第6話 強引な勧誘
片づけを済ませてから研究室を出ると、すでに廊下は静まり返っていた。
もう授業は始まっているのか、静かな学内をゆっくりと歩く。
廊下の窓からは穏やかな日差しが差し込み、居心地のいい昼下がり。
折角だから、とユーシスの研究室に直接向かわず、ゆったりと学内を回るように歩き。
「――お」
ふと廊下の窓から一つの教室を覗くと、そこに見えたのは金髪の少女。
髪を揺らしながら、黒板に何かを板書している。事細かく書かれていく魔術式……どうやら先生に指名され、答えを書いているらしい。
そのレリアの横顔は真剣そのもので、凛としている。
(……本当に、魔術が好きなんだな。レリアは)
シュウは黙ってその教室の壁に寄りかかり、中の音に耳を傾ける。
教授が話す声と共に、レリアの板書をする音。難しい専門的な言葉が行き交い、あまり理解をすることはできない。だが、彼女はそれを理解できるのだろう。
それを感じるたびに、シュウの心の中に重石が乗ったように苦しく感じる。
生徒の将来を考えれば、自分がどうするべきか、分からなくなってくる。
レリアの気持ちが真剣なのも分かるものの、やはり彼女のためを思えば弟子入りをもうはっきり断るべきなのかもしれない。
それを意識すると、ふと彼女の笑顔が脳裏にちらつき、心がちくりと痛む。
そんなことを悶々と考えていると――ふと、鐘の音がどこからか響き渡る。
(……あ、もう時間か)
考え込んでいるうちに、いつの間にか時間が経ってしまったらしい。教室から一気に生徒たちがあふれ出してくる。それを視線でぼんやりと追いかけ、ふと思う。
(……あれ、レリアは)
見逃したのだろうか、と首を傾げながら窓に視線を移す。
レリアは教室の中にいた。教授に呼び止められたのか、何かを話している。
「さすがだね。ルマンドくん。この前のレポートいい、キミには驚かされるよ」
「いえ、そんなことは……未熟でございます」
「どうだね? ルマンドくん。そろそろ研究室を決めなければならないだろう。私の研究室に入れば、レポートのことはもちろん、もっと多くの術式を研究できる」
どうやら、勧誘らしい。ユーシスもさりげなく行っていたが、やはり彼女は講師陣からはぜひ引き抜きたい人材なのだろう。
だが、レリアは愛想笑いを浮かべ、ふるふると首を振る。
「残念ですが、その件はもうお断りしたはずです。入りたい研究室がありまして」
「ふむ、そうか……なら、一つ聞いてもよいかね?」
「はい、なんでしょうか」
「その研究室は、何の魔術を研究しているのかね?」
「……それは」
口ごもるレリアに、畳みかけるようにその教授は不気味に目を光らせて続ける。
「私もキミが魔術を研究するなら文句を言うまい。だが、それ以外の研究となれば、私も一言言わなければなるまい。そんなところにキミの才能を使うのは、この学院の損益だ」
「……失礼いたします」
それに応えず、レリアは固い声と共に踵を返す。だが、教授は出口を身体で遮るようにし、さらに言葉を続ける。
「あくまで噂話だが……君は剣術なぞに興味を示している、という。まさかそんなことはないと思うがな、一応、そこは釘を刺さねば、と……」
「……では、お尋ねしますが、教授」
遮ったレリアの声は、強張り切っていた。いつも無邪気な笑みを浮かべるその顔からは表情が抜け落ち、凍てついた視線で教授を見つめる。
淡々とした声ではっきりと言葉を続ける。
「剣術に瞑想という教えがあることをご存じですか」
「む……それが、どうしたと……」
「瞑想を行うことで、彼ら剣士は心を研ぎ澄ませます。そのことで刃を研ぎ澄ませ、一撃を放つといいます。それの過程は、どこか魔術に酷似しています」
「だが、魔術とは別物だろう」
「そう断言するほど、教授は剣術に造詣が深いのですか? それなら是非お伺いしたいですね」
それに教授は言葉を詰まらせる。彼にレリアは冷え切った視線をぶつけると、ただ淡々とした声で言葉を叩きつけていく。
「よく知らず、理解もせずに教えを否定する。それは学ぶものとしては一切やってはいけないことだと私は思います……そんな先生を、私は師としたくはない」
その激しい視線の中から見え隠れするのは、隠し切れない怒り。
「もう二度と、私を研究室に誘わないでください。貴方の研究に関わること自体、不愉快です」
はっきりとした拒絶に、教室の中がしんと静まり返る。
教室に残っていた生徒も、教授も一人残らず黙り込み、呆気に取られる。その中でレリアはすっと身を引くと、優雅に一礼して教授の脇をすり抜ける。
瞬間、その教授の表情がくしゃりと歪んだ。不意に立ち上る、どす黒い感情。
それに身を任せるように教授は振り返って、レリアの身体に手を伸ばし――。
その手を、横合いから掴んで止めた。
「せ、先生……っ!」
教授が目を見開き、レリアも振り返って驚きの声を上げる。
シュウは軽く頷くと、彼女を背に庇いながら教授の方をしっかりと見据える。
「教授、彼女ははっきりと断ったはずです。それなのに、彼女を引き留めるとはいささか未練がましいと言わざるを得ませんよ」
「くっ……なんだねっ、キミはっ」
手を振りほどき、教授は憎々しそうに睨みつけてくる。それを前にし、シュウは軽く腰に佩いた太刀を叩いて名乗る。
「ここの講師が一人――シュウ・ナカトミ。専攻は剣術」
「な……! 貴様が、その剣術の……っ!」
驚愕に目を見開くがそれも一瞬。すぐに教授は平静を取り戻し、落ち着いた口調で諭すようにシュウへ言葉をかける。
「……キミも分かっているだろう。彼女の才能は、魔術に発揮されるべきだと」
「確かに理解はしています。彼女の魔術の才能は凄まじい」
シュウの言葉に我が意得たり、と大きく頷く教授はしたり顔でレリアに言葉をかける。
「だ、そうだ。ルマンドくん。だから……」
「ですが、教授」
その声を、シュウははっきりとした声で遮る。不愉快そうに眉を寄せた教授に向け、視線を真っ直ぐに向けながら言葉を続ける。
「彼女はそれを望まず、この剣を学びたがっています。彼女の意思を、尊重すべきです」
「な、にを貴様、ふざけた、ことを……」
「ふざけていません。大真面目です。この数日、彼女と会話をして分かりました。彼女がどれだけ真剣にこの剣術について学びたがっているかを」
彼女の真っ直ぐな言葉を。
揺るぎなき意思の込められた瞳を。
はっきりとした想いを、シュウは知っている。
(それでも、彼女のためを思って迷っていたけど……もう、迷わない)
さっきの言葉で背中を押された。実績でも成績でもない、彼女自身の心がそうしたいと告げていると分かったから。
シュウは一息つくと、教授の目を見据えてはっきりと告げる。
「私の弟子に、これ以上、手を出さないでいただきたい」
「……っ、先、生……っ!」
息を呑み、震えた声が傍から聞こえてくる。それに微笑みを向けながら視線をやる。
「違うだろう。レリア」
「あ……はいっ、お師匠様っ!」
レリアが真紅の瞳を潤ませ、頬を染めながら何度も頷く。教授はその言葉に呆気に取られ……だが、徐々にその顔が怒りで赤く染まっていく。
小刻みに肩を震わせながら、教授は指先をシュウに向けて告げる。
「貴様……っ、何を言っているか分かっているのか……っ」
「何とでも。だが、これ以上、弟子に手を出すならばこちらにも考えがあります」
冷静に言いながら息を吸い込んで目を細める。腰に帯びた太刀の鍔に指をかけ、わずかに音を鳴らす。その音が教室の中にやけに大きく響き渡り。
直後、不意に刺すような気迫が、教室の中を包み込んだ。
誰かが息を呑んだような音が響き渡る。それを耳にしながら、気迫を教授に向ける。それに気圧されたように教授は後ずさる。
それを見つめながら、シュウは低い声で言葉を続けた。
「レリア・ルマンドは、俺の弟子です。よろしいですね」
その言葉に教授は脂汗を流しながら押し出すようにこくこくと頷く。
それを見届けてからシュウは腰の太刀から手を放す。それを合図に教室を包んでいた気迫は霧散し、わずかに空気が緩む。
彼は吐息をつくと、振り返ってレリアを見やった。
「……行くか。レリア。研究室で、話そう」
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