第二章 ライバルと初めての手合わせ
第1話 初めての稽古
「おはようございます。お師匠様」
「ああ、おはよう。レリア」
レリアを弟子と認めて数日経ったある日――朝早くの学院。
冷たい朝の空気が満ち、朝日が学院の研究室の窓から差し込み、清々しい気分が立ち込める。その室内にすでにシュウとレリアは向かい合って座っていた。
レリアは制服姿ではなく、白い道着に身を包んでいる。
丁寧に正座した彼女は凛々しい目つきも相まって、どこか覇気に満ちている。
それを見つめ、シュウは文机にある書類を持ち上げた。
「所属届は学院長に受理された。よって、今日からレリアは正式な弟子だ」
「はい、ありがとうございます。不束者ですが、よろしくお願い致します」
丁寧に三つ指をつき、一礼するレリア。その仕草はなかなか堂に入っている。いろいろと東方文化を学んだのだろう。
「……ただ、それは嫁入りするときの挨拶だけどな」
「あ、え、そうなんですかっ?」
顔を上げた彼女は恥ずかしそうに頬を染め、うう、と視線を逸らす。
「し、失礼しました……お見苦しいところを」
「いや、勉強しているのが伝わってきて何より」
それに弟子入りする、ということは剣術という絆で縁組するということ。あながち間違っている挨拶でもないかもしれない。
まだ少し恥ずかしそうにしているレリアを見つめ、シュウは目を細めた。
「道着も用意したんだな。よく、似合っている」
「そ、そうですか? ありがとうございます」
嬉しそうに目尻を下げ、はにかむレリアの視線はシュウの服装に向いている。
「その、お師匠様の袴姿も、素敵です」
「そうか? 普通の稽古用の袴だけどな」
シュウもまた、身に着けているは紺色の袴だ。使い込んでいるため、生地が少し色あせ、破れたところを縫い合わせて使っている。
だから、どちらかというと不格好な気がするが……。
「なんだか、お師匠様の身体の一部のようで――しっくりきます」
「……そう、か」
少しだけ、その言葉は嬉しかった。自分の鍛練を認めてくれているような気がして。だがすぐにシュウは咳払いをして気分を切り替えてレリアに告げる。
「では、今日から稽古を始める。いいな。レリア」
「はい、よろしくお願い致します。お師匠様」
表情をすぐに引き締め、正座したまま指をついて一礼するレリア。ん、とシュウは軽く頷くと膝を立ててすっと立ち上がる。
「まずは道場に案内しよう。こっちだ」
シュウは研究室の壁の襖に手をかけ、それを開け放つ。そこに広がっているのは板張りの部屋――その光景にレリアは少し目を見開く。
「隣はこんな風になっていたのですね」
「ああ、与えられた研究室を二分割して、道場と和室で分けたんだ」
元々狭い研究室だからこそ少し手狭ではあるが、少数が稽古する分には十分な広さだ。シュウは道場に入る前に一礼すると、中へと足を踏み入れる。
レリアもそれを見習い、おずおずと道場の中に入ってくる。
「ここで、お師匠様はいつも鍛練を?」
「ああ、そうなる。まず、朝にやっておくことだが……この道場の雑巾がけだ」
そう言いながらシュウは壁際に置いてある手桶と雑巾を取り上げ、レリアに手渡す。彼女はきょとんと首を傾げて訊ねる。
「掃除ですか? なら、私が魔術でしてしまいますが……」
「でも、それだと意味がない。雑巾がけは、鍛練の一つだから」
手桶にはすでに水を汲んである。その水に雑巾を浸してしっかりと絞る。そして、その雑巾を床に置くと、それに手をついて床に雑巾をかけていく。
床を軽く一往復して戻ると、立ち上がってレリアに告げる。
「こんな風に雑巾をかけていくことで、足腰、背筋を鍛えることができる。あと、ついでに雑巾を絞ることで握力が鍛えられるな」
「な、なるほど……確かにこれは鍛練になりそうです」
レリアはこくんと頷くと、真剣な顔つきで雑巾を手に取った。しっかりと水気を絞ると、床に雑巾を押しつけ、雑巾をかけていく。
最初はぎこちなかったが、要領を掴むと綺麗な姿勢を保ったまま雑巾がけをしていく。まだ背筋が少し乱れているが……意識して続けていれば直るだろう。
(さて、俺もやるか……)
弟子だけにやらせて、自分がやらないのは筋違いだろう。
シュウも雑巾を絞り、雑巾がけの続きを始める。しばらく道場の中で小気味いい二人の駆ける音が響き渡り続けた。
やがて、一面の雑巾がけを終わると、レリアは立ち上がって一息つく。
「い、意外と疲れますね、これ……」
「慣れないうちはな。基礎体力をつけるためにも、毎朝、これはやるように」
「はい、分かり、ました。お師匠様」
頷くレリアは少し息が荒い。慣れない運動で、少し疲れたのかもしれない。
「……大丈夫か? 休憩するか?」
「いえ、大丈夫、です……ふぅ」
深呼吸して呼吸を整えると、レリアは視線を上げてシュウを真っ直ぐに見つめる。その視線に頷き、シュウは壁に立てかけられている木刀を指で示す。
「じゃあ、レリア、適当な木刀を手に取って」
「えっと、どれでもいいのですか?」
「できれば軽く振り回してしっくり来る重さがいいかな。軽すぎず、重すぎず、自分の合う木刀を選ぶといい」
作ってある木刀は、長さも重さもまちまちだ。剣は本人の身体に合ったものを扱うのが一番いい。そういう意味で、木刀はさまざまな種類を取り揃えている。
レリアは頷き、木刀を取り上げては軽く振りながら訊ねる。
「それにしても、たくさん木刀がありますね」
「ああ、他の学生も時々、ここを使うからな。授業で『上級体術』があって、その授業の自主練用にここを開放している。ま、実際、来る生徒は一人か二人だけど」
そういえば、とシュウは思い出す。
ここに毎朝のように来る一人の学生がいた。今は確か、遠征実習に出ていてしばらく学院を外して来ていないのだが……。
(そろそろ実習が終わって戻ってくる頃か)
それなら、彼女にもレリアの稽古を手伝ってもらってもいいかもしれない。
そんなことを考えていると、ふと近づいてくる気配にシュウは目を細めた。
「噂をすれば、なんとやらか」
「……え、なんですか。お師匠様」
「その熱心な自主練の学生が来たみたいだ」
後ろを振り返り、廊下の方を見やる。しばらくすると、廊下に面した扉が軽く叩かれ、引き戸が横に開けられる。靴を脱ぎ、入ってきたのは一人の女学生だった。
「失礼する。シュウ殿――む」
一本に結った長い黒髪を揺らしながら、吊り目がちの彼女は道場にいるレリアに目を留める。シュウは頷きながら、その少女に歩み寄る。
「戻ったか。アズール」
「はっ、ただいま……それよりもシュウ殿、あの生徒は」
「ああ、俺の弟子だ」
「……弟子を、お取りになったと」
少女は息を呑んでいたが、次の瞬間、きっと鋭い眼差しをレリアに向ける。その視線にレリアは戸惑いを滲ませる。だが、すぐに表情を引き締めると、彼女は一礼しながら挨拶する。
「お初にお目にかかります。レリア・ルマンドです」
「……レリア・ルマンド……? 何故、貴方のような人が弟子に……」
「お師匠様の剣を、学びたいと思ったからです」
「まさか……本当だろうか。シュウ殿」
「ああ、もちろん。講師として彼女の覚悟を受け止め、認めた」
「……なるほど。ならば」
納得したように頷いたが、少女の顔から険しさは抜けない。彼女はきっちりと踵を揃えると、はきはきとした声で彼女は告げた。
「私の名前は、アズール・ラコト。シュウ殿に剣術の教えを乞い、数手指南をいただいている。流派はリュラ流」
そして、彼女は拳を胸に当てる軍式の敬礼をして低い声で続けた。
「どうぞ、よしなに頼む」
どこかその言葉は、レリアを威圧するように聞こえた。
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