第5話 いざ尋常に
「やぁ、シュウ、大変なことになったねぇ」
約束の日は、穏やかな陽光が降り注ぐ、温かな日だった。
昼下がりの運動場の中央。シュウが使用申請を出した場所では、すでに一人の講師が待っていた。気さくな笑顔で挨拶してくるユーシスにシュウは苦笑いを返す。
「まぁな。すまない、ユーシス。手間を取らせて」
「ううん、構わないよ。期待の軍人候補生と、ルマンドさんの手合わせを見られるのなら、お安い御用だよ……ああ、こんにちは、ルマンドさん」
「あ、はい、こんにちは。ブラームス先生」
師匠の一歩後ろに突き従っていたレリアは辺りを見渡し、きょとんとした顔でユーシスを見つめる。
「えっと、何故こちらにブラームス先生が?」
「俺が呼んだ。学院公認の決闘である以上、審判は必要だからな。一応、俺がやってもいいんだが、それは公平性を欠くと思ったし」
「本当、シュウって生真面目というか筋道を正すよね」
「それが、剣術の教えだからな」
シュウは言葉を返すと、聞いていたレリアは真面目な顔でなるほど、と頷いた。
「私もこの勝負で勝ち、筋道を正して見せます」
「その意気だ。レリア」
その二人のやり取りを見守っていたユーシスはふと気になったように視線を向ける。
「そういえば、ルマンドさんは……それは、キモノ、かな?」
「道着です。こちらの方が制服よりも気が引き締まるので」
そう言いながらレリアは軽く袴を揺らしてみせる。それはシュウが与えた和装の道着だ。艶やかな金色の髪も後ろで一本に縛っているため、凛々しい雰囲気を満たしている。
その隣に立つシュウも同じく道着だ。その上に来た羽織の袖に手を突っ込むようして腕を組みながら彼は眉を寄せる。
「何か問題はあるか?」
「いいや、別に。ただ、二人とも居住まいが似通ってきたな、と」
「いえ、未熟ですので。形から真似ているだけです」
「……そういう謙遜の仕方も、なんか似ているな……ごめん、失礼」
苦笑いをこぼすユーシスは手を伸ばし、確認するようにレリアの肩に手を触れる。生地を指先で撫で、うん、と満足したように頷く。
「学院の制服と同じ、耐衝撃、耐魔術素材でできているね。決闘には問題ないかな」
「ああ、もちろんだ。それにユーシスのことも信頼しているから」
彼は薬学講師として名高いが、魔術の腕前もなかなかに優れている。致死性の魔術が飛んだら、きっちり彼が止めるはずだ。
果たして彼は真面目な顔で頷き、レリアを見て頷く。
「講師としてそこは責任を持つよ。ルマンドさん、安心して全力を出して」
「もとよりそのつもりです。よろしくお願い致します。ブラームス先生」
その礼儀正しい言葉にユーシスは満足げに頷く。レリアは軽くストレッチをしながら、ふと何か気になったように辺りを見渡す。
その視線を追いかけ、シュウは軽く眉を寄せる。
「……しかし、どこから聞きつけたのか集まったものだな」
ぐるりと運動場の周りを見渡す。そこでは遠巻きに学生たちがシュウたちを見ているのが分かる。その中には生徒だけでなく、講師の姿まで見える。
その姿を見やり、ユーシスは苦笑いをこぼした。
「仕方ないよ。あの学院一の天才、レリア・ルマンドが戦うと聞いたら誰もが興味をそそられると思うからね。すぐに噂は広まる」
「ま、気持ちは分からないでもないが……弟子を見世物にするのは、好かんな」
「あはは、さすが生徒想いのシュウ。だけど、気にしない方がいいよ」
そこで一息つくと、シュウとレリアを見比べて微笑みかける。
「逆にここでキミたちの師弟関係を見せつけてやれば、きっとルマンドさんに未練がましい講師も、手を引いてくれると思うからね」
「……レリア、まさか、まだ勧誘を受けているのか?」
「あ、あはは……その、前よりは少なくなったのですけど」
気まずげに視線を逸らすレリアに、ふむ、とシュウは頷いて目を細める。
「しつこいようなら、俺に言え。話をつけてくる」
「ありがとうございます。お師匠様。お言葉だけで、十分嬉しいです」
レリアは嬉しそうに頬を微かに染め、ユーシスは呆れたように肩を竦める。
「シュウは意外と親バカというか、師匠バカというか」
「なんとでも言え。弟子を護るのは、師匠の務めだろう」
「いっそ清々しいね。シュウ――と、来たよ。二人とも」
ユーシスが声を小さくする。その視線の先を追いかけると、そこには颯爽と黒髪をなびかせる女生徒の姿があった。その足取りは淀みがなく、気迫に満ちている。鋭い眼差しはもうすでに殺気を孕んでいるように見える。
やがて、アズールはシュウの五歩前で立ち止まると、ふん、と鼻を鳴らした。
「逃げなかったようだな」
「当然。敵前逃亡は、恥だろう」
「お師匠様の顔に、泥を塗るわけにもいきません」
シュウとレリアの言葉に、ぴくりと彼女はこめかみを動かしたが、すぐに平静を保って視線をシュウに向ける。
「では、始めるぞ。シュウ殿」
「ああ、学院のルールに則って決闘は行われる。魔術あり、剣術あり、再起不能と思われる一撃を加えた方が勝ち。B級以上軍用魔術――つまり、致死性及び大規模の魔術は禁止。立会人は、ユーシス・ブラームスにお願いしている」
「……よろしくお願いする。ブラームス殿」
その言葉にユーシスは真剣な顔つきで頷いた。いつもの柔らかい物腰はなく、真面目な口調ではっきりと言葉をかける。
「この学院の講師として二人の立ち合いを見届ける。両者、前へ」
その言葉にレリアとアズールは前に進み出る。シュウは黙ってレリアの肩に手を置くと、彼女は目を合わせてはっきりと頷いてくれる。
その力強さに表情を緩めると、シュウは彼女から離れ、場外に移動。
運動場の中心には、レリアとアズール、そしてユーシスしかいない。
「両者、構え」
凛とユーシスが声を張り上げながら、指先を中空に走らせる。描く軌跡が術式となり、光を放ってすぐさま効力を発揮する。
運動場を取り囲むように、青い光のベールが浮かび上がる。まるでオーロラのように揺れるそれは、ユーシスの結界だ。
風や光は通すが、魔術や人は一切通さない。つまり、彼女がこの中でどれだけ暴れ回ろうとも、その外に被害が及ぶことはない。
その光の障壁の中で、レリアとアズールは向かい合い、睨み合う。二人の熱を高めるように風が吹き渡り、二人の髪の毛をなびかせ、木の葉が宙を舞う。
空気が張り詰めていくのを感じ、取り囲んだ生徒たちは息を潜めていく。
やがて、吹いていた風がゆるやかに止み、宙を舞っていた木の葉が地に落ちる。
瞬間、ユーシスは鋭く声を放った。
「始めッ!」
それを合図に一瞬で動いたのはアズールだった。染みついたような動きで指をひらりと動かす。一瞬遅れてレリアは指を動かす。
魔法陣をすぐに描き上げたのは、アズールが先だった。
一瞬で描き上げた魔法陣に、彼女は掌をかざす――瞬間、弾かれたように紫電が宙を駆ける。レリアは魔法陣を放棄すると閃光を横っ飛びに躱す。紫電は彼女を立っていた場所に突き刺さり、轟音と共に地面を吹き飛ばした。
恐るべき威力の魔術。レリアは袴を翻しながら体勢を立て直し、指を虚空に走らせる。だが、その魔法陣を完成させる前にアズールは次の魔法陣を宙に完成させる。
瞬間、放たれた轟雷がレリアめがけて降り注ぐ。それに彼女は回避を余儀なくされる。そこへ畳みかけるように、アズールは次々に魔術を中空に刻み、解き放っていく。
次々に放たれるのは、まさに轟雷の嵐。その衝撃に鼓膜が痺れそうになる――。
(……レリア)
その中を透かしてみるように見つめていると、不意に横に誰かが並んで立っていることに気づいた。視線を向け、片眉を吊り上げる。
「……イルゼさんか」
「はい……心配で、来てしまいました」
近くに歩み寄ってきたイルゼは、心配そうに戦場の中心を見やる。轟雷は次々に振り注ぎ、地面を焼き尽くす勢いだ。その閃光でレリアの姿は見えない。
「先生……レリアは、大丈夫、なのでしょうか」
「大丈夫だ。戦い方は、教えている」
「でも……一切、反撃ができていません……っ!」
不安そうにイルゼは胸の前で拳を握りしめる。その言葉が示す通り、レリア側からは魔術が飛ばない。もちろん、剣が届くような距離でもない。
レリアは浴びせられる魔術に包まれ、手も足も出ないように見える。
それを見つめるイルゼの瞳は、どうして、と疑問と不安で揺れている。それを見やり、シュウは小さくつぶやく。
「確かに、レリアは魔術の天才と言われている。だが、それは術式の研究において、だ」
「……どういうことですか?」
「ん、っと、つまりレリアは手札が多い。多いだけなんだ」
レリアはさまざまな魔術を把握、理解し、使いこなすことができる。だが、それはあくまで知っているだけで、実際に使った経験は乏しい。
それに対して、アズールは手札こそレリアよりも少ないものの、何度も実戦経験がある。この前の遠征演習でも実戦を積んできたはずだ。どの状況でどの手札を切るのか最適かは彼女の方が肌でよく知っている。
「それにアズールは手札を切る速度……術式の構築速度も早い。実戦においては、真っ向から戦えば彼女に勝てないだろうな」
「え……そんな……っ!」
イルゼのその顔が蒼白になり、絶望に染まる。それを見やりながらシュウはにやりと口角を吊り上げる。
「安心してくれ。ちゃんと俺はしっかりと教えたさ――剣術と戦い方を」
そこで一息つく。未だに轟雷が降り注ぐ戦場を見ながら言葉を続ける。
「大丈夫。レリアなら、勝てる。なんといっても、俺の弟子なんだから」
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