最終話 いずれ魔剣に至る道

「――よし、今日の講義はここまでだな」

 そうシュウが告げた瞬間、澄んだ鐘の音が頭上から鳴り響く。それを合図にわっと生徒たちがめいめいに声を上げて動き出す。それを横目に見ながら教材を片付けていると、ふと控えめな声が傍から上がった。

「あの、お手伝いしましょうか? 先生」

「ん……ああ、イルゼさんか」

 視線を上げると、そこには茶髪を三つ編みに編んだ少女だった。眼鏡越しに小さくはにかんで見せ、教卓に置かれた教材を持ち上げる。

 その言葉に甘えて半分を任せると、イルゼを伴ってシュウは廊下に出る。

 外に出ると、冷たい空気が肌を撫でる。それに一つ身震いをしたイルゼは囁いた。

「もう、すっかり冬……あれからもう一か月が経ったんですね」

「ん、時間は経つのは早いものだな」

 あの波乱に満ちた遠征からすでに一か月と少々経っていた。

 学院を震撼させたシモン教授の凶行についてももう話題に上らなくなっている。学院はすっかり日常に戻り、シュウやユーシスも教鞭を取っていた。

 けれど、今まで通りとはいかない部分もある。

「シモン教授は……まだ、見つからないのでしょうか」

「ああ、どうやらそうらしいな」

 軽く頷きながら視線を彼方にやる。

 あの一件で最後に助力してくれたシモン教授は最後、ギガントゴーレムを抑え込むために全力を尽くし、その拍子に魔力の糸を引っ張られ、空洞に転落した。

 シュウやユーシスが捜索したが発見できず、今も捜索隊が探している。

「ま、遺体が見つかったわけではないから、死んだわけではない、と思いたいな」

「ん……また再会するとしたら、なんだか微妙な気持ちになりますけどね」

「終わったことは気にせず、前を見据えた方がいいぞ? イルゼさん」

 シュウが軽く言葉を返すと、イルゼはくすりとおかしそうに笑みをこぼす。

「ふふっ、レリアからも同じことを言われましたよ?」

「ま、師弟だからな。そういうイルゼさんも師匠に似てきた気もするぞ?」

「そ、そうですか? まだ、所属して一か月なのですが……」

「きっと慣れてきたってことだよ」

「はい……きっとそうですね。もっとユーシス先生の下で勉学に励みます」

 ぎゅっと胸の前で握りこぶしを作るイルゼ。それを励ますようにシュウは軽く笑いかけて目を細める。

(イルゼさんも、ユーシスの門下に入れてよかったな……)

 彼女は遠征の働きが認められ、今は彼の研究室に所属。せっせと薬草の研究に励んでいるらしい。おかげでユーシスの研究も捗っているそうだ。

(レリアも負けていられないな……少し今度は気合を入れて指導するか)

 今後の指南を考えながら二人で廊下を歩いていくと、ふと先からけたたましい気合の声が響き渡る。その声に行き交う生徒たちは眉をひそめている。

 イルゼは不審そうに眉を寄せ、あ、と何か気づいたように視線を上げる。

「この声って……」

「ああ、そうみたいだな」

 シュウとイルゼは頷き合いながら、廊下を進む。次第に大きくなっていく気合の声。その声は二つ重なり合い、高め合うように響き合う。

 その合間に響くのは、強く地面を踏みしめる音と、木刀がぶつかり合う音。

 シュウが聞き慣れた心地いい音だ。彼は口角を吊り上げながら、扉を引き開ける。

 瞬間、目に入ったのは道着姿の二人の少女だった。

 金髪と黒髪が宙を舞い、木刀を振りかざしながら馳せ違う。

「やあああああああああ!」

「はあああああああああ!」

 響き渡る二人の足音。それと共に鍔競り合った二人は互いに睨み合い――。

 そこに軽くシュウは声を掛けた。

「そこまで」

「――っ」

 瞬間、気迫が引っ込み、二人はぱっと間合いを取る。そのまま丁寧に一礼してから彼の方に振り返る。そのまま、飛びつくように寄ってきたのは、かわいい愛弟子だ。

「お師匠様! 講義、お疲れ様です。イルゼもいらっしゃい」

「ああ、お疲れ。レリアも講義だったんじゃないか?」

「あ、はい、でも途中から自習になったのでこちらに鍛練を、と思って――」

「丁度、そこに私も居合わせていたものでな。手合わせをしていた」

 レリアの言葉を引き継いだのは、黒髪の女生徒だった。微かに息を乱しながら、髪を払ってアズールはシュウに流し目をくれる。

「今の私は、シュウ殿の門下生だ。稽古しても、構わないだろう?」

「別にこの道場は好きに使っても構わないが。いずれにせよアズール、レリアの剣を見てくれて助かる。ありがとう」

「礼には及ばん。私の方が姉弟子だからな」

「……弟子入りしたのは、私が先ですけどね」

 レリアが憮然とした声で言い、ねだるようにシュウの腕に頭を押し付けてくる。彼は思わず苦笑いを浮かべ、その頭に手を載せた。

「ああ、もちろん。レリアが一番弟子だ。それにアズールはまだ弟子じゃない」

「むっ……まだ受諾していないのか」

「それは当然。アズールの進路を考えればな」

 アズールは所属する研究室を失くしたため、次の研究室を選ばなければならなくなった。そこで彼女はシュウに弟子入りを志願したのだが、それは今保留にしている。

 彼女は軍属を目指している。それなら、所属する研究室はそのまま実績となる。

「まぁ、少し待っていろ。他の先生に推薦状を書いているから」

「む……その手間をかけるくらいなら、受諾して欲しいが」

「残念だが、弟子一人だけでもかなり手いっぱいでね」

 肩を竦めて答えると、アズールはふんと鼻を鳴らす。どこか拗ねたような雰囲気に苦笑いをこぼしながら、シュウは視線を時計に向ける。

「それよりもアズール、次の講義はいいのか?」

「む……ああ、もうそんな時間か。随分と打ち込んでしまったな」

 アズールは残念そうに吐息をこぼすと、軽く汗を拭いながらレリアを見る。

「レリア殿、この決着はまた今度な」

「ええ、勝負も姉弟子の座も、譲りませんから」

 その言葉と共に、二人は火花を散らし合う。やがてアズールは不敵な笑みをこぼすと、道場を後にする。シュウはそれを見送ってから、後ろのイルゼを振り返る。

「じゃあ、イルゼさん、荷物を研究室に運び込んでおいてくれるかな」

「はい、かしこまりました。ついでにお茶もご用意しましょうか?」

「あ、なら頼む。俺とレリアは、道場を掃除してからそっちに行くから」

 はい、とイルゼは頷き、シュウの持っていた荷物も受け取って隣接する和室に消えていく。シュウとレリアは頷き合うと、雑巾を用意して床の掃除を始めた。

 たたた、と小気味いい雑巾がけの音。横目で見れば、レリアは姿勢を崩すことなく、軽快に雑巾をかけている。息ももう乱れない。

(まだ三か月程度しか、経っていないというのにな)

 彼女が弟子入りしたのが秋始め。季節が移り変わる程度の時間であるに関わらず、彼女は貪欲に剣の真髄を掴み取ろうと切磋琢磨している。

 そして、この前の戦いで彼女は一段階、階梯を登ったようだ。

 わずかに口角を緩めながら、シュウは雑巾がけを終える。丁度、レリアも終わって顔を上げた。汗を拭いながら振り返り、にこりと微笑む。

 その笑顔を眩しく思いながら、シュウは声をかける。

「大分、体力もついてきたみたいだな。実力もだんだん身についてきている」

「まだまだですけどね。読みを入れて、ようやくアズールさんの剣技についていけるレベルです。もちろん、お師匠様には遠く及びませんし」

「そこはこれから学んでいけばいいだけだ。焦らず、ゆっくりと」

 シュウはそう言いながら手を伸ばす。いつものようにレリアの頭に手を載せると、彼女は居心地良さそうに目を細め、傍に寄ってくる。

 髪の間に指を走らせながら、それに、と言葉を付け加える。

「俺も未熟だと、レリアのおかげで改めて知らされたからな」

「え……私、が?」

「ああ……レリアが見せてくれただろう? あの刃を」

 撫でていた手を下げ、その手を差しだす。ああ、とレリアは頷くと小さな手をその手の甲に重ね合わせる。小さくも温かい熱がシュウの手に流れ込んでくる。

 シュウとレリアは視線を合わせ、同時のその言葉を紡ぐ。

「魔剣」

 あの戦いの中で為し遂げた、魔術と剣術の合わせ技。

 あの後、事ある事に二人はもう一度、魔剣を再現しようとしたが、なかなかそれは上手く行っていない。魔術を刃に封じる際、出力が少しでも強ければ魔術が暴発し、逆に弱ければ魔力が霧散して魔剣にならないのだ。

 あの瞬間、為し遂げることができたのは奇跡に近かったのだ。

(だけど、俺たちなら――)

(ええ、きっとできますから)

 視線を合わせ、二人で不敵な笑みを交わし合い――。

「……あの、二人とも? いちゃいちゃ見つめ合っていないで下さいね?」

 不意に響いたイルゼの呆れ声で、二人は同時に我を返った。手をぱっと放し、視線を逸らしながらシュウは吐息をこぼす。レリアは腰に手を当て、半眼で告げる。

「あのねぇ、イルゼ、それはお師匠様に失礼でしょう?」

「そうだぞ。俺はともかく、レリアの評判に関わってくる」

 二人の言葉にイルゼは微かに目を細め、からかうような口調で訊ねる。

「なら聞きますが、二人はご自身の評判とか迷惑とかは構わないのですか?」

「構わない」

 そのきっぱりとした声は二つ重なり合い、思わずシュウとレリアは顔を見合わる。その目から伝わってくる、食い入るような視線に吸い込まれそうになり――。

「……っ!」

 ほとんど同時に、二人は視線を逸らしていた。

 その様子に苦笑いをこぼしたイルゼは軽く手を叩き、背後の研究室を手で示す。

「はい、ならよろしいということで……お二人とも、お茶が冷めますよ?」

「あ、ごめん、イルゼ」

「いえいえ、冷めたらレリアが温めてくれるものね。お師匠様好みの温度に」

 からかうような口調のイルゼに、頬を膨らませながらレリアは駆け寄る。

「も、もうっ! からかわないでよ! ブラームス先生に似てきたよ? イルゼ」

「あ、ふぅん」

「え、何その意味ありげな笑い方……!」

「……悪い。レリア。その言葉はさっき俺がイルゼに言ったばかり」

「え、あ、ううぅ……っ!」

 レリアは憤りを込めて後ろを振り返る。後ろに立つシュウを視界に入れた瞬間、その目つきが一瞬柔らかくなる。それを自覚したのか慌てて顔を背け。

 だが、おずおずと視線を戻し、頬を染めながら小さくささやく。

「……お師匠様の、ばか」

「……っ」

 どくん、と大きく鼓動が跳ねる。それに言葉を詰まらせ――やがて、絞り出すように苦笑いを浮かべ、その頭に軽く手を載せる。

「けど、悪くはないだろう?」

 こうして息が合うのも、気持ちが通じ合うのも。そんな気持ちを込めて瞳を覗き込むと、彼女は真っ直ぐに見つめ返しながら、ぶっきらぼうに答える。

「……まぁ、そうですけど」

 拗ねたように唇を尖らせるレリア。それを愛おしく思いながら、シュウは視線をイルゼに向けて冗談めかして言う。

「あまりからかわないでくれよ? やりすぎるようなら、ユーシスに言わないといけない」

「ふふ、すみません。では、お二人とも」

「ああ、行こうか」

 自然とシュウはレリアに手を差し伸ばす。それをごく自然にレリアは手に取りながらはにかんでこくんと頷いた。

「はい、お師匠様。これからもご指導、よろしくお願い致しますね」

「ああ、もちろんだ」


 これは師弟の物語。

 剣術と魔術の両方から、武の頂を目指そうとする――。

 いずれ魔剣に至る道までの軌跡の物語だ。

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いずれ魔剣に至る道 ―天才魔術師は剣士に弟子入りしたそうに見ている― アレセイア @Aletheia5616

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