げる理由も、ここまでする理由も、義理も人情も、何もない。


 。願ったり叶ったりじゃん。一生の悩みを切り落とせる、良い機会じゃないか。


 喧嘩して居心地悪い空気に飲まれ、血迷ってるだけだぞお前。冷静になって考えてみろよ。訳のわからん世間体とか、無駄な正義感とか使命感とか掲げてないで、さっさと逃げとけよ。あの時みたいにさ。


『……………………アホくさ』


 でも、そうは思えなかった。


 臆病者の口にチャックをして、正直者の口を開く。着飾らずに、本心を。


 深くゆっくり息を吐き、深呼吸をして、肺に空気を入れ、背筋を伸ばし、


『コンコン』


 と、手の甲で2回、ノックする。


「…………………………………」

「…………………………………」

「…………………………………」

「…………………………………」


 沈黙が流れる。


 あちらに話す気は無いらしい。


 それは知っている。


 だから、僕から話す。


「………………………あのさ、愛奈甘」

「ゆーにぃ」


 随分ずいぶんと近くで声がした。扉の裏にでも、寄りかかっているのか。


「来てくれてありがとう。…………でも、今は会いたくない」

「……………………そっか」


 臆病者の自分が少し笑った気がする。


「明日は、学校に行くから、その時でもいい?」

「………………わかった」

「………ごめんなさい。もうちょっとだけ、休ませて。そしたら……ちゃんと話せると思うから」

「………………うん」


 時間に限りはある。でも、今じゃなくてもいい。


 逃げる時間も、休む時間も、時には必要だ。


 それを甘えと捉える人もいるだろう。でも僕はそう思わない。


 だって僕も同じだから。


「じゃあ、また明日ね。ゆーにぃ」

「…………うん。待ってる」


 その一言で、肩の荷が下りた気がする。


 それは彼女も同じみたいで、シクシクと、声を押し殺して泣いてるのが、扉越しでもわかった。


 あの時みたいだ。


 頭を撫でてやりたい気持ちもあるけれど、今はそっとしておくのが良いだろう。


 僕は階段を降りた。




「早かったね。どうだった?」

「……………明日、話してもらえるみたい」

「そっか。よかったね」

「……………うん」


 無駄足じゃなかった。とはいえ、兄さんのサポート無しでは得られない成果だったけど。


 あとは明日。どうなるか。


 愛奈甘が学校に行くって事は、直も言うのかな。


 それに苺野さんの気持ちにも応えなきゃいけない。あやふやで終わらせる気は無い。


 それより、何より、僕は言えるんだろうか。彼女に、本心を。


「大丈夫だよ。きっと」


 濡れた手をタオルで拭きながら、兄さんは言った。


「佑暉がちゃんと、愛奈甘を見ているなら、きっと大丈夫」

「…………そうかな」

「そうだよ」


 兄さんに言ってもらうと、本当にそうなりそうな気がする。


「ありがと」

「どういたしまして」


 友人だけではなく、僕は家族にも恵まれていると思う。


 本当に、心の底から。


 「じゃあ、お邪魔しました」と言いかけた時、兄さんはそれをさえぎるように、


「そう言えば佑暉、もう大学生になるんだよね?」

「そうだけど……」

「…………なら、今言うべきかな」


 兄さんは少し躊躇ためらいながら言った。


「佑暉に、言わないといけない事があるんだ」


 佑暉が大学に行っちゃう前にと、兄さんは付け加えて。


「前々から言わないとって思ってたんだが、中々タイミングが合わなくてね」


 何でも歯切れ良く言う兄さんらしくない、言い淀むような話し方だ。


「それを知って軽蔑するような、そんな軽薄な人間じゃないって事は、生まれた頃からわかっていたけど、世の中、知らない方がいい事って、沢山あるだろ?」

「………………………………そうかな」

「そうだよ。でも、その隠し事で誰かを不幸にしているなら、誰かの可能性をつぶしているなら言うべきかな。…………有りもしないリスクを背負って無言を通すのは、薄情のやる事だ」

「……………………………ん?」


 段々、兄さんの意図がわからなくなって来た。


「嫌うなら、俺を嫌ってくれ。それでも、俺が佑暉を嫌うことはないから、安心してくれな?」


 嫌う事はないと思うが。


「実はな…………………」


 兄さんは、耳を疑う事を語った。




「…………………あ゛ぁ゛ー…………」

「何だ?仲直り失敗したんか?」

「いいや。明日話すことになった」

「なら何?」

「…………………………………」

「お゛ぉ゛い゛即死コンボやめろってぇ゛!!」


 げーむせっと。ゆーうぃん。


「黙ったら気晴らしの意味ねぇだろ!」

「ストレス発散にはなるよ」

「私はサウンドバックじゃねぇ!」


 夕飯後に突如始まったゲーム大会。参加者は、僕と姉貴だけ。


 大勢集まるお盆や正月、ゴールデンウィークなら、リビングの大画面でワイワイとやるのだが、今回は口を開く為の布石。僕の部屋で十分。


 なかなか話したがらない僕に、姉が「ゲーム大会(相談雑談)」を提案した訳だ。


「ねー、やっぱ佑暉ランダムにしてよ。持ちキャラじゃ歯が立たないじゃん。相談の意味無いじゃん」

「僕の口は軽くなってるけどね」

「罵詈雑言しか言わない口など閉じちまえ!」


 仕方ない。ランダムにしてあげよう。


 話を聞いてくれる人がいるってのは非常に助かる。だが、勝負に手加減はしない。


「なーなー。いい加減吐いたらどうなんよー佑暉さーん。1人で溜め込むの良くないんじゃーないですかー?」


 掴みからの空中コンボ。


「普通に相談したら姉貴面白がるじゃん。僕も面白くないと不公平だ」


 カウンター読みして投げ。


「乗りやすいよう格ゲー選んだけどさー、私だってあわよくば勝ちたい訳ですよ佑暉さん。優しい姉貴に、お恵みというか忖度というか……」


 画面端に追い込み、攻撃。回避を使わせる。


「それは甘い」


 復帰に合わせて踏み付けからの下攻撃。


「にゃんでぇ゛!?」


 残機マイナス1。


 紗藤家から栗花落家に帰って、僕は速攻で風呂に入った。寝てもよかったが。


 何にせよ1人の時間が欲しかったのだ。頭の中を整理させたかった。あんなビッグニュース聞かされて、平常心でいられるわけがない。ただでさえ、喧嘩中で不安定なのに。


「姉貴は知ってたの?」

「何を?」

「……………『。。。。。。』だって事」

「……………まぁね」

「………………なるほど」


 一瞬の隙を突かれ、僕の残機マイナス1。


「兄さん、何でこんな時に言うかな………」

「だからこそでしょ?」

「え?」

「ま゛っ゛て゛よ゛ぉ゛!」


 げーむせっと。ゆーうぃん。


「……………今回は勝てるって思ったのに……」


 ぬか喜びさせてしまって申し訳ない。


「で、どう言う事?」

「……………鈍い奴め」


 さっさとキャラ選べと、拗ねた姉貴に言われてランダム選択をする。


 ゲームステージ、キャラクターが選択され、


「あっ、ごめん」

「あっ……………」


 さっきボコボコにした僕の持ちキャラが選ばれた。


「……………ゆずる兄がこのタイミングで、のは、2人が喧嘩している責任を、感じてるからじゃないの?」

「…………………………あっ………」

「隙あり!!」


 カウンター。無意識のうちに。


「と゛お゛し゛て゛た゛よ゛お゛お゛お゛!!」


 有名な某ギャンブル漫画原作の実写映画の主人公みたいに、大声で悲鳴を上げ、抱き抱えていたクッションに八つ当たりする


 本当に、姉貴には感謝している。相談に乗ってくれるのも、励ましてくれるのも、怒ってくれるのも。


 それに色々スッキリした。わからなかったところも、察された気がする。明日、ちゃんと話せると思う。


 だが、ゲームで手を抜く気は、さらさら無い。

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