第2話 不遜な教え子

 ひゅん、ひゅん、と道場の中に風を切る音が響き渡っていた。

 音を奏でているのは、二人の木刀だ。

 やっていることは単純。木刀の素振りである。単純に木刀を振りかぶり、振り下ろすだけ。それに合わせて踏み込みも行い、それを繰り返す。

 毎朝行っている鍛練を早速、レリアは行っていた。

 シュウはその前に座し、二人の素振りの様子を見守る。

(……レリアは初めてしては、形作りができているか)

 視線をレリアに向ける。彼女は真剣な表情で自分の選んだ木刀を振り上げ、振り下ろしている。まだ動きが安定しないものの、身体をしっかり意識して動かしている。

 その一方で、アズールに視線を注ぐ――そこは、さすがの一言に足る。

 上げ下げされる木刀の切っ先は同じところをなぞり、ぴたりと制止する。重心は揺るがず、息も乱れない。眼差しもしっかりと前を見据えている。

 遠征に出てしばらく鍛練に顔を出していなかったが、怠ってはいなかったのだろう。

 二人の動きをしばらく見つめてから頃合いを見て、シュウは片手を挙げる。

「止め」

 その一言にアズールはぴたりと動きを止め、レリアは肩で息をしながら手を止める。シュウは膝を立てて立ち上がると、アズールに視線を向ける。

「腕は鈍っていないようだな」

「当然だ」

 事も無げに言い放ち、見下すようにアズールはレリアを見やる。レリアは呼吸が整わず、汗を滴らせながら肩で息をつく。

「大丈夫か。レリア」

「は、はい……まだ、行けます……っ」

「いや、今日はここまでだ。この後の講義もある。学業は疎かにするな」

「は、はい……」

 そう言う彼女は悔しさを滲ませるように身を震わせる。シュウはその頭にぽんと手を載せ、軽く撫でてやりながら告げる。

「その代わりといっては難だが、研究室で茶を煎れてもらっていいか。レリアのお茶が、飲みたい気分なんだ」

「あ……はい、かしこまりました。お師匠様」

 その言葉に顔を上げると、嬉しそうにわずかに目尻を緩める。そのまま踵を返すと、軽い足取りで道場から研究室に駆けていく。

 それを見届けてから、シュウは背後に向かって声をかけた。

「……何か言いたげだな。アズール」

「……シュウ殿、本当にあの生徒を弟子にするのか」

 ゆっくりと振り返ると、アズールは目尻を吊り上げ、刺すような目つきでシュウを睨んでいる。その眼光を受け止め、シュウは軽く頷いて見せる。

「ああ、彼女の覚悟はすでに確かめたといっただろう? レリアは俺の弟子としたことは、すでに決定事項だ」

 はっきりとした口調で告げると、わずかにアズールは瞳に苛立ちを滲ませる。

 反対しないが、反対する言葉が見つからない――そんな悔しささえ感じさせるアズールに、シュウはため息をついて告げる。

「アズールが思うことは、分からんでもない。だが、その諸々をひっくるめてレリアを弟子とすることとした」

 その言葉にアズールは唇をかみしめていたが、やがてゆっくりと頭を垂れる。

「御意。シュウ殿の意図は、察した」

「……そうか」

「だが、まだ私は彼女のシュウ殿の弟子と認めることは、できない」

「それで、いい」

 シュウの言葉にアズールは短く息を吐き出すと、踵を返した。荒々しく一礼して出ていったアズールを見届け、シュウは思わずため息をこぼす。

(ここまで拒否感を示すとはな……)

 今までこの道場に誰が鍛練に来ようと、アズールはあまり気にしなかったというのに。これまでにないくらい、彼女は機嫌が悪かった。

 それは、稽古中の刃にも表れるくらいに。

(剣筋を乱すとは、未熟者だな。アズールも)

 シュウはやれやれと肩を竦めながら、研究室に戻る。そこではレリアが座卓を前に座って待っていた。その机の上には、湯呑が三つ。

「あ……レリア、アズールの分も入れてきたのか」

「は、はい……姉弟子の分もいれるべきかと」

「厳密には、姉弟子ではないけどな。彼女は俺の弟子じゃない」

「そう、なのですか?」

 きょとんとするレリアに、シュウは腰を下ろしながら苦笑いを向ける。

「ああ、彼女はあくまで俺の講義を取っていて、この道場には自習しに来ているだけにしか過ぎない、ただの一生徒だ。だから、敬語も使わないし」

「そ、それはどうかと思いますけど……お師匠様は、先生ですし」

「だが、この学院では同じ研究する者だ。あまり変わりはしないさ」

 そこで一息つくと、シュウは苦笑い交じりに言葉を続ける。

「それに、アズールはそういう威厳も必要なんだろう」

「……どういうことなんですか?」

「彼女は軍人の娘なんだ。将来、軍属を目して学院で勉強をしている」

「軍属……じゃあ、研究室も」

「軍人養成を専門としたところだな」

 魔術はさまざまな分野で研究されているが、当然、軍事利用もされている。そのため、この学院の研究室の一部は、軍人養成を目的とした研究室もある。

 そこに所属する講師はいずれも軍関係者の人間。

 覚えがめでたければ、軍の中枢に推薦され、出世道を進むことができる。

 アズールもその一人として、研鑽を積んでいるのだ。

「俺も彼女に関しては推薦状を書いている。彼女に熱意はあるし、軍人としての適性があると思う。まぁ、一つのことに執着し過ぎる傾向があるが」

「そうなんですか?」

「ああ、俺から一本取って皆伝を取ろうと躍起になっている。別に剣術皆伝なら、アズールの腕前ならベジャーム流くらい取れそうな気はするが」

「負けず嫌いなのかもしれませんね」

 そう言いながらレリアは急須を手に取ると、湯呑に注ぎ始める。控えめの湯気が上がる緑茶を煎れると、彼女は小さく微笑んで差し出した。

「はい、どうぞ。お師匠様」

「ん、いただきます」

 二人で湯呑を取り、お茶を飲む。舌に広がるのは、程よい湯加減の緑茶。熱くもない、飲みやすい程度がシュウのお気に入りのお茶だ。

 レリアはそれを心得たもので、ちゃんと丁寧にお茶を煎れてくれている。

(……弟子にお茶の好みを知られてきているな……)

 しみじみと思いながら飲みつつ、ふとシュウは思い出して腰を上げる。

「そうだ。レリア。お茶菓子買ってきてある」

「いいんですか? お師匠様」

「ん、まだ時間があるだろう? 一限目は履修していなかったはずだし」

 戸棚から取り出した洋菓子を皿に載せ、レリアの前に置く。それを見て、わっ、と彼女は目を丸くし、嬉しそうに表情を緩ませた。

「これ、フィナンシュじゃないですか……! 私大好きですっ!」

「この前、お茶菓子で出したとき、美味しそうにしていたからな」

 所属届が受理されるまでの数日間も、レリアは研究室に顔を覗かせていた。

 東方文化論や剣術の歴史について議論を交わしながら、お茶を楽しんでいたのである。レリアがシュウのお茶の好みを知ったように、シュウもレリアの菓子の好みを知っている。

 二人は手を合わせると、レリアは早速フィナンシュを口に運ぶ。

「……んんーっ、運動した後に、甘さが身体に染みます」

「それはよかった。次の講義までゆっくり身体を休めてくれ」

「はい、お師匠様、ありがとうございますっ」

 八重歯を見せ、嬉しそうに笑顔を見せてくれるレリア。その眩しい笑顔にシュウは笑い返しながら、フィナンシュを食べる。

 ふわりとした甘さが、口の中に広がる。本当に上品な味わいだ。

(……いい店を教えてくれたユーシスに感謝しないとな)

 二人はしばらく洋菓子の甘さを味わい、ゆっくりとした時間を過ごす。レリアはフィナンシュを食べきると、お茶を飲んで満足げに一息。丁寧に手を合わせる。

「ごちそうさまです。お師匠様」

「まぁ、初日から頑張ったからな。それに休むときは休むというのも肝要だ。そういう意味で、こうしてお茶を飲む時間は有意義でもある」

「なるほど、納得です」

 彼女はこくんと頷きながら姿勢を正し、シュウに向き直る。彼は口元を拭いてから、真面目な顔つきでレリアを見つめ返した。

「これからは学業に差しさわりのない程度で指南を続けていく。アズールのことも気にする必要はない。どんどんぶつかってこい。それが剣の真髄を掴む唯一の道だからな」

「はい、それはもちろんです」

「まずは、体力をつけることだ。掃除などもこれから魔術に頼らないこと」

「分かりました。お師匠様。では、掃除、洗濯、お茶くみ……全て魔術を使いません」

「いや、お茶くみは魔術を使って構わない」

 その言葉にきょとんとレリアは目を丸くし……やがて、真紅の目を細めて嬉しそうに首を傾げた。

「お茶のお代わり、いりますか? お師匠様」

「ああ、頼む……レリアのお茶は、本当に美味いから」

「えへへ、お任せください」

 くすりと愛らしく笑った彼女は腰を上げてお茶の支度をしてくれる。

 それから二人はしばらくのんびりとお茶を飲み交わしながら剣術談議に花を咲かせた。

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