第三章 師弟の冒険
第1話 師弟の手合わせ
アズールをレリアが打ち負かしてから一か月――秋風が大分涼しくなり、冬の訪れを予感するような、冷たい風が交ざり始める。
吹き抜ける木枯らしは寒々しく道行く人々から熱と笑顔を奪っていく。
だが、その道場は寒さとは無縁と思えるほど熱気に満ち溢れていた。
「シ――ッ!」
レリアは踏み込みと同時に、正面からの打突を放つ。それをシュウは真っ向から受け止め、木刀を絡め合わせた。鍔迫り合った木刀が二人の間で軋みを上げる。
一瞬の視線の交錯。直後、シュウは全身に力を込め、押し切ろうとする。
だが、それを読んだように彼女は木刀をわずかに傾ける。それにわずかにシュウは体勢を崩す。その間隙を逃さず、レリアは木刀を鋭く横薙ぎを放つ。
シュウは後ろに大きく飛び退いて回避。レリアは脇流しに木刀を構えると、滑るように踏み込んで木刀を斬り上げる。それをシュウは正眼の構えで受け止める。
木刀が澄んだ音を上げる。掌に伝わってくるのは、じんと痺れる感触。
愚直なほど真っ直ぐな斬撃。されど、力がこもった一撃の証拠だ。
シュウは腕に力を込め、レリアを弾き返す。その力を利用して後ろに飛び退いた彼女はわずかに息を整えながら正眼に構え直す。
彼もまた木刀を握り直しながら、じり、と間合いを詰めるように一歩。
ぴくり、とレリアの構えた木刀の切っ先が揺れる。だが、動かない。
(……間合いも、見切っているか)
込み上げそうになる笑みを堪える。平静を保ちながらシュウはさらに一歩。
爪先が、わずかに彼女の間合いへと侵入する――。
瞬間、弾かれたようにレリアは地を蹴った。そのまま、突き出すように放つ刺突。シュウは構えていた木刀で斬り上げ、刺突を跳ね上げる。
そのまま、シュウは返す刃で横薙ぎ。レリアは跳ね上げられた木刀を上段に据えて一気に振り下ろす。刃が激突し、乾いた音を道場の中に響かせた。
一瞬の膠着――だが、身体が押し込まれたのは、シュウの方だった。
重力を味方につけた気合の一撃が、シュウの身体の体勢を崩させる。それにレリアの身体が食らいつくように動きかけ――。
「――ッ」
不意に、彼女は後ろへと飛び退く。距離を保ちながら、じっとシュウの目を見つめてくる。シュウは体勢をゆっくりと立て直しながら、彼女の目を見つめ返す。
「少しぬるいんじゃないか? レリア。今のは押し切れたぞ」
「御冗談を。お師匠様――しっかり足に重心が残っていましたよ。そのまま押し込んでいたら、返す刃でばっさりやられています」
その言葉にシュウはふっと表情を緩めた。木刀を下げ、一つ頷いた。
「よく見抜いた。実力を上げつつあるな」
「恐縮です」
「ん、では今日はここまでだ」
その一言にレリアはふぅ、と一つ吐息をこぼす。激しい運動でこめかみには汗が伝い、息も微かに荒い。だが、足取りを乱さず向き直り、しっかりと一礼する。
「ありがとうございました。お師匠様」
「どういたしまして。ぶつかり稽古も、大分慣れてきたみたいだな」
「はい……まだ、息が上がってしまいますが」
「それはどうしようもない。体力と筋力だけは一朝一夕では身につかないからな」
「鍛練、あるのみですね」
「そういうことだ。じゃあ、雑巾がけをしようか」
「はい、お師匠様」
レリアは頷くと、雑巾を取りに道場の端に小走りで駆けていく。その後ろ姿を見やり、シュウは思わず目を細める。
(鍛練を始めてから、二か月足らずでここまで、か……)
レリアの成長は、明らかに著しかった。
体力や筋力こそないものの、シュウの太刀筋を必死に目で追いかけ、身につけようとしている。体捌きや足運びはコツを掴んだのか、もうすでに洗練されている。まだ荒っぽい足運びもあるが、それは場数を踏んで修正すればいいことだ。
そして何より目を見張るのは、気迫を読み取るセンス。
攻撃の意思を的確に汲み取り、どこを攻撃されるかすらも読み取ってくる。フェイントには最初こそ引っ掛かっていたものの、今はなかなか引っ掛からない。
つい先ほどもシュウの罠を読み取り、警戒心をあらわにしていた。
正直、そこまでできるとは想像以上だった。
(ただ、体力だけは課題だな……)
レリアを見やり、少しだけ苦笑いをこぼす。手桶に水を汲んできた彼女の足取りはややふらふらして頼りない。
「大丈夫か? レリア」
「だ、大丈夫です……このくらい」
彼女はにこりと笑みを浮かべ、雑巾を絞り始める。その瞳はわずかに疲れが滲んでいるものの、彼女はしっかりと力を込めて雑巾がけを始める。
(根気があるのはいいことだが、無理しないように見ておかないとな)
やれやれ、とシュウは吐息をこぼし、一緒に雑巾がけを始める。両端から雑巾をかければ、道場の掃除はすぐに終わってしまう。丁度、半分の位置でシュウは立ち上がると、レリアは少しだけ遅れて雑巾がけを終える。
肩で荒く息をつきながら、深呼吸を繰り返しながら立ち上がり。
その足元がぐらりと大きく崩れた。
「あ――」
「お、っと」
気が付くと身体が動いていた。一歩踏み込みながら背中に腕を回し、彼女が倒れないように身体を受け止める。ほっと安堵の息をつき――ふと、レリアと目が合う。
間近な、距離だった。レリアの顔がすぐ目の前にある。
奇しくも抱きかかえるような形。小柄な少女の身体から、熱いくらいの体温が伝わってくる。
頬を赤らめたレリアがじっと食い入るように見つめてくる。その真紅の瞳が切なげに揺れ、桃色の唇からは吐息がこぼれる。
ふわりと鼻先に掠める香りは、どこか花のように甘い。
その彼女の顔の釘付けになり、視線が吸い寄せられ――。
「……ごめん、さすがに学内でそういうことはよくないと思う」
不意の声に思わず我に返る。ぱっとレリアは離れ、シュウは一歩引きながら視線を越えの方向に向けると、いつの間にかそこにはユーシスが立っていた。その横には微かに頬を染めて視線を逸らすイルゼもいる。
「……ユーシス、イルゼさん、いつからいた?」
「ん、二人が雑巾がけしていたところ。ノックしたけど気づかなかったみたいで」
「それは……悪かったな」
思わず気まずくなって視線を逸らす。鼓動が乱れているのが、自分でもよく分かった。レリアもぱたぱたと自分の顔を扇ぎ、視線を宙に泳がせている。
ユーシスは困ったように首を傾げて、小さく苦笑いを浮かべる。
「シュウは、大胆だねぇ……」
「……言っておくがユーシス、彼女を支えただけだからな」
「うん、分かっている。シュウは筋道を正す人だから。理由もなくそうはしないよ。つまり、やんごとなき事情が二人にはあったんだよね」
「や、やんごとなき事情……禁断の……ということでしょうか」
「いやいや、そういうのを勘ぐったらいけないよ。モルグさん」
「そうですね、こういうことは見守るに限ります」
二人のはしゃぐような声に、ますます恥ずかしそうにレリアは顔を赤くし、困ったようにシュウを上目遣いで見てくる。
思わず彼は深くため息をこぼすと、ユーシスを軽く睨みつける。
「俺はともかく、俺の弟子をからかってくれるな」
「はは、ごめんごめん、あまりにも二人が可愛らしくてね」
「うん、ごめんね、レリア」
「い、いいけど……うぅ……」
未だに恥ずかしそうに頬を染め、レリアはシュウの背に隠れるように小さく声をこぼす。シュウはやれやれと深くため息をこぼす――まだ、心臓の鼓動は乱れている。
(……全く、我ながらここまで心を乱すとは未熟だな)
普段はからかわれてもここまで乱すことはないのに、なんだか慌ててしまったのだ。シュウは自戒しつつ、視線をユーシスに向けて訊ねる。
「……で? ユーシスがこの道場に来るのは珍しいな」
「ああ、うん、ちょっと二人に用事があってね。少しいいかな」
「ん? 構わないが……面倒事なら勘弁だぞ?」
どこか言いにくそうな雰囲気を漂わせるユーシスに、シュウは眉を寄せる。ユーシスはわずかに困ったように首を傾げて言葉を紡いだ。
「面倒事ではないけど、シュウは断れないかな」
そう言って一息つくと、ユーシスは苦笑いと共に告げた。
「学院長が二人のことをお呼びなんだ」
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