第5話 研究室での議論

「お師匠様、東方の剣術について質問があるのですけど」

「お師匠様じゃないけど、一応、講師だから質問に答えようか」

 四人でのお茶会から一週間経ったその日。

 相変わらず、レリアはひっきりなしに研究室を訪れてきていた。今日も講義が終わったシュウを研究室に前で待ち構えている。

 子犬のように目をきらきらさせ、食い気味に来るレリアにシュウは苦笑いをこぼして研究室の鍵を開ける。

「じゃ、中で聞こう」

「あ、お茶煎れますね」

「毎回悪いな。茶菓子はいつものでいいか?」

「はい、ありがとうございます」

 部屋に入るなり勝手知った様子でレリアは奥でお茶の支度を始める。その一方でシュウは座卓を取り出し、座布団を敷いて用意。

 丁度、お茶菓子を取り出したタイミングでレリアはお盆に載せてお茶を出す。

「毎回思うが、お茶を煎れるの早いよな」

「あ、魔術でお湯を沸かしているので」

「なるほど、さすがに便利だな」

「えへへ、そうでしょ? ぜひ、弟子に置いてみませんか?」

「生憎だが、弟子を小間遣いにする気もない」

「あ、じゃあ弟子に……」

「する気はまだない。ほら、じゃあ質問」

「むぅ、ケチですね……えっとそれでですけど」

 このやり取りも慣れたものだ。二人は座卓を挟んで向き合って腰を下ろす。レリアは丁寧に膝を畳み、正座をして和綴じの本を広げる。

「お、読んでくれたか」

「はい、参考になっています。剣術の指南書」

 彼女は嬉しそうにはにかみ、慣れた手つきで紙をめくる。

 それはシュウがレリアに貸したものであり、初歩的なものだ。剣術における心構えなどから始まり、瞑想や基本的な身体の動かし方などがある。

 その瞑想の項目を指さし、彼女はシュウを見上げて訊ねる。

「先生、この瞑想ですけど読んでいる限り、魔力を練る動きに似ていますね」

「ああ、実際に似たようなものだ」

「では、東方の剣士たちも魔術が使えるのですか?」

「というわけではなくてだな。この瞑想は心を落ち着けるために行うものなんだ。だから魔力が生じるものではない」

「そうなんですね……」

 少しだけ残念そうに吐息をこぼし、レリアは書物に視線を落とす。シュウは腕を組みながら肩を竦めて言葉を続ける。

「とはいえ、厳密に魔力が生じているかどうかは分からないだけであって。無意識に魔力を生成している剣士もいるかもしれない」

「ちなみに先生はどうなんですか?」

「考えてみたことはないな。その雑念は、刃を鈍らせる。その書物にもあるだろう?」

「『刃を振るときは、それを身体の一部と思え』ですか」

 しっかりと書物を読んだのか、一文を諳んじるレリア。シュウは少し口角を上げると、頷いて言葉を続ける。

「余計なことを考えればそれだけ動きに淀みが交ざる。迷いなき刃を放つには、瞑想が大事なんだ。心を研ぎ澄ませるのは、刃を研ぎ澄ませると同義と言える」

「なるほど……私も挑戦してみます」

「できるのならな。初歩とはいえ、難しいぞ」

 一切の雑念を挟まず、ただ、心気を研ぎ澄ませるのはなかなか難しい。たとえ、耳元で爆音がしても心を乱してはならないのだ。

 とはいえ、レリアの真っ直ぐさならすぐに会得しそうな気もするが。

 納得したのか、レリアは頷いて本を閉じる。シュウはお茶を飲みながらふと思い出し、傍らの荷物に手を伸ばす。

「そういえば、俺もこれを読んだぞ」

「何を……って、あ、それ、私のレポート」

「ああ、ユーシス……ブラームス先生から借りてな」

 そう言いながら紙束を机に広げる。それを見やり、少し気恥ずかしそうにレリアは頬を染めて上目遣いでシュウを見やる。

「う……変じゃありませんでしたか?」

「いや、それどころか感心させられたよ。この内容に」

 表題の部分を指でなぞる――『魔術式の絶縁構造』という文字。

 魔術式の図形の組み合わせ次第で、さまざまな事象を引き起こすことができる。だが、術式には相性もあり、組み合わせることが難しいものが多い。

 例えば、火を発生させる魔術式と、水を発生させる魔術式。

 この二つを組み合わせると、温度を司る部分が干渉し合い、火も水も発生せず魔力だけを消耗してしまうのだ。

 それを解決する手段をさまざまな魔術師が研究しているが、その中に一石を投じるようなレポートがこれだ。

「魔術式と魔術式の間で絶縁の効果をもたらす魔術式を作ることで、魔術式同士を干渉しないようにする……斬新な考え方だと思う」

「あはは……ありがとうございます。今考えると、あまりよくは思えないんですよね」

「ん、そうなのか?」

「はい、絶縁の魔術式を設ければ、それに魔力が食われてしまいますから」

「あ……そうか、なるほど。ただ、ここに書かれている魔術式なら、最低限の消耗で済むんじゃないのか?」

「確かにそうですが、強い出力があった場合には絶縁し切れませんから」

「なるほど、負荷がかかりすぎるのか……魔術も一筋縄ではないな」

「そういうものです。特に一つの魔術に二つの効果をもたせるのはひどく難しい……それが現在の魔術の壁ではありますな」

 大人びた口調で真剣な眼差しでレリアはそう解説してくれる。その目つきを見つめ返し、シュウは腕を組んで少し首を傾げた。

「話は変わるが……レリア、そこまで魔術を研究するにも関わらず、何故、俺の研究室を志望する? 別の研究室で、この論文を完成させるのもいいと思うのだが」

「ん……それは……」

 少し言いづらそうに口ごもり、ちら、とシュウの腰を見やる。

 正確にはそこに佩かれた剣。泳いだ視線が自分のレポートに落ち、やがておずおずと視線がシュウに向けられる。

「……夢があるんです。そのために、先生に剣を教えて欲しい……」

「……夢、か。その内容は、聞いてもいいか」

「それ、は……」

 ためらいがちに口ごもる。と、そこで頭上から鳴り響く鐘の音。

「む……こんな時間か。レリア、次の講義は?」

「あ、はい、あります」

「なら、そちらを優先しなさい。その後でも話は構わないから」

「はい……真面目ですね。お師匠様は」

「だから違うだろう?」

「はい、今は」

 くすりと笑みをこぼし、レリアはすっと立ち上がる。そのまま、ぺこりと一礼して部屋から出ていく。シュウはレポートの片づけをしながら思う。

(……夢、か)

 彼女はシュウの弟子になることに一生懸命だ。真っ直ぐに向き合ってきて、本当に弟子になりたいということが伝わってくる。

 そうさせる、彼女の夢。それが何なのだろうか。

 それを聞けたら、シュウも答えを出せそうな気がする。

 彼女を本当に弟子にするかどうか。もう、彼女の想いは十分に分かっているから。

(……さて、時間が空いているし……ユーシスに、レポートを返しに行くかな)

 腰を上げて研究室の中の片づけを一人でする。彼女のいない研究室は、何故だかどこか妙に静かなような気がした。

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