第7話 二人の決意

「……ありがとうございます。助けていただいて」

 研究室に辿り着き、お茶で一息ついたレリアは正座をして深々と頭を下げる。それにシュウは苦笑いを返しながら首を振る。

「講師として当然のことをしたまでだ。多少、あの勧誘は目に余った」

 彼は一つため息をこぼし、お茶を口に運ぶ。

(なるほど、ユーシスの忠告はこういう形で的中したか)

 講師たちの気持ちは、分からなくはない。魔術の才能をその研究室で活かせないのは、学院の損失、あるいは本人のためにならないと考えるだろう。

 だが、彼女自身はこうして魔術以上に、剣術を学びたがっている。

 その意思をはっきりと確かめられた以上、講師としては口出しせざるを得なかった。

「……とはいえ、少し短慮だったが」

「どうかしたんですか?」

「ん、あの場でレリアを俺の弟子と啖呵を切ったこと」

「あ……もしかして」

 レリアはわずかに瞳を曇らせ、視線を座卓に落としながらつぶやく。

「私が弟子になっては……迷惑でしたか?」

「ああ、悪い、そういう意味じゃなくて。まだ、筋道を正していないだろう?」

 そう言いながらシュウは文机の上から一枚の紙を取り上げる。それを彼女の前に差し出すと、レリアはその真紅の瞳を大きく見開いた。

「あ……これ」

「そう、研究室の所属申請書」

 二人の間に置かれた、一枚の用紙。用意だけはしておいたが、まさか本当に誰かを研究室に招き入れる日が来るとは思っていなかった。その横に並べて印鑑を置く。

 レリアはそれに目を落としていたが、やがてゆっくりと視線を上げる。真っ直ぐな視線が、交じり合う。

「これに名前を書けば、正式にレリアは俺の弟子だ。ただし、その前に一つだけ聞かせて欲しいことがある――レリアの、夢について」

 彼女はその言葉を受け止め、ゆっくりと唇をお茶で湿らせる。いつしかの屋上のように揺るがない目つきを見せ、彼女は言葉を紡ぐ。

「勇者、ケイン・ベジャームのことは、先生はご存じですよね」

「……ああ、ベジャーム流剣術の開祖だな」

 シュウもこの国を流浪しながらその剣術を修めて皆伝をいただいた。

 魔王殺しの剣術と言われた、王国で数少ない剣術の一つ――それを興した救国の英雄。彼女は小さく頷くとすっとその双眸を細める。

 凛とした知的な輝きを宿した、真紅の瞳。彼女は真っ直ぐにその視線を注いで続ける。

「不思議に思いませんでしたか? 彼と敵対した魔王はどんな魔術でも、どんな刃でも傷つくことはなかった。その無双の魔人が、たかが剣術で滅ぼされた」

 そこでレリアは一息置くと、はっきりとした言葉で続ける。

「その真相は――彼が魔術と剣術を併せることができたから」

「魔術と、剣術を併せる……?」

「はい、勇者の手記には短く魔剣という記述が残されている程度ですが」

 魔剣、と口の中でつぶやく。確かに威力の強い魔力を剣の斬撃に集中させることができれば、最高の一撃が繰り出せるはずだ。理論上は。

 だが、それは今までそれで名を挙げた者は勇者以外にいない。

「剣技を繰り出しながら、魔術式を構築するのは難しいだろうからな」

「まさしく、それです。また激しく動きながら魔力を練るのも難しい。それに仮にできたとして、その魔剣が果たして正しく効果を発揮するのか……」

 その難しさは、さまざまな魔術式を研究しているレリアがよく知っているのだろう。難しそうに眉を寄せているレリアに、シュウは何気なく問いかける。

「……レリアは何故、魔剣に興味を持ったんだ? 勇者の伝記でも読んで興味を持ったのか?」

「いいえ……そうではないのです」

 レリアは首を振り、懐かしむように小さく目を細めて続ける。

「実は、その魔剣の剣士に助けてもらったことがあったんです」

「……魔剣の、剣士」

「はい、私が家族と共に旅している途中、魔物に襲われたときに駆けつけてくれた剣士がいて……その人が、紫電を帯びた刃で助けてくれたのです」

 彼女はわずかに頬を染めると、どこか熱のこもった視線で宙を見上げる。

「あの剣筋は今も覚えています。放たれた刃は瞬く間に駆け抜けて、まるで白い閃光のようでした。斬った瞬間、音がすぅっと消えたようになって……」

 その彼女の熱を帯びた視線がシュウに向けられ、小さくはにかむ。

「だから、びっくりしました。先生の太刀筋が、そのときの剣士にそっくりだったので」

「……そっか。だから俺の太刀筋が好きだと……」

 屋上の言葉を思い出して言うと、彼女は恥ずかしそうに頬を染めて俯いてしまう。だが、シュウを見つめ返してこくりと頷いた。

 燃えるような真紅の瞳は、シュウの心を射抜くかのように見つめて離れない。

 彼は軽く口角を吊り上げ、試すように訊ねる。

「稽古は厳しいぞ」

「承知の上です」

「魔剣が体得できるとも限らない」

「もちろんです」

「全力でついて来られるか」

「はい……私が見初めた剣術を、物にしてみます」

 その目つきから伝わってくる激しい熱がじんわりとシュウに伝わってくる。しばらく二人は視線を交わらせ――シュウはゆっくりと頷いて告げた。

「レリアの、弟子入りを認める」

 その言葉にレリアが大きく真紅の瞳を見開く。まだ信じ切れないようにまじまじとシュウの顔を見つめ、小声で訊ねる。

「本当に……よろしいのですか?」

「剣士に二言はない」

 そう言い切りながら目の前の書類にペンを走らせる。自分の名前を講師欄にさらりと書き、その横に朱肉をつけた印鑑でしっかりと判を押す。

 そのまま、シュウはペンを差し出すと、レリアはそれを受け取り、唇を引き結ぶ。

 深呼吸を一つすると、シュウの名前の隣に、丁寧に自分の名前を書く。その横にサインを書くと、彼女はそれを見つめて瞳をわずかに潤ませる。

 黙ってシュウはその頭に手を載せて撫でると、彼女は花咲くように小さく笑みを見せてくれる。その目を見て優しく笑い返す。

「弟子になった以上は身内だ。よろしく頼むぞ。レリア」

「……っ、はいっ! お師匠様っ!」

 瞳を揺らした彼女は、すぐに弾けるような笑みを浮かべる。その無邪気な笑みを見つめながら、シュウはひっそりと思う。

(一瞬、だったな)

 レリアと出会い、言葉を交わし合った時間はほんのわずか。

 その間で重大なことを決めた気がする。だけど、恐らく転機とはそういうものなのだ。

(今は、この弟子を大事に導かないとな)

 目の前で笑顔をこぼす弟子をどこか愛おしく思いながらシュウは心に決めるのだった。

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